第4話 Game Nexus 初ログイン
冷は頭を数回振って、雑念を振り払った。
赤井温。あの予測不能なエネルギーの塊のような少女。彼女との不毛な口論で消費した精神リソースは少なくない。だが、今はもっと重要なことがある。思考を切り替え、意識を研ぎ澄ます。
自室のゲーミングチェアに深く身を沈めたまま、彼はVRゴーグルを装着し、両手にコントローラーを手に取った。視界が暗転し、やがて起動ロゴが浮かび上がる。
『Game Nexus』
世界的な大手ソフトウェア企業「マクロソフト」が鳴り物入りでリリースした、最新鋭のVRオンラインゲーム。その名はすでに、世界中のゲーマーたちの間で話題沸騰となっていた。
「――ログイン」
呟きとともに、冷の意識は物理的な肉体を離れ、光速で仮想空間へとダイブしていく。クラスメイトの名前も、担任の顔も、そしてあの赤髪ツインテールの少女のことも、今はもう意識の彼方だ。
彼の思考は、ただ一つ。
この新たな戦場で、いかにして頂点を極めるか。
Game Nexusは、単なるVRアクションゲームではない。チェスや将棋のように、盤上――8マス×8マスのグリッドマップ――でキャラクター(駒)を戦略的に動かすシミュレーション要素と、駒が接触したりスキルを発動したりする際に、プレイヤー自身がキャラクターに憑依し、VR空間で直接戦闘を行うアクション要素が融合した、新感覚の対戦ゲームだ。
プレイヤーは1対1のシングルマッチ、または2対2のタッグマッチで戦う。キャラクターは、基本的にゲーム内通貨または現実の法定通貨、あるいは仮想通貨を用いた「ガチャ」で入手する。ここまではよくあるソシャゲのシステムだが、Game Nexusが異質なのは、排出される全てのキャラクターにNFT(非代替性トークン)が紐づけられている点だ。
つまり、全てのキャラクターは唯一無二のデジタル資産であり、外部のNFTマーケットプレイスで売買が可能。その価値は、キャラクターのレアリティだけでなく、ゲーム内での活躍や大会での実績、プレイヤーコミュニティの盛り上がりなど、様々な要因によってリアルタイムで変動する。まさに、ゲームと経済が直結した世界だった。
キャラクターのレアリティは、下からN (ノーマル)、R (レア)、SR (スーパーレア)、SSR (ダブルスーパーレア)、UR (アルティメットレア) の5段階が現在確認されている。噂ではさらに上位のレアリティも存在すると言われているが、定かではない。
問題はその入手難易度だ。日本円換算でのガチャの期待値は、SRですら約10万円。SSRに至っては、200万円を注ぎ込んでようやく1体手に入るかどうかという確率。URに至っては、期待値1億円とも囁かれる代物で、もはや一般庶民には都市伝説レベルの存在だ。サービス開始直後の現在、実装されているキャラクターはまだ少ないとはいえ、この渋すぎる排出率は、すでに多くのプレイヤーを絶望の淵に叩き込んでいる。
(…まあ、俺には関係ないが)
冷は内心で呟く。かつて、別ゲームで「MOZE」として名を馳せた彼は、その卓越したゲームセンスと戦略眼によって、仮想通貨を稼ぎ、現実世界での生活費を賄ってきた。このGame Nexusも、彼にとっては新たな「稼ぎ場」となる可能性がある。だからこそ、初期投資は惜しまなかった。とはいえ、いきなりSSRやURを狙うのはリスクが高い。まずは手持ちの戦力で確実にランクを上げ、ゲーム内通貨や報酬で戦力を拡充していくのがセオリーだろう。
ログインシーケンスの待機時間。冷は意識の中で、手持ちのキャラクターをシミュレーションする。
『Wolf』レアリティR。近接戦闘タイプ。移動力と攻撃速度に優れるが、耐久力は低い。奇襲や撹乱に適している。
『Knight』レアリティSR。バランス型の近接戦闘タイプ。攻守のバランスが良く、安定した戦いができる。SRとしては標準的な性能。
『Gunner』レアリティSR。遠距離攻撃タイプ。射程と火力が魅力だが、接近されると脆い。精密な位置取りとエイムが要求される。
(基本戦術はGunnerへの憑依だな)
冷は結論づける。彼はMOZE時代、高度な戦術眼とマップ把握能力、そして的確な指示によってチームを勝利に導く「司令塔」タイプのプレイヤーだった。VR空間での直接的な格闘や精密なアクションは、正直なところ、彼よりも優れたプレイヤーはいくらでもいる。ならば、自分の得意な土俵で戦うべきだ。
Gunnerに憑依し、後方からMAP全体を俯瞰しつつ、的確な遠距離攻撃でダメージを与える。味方のWolfとKnightにはAI操作か、あるいはタッグパートナーに指示を出し、前線を構築してもらう。相手の遠距離攻撃は、自身の駒操作ボタンによる
マップ上の回避操作で凌ぐ。パートナーにはVRアクションの近接憑依戦闘に
集中してもらう。これが、現時点での最適解だろう。
(ハンドルネーム『ZERO』。ここから再スタートだ)
新たな決意を胸に刻んだ瞬間、ログインが完了した。目の前に広がるのは、近未来的なデザインのゲームロビー。中央には巨大なマッチングコンソールが鎮座している。迷わず「タッグマッチ」を選択し、マッチング開始ボタンを押した。
………。
…………。
……待てど暮らせど、マッチングが成立しない。
(…重いな。人気ゲームとはいえ、サーバーが貧弱すぎる)
冷はわずかに眉を顰める。サービス開始直後の混雑は予想していたが、これほどとは。数分が経過し、ようやくマッチング完了の表示と共に、パートナーの情報が表示された。
Partner: Scarlet
(スカーレット…女か?)
名前からして女性プレイヤーだろうと推測する。次の瞬間、ボイスチャットからやや甲高い、しかしどこか芯のある少女の声が飛んできた。
「よろしくー! えーっと、ZEROさん、でいいのかな?」
その声を聞いた瞬間、冷の思考がわずかに停止した。
(…この声、どこかで…?)
デジャヴュ。それも、つい先ほど体験したばかりのような、妙に生々しい感覚。だが、思い出そうとしても、靄がかかったように判然としない。
「あ、ああ。よろしく頼む」
無愛想な返答になったのは、半分は彼の素の性格、もう半分は奇妙な違和感のせいだった。
「あれ? なんか、その声…どっかで聞いたことあるような…?」
相手も同じことを感じたらしい。訝しげな声色が、ヘッドセット越しに伝わってくる。
しかし、冷の意識はすぐに別のものに奪われた。画面に表示された、パートナー「Scarlet」の手持ちキャラクター構成。
Scarlet’s Team: Cat (SR), Holy Knight (SSR), Sniper (SR)
(なっ…!? SSRだと!?)
Holy Knight。聖騎士。その輝かしいアイコンと、「SSR」の文字が、冷の目に痛いほど突き刺さる。サービス開始直後のこの時期に、期待値200万円のSSRを引き当てているだと?
(どんな豪運だ…? それとも、親が石油王か何かか? このゲームにそこまで初期投資する意味が…?)
MOZEとしてそれなりに稼いできた冷ですら、SSRにはまだ手を出していない。まずはSRで戦力を整え、ゲームの将来性を見極めてから…と考えていたのだ。目の前のパートナーは、その常識を軽々と飛び越えている。
冷が内心の動揺を押し殺している間に、Scarletが明るい声で告げた。
「あ、対戦相手、決まったみたいだよ! えっとなになに…」
画面が切り替わり、対戦相手の情報が表示される。相手も2人組のタッグだ。
Opponent Team 1: Rat (N), Warrior (R), Archer (R)
Opponent Team 2: Warrior (R), Cat (SR), Cat (SR)
(ふむ…NとR主体のチームと、近接偏重のSRチームか)
冷静に相手の構成を分析する。レアリティで見れば、こちらが有利だ。
特に、Scarletの持つSSR、Holy Knightの存在は大きい。ステータス、スキル、全てにおいてRやSRとは一線を画すはずだ。
(よし…これならいける)
冷の中に、確かな勝算が生まれた。こちらのチーム構成はバランスが良い。ScarletのHoly Knightを前線に、彼女のCat(SR)と俺のKnight(SR)で脇を固め、俺のGunner(SR)と彼女のSniper(SR)が後方から支援する。俺が的確に指示を出し、Scarletがそれに従いさえすれば、レアリティの差で押しつぶせる。
パーフェクトゲームも夢ではない。そうなれば、ゲーム内ランキングも一気に上昇し、高評価スコアを得られるだろう。
「Scarlet、指示を出す。それに従ってくれれば勝てる」
冷は、MOZE時代同様のいつもの冷静なトーンでパートナーに告げた。
「へ? あ、うん、わかった! 任せて!」
Scarletは、やや間の抜けた返事をしたが、素直に頷いたようだ。
(よし、これで盤石だ)
戦闘開始のカウントダウンが始まる。3、2、1…
マップにキャラクターが配置され、最初のターンが始まる。冷の思考は高速で回転し、最適の一手を導き出す。全ては計算通りに進むはずだった。
だが、この時の冷はまだ知らなかった。
隣にいる、この能天気そうな声のパートナー「Scarlet」が、彼の完璧な計算を、そして彼の心の壁をも、予想外の形で打ち砕くことになる存在だということを。
そして、この最初の戦いが、彼の立てた安易な勝利予測とは全く異なる、混沌とした展開を迎えることになるのを――。
彼の「ZERO」としての初陣は、静かに、しかし確実に、波乱の幕を開けようとしていた。




