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第3話 赤井温

そんなことを考えながら昇降口を抜け、校舎の外に出た時だった。




「あっ!アンタ!」




またしても、あの声。


振り返ると、案の定、赤井温が仁王立ちで待ち構えていた。夕日に照らされた赤いサイドテールが、まるで怒りのオーラのように揺らめいている。




「やっと出てきたわね! ちょっとアンタ、さっきぶり!」


さっきぶり、という妙な日本語に引っかかりつつも、冷は無表情を貫く。


「…何か用か」


「用があるに決まってるでしょ! 朝のことよ、朝の!」


温はぷりぷりしながら冷に詰め寄る。甘いシャンプーの香りが、また鼻腔をくすぐった。




「バイク事故のことなら、俺に非はないはずだが」


冷は淡々と事実を述べる。分析によれば、原因は彼女のバイクの整備不良、あるいは運転ミスだ。回避行動は正当防衛に近い。


しかし、温はそんな論理を鼻で笑った。




「はぁ? 非がないですって!? 大アリよ! あのね、アンタがヘンな避け方しなければ、アタシはもっと華麗に着地できたの! バイクをね、こう、シュッて横に蹴り飛ばして、空中でくるんって一回転して、スタッて! 完璧なイメージだったんだから!」


身振り手振りを交えて力説する温。その動きは無駄にダイナミックだが、物理法則を完全に無視した主張だ。




「…非現実的だ。物理的に不可能。そもそも、なぜ俺が避けなければならなかった? 前方不注意はそちら側に…」


「うるさい! ひょろいアンタがチョコマカ動くからタイミングが狂ったのよ! アタシの計算では、アンタはもっとこう…どっしり構えてて、アタシが肩を足場にして飛び越える予定だったんだから!」


「…それは、俺に怪我しろと言っているように聞こえるが」


「細かいことはどうでもいいの! とにかく! この私が、あんな無様に転ぶなんてありえないの! 全部アンタのせい!」


自信満々に胸を張る温。その根拠のない自信は、もはや清々しいほどだ。




冷のこめかみが、ピクリと動いた。


普段、他人の言動に感情を揺さぶられることは滅多にない。だが、この少女の理不尽な言い分と、責任転嫁の姿勢は、彼の論理回路に明確なエラーを引き起こした。




「…納得できない。そちらの過失を棚に上げて、一方的に責任を押し付けるのは、論理的ではない。事故の原因を客観的に分析すれば…」


「あーもー! 理屈っぽい! 男子はもっと単純でいいのよ! ごめんなさいの一言もないわけ!?」


「なぜ俺が謝罪する必要がある? 謝罪すべきは、危険な運転をして他者を巻き込んだそちら側だろう」


「なんですってー!?」




売り言葉に買い言葉。


夕暮れの校舎前で、新入生二人の不毛な口論が繰り広げられる。周囲の生徒たちが奇異の目で見ていたが、二人ともそれに気づく余裕はない。




「とにかく! アタシは悪くない! アンタがひょろい見た目どうり


ボーッと立っていれば、アタシもアンタも怪我しなかったの!


いい!? 次からは気をつけることね!」


一方的にそう言い放つと、温はフンッ!と鼻を鳴らして踵を返した。




「おい、まだ話は…!」


呼び止めようとした冷の声は無視され、温はスタスタと歩いていく。その途中、校門の近くで待っていたらしい例の二人組――星野ひかりと中村舞と合流した。




「あ、温! 遅かったじゃん。何してたの?」


ひかりが手を振る。


「もう! ちょっと聞いてよ、ひかり、舞! あの隣のクラスの変なヤツがさー!」


温は早速、友人たちに何事かまくし立てているようだ。遠目にも、身振り手振りが大きいのがわかる。




(…変なヤツ、か)


冷は小さくため息をついた。理解不能な生物とのエンカウントは、精神エネルギーを無駄に消費する。今日のところは撤退が賢明だろう。


彼は温たちに背を向け、自宅への道を歩き始めた。




一方、温と友人たちの会話。


「…で、バイクで突っ込んじゃって、避けられて、二人して転んだ、と」


舞が呆れたようにまとめる。


「だーかーらー! アタシは悪くないって! あのひょろい男子が急に変な動きするから!」


「いやいや、どう考えても温が悪いでしょ」ひかりが笑いながらツッコむ。


「てか、バイクで通学とか、相変わらずぶっ飛んでるねー」


「だって、あの坂道、自転車じゃキツいんだもん。電動バイクなら楽ちんかなーって思って。お父様にお願いしたら、すぐ買ってくれたし」


ケロリと言う温。




「それより、バイク大丈夫なの? 結構、派手に壊れてたみたいだけど…弁償とか…」


舞が心配そうに尋ねる。


「あー、あれ? 平気平気。あんなの、アタシのお小遣いレベルだし。もう執事のじいやに電話して、レッカーで回収してもらったから」


「お、お小遣いレベル…」「執事が回収…」


ひかりと舞は顔を見合わせ、苦笑いするしかない。


赤井温。彼女は国内有数のスポーツグッズメーカー『アカイスポーツ』の社長令嬢であり、その金銭感覚と行動力は、時として常人の理解を超えるのだ。




「それよりさー、あの男子、名前なんて言うんだっけ? 青…なんとか?」


温が首を傾げる。


「ああ、青野冷君でしょ? うちのクラスの。初日から授業中ずっと寝てたよ。」


ひかりが同じクラスの冷の情報を共有する。


「へー、やっぱり変なヤツなんだ。まあ、どうでもいいけど!


それより、帰りクレープ食べに行かない? 新しいお店できたんだって!」


温はもう冷のことなど忘れたように、明るく話題を変えた。


「「行く行くー!温のおごりねー!」」


三人の女子高生は、楽しげに笑いながら駅へと向かっていった。




その頃、自宅に帰り着いた青野冷は、


自室のゲーミングチェアに深く身を沈めていた。


今日の出来事を脳内でリプレイする。


赤井温との衝突。教室での視線。そして、先ほどの不毛な口論。




(…赤井温。非論理的。衝動的。自己中心的。だが…異常にエネルギーレベルが高い。あの自信はどこから来る? 分析不能な要素が多い)




初めて感じる種類の苛立ちと、わずかな好奇心。


彼女の顔、声、仕草が、断片的に脳裏をよぎる。


あの太陽のような、ある意味で暴力的なまでの明るさ。


論理の通用しない、予測不能な言動。




(…不快だ。だが…)




何かが、ほんの少しだけ、彼の確立された世界に波紋を広げているような感覚。


しかし、それはまだ、取るに足らないノイズレベルだ。




冷は頭を数回振って、雑念を振り払った。


今はもっと重要なことがある。




彼はヘッドマウントディスプレイを装着し、コントローラーを手に取った。


目の前に広がるのは、現実とは異なる、彼が最も得意とする世界。




「――『Game Nexus』、ログイン」




呟きとともに、冷の意識は仮想空間へとダイブしていく。


クラスメイトの名前も、担任の顔も、そしてあの赤髪ツインテールの少女のことも、今はもう意識の彼方だ。


彼の思考は、ただ一つ。


この新たな戦場で、いかにして頂点を極めるか。




ハンドルネーム『ZERO』――いや、このゲームではまだ名もない新人プレイヤー。


青野冷の、もう一つの戦いが始まろうとしていた。

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