エピローグ・人生の軟着陸(ソフトランディング)
三日後も、俺は公爵邸の庭園で、死んだ魚のような目をしていた。
「……詰んだ」
あの日、執務室でコンラートにラノベ知識を完全論破されて以来、戦争、破門、火刑に異端審問、やっぱり戦争に、断頭台……コンラートに示された様々な破滅の姿が頭の中をぐるぐる回っていた。
そこへ、メイドに導かれて婚約者エラーラが姿を現す。 銀色の髪。落ち着いた紫色の瞳。ラノベ悪役令嬢のような傲慢さも派手さもない。寧ろ地味目の、清楚で知的な女性だった。
お茶会は進む。俺が生返事を繰り返す中、エラーラ嬢は淡々と、しかし的確な言葉を紡いでいた。
「アレスター様。東方国境の関税ですが、父の領地と調整すれば、両家の利益を最大化できるかと存じます――」
うさぴょんを、今世もやっぱり俺の手で守ることが出来なかった……そんな悔恨を胸に、俺はぼんやりとエラーラ嬢を眺めていた。
ああ、もともと分かっていた。三日前、俺が追い求めた「情熱」は俺のものじゃない。あくまでも前世の俺のもの。今世の俺にとっては、単なる破滅と隣り合わせの夢にしか過ぎない。
「先日拝見した、アレスター様発案の治水計画ですが、予算計上において、ヴァルデン家の持つ土木ギルドとの連携も可能かと存じます。父も乗り気でございまして――」
うさぴょんの顔を思い浮かべる。でも、彼女のすべての記憶は前世の俺のもの、今世の俺には何の関わり合いもない。
「それと、来年の初夜の儀と、その後の資産統合に関してですが――」
でも、俺の目の前にいるこの女性。この女性は違う。彼女は今、俺の「パートナー」として、共に歩む「未来(現実)」を一生懸命語っている。自分自身の言葉で。
俺の生気のない反応に、エラーラ嬢の言葉が、ふと途切れた。
「……あの。アレスター様?どこか、お加減がお悪いのですか?」
彼女が、不安そうに俺の顔を覗き込む。 その紫色の瞳が、わずかに揺れていた。
俺は、そこでようやく気が付いた。俺の気の抜けた対応が、彼女に「この婚姻が、俺に歓迎されていないのでは」と、不安を抱かせてしまったのだ。
そうだ……彼女は、これから俺が生涯をかけて共に歩み、苦楽を共にしてくれる女性だ。アンナでも、うさぴょんでもない、俺が生涯をかけて推すべきなのはこの女性だ!その彼女に、こんな顔をさせてはいけない!
「――エラーラ嬢」
俺は、彼女の手を思わず掴んでいた。
「!?」
エラーラ嬢の肩が、驚きに小さく跳ねる。
「すまない。俺は、今まで君のことを見ていなかった」
「……あ、アレスター、様……?」
俺は彼女の、思ったより細い手を、今度はしっかりと握りしめた。
「エラーラ嬢。必ず、貴女を幸せにします……いや。一緒に、幸せになりましょう」
エラーラ嬢は、一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったように固まった。次の瞬間、その白い肌は、耳まで茹で蛸のように真っ赤に染まった。
しまった、婚約中とはいえ、いきなり女性の手を取るのはマナー違反だった!(貴族常識についての家庭教師に昨日習った)
戦争、破門、異端審問、断頭台、それらがまた、頭の中をぐるぐる回りだした。
だが……彼女はそのまま俯きながら、俺が掴んだその手を、震えながらほんのわずかに握り返してくれた。
♦♦♦
「コンラート、穀物ギルドのギルド長を呼び出せ。東方軍(ヴァルデン軍)への兵站供出率を上げさせる」
「素直に応じますか?」
「なに、去年の麦の出し惜しみで大儲けしただろう?その証拠はこちらで握っている」
この春、俺はエラーラ嬢と無事、結婚した。それに伴い役職も、宰相補佐(=見習い)から宰相上級補佐官に出世した。
執務は王宮か、ハイゼンベルグ公爵家の私邸で行うのだが、できる限り後者で仕事をするようにしている。特に今日の様に「交渉」(という名の脅し)の策を練るには、人目が多い王宮よりも、この私邸の執務室が最適だ。
それに、ここなら昼下がりに、エラーラとお茶会ができる。
そうそう、例のアンナだが、彼女もこの春、許嫁のパン職人と結婚したそうだ。コンラートがこっそり教えてくれた。彼女たちは独立し、自分たちのパン屋を開いたそうなので「あの店のパンはおいしい」という噂を流させた。その効果かどうか分からないが、今のところ店はとても繁盛しているらしい。
いや、うさぴょんの面影を追いかけた訳じゃない。前世の俺への、せめてもの贐だ。
「そろそろ奥様とお茶の時間です」
コンラートに促され、中庭に移動する。
エラーラとは、あれから順調に仲を深めることが出来ている。今では、彼女の小さな秘密もいくつか知った。髪を撫でられるのが好きとか、ちょっときつく抱きしめられるのが好きだとか、サプライズをしてもソワソワするだけだが、実はすごく喜んでるとか……
今日のお茶会にもちょっとしたサプライズを用意している。
いつもは机を挟んで椅子に掛けるが、今日は椅子の代わりに、二人掛けのベンチを用意させた。
エラーラは嫌がるだろうか?怒られるだろうか?
中庭に移動する俺の顔は、知らずとにやけてしまっていた。
いや、エラーラならきっと、恥ずかしそうにしながらも、一緒に座ってくれるはずだ。これからは二人で肩を寄せ合いながら、昼下がりの紅茶を楽しみたい。




