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第六話 鼓動

 燦燦と陽光が降り注ぐ地表とうってかわって、警吏詰め所の地下にある監獄は薄暗く冷え切っていた。至るところに転がって放置されている鉄の拘束具には、苔生こけむした天井から水滴が落ちている。水滴のせいで、床は水溜りだらけだ。捕まえられたもの達の呻き声が響く監獄の中、一際大きな牢屋の中に金髪の青年の姿があった。両の手は後ろで括られて、冷たい金属の輪がかかっている。


「……ったく、臭くて鼻が曲がりそうだぜ。死体ぐらい片付けとけよな」


 顔を顰めて、青年の青い瞳が牢屋の隅を見る。暗い影になっていてよく見えないけれど、大量のはえが群がっていることから、そこに何かがあることがわかる。悪臭に参ってしまったのか、監視していた見張りはどこかへ行ってしまった。鋭い眼を走らせ、周囲に誰もいないことを確認する。顎を引くと、襟元の通信機の電源を口で操作する。小さな雑音が聞こえた後、女性の声が聞こえた。


『――バート? 今まで何をしていたの。少し問題が起こったわ、ウィルを連れてすぐ戻ってきてちょうだい』


「こっちも問題があってね。実を言うと捕まっちまったんだ。ウィルは無事だから、あいつだけなら船へ帰れると思うけど」


 雑音だらけの声にそう返すと、通信機の向こうの女性は沈黙した。見張りが来ないか神経を張り巡らせている青年の耳に、女性の溜息が聞こえる。


『きっと近くに居るだろうから、ウィルをそっちへ向かわせるわ。もう黙って無茶な真似しないでね』


 子どもじゃないんだから、と、その後に言葉が続く。女性が誰かに連絡を入れるのを苦い顔で聞いて、子どもって言うなよ、と青年が言い返している。さらに小言を言われて口喧嘩に発展しそうになったそのとき、遠くで鈍い音と短い呻き声が聞こえた。驚く青年の前、棘のついた鉄格子の向こうから影が近付いてくる。

 現れたフード姿の人物を見て、青年は青い瞳を細くした。


「……さすが、ミランダが頼むと仕事がはやいな」


 嫌味を言う青年に何も言い返さず、麻の外套を着た人物は看守から奪った鍵で牢を開けた。同じ鍵束の鍵で青年の手錠も外し、牢から出て外の様子を窺っている。鉄格子を押さえて人物が待っているのに、青年は立ち上がろうともしない。肩を竦めると、軽い調子で口を開いた。


「捕まったときに武器を全部取り上げられちまったんだ。わるいけど回収してきてくれよ」


 そう言って横目で生意気な視線を投げ掛ける。あぐらをかいて居座ろうとする青年の前で、フードの人物は静かに外套の裾を持ち上げた。目を見開く青年の前で、回転式銃や弾薬、小型ナイフ等々が落下する。素早く地面を蹴ると、青年は脇目もふらず青い回転式銃の下に飛び込んだ。地面に落ちる直前のところで受け止めて、殺気立った視線をフードの人物に向ける。


「ばっかやろー壊れたらどうするんだ! もっと大事に扱えっつーの! 」


 青い目を血走らせて冷や汗をかく青年が吼えた。石造りの地下監獄にその声が響き渡り、何事かと獄吏たちが駆けつけてくる。近付いてくる足音を聞いて、青年は銃に弾丸を装填した。六発全部を籠めて構える青年の襟首を、フードの人物が掴む。文句を言う暇もなく担ぎ上げられ、青年は空中で暴れた。


「おい、放せってば! 一方的にやられるだけなんて我慢できねぇ」


 暴れる青年を横向きに肩に乗せ、フードの人物は頭を振った。懐から小型通信機を取り出し、青年に投げて渡す。通信機は既に誰かと繋がっていて、小さな雑音が流れていた。


『なるべく穏便に脱出してちょうだい。バート、できるわね? 』


 途切れ途切れの声を聞いて、青年が鼻にシワを寄せた。はいはいわかりました、と呟いて、青年が革の眼帯に触れる。


いにしえの賢者、空と海の支配者――蒼き氷の竜よ、契約に従い我の眼に光を与えよ」


 低く抑えた声で拙く呪文を紡ぐと、青年は溜息をついた。このことば覚え難いんだよ――、と愚痴を言っている。

 眼帯に覆われた多重レンズが切り替わり、最奥でゆらめいていた不可思議な光が強さを増した。分厚い革の眼帯を通して、蒼い光が幽かに揺れている。眼帯の下の顔が顰められ、青年がフードの人物に指示を出した。言われたとおりに冷たい監獄を駆け抜ける人物の背後から、獄吏たちが罵声を上げながら追ってくる。しかし不思議なことに、行く手を阻む獄吏に出会うことは無かった。


 最後の角を曲がる直前に青年が発砲し、逃げる二人と反対方向にあった金属の皿が派手な音を立てて転がった。物音に気付いて顔を出した見張りを、麻の外套を纏った手刀が襲う。皿のほうを見ていた見張りは、成す術もなくその場に倒れた。地上への階段を駆け上がる人物に担がれたまま、青年が前方に眼を凝らす。短く口笛を吹き、青年はにやりと笑った。


「ミランダ、悪いけどまだ船には帰れない」


『何か問題が起こったの? 』


「……まぁな。そっちの問題ってのは、どうせロザリアのお偉いさんに関することだろ。俺なんか居なくてもいい、ウィルさえいれば話はつくさ」


 僅かな沈黙の後、そうね、と機械越しに女性が肯定した。そういうことで、と青年が通信を切り、フードの人物の肩からひらりと降りる。用の済んだ機器を押し付ける青年を、フードの人物は無言でみつめた。眩しい太陽は高く昇り、二人の足元に濃い影を落としている。


「この借りは必ず返す」


 とても助けてもらった側とは思えない捨て台詞を吐いて、青年は踵を返した。じりじりと焼けるような日差しの中、麻の外套を身に纏った人物が去り行く青年の姿をじっと眺めている。地下から上がってきた獄吏たちの声を聞いて、その足が動いた。敷き詰められた小石を踏む靴は相等かたいらしく、まるで金属のような音を立てる。もう一度青年が去っていった方角を振り返ったとき、一迅の風が吹き抜けた。駆けつけた獄吏たちがその姿を見て、息をのみ後退りしている。

 

 麻のフードの下から現れた人物の頭部は、黄金色の金属で覆われていた。前面を黒い強化硝子が覆っていて、正午の日差しを反射している。悪魔を見たように恐れおののき逃げ出す獄吏たちの前で、金属に覆われた人物は僅かに首を動かした。鱗のような表面が、動くたびに日光をきらりとはねかえす。目に当たる部分を覆う黒い強化硝子には、金髪の青年が機械宮へ向けて去っていく姿が映っていた。





「うわぁ……」


 黄金色の扉を押さえて、ジフトは目の前の光景に思わず感嘆の声を漏らした。その後ろでは、ジフトの肩越しにシュウが首を伸ばして部屋の中を覗きこんでいる。


 『虚ろの間』は、その名にふさわしい風体をなしていた。

 かつては壁面と床、天井すべてを覆っていたのだろう金箔が今や剥がれ落ち、豪奢な机や椅子は無残にも壊されて打ち捨てられている。その上に、何十年、何百年ともわからなくなるほど積った埃。頑強な嵌め殺しの窓から金色こんじきの光が降り注ぎ、くっきりとした陰影を部屋中に落としていた。差し込む光に照らされて、さきほど扉を開けた勢いで宙に舞った埃がふわふわと漂っている。

 過ぎ去りし栄光と闘争の痕が、『虚ろの間』に刻まれていた。陽光に照らされ漂う埃のように、虚無が満ちみちて渦巻いていた。


「……ど、どうみても、儀式をする場所じゃない。よね……」


 部屋中にあますところなく視線を巡らせるジフトの後ろで、シュウが消え入りそうな声で同意を求める。生返事をするジフトの眼が、ある一点にとまった。ふらふらと歩き出そうとするジフト。その腕を、シュウが掴む。


「ここから出ようよ、ジフト」


 なんだか気味が悪い、とシュウが続けた。空色の目に怯えた色がにじんでいるけれど、ジフトはシュウの目を見ようともしない。ただ部屋の中の一点を見詰めて、でも……、と呟いた。手を振りほどいてでも進もうとするジフトに、シュウは両手をひろげて前にたちはだかる。視線を遮られて、ジフトは夢見るようだった円い目を何度か瞬いた。焦げ茶の人懐っこい目には、真剣な顔をしたシュウが映っている。


「中には入らないって約束したじゃないか。セシル公爵も言ってたよね? 中は壁や床が傷んでて危ないって」


「そうでもないみたいだけど」


 ジフトが床を指差し、シュウが言葉を切った。怪訝な顔をして眼を下ろした先には、埃を踏み潰した跡があった。点々と、足跡は『虚ろの間』の奥へ続いている。

 真新しい足跡を見て、うう、とシュウは声を詰まらせた。それからすぐ首を振り、かっとした様子でくってかかる。


「こ、これはセシル公爵が検分したときの足跡だろっ。それに、床の上を歩けるかどうかは問題じゃない。セシル公爵との約束を破ることのほうが――」


「もう破ったじゃん、ほら」


 自分より一歩先に部屋に入ったシュウを指して、ジフトがけろっとした顔で言ってみせた。言われてようやく自分の立ち位置に気付いたのか、シュウは顔を強張らせてその場で固まった。空色の目だけがくるくると動き、自分に対する弁解の言葉を必死に探しているようだ。これはきみを止めるために仕方なくとった行動の結果であって、ぼくの本意じゃない――とかなんとか、情けない顔で自己正当化している。その様子をみてにやにやと笑うジフトに、シュウは口を尖らせた。


「きみってやつは……」


 その後に続く言葉を飲み込み、シュウが顔を俯け溜息をついた。あわせるように揺れる黒髪の横では、部屋に入ったジフトが積埃の上に残された足跡をみつめている。


「なぁ、公爵と一緒に居たもうひとりの男って、誰だったんだろうな」


「……修繕工事を請け負う組合の長じゃない? どっちにしても、ぼくの知ったことじゃないね」


 口車と狂言にのせられて『虚ろの間』に足を踏み入れてしまったことを憤っているのか、シュウの言葉はどこかよそよそしい。顰めた顔をジフトからそむけた後、空色の目だけジフトに向けるとシュウの口が開いた。


「どうしてもう一人、それも男だと? 」


「だって、足跡が二種類あるじゃん。ほら、つま先のとこが円っこいやつと、角ばってるやつ。この足跡の大きさで、こんだけの歩幅っていったら男だろ」


 それもかなり背の高そうな、と、ジフトが腕を広げて歩幅をあらわした。そむけた顔はそのままに、目の端からちらちらとシュウがその様子を見ている。そんなこと、ちょっと考えればぼくでもわかる、と強がると、顔をそむけたままジフトに言った。


「じゃあ、背の高い組合の長だったんだよ。これで満足しただろ? ぼくたちは羅針球の謎もとかなきゃいけないんだ。こんなことにかかわってる暇はないよ、行こう」


「もう一つ気になってることがあるんだよなー」


 青い上着の袖を掴むシュウの手から、するりと手を抜いてジフトが振り返る。視線の先には、絹織の布がかかった何かがあった。それを見詰めて腕組みするジフト。じれったそうにシュウも振り返り、間の内部を眺める。ジフトがみつめるもの以外にも、同じように絹の布をかけられた何かが部屋中に転がっていた。布の端から覗く銀と水晶の飾りを見て、なんだ、とシュウが口にする。


「まだ壊れてない家具と、埃避けの布じゃないか。きっとここが荒らされたときに誰かが布をかけていったんだよ」


 あの様子じゃ、もう布も役に立ってないみたいだけど、とシュウが言葉を締めくくった。開け放しておいた扉が軋み、閉まりかけるのを見て慌てて押さえるシュウ。はやく行こうよ、と急かす言葉を背に、ジフトはぽつりと呟いた。


「あの布だけ、埃が積ってないんだよな」


 言うやいなや、止める暇もなくジフトはずんずんと奥へ進んでいってしまった。引きとめようとシュウが片手を伸ばし、もう片方の手で扉を押さえる。あっという間に手の届かないところへ行ってしまったジフトと、しまりかけた扉を情けない目で交互にみつめると、シュウは扉から手を離してジフトのもとに駆け寄った。足跡のついた灰色のみちの上に埃が舞い上がり、その後ろで扉が音を立てて閉まった。埃に咽こむシュウの隣で、ジフトは絹の布に触れている。


「ぜんぜんくたびれてない。まるで新品みたいだ。……もしかして、誰かが新しい布に交換したばっかりなのかもな」


「誰かって言ったって、そんなの――ごほっ――セシル公爵以外にいないじゃないか」


 鼻に埃が入ったのか、言った後にシュウが大きなくしゃみをした。だよなー、とジフトが気の抜けた声を出す。手袋をつけた手で布の一部を掴むと、焦げ茶の瞳がシュウを見た。どうする? と尋ねるジフトに、シュウは黒髪を揺らして息を吐いている。


「止めたって、その布をめくるつもりなんだろ」


 呆れたような、諦めたような、そんな返事を聞いてジフトが帽子越しに頭をかいた。よくわかったなー、と、ばつが悪そうに笑っている。機械油と砂埃に汚れたその顔を拗ねた目でシュウが見詰め、もう気が済むまで好きにすればいいよ、とこぼした。その言葉に後押しされたのか、ジフトが布を一気に取り払う。


 絹布の下から現れたのは、真鍮製の記念碑のようなものだった。外壁と同じ特殊な塗料が塗ってあるのだろう、それは窓から差し込む光を受けて白く輝いている。斜めに削られた面に何か文字と、そして双頭の竜の紋章が刻まれていた。それをみて、ジフトとシュウの目が円くなった。


「これ……! 」


「ど、どうしてミランダ一味の紋章がこんなところに」


 違う、きっと何かの間違いだ、そう苦しそうに喘ぐシュウの隣で、ジフトが仕舞っていた財布を取り出す。赤い財布に縫い付けられた空賊の紋章と、真鍮に刻まれた紋章を二人で何度も見比べる。取り乱していたシュウの顔に、なんともいえない奇妙な笑みが広がっていった。


「ほ、ほら。違う。やっぱり違うよ。ミランダ一味の紋章は二つの竜の頭が外を向いているけど、この紋章は両方とも左を向いてる」


 だからこれは別々の紋章なんだ、と、自分自身に言い聞かせるようにシュウが繰り返した。ジフトはというと、もっと他のことに気を取られているらしく、真鍮の表面に指をすべらせている。


「やっぱり――これ、何かの操作盤だ! しかも、まだ動くみたいだ」


 高揚したジフトの声を聞き、シュウの口から言葉にならない言葉がもれた。


「――え? 」


「だから、これは機械なんだって! こんな型見るの初めてだけど、それだけは断言できる! ああー、動かしてみたいなぁ……」


 欲しいものがすぐそこにあるのに手を出せないもどかしさに、ジフトは唇を噛み締めて真鍮製の操作盤を嘗め回すようにみた。あまりの執着ぶりに若干ひいているシュウの口から、動かせないの? と声が出る。


「通電はしてるみたいなんだ。触ったら少し反応があった。でも、操作しようとしたら弾かれた……。かかってる錠を解除するために何かが必要なんだけど」


 口の前に拳を当ててぶつぶつ呟いていたジフトが止まった。焦げ茶の目が、操作盤の面中央にある円い模様に釘付けになっている。

 急に黙ったジフトの顔をシュウが覗き込み、どうかしたのかと尋ねた。その顔の前にジフトが手を差し出す。


「シュウ、ちょっと羅針球貸してくれ」


「え? ――うん、わかった」


 いきなりの要求に理解が追いつかないまま、シュウが自分の財布から羅針球を取り出して渡す。球を受け取ると、ジフトはそれを操作盤の円い模様に押し当てた。真鍮の板が押され、羅針球が中に吸い込まれる。

 金属の擦れあう音がかすかに聞こえた後、何の物音もしなくなった。


「…………あれ、違った? 」


「じ、ジフトぉっ! 」


 羅針球が出てこないのを見て、シュウがジフトに詰め寄った。襟首を掴む両手からは血の気が引いて、顔も蒼白になっている。目だけは怒りに爛々と燃えているシュウに、ジフトが引き攣った笑みで謝った。


「ごめん、もしかしたらいけるかもって思ったんだ」


 そんな軽い気持ちで――! と、シュウがもう一歩ジフトへ距離を詰めた瞬間。

 カチリ、と金属同士の噛みあう音が響いた。


 ジフトが嬉しそうな眼を、シュウが懐疑の眼を操作盤に向けたほんの数秒の間に、操作盤の正面にあたる二人の足元の周りを光が長方形に切り取る。


「うおっ」


「なっ――」


 それぞれに驚きの声が上がり、狭い空間は光の壁によって完全に『虚ろの間』から隔離されてしまった。何が起こってるんだ、そうシュウが口を開こうとした矢先、がくんと床が揺れ、光の柱の中を落下していった。








 白銀色の廊下を、革靴で歩く音が響いている。二人の少年を物陰から見送った後、リオナードは長いながい廊下を歩き自分の書斎へと向かっていた。その手には、何か設計図の写しのようなものが握られている。


 公爵の足が止まり、黄緑の瞳が動いた。先の丸い革靴の少し先に立つ扉は、昨日キアラを呼びつけた部屋だった。色素の薄い目が壁にさがる金属板を捕らえ、手袋をつけた手が伸ばされる。白銀色の金属板に白い手が触れた瞬間、青い閃光が小さく散った。各指先を包むように青い光が円を描き、親指から順に光の輪が消えていく。


『認証が完了しました。開錠します』


 機械処理のかかった女性の声が聞こえ、金属の扉の中から重い音がした。

 扉表面に彫刻された植物の模様が変化をはじめ、それにあわせるように扉が開いていく。部屋の窓が開けられているのだろう、扉から漏れ出る光に、リオナードは黄緑の目を少し細めた。


 扉が開いた入り口下方には、ぎりぎり視認できる程度の細い光が両壁を繋いでいる。両足がそれを通過したそのとき、おかえりなさい、と女性の肉声がリオナードを迎えた。細められていた目がゆっくりと開き、声のしたほうを見詰める。窓際に立つ、髪の長い影を見て、公爵は微笑んだ。


「――あの子、指輪を受け取ってくれたわ。あなたのほうはどうだったかしら? 」


 逆光になっていた影が移動して、壁際に寄った。暗茶の髪を揺らし眼鏡に触れて、白衣の女医が不可思議な笑みを浮かべている。その横では、一人の老いた学者が古びた資料を机に広げていた。

 窓際に置かれた長椅子にキュベレーが腰掛け、その横にリオナードが腰を下ろす。


「右心の道標は虚ろの間へ向かったよ。博士の研究が正しければ、右心の守護者を探し出せるだろう」


 キュベレーの差し出す果実酒を受け取り、それをあおるリオナード。息吐く音を聞いて、老学者が資料を広げる手を止めた。


「あんたは変わった奴じゃのう、リオナード。王国アガシャの秘宝が機械宮に封印されているなんて戯言、お父上は聞く耳も持たなかったというのに」


 ひひひ、と黄ばんだ歯を口端から覗かせ、老学者が笑った。対するリオナードは表情も変えず、静かにグラスを見詰めている。地下の解明は進んだのか、と尋ねられ、老学者は資料に眼を戻した。


「紙の損傷がひどくて、遅々として進まんのじゃよ。虚ろの間の下に迷路みたいなものが広がっているのはわかったんじゃが、果たしてそれが何のためのものなのか……」


 せめてグレイ博士が生きていれば、と老学者がこぼした。公爵の持つグラスが傾き、果実酒の液面が陽光を反射する。


「……亡くなった者のことを嘆いていてもしかたない。本来ならば、その資料も戦火で失われてしまっていた。それを持って家を飛び出した八年前のキアラ嬢に感謝しなくては、ね」


 そして彼女が資料の重要さを理解していなかったことにも、と呟き、リオナードは果実酒を飲み干した。甘い香りが漂う空間で、キュベレーは淡褐色の眼を伏せている。

 日の照らす絨毯をみつめる視線に気付き、リオナードがキュベレーの名を呼ぼうと口を開いた。それと同時に天井から円状の光が降り注ぎ、電子音と共に機械音声が響いた。


『開錠要請がありました。要請者の像を投映します』


 光の柱が揺らぎ、男性の姿が映し出された。円柱の中に浮かぶ男性の姿を見たリオナードの口から、開錠を許可する、と言葉が出る。扉の模様が蠢き、青い制服を纏った男性が現れた。

 触れてもいないのにひとりでに閉まる扉を振り返り、男性が鋭い瞳をさらに細める。


「――全く、いつまで経っても慣れんな。こんな辺境の地に首都以上の技術があるなんて」


 それも大戦の前からだと、と口端を歪めて言葉を吐く。愚痴をこぼすヒスイ色の鋭い瞳が、公爵の姿を捉えた。瞳に映りこんだリオナードが含みのある笑みを浮かべている。


「それを護るために、はるばる首都から来たんだろう。スチュアート治安長殿? 」


「……」


 からかうような口ぶりに、キルロイ=スチュアートの鼻にしわが寄る。公爵の隣に座るキュベレーに一瞬眼を向けると、治安長は腕を組んでリオナードを見下ろした。


「ここに王国の秘宝があれば、という話だ。……これ以上ミランダ一味に道標を奪われては、アガシャの威信にかかわるからな」


 吐き捨てるように空賊の名を口にして、キルロイは顔をしかめた。殺気立っている治安長を見て、公爵が空のグラスを揺らしている。黄緑の瞳の中の影が移ろい、薄い唇の両端が上がった。


「随分と不機嫌じゃないか。何かあったのかい 」


「一味の一人を捕まえたんだが、さっき逃げられたと報告があった」


 キルロイの眼が窓の外へ投げられ、感情を押し殺すような声がこたえた。ここの獄吏たちは平和に慣れきって弛んでいるようだな、と刺々しい言葉が聞こえる。晴天の空をみつめ忌々しそうに顔を歪めるキルロイに、公爵の口から乾いた笑い声がでた。


「君が来てから、彼らもずっと働き詰めだったからね。そう責めないでやってくれ」


 この場にいない獄吏たちの代わりに弁解する公爵。その隣で、思い出したようにキュベレーが立ち上がり新しいグラスに注いだ果実酒を治安長にすすめた。怪訝そうな眼で赤い液体を見詰めるキルロイに、機械の都の特産品だ、とリオナードが説明する。グラスから立ち上るむせるような甘いにおいを嗅いで、キルロイは酒を断った。肩を竦める女医に背を向け、治安長が窓から外の景色を眺める。


「――先の大戦で、王国アガシャはロザリアに大きく差をつけられてしまった。いや、それだけではない。日和見の共和国マリーノに頭を押さえつけられている状態だ。国内でも、水の都を中心に陛下に対する反対勢力が頭を擡げてきている。このままでは……」


 次第に熱く語り始めたキルロイの言葉を、リオナードが片手を上げて遮った。むっとする治安長を宥めるように手を下ろし、リオナードが訳知り顔で薄らと笑みを浮かべる。


「だからこそ、王国の秘宝が必要というわけだな。勇心の鎧、身に纏いし者こそが王国を治める者なり――か。こんなおとぎ話をゼクス王が信じるなんて、思いもしなかったよ」


 茶化すような物言いを聞いて、キルロイはヒスイ色の目を伏せた。


「……六血統の確執については、貴殿も知っているはずだ。ロザリアが着々と発展を続けている今、国の中で争っている場合ではないんだ。国を、アガシャを一つにまとめなくては」


 ゼクス陛下の名のもとに、と付け加え、治安長は口を閉じた。伏せていた視線を上げて、そのまま公爵のほうへ向く。鋭い視線の中には、疑惑と躊躇いの色がみてとれた。唇が開き、先ほどまでの事務的な口調より少し角の取れた声がでる。


「本当に協力してくれるんだろうな、リオナード」


 心配そうに尋ねるその胸元には、国王から授けられた星章がきらめいていた。銀色に輝くそれを見て、リオナードの目が細くなる。キルロイが受け取らなかった果実酒のグラスを手に取ると、顔の前まで持ち上げる。


「王国に栄光を」


 ただ一言そう述べると、リオナードは杯を空にした。






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