表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/32

第三十一話 埋葬された陰謀 後編

挿絵(By みてみん)

 言葉を失い立ち尽くすジフトの名を呼ぶと、シュウは躊躇うことなく階段を降り始めた。日の照らさない暗い地下へ迷いなく進んでいくシュウの背中を、ジフトが驚いた顔で見つめる。暫く固まっていたジフトは、慌ててその後ろを追いかけた。そこからさらに遅れて、警戒を最大まで引き上げた様子のバートが続く。


 石段は、予想通りかなり長かった。緩い螺旋状に続く地下への道。陽が届かず暗黒に包まれそうになると、先頭を行くシュウが紙片に書かれた文を詠唱する。その度に、一定間隔で壁に設置された機械に光が灯った。それ以外は黙々と、下へ下へ降りていくシュウの背中を、ジフトは見つめた。いつの間に、恐怖を克服したのだろうと。『虚の間』から地下に落ちたときとは、比べ物にならない落ち着きようだ、と。

 しげしげと揺れる黒髪を観察していたジフトの視線が、ふと下へ向かう。あるものが目に入り、焦げ茶の瞳が暗がりの中で小さくなった。

 青い制服の袖から覗くシュウの手。血の気が引いて白んだその指先は、細かく震えていた。


「……」


 思わず立ち止まるジフトへ、後からついてきていたバートがぶつかる。危ねぇだろ、急に止まるんじゃねえ、と珍しく正論をかまされた。背後の声に気付いて、シュウが振り返る。どうかしたの、と尋ねる唇は青く、吐いた息は白い靄となって高い天井へ吸い込まれた。強張った表情のシュウの前で、ジフトが自分の腕をさする。


「いや、寒くなってきたと思って……。シュウは大丈夫?」


 問いかけに、きょとんとすると、シュウは己の手を見た。震えているそれを背後に隠して苦笑する。


「だいぶ下に来たからね。でももうすぐ着くよ」


 寒いなら上着を貸そうか、なんて提案するシュウ。首を振ると、ジフトも苦笑で返した。ありがとう、と言うと、シュウは不思議そうな顔をして再び歩み始めた。数歩進んだ後、はたと気が付いたらしく低い声を出す。


「……ジフト。怖がってないからね」


「うん」


「ここ、お墓って言っても数百年前のものだし。全然怖くないんだからね。ほんとだよ」


「うん」


 我慢なんかしてないから。そう最後に念押しした言葉にも、うん、だけで返す。定型しか返さないジフトへ向けて、シュウが湿った視線を送った。唇を尖らせて、本当なんだから……と、無駄な意地を張っている。言葉が真になったのか、やり取りのうちにその震えは止まっていた。


 磨き上げられた石壁を這う影が停止する。底に、目的の場所に、到達したのだ。

 十数段上で灯したきりの明かりを頼りに、ジフトが辺りを見回す。薄暗がりの中、地下の迷宮より細長い空間。壁の両側に、長方形の石棺が無数に立て掛けられている。石棺には蓋が無く、仄暗い闇の中で、甲冑を纏った死者の顔が宙に浮かんでみえた。ごくり、と、知らず喉が鳴る。


「こ、この人達が――」


 シュウが頷き、また紙片の詩を詠みあげる。石造りの部屋全体を、天井からの光が照らした。手前に見えていた石棺だけでなく、奥の巨大な棺にも光が届く。吸い寄せられた視線の先のものを見て、ジフトは息を呑んだ。


「っ――なんだよ、あれ……」


 その大きさは、人より少し大きいものから、小山ほどまで、統一性もなく。けれど、その異形により、それらが一種族であることが窺い知れる。

 硬い鱗に被われた身体。鋭い牙、鉤爪。そして背中から生える――凶々しい翼。

 伝承でしか耳に聞こえず、姿は絵画や紋章で知るのみの、魔物。


「これが、『人から生まれし竜』……」


 圧倒されているジフトの後ろから、バートが呟く声が聞こえた。ジフトと同じく、空賊の青年も食い入るように竜の死骸を見ている。ただし、その目に浮かぶ感情は、慄きよりも納得に近かった。耳慣れない単語に、ジフトが振り向く。


「人から――? どういうことなんだ?」


「……古文書に書いてあったもんを言っただけだ。詳しくは知らねー」


 だが、こういう事だったとはな、と。苦々しい表情でバートが付け足す。狂気が薄れた青い瞳が、シュウに説明を促した。こくり、と、シュウが黒髪を揺らす。紺に染めた革靴が、そろそろと物言わぬ骸に近寄る。


「『人から生まれし竜』――この生き物は、もともと人間だったんだよ」


 ジフトのすぐ横にいる人達みたいにね、と。言われて視線を横に振ると、甲冑の下の瞳と眼が合った気がした。ぞわりと肌が粟立つ。錆びて腐食した鎧から覗く死体の肌は、数百年経っているはずなのに、まるで今まで生きていたかのように瑞々しい。


「いやいや、そんな……」


 竜が実在したことは分かったけど、人間が竜になるなんてあり得ない。半笑いで否定するジフトへ、シュウが続ける。


「確かに、普通の人間がいきなり竜になるなんてことは無いよ。でもこの人達は普通とは違う。その違いって何だと思う? ジフト」


 問い掛けを受けて、ジフトの眉間に皺が刻まれる。こめかみを汗が伝う。


「それは……、アガシャ王と関係ある人達ってこと?」


 そう、と、黒髪が揺れて首肯した。ついと人差し指が伸び、冷静な顔の前まで上げられる。


「正確には、アガシャ王の血縁者であること。この人達の多くが、長男ドラクルと五男ヒュドラの子孫なんだ」


 唐突な説明に、ジフトは円い目を瞬かせた。意味を飲み込めないで困惑している。いやいやおかしいだろ、と、両手を振って話を否定する。


「子孫って。この人達みんな大人じゃん。いったい何代目か知らないけどさ、この年齢、この人数になるまでの子孫がいるって時点で、ドラクルもヒュドラも、アガシャ王だってお爺ちゃん通り越して死んでるはずだろ。それなのにさっきの説明じゃ、みんな一緒に戦ったって。そんなの何百年も生きてたってことになるじゃんか」


 矛盾を指摘するジフトの前で、シュウが顔を曇らせた。ぼくだってそう思ってた、と、ほとんど声に出さず呟く。青い袖の下で、拳が握られる。


「英雄アガシャが共和国の一寒村を出て王国を築き、そして機械の都を支配下に置くまで――其の間過ぎた年月(としつき)はどれほどか。それを考えれば、アガシャ戦記は建国の様を人の一生に見立てた物語だと、そういった様式の話なんだって、思ってたんだ」


 公爵家の、書庫にある禁書を読むまでは。そう付け加えて、シュウは伏せた目を険しく細めた。単語の意味がよくわからないジフトに、封印されていた古文書を読んだんだ、と、多少言い直している。


「んなこと言ったって……その本だって、古いだけで書いてあることが本当かどうかなんて誰にもわからないじゃんか」


 むしろ筆者の手で如何様にもできる、との可能性も示唆しつつ、ジフトは足掻く。

 だって、もしシュウが説明したことが一から十まで正しいとしたら。アガシャの血族が人にあるまじき寿命を持つとしたら――それは化け物だ。

 焦げ茶の円い目が、シュウの背後に立つ竜の骸を見上げる。人が竜に成ったんじゃあない。竜が人に化けている。そう考えたほうが、納得が行く。整合性がある。数百年の時を過ぎても朽ちない死体。祈るような視線を捧げるジフトの首筋を、汗が伝った。どうか何かの間違いであってくれ、と。


「残念だけど――」


 しかしささやかな願いは、無慈悲に打ち砕かれる。


 シュウが、おもむろに懐から財布を取り出した。口を開いたそれから、絹のハンカチで包んだ何かを取り出す。白い艶のある布地の上に、赤い輝石が転がっていた。馬車で見せた、魔石だ。竜の血が凝った、あの。

 何をするのかと当惑するジフトの前で、シュウが魔石に力を送った。昨日見せてくれたときと同じように、輝石から蒼い光が立ち昇る。


「魔石に微量の魔力を送ると、その中に貯蔵されたそれを引き出すことができる。覚えてるよね? ジフト」


 こくこくと頷くジフト。それを確認してから、シュウは、魔石を持たないほうの手を背後の骸に向けた。今度こそ何をするのかと身構える焦げ茶の目に、竜の死体が光り輝く様が映される。破れた翼が、欠けた牙が、折れた爪が、剥がれかけた鱗が――巨大な竜の身体全てが、まるで一つの魔石鉱床であるかのように、(まばゆ)く光を放っていた。


「な、なに……?」


 狼狽えて後退りすると、輝く竜を中心に、周りの骸も光り始める。竜も、人も。きょろきょろと辺りに警戒の視線を飛ばすジフトへ、連鎖反応だよ、と、シュウが説明した。翳す手を下ろし、骸から一歩離れる。次第に光は収束していく。


「ここに葬られた人たちは、皆、ぼくやジフトと同じように魔力適性があった。それも普通じゃない――死後に骸そのものが魔石化するほど、力を蓄えることができた人たちなんだ」


「それと寿命と、何の関係があるんだよ?」


 驚き冷めやらぬ汗を拭いつつ、不意打ちでもされたような気分のジフトが口を尖らせた。その後ろでは、バートが隻眼を顰めて棺の中を覗き込んでいる。口笛の音がかすかに聞こえた。

 空賊の青年の動向にも気を配りながら、シュウは続ける。


「今も昔も、権力者の考えることは同じ。不老不死と、その研究だよ。王国が成立してから数百年――科学者、そして彼らより古来から研究を続けてきた魔術師。その人たちが見つけた一つの答え……」


 長い台詞を口にして、シュウが大きく息を吸う。


「適性を持つ生物は、自身が貯蔵する魔力に比例して生命力が増すってこと」


 ジフトの頭上に、案の定、疑問符が飛んだ。


「もうちょっとくだけた感じで……」


「……えーと、例えばよく焼肉にされてるガウフって小さい生き物がいるよね? あれが魔力適性がある生き物ってのは昨日話したよね?」


 うんうん、と、ジフトが相槌を打つ。これも公爵家の書庫で見つけた研究文書にあったんだけど、との前置きをして、シュウは口を開いた。


「ガウフの寿命と、魔力の関係を調べた学者がいたんだ。人工飼育で環境を同じにしたガウフを何十匹、何百匹と育て続けた。魔石に触れる班と触れない班に分けてね。結果――ガウフの平均寿命は一年弱なんだけど――前者の班はその倍生きた」


 つまり、魔力にたくさん触れてたガウフのほうが長生きしたってこと? と、ジフトが首をかしげた。そうだよ、と、シュウが肯定する。つう、と、ジフトのこめかみを冷たい汗が伝った。


「その研究が正しいなら、全身が魔石化するくらい魔力を蓄えたこの人たちって――」


「もはや不死に近い存在だったろうね」


 ただし殺されなければの話だけど、と。竜の頚椎を貫く空虚な穴を見上げ、シュウは一旦言葉を切った。曇った表情で何か言いあぐねているシュウヘ、ジフトが疑問を投げかける。


「でも王様が長生きなんて噂聞いたことないぞ?」


 人を超えた寿命を持つなら、それを有効利用して出来るだけ長く君臨しようとするのでは。そんな素朴な質問を受けて、シュウがその首を振る。


「言ったよね、ここにはアガシャの真実があるって」


 ここにある遺体を見て、何か気付かない? と、逆に問いかけられ、ジフトは辺りを見回した。竜と人が入り混じる骸の山。傷付いた甲冑に折れた牙等、戦の激しさを想起させるその姿。


「……!」


 それらが全て同じ場所に致命傷を受けていることに気付き、ジフトは息を呑んだ。顎関節から声帯の間、頭部と首の接触部分。甲冑を着た人間は首当ての空穴から、竜は剥き出しの損傷箇所から、それが読み取れる。そして、普通ならもっと狙いやすい心臓や頭は、ほぼ無傷だった。………いや、傷を受けても回復した、の方が正しい。破れた兜を被る、けれど頭部に傷の無い遺体が、その事実を主張していた。


「この人達……みんな同じ場所にとどめを刺されてるのか」


 思わず口をついて出た言葉に、シュウが頷く。これが不死の弱点。そう呟くシュウが、最も近くにある竜の遺骸の、弾痕を指す。


「そしてこの傷は――当時は王国(アガシャ)にしか無かった火薬式大砲でつけられたものなんだ」


 説明を耳にして、ジフトが焦げ茶の目を瞬かせる。

 これは強弓で、あれは細剣で――致命傷を与えた武器を挙げ続けるシュウ。それらの後に、王国側が主に使用していた、との言葉を付け加えながら。


「ちょ、ちょっと待てよ。それじゃまるで王国が仲間割れしてたみたいじゃんか……?」


 誤射にしては酷すぎる。明確に、故意で行われたとしか思えない。しかしそれでは――と、ジフトの背中を冷たい汗が伝う。吐く息は白い。

 骸を見上げる空色の瞳が、仄かに光を帯びて眇められた。最も聞きたくない言葉が、発せられる。


「彼らは王国に殺された。いや――謀反により実権を握ったライオネルに殺されたんだ」


 次男の血統。歴代でも最多の王を輩出し、文武に秀でた公明正大な血筋。学の無いジフトでも世間話で様々な偉業を聞かされているほどの、理想を具現化したような家に隠されていたもの。

 培われた常識と目の前の現実を天秤に掛けて、ジフトはどちらに傾くか己でもわからなかった。それほど、シュウの話は俄かには信じ難く、ライオネル家の功績は偉大だった。

 眉根を寄せて困惑しているジフトを、シュウは静かに見守っている。どうして、と、ジフトの唇が開いた。


「どうして殺し合いなんてしなきゃならなかったんだよ」


 アガシャ王だって、自分の子孫が争うのを放っておくはずないだろ、と。納得できない様子で、その場を行き来する。死体の山へ遣る瀬無い視線を向けるジフト。魔石を懐にしまいつつ、シュウがそれに答えた。理由は二つある、と。


「一つめの理由は――六血統内での寿命の差だった。魔力を貯蔵できる体質は全ての兄弟に受け継がれた。けれど、その性能は大きく違っていたんだ。ここに眠る長男ドラクルと五男ヒュドラの子孫には不死とも言える能力が継承された。対する他の兄弟は……一世代目こそ大きな差異はなかったのに、世代を重ねるにつれて特別な力は薄れ、失われていった」


 永遠(とわ)に近しい命を持つ兄弟の子孫と、徐々に力を失っていく自分の子孫。数百年のうちに、持つ者持たざる者の間には埋められない溝が形成されていた。そう、シュウは語る。

 そんなことで……、と、ジフトは未だ理解し難いと険しい顔のままだ。すい、と、シュウの手が挙がる。二本の指を立てたそれは、丁度ジフトの目線の高さに合わせられている。


「……二つ目の理由。それは、アガシャ王が旧支配者(レネド)と和解しようとしたことに起因してるんだ」


 焦げ茶の目が円く見開かれた。

 さっき、アガシャ王はその人たちとこの土地で戦争したって言ってなかったっけ? と、ジフトが記憶を掘り起こして首を傾げる。王国の歴史書には、そう書かれてる、と、シュウも肯定する。


「そして実際に王国軍はレネドの民と戦闘した。……ただし、その中にアガシャ王と二人の息子、そしてその子孫からなる隊はいなかった。それどころか――」


 古文書から得た知識を伝えようとするシュウが、眉間に皺を刻み、かたく目を閉じる。握られた両の拳は震えていた。アガシャ王はレネドの民と共に、王国軍と戦った、と。薄く目を開いて呟くと、シュウは己の唇を噛み締めた。


 口にするのも憚れる、といった様子で読み取った過去を話すシュウ。それを聞いて、ジフトの足がふらふらと後退した。


「え? なんで……? アガシャ王って、国の名前にもなってるくらいの英雄だろ? というか建国者だろ? それが何で、ずっと争ってたなんとかの民とかいうのと一緒に王国軍の敵になってるんだ?」


 裏切り、人質を取られた、あるいは洗脳された――思いつく限りの仮定を挙げるジフトの前で、シュウが力なく(かぶり)を振る。


「わからない、わからないんだよ。その理由は持ち出した古文書には書かれてなかった」


 書庫には他の禁書を持ち出した形跡があったから、公爵なら何か知っているかも。そう推論を述べるしかないシュウの顔には若干の悔しそうな表情。今のぼくたちが知れるのは、長男ドラクル、五男ヒュドラ、そしてその部下達が王国によって討たれ、公爵家の地下にその一部の遺体が安置されていることだけだ、と。

 でも……と、ジフトの疑問は続く。


「ライオネル王に埋葬を禁じられたってのは? 裏切り者に対する見せしめってこと?」


 応えは、意外なところから返ってきた。

 口笛が止み、酒焼けした声がする。


「そりゃあ決まってんだろ、純魔動機械の貴重な動力源として再利用するためだってな」


 ジフトが絶句して振り返る。シュウは、辛そうに視線を床に落としたまま、両の拳を爪が食い込むほど握りしめていた。


 静かな墓所に、空賊の青年が奏でる口笛がこだまする。


「こんだけの量の、それも良質な魔石。こりゃ大したお宝だなァ。お前たちんところの二代目の王様が埋葬を禁じた理由もわかるぜ」


 牧歌的な旋律に反して、奏者であるバートの瞳は昏い色をしていた。ここに死体が一部しかないってことは、と、口端を下げて呟く。遺体を見ているようで、どこか遠くを見ていたバートが、ふいと顔を背けて毒づいた。


「……胸糞悪りぃ」


 どうもバートは、この場の骸がとてつもない価値を持つと理解しながらも、手出ししようとは考えていないようである。

 空賊らしからぬ態度に、もしものときはと警戒していたシュウの肩から力が抜ける。間に立つジフトは、不機嫌な様子のバートを観察しつつ片眉を上げた。あれだけ無感情に命を奪っておきながら、死体を利用することには怒るのか、と。やはりバートの感性はよくわからない、なんて思考するジフトの耳に、仕切り直しの咳払いが聞こえた。出処は、シュウだ。


「――だから、『竜の血』じゃないと駄目だった『意思を持つ壁』とジフトが契約できたのも、傷の治りが速いのも、すべてはジフトが『竜の因子』を持ってるから。つまり、ジフトが王家の血筋だからだったんだよ!」


 言いたいことを一息に言って、シュウは青い制服を着た胸を精一杯張った。沈んだ気分を無理に持ち上げようとでもしたのか。最後の方はかなり大きくなっていた声が、墓所に響いて吸い込まれていく。人工の明かりの下、ジフトとバートは沈黙したまま目を瞬いた。


「いや、さすがにそれはおかしい」


 論理が断裂して飛躍してる。そう突っ込みをいれるジフトの腕を、すかさずバートが捻り上げる。


「よし! 今から半殺しにするから、それでも傷が治ったら証明完了だな!」


「えっ、ちょっ――」


 嬉々として喉元に艶消し加工した短剣を突き付けてくる。ひたひたと冷たい刀身を喉仏下に当てて遊んでいるバートに、シュウが血相を変えてとりついた。


「や、やめろよっ! 証明はもう済んでるんだから」


 命を顧みず短剣を弾き飛ばすシュウ。自分の首の下を短剣が行き来する様を眺めていたジフトの、引きつった顔から血の気が引いていく。実際シュウが剣を弾き飛ばした瞬間、バートの制御をはなれた武器はジフトの首筋をかすめた。象牙色の肌に赤い線が浮かぶ。


「あ、危ねえって――」


「ほほーう、まだ何か隠してることがあるな?」


 拘束する意味が無くなったからか、バートはジフトを投げ捨てるとシュウに詰め寄った。睨み合う二人の隣で、地面に膝と手をついたジフトが喉元を抑えて安堵の溜息ついている。ふとその手を離してみれば、既に結晶化した血がきらきらと明かりを反射していた。目を見開くジフトの背後では、再び武器を取り出そうとするバートをシュウが牽制している。


 このクソガキが王家の、それも長男の血を引いてるってのはあり得ない、と、バートが(きり)に似た武器をちらつかせる。


「アガシャの血筋は『緑』の祝福を受けたんだぜ? だから発現する魔力は緑だし、瞳も同じ色のはず。それがこいつを見てみろよ、一般人そのものの茶色い瞳じゃねーか!」


 そもそも一般人が純魔動機械を使える事態が異常なんだけどよ、と付け加えて、視線がジフトの上着の裾へ向かう。バートの放った言葉を聞いて、ジフトは裾の機関十五番より先に、自分の目を片手で覆った。


「そういえば、廃墟から帰る前にシュウが俺に何かした時――俺の目が緑色になってた」


 武器の奪取で揉み合いをしていたシュウとバートが止まった。気がそれた一瞬の後、復帰が早かったシュウが武器を取り上げて遠くに投げ捨てる。からからと転がる、冷たい石畳に反響しつつ遠ざかる音に顔をしかめる空賊の青年。あれ値が張るんだぞ、と小声で愚痴ってから、ジフトとシュウに視線の圧力で説明を求めた。距離を取って固く口を結ぶシュウと反対に、ジフトは腕を組んで考え込んだまま、ぶつぶつと思考を漏らしている。


「シュウが魔石を使ってやってみせたこと……魔石から力を引き出すには、少量の魔力を加えること。そうやって反応させたとき、石は光ってた――それをぶつけられた俺の目も、それに、魔力を使ってるときのシュウの目も光ってた――つまり――」


 そのときに発していた光の色が、自分から引き出されたそれが、使える魔力の色なのか、と。

 考え込んだままのジフトの前へ、バートがずかずかと進んでくる。高い背を屈めたバートの怪訝そうな眼と、ジフトの眼が合った。


「この瞳の色が変わるぅ? 適性が後天的に変わるなんて聞いたことがねぇな……」


 俺の見立てじゃ、おまえは多少手先が器用なだけの魔力不適合者なんだけどなァ、と。やはり納得いかない様子のバートの後ろで、でもジフトは本当に『緑』の加護を受けてるんだ、と、シュウがむくれている。どうだか、と、空賊の青年は金髪を翻して突っぱねた。片頬を吊り上げて意地の悪い笑みを浮かべる。


「……まぁ、『意思を持つ壁』と機関十五番は魔力が無いと扱えないからな。百歩譲って多少は素養があるんだろうよ。だが瞳の色が変わるのは加護の影響でもあり得ねえ。もしかしておまえが魔法で幻覚見せたんじゃないのか? 俺達に宝探しを手伝わせたくて」


「なっ――」


 下衆な笑いで挑発してくるバートの前で、シュウの顔が紅蒼目まぐるしく変わっている。ぼくはそんなことしない、と、疑われたのが相当頭に来たらしく肩を震わせながらシュウが叫んだ。その後に、ジフトは信じてくれるよね? と、涙声で潤んだ瞳を向けてくる。考え込んでいたジフトが、無言でそれに頷いて返した。


「もう一つ、証拠になることがあった」


 二人の眼前に、ジフトは握った手のひらを見せる。片眉を上げて疑り深くそれを一瞥するバート。青い目が瞬間だけ見開かれた。鼻をすすりながら、シュウが近づいてくる。


「何を持ってるの?」


 投げかけられた疑問を受けて、ジフトの拳が開いていく。仰向けの手の上には、小さな紅い結晶が、きらきらと輝いていた。これは……、と、シュウの表情が曇る。多分魔石。そう答えて、ジフトは瞼を閉じ、手のひらに意識を集中した。機関十五番を使った時の、不思議な感覚を、今度は自分で引き出そうとしてだ。紅い結晶が触れている箇所から、まるでゆっくりと糸を引き抜かれるような感覚。目を開けば、結晶は淡く光を纏っていた。わずかに、緑色を帯びた光を。

 生唾を飲み込み後退するシュウと反対に、バートが一歩進み出る。この魔石、どうした、と。威圧的な問い掛け。


「さっき、バートの短剣で首に怪我したんだよ。もう治ったけど。そのとき瘡蓋じゃなくてこの結晶ができてた」


 こんな小さな怪我のときにこれができるなんて始めてなんだけど、と付け加える。怪我を心配しておろおろするシュウに、治ったから平気と冷静に伝えるジフト。その薄茶色の頭を見下ろしていたバートが、白目を剥く勢いで目を円くした。


「傷が治った? この短時間で? い、いやそれより……おまえのその口振り、まるで魔石を生み出すのがこれまでにもあったみたいな――」


 煽る側から一転、完全に動揺している。白い肌に汗の玉を浮かべるバートの前で、ジフトは再び結晶を握りしめた。廃墟で戦った相手のこと覚えてるか、と、空賊の青年に問う。小さく首肯するバートへ、押し殺した声で語り出す。


「あの廃墟で戦ったやつの武器。あれ、工業用の銀鍍金(ぎんめっき)鉄線と魔石を組み合わせたものなんだ。銀は魔力を通さないし、反発する。その勢いを利用して、刃状の鉄線で獲物を切断する。それがあの武器の正体」


 本当は、鳥を獲る罠用なんだけど……、と、眼を伏せる。ふん、と、空賊の青年は鼻を鳴らした。


「古今東西そんな罠聞いたことねぇが、その情報のおかげで命拾いしたんだったな。ところで何でそんなに詳しいんだ? 友達だからってぺらぺら秘密を喋るような性格には見えなかったけどなぁ、あの『短剣』は」


 魔石はお高いんだ、狩猟の罠に使うにゃ採算が合わないぜ。そう訝しんで顎を上げるバート。未だ揺れる青い隻眼に、ジフトは真っ直ぐ視線をぶつけた。


「あれを作ったのは、俺だ」


 ……ほう、と、バートが感心したとでも言うような声を出す。金髪の下を、冷たい汗がつたい落ちる。短剣とはもしかして『花と短剣』のことか、と問い質すシュウをぐいと後ろへ押しやる。


「幾ら銀鍍金されてても、あれだけの鉄線を動かすには、おまえが今持ってるようなちっぽけな魔石じゃあ足りねぇぞ。どこから材料を調達した?」


 文句を言おうと口を開いたシュウは、聴いて欲しいとのジフトの台詞で押し黙った。俺……、と、言い淀む。つかえた言葉を吐き出すか否か、焦げ茶の瞳が宙を彷徨った。大きく息を吸い、細く息を漏らした後、ジフトは二人へ眼を向けた。


「俺、『花と短剣』なんだ。っていうか、その所有物、みたいな――よくわかんないけど、とにかく産まれてからずっと『花と短剣』の中で過ごしてきた」


 だから、自分が何者なのかさえ分かっていなかった。そう呟く。

 自分を見つめる空色の瞳が円くなった。でも、と、震える唇からシュウが反駁の声を出す。


「それなら――『しるし』は? ……刺青も烙印も、無いように見えるけど」


 ごめん、と、謝りつつも、シュウの眼はちらちらとジフトの露出した肌を観察している。烙印なら何度も捺された、と、沈んだ声が墓所に反響する。左腕に巻きつけた、ぼろぼろの布を握りしめて。

 独白を聞いて困惑と同情が混濁した表情を浮かべるシュウ。黒髪の下で、空色の瞳が幾度も瞬きを繰り返した。その視軸の先で、躊躇っていたジフトが布を取り去る。


「――!」


 布の下は、会話の流れからして、そこに烙印があるべきはずの左腕の皮膚は、滑らかになだらかに、傷一つ無かった。むしろ陽に当たっていない分、他の箇所より色白なくらいだった。凄惨な傷痕を予想して眼を少し逸らしていたシュウが、それに気付いてまじまじと上腕を眺める。辺りを疑問符が漂うと感じるほど、戸惑った様子だ。


「あ、あれ? えーと、烙印を受けたんだよね……?」


 気遣わしげに小声で、けれど単刀直入に尋ねる言葉。ああ、と、ジフトはそれを一切の迷いもなく肯定する。


「でも治っちゃうんだ。だから、何回も捺された」


 虚空を見つめるジフトの瞳が細くなった。脳裏に蘇る灼熱の痛みと理不尽な暴力への恐怖を打ち払おうと、二、三度頭を振る。想像がついたのか、側に立つシュウは絶句していた。その後ろでは、バートも顔色を無くしている。――ただし、こちらは他人の痛みに共感したなどという理由ではなかった。


「人間に焼印押すとか正気の沙汰かよ――深度三はくだらない熱傷だぞ……? しかも、それを痕も残さず治癒しただと?」


 吐く息が白む地下なのに、だらだらと汗が線を描いている。額から頬へ伝うそれを片手で撫で下ろし、あり得ない、とかなんとか呟いている。一つ教えてくれないか、と、バートにしてはやけに下手に出た物言い。


「その、何度も烙印を捺されたってのは、どれ位の頻度だったんだ? 少なくとも最後から数年は経ってるはずだよな?」


 流石に数年かけないと熱傷の完治なんて適性持ちでも出来ないと、そう思っているのだろう。傍に立つシュウが、わざわざ辛い記憶を想起させるような質問をするなといった視線を空賊の青年に投げている。当の本人であるジフトは、ぼろ布を取り払った左腕をなんとも言えない顔で見下ろしていた。その瞳に浮かぶのは、どちらかというと戸惑いに近い色。


「えっと、その、年に一回くらい――」


 はあっ? と、素っ頓狂な声が墓所に響く。出所は無論、バートからだ。しかしシュウも口を押さえている所をみるに、同程度の驚きがあったらしい。今年は烙印を受ける前に抜け出してきたから、丁度一年くらい経つかな。なんてまるで他人事のように言い放つジフトの前で、バートは片手で顔を覆った。


「いちねん……い、一年? 嘘だろ嘘だって言ってくれ」


 というか毎年そんなことされててよく今まで逃げ出さなかったな、と、バートはもはや驚愕を通り越して呆れ果てている。狂人から狂人を見る眼差しを向けられて、ジフトは居心地悪そうに後頭部を掻いた。それが長屋に住む条件だったんだから、しょうがないだろ、と。口を尖らせている。一瞬伏せた目に映るのは、石畳ではなくキアラとの今までの思い出。自分の落ち度で衰弱しきっていた幼いキアラが次第に元気を取り戻し、笑顔をみせて走り回り、成長していった記憶。白亜の家の思い出と同じくらい、ジフトにとって大切なもの。烙印の対価としては充分過ぎるほどだと、本気でそう思っていた。今も。


「おい、何でにやついてんだよ――」


 口端に笑みを浮かべるジフトを見て、バートが低い声を出す。それを聞いて我に返ったジフトの目に映ったのは、拳を震わせ目に涙を湛えたシュウの姿だった。


「ジフト、ごめん……ぼく、きみがそんな辛い暮らしをしてるなんて知らなかったから――」


「あ、あー、ちょっと待って。二人とも話を最後まで聞いてくれ」


 本当に聴いて欲しいのはさらにその先だ。そう言って、両手を上げ、接近を阻止する。ジフトの言葉に、シュウは泣きそうなのをこらえ、バートは落ち着きない視線を語り手に固定した。上げた両手の、魔石を握っている方を開く。話を聞く二人にそれが見えるようにすると、ジフトは大きく息を吸い込んだ。


「えーと――八年前かな? 俺、一回『花と短剣』から抜け出してた時があったんだ。そのあと、訳があってまた戻ってきた。それでその時に、烙印と、ちょっときついお仕置きを喰らったんだけどさ」


 烙印をちょっときついで済ませるなんて、おまえの懐は七つの海の海溝か何かか、と、バートが茶々を入れてくる。とんでもない虐待、いや拷問だよ、と、珍しくシュウも同調している。うるさい聴き手を適当にあしらい、ジフトは続けた。


「はいはい。まあ確かに最初のは腕が取れるかと思ったくらい痛かったけどさ。……問題はその後」


 くしゃりと、ジフトの顔が顰められた。あの夜。血塗れの身体を引き摺り、長屋に戻ってキアラの寝顔を見た後。流石にこの姿を見せたら心配かけるどころでは済まないと思ったから、血を洗い流そうとした。


「服を洗ってたら、なんかきらきらした粒があるなーって思ってさ……」


 路面に流した排水の中に、闇夜に浮かぶ緑光を纏った結晶。それが何かも分からぬまま、なんとなく取り敢えず拾っておいた。

 それってもしかして、と、シュウが口を挟む。頷くジフト。


「そう、それがさっきの結晶と同じ魔石? なのかな? ……多分」


 俺もシュウに魔石のこと教えてもらうまで、完全に理解してたわけじゃないけど、と。そう語るジフトへ、じゃあ何であんな武器が作れたんだと、バートから当然の詰問が飛ぶ。

 薄茶色の横髪をかきあげ頭を掻くと、ジフトは肩を竦めた。


「いや……なんか硬そうな砂利だったから、ある程度集めたら丁度いい研磨剤になるかなーと思って。運び屋のおじさんから貰った機械の装甲の破片の、バリを取るのに使えるかな、なんて――」


 ははは、と、乾いた笑い声が二人分の白い眼を浴びつつ上げられる。信じらんねぇ、とこぼすバートの横で、一歩間違えたら大事故が起こってたよ、と、シュウが半目で窘める。結果としては無事だったからいーじゃん、と、ジフトは開き直っていた。銀鍍金の板が天高く弾き飛ばされ地平線の星になった光景が蘇る。


「とにかくそれがきっかけで、このよくわからん結晶は互いにぶつけると、銀にだけ作用する変な力がある、って発見したんだよ。だから罠を作ってほしいって言われた時、もしかしてこれならと思ったんだ」


 八年前の大怪我の副産物であの武器を作ったってことか、とバートが混ぜ返す。茶髪が揺れて、首は横に振られた。


「いや、あれを作ったのはもっと後。……毎年烙印捺される度に、こっそり結晶集めてたんだ。いつか絶対面白いカラクリ作ってやろうって」


 それが結局、あんな結果になっちゃったけど、と。細く溜息を吐いて、ジフトは小休止した。

 漸く納得したらしいバートが、今度は神妙な面持ちで腕を組み沈黙している。シュウはというと、情けない表情と、険しい顔とを交互にしては、どちらにも留まっておられず、といった様子だった。

 さっきの話に戻るけど、と、ジフトが両腕を広げる。


「こんな風に怪我したら小さいけど魔石ができるなんてこと、普通ならあるのかな?」


「……無いよ。普通の、今日(こんにち)知られている適合者にそんな能力は無い。主都に召喚されてる大魔術師だって、魔石を創り出すことに未だ成功してないのに」


 古文書にも、竜の血は魔石となると書いてあったけど、人の姿で生きてるうちにそんなことがあるなんて記述は一つしか無かった、と。


「ジフト、もしかしたらきみは――」


「まあ細かいことはいいや。とにかく俺には緑色の魔力適性があって、小さな結晶だけど魔石をつくることも出来る。これが両方当てはまるのは、アガシャ王の子孫だけなのか?」


 改めて確認をとろうとシュウを見ると、肯定が返ってきた。


「――うん。それが出来るのは、アガシャ王と長男ドラクルの血統だけだよ」


 へぇそうなんだ、と意外そうだが随分軽く流す。その手をシュウが掴んだ。驚くジフトへ、シュウが一瞬で真正面まで距離を詰める。たじろぐ焦げ茶の瞳を、空色の瞳がとらえた。その眼は新たな使命感に熱く燃えている。


「ジフト……! やっぱりきみは王族なんだよ!」


「えっ、うん、そうみたいだな」


 温度差に負けてたじたじと後退りする分、シュウもこちらに詰めてくる。たとえライオネル家を敵に回そうとも共に戦おうとかなんとか言ってくる。話が飲み込めずに瞬きを繰り返すジフトへ、バートが面倒くさそうに説明した。


「王家の末裔が、辺境とはいえ生きてたなんて知ったら……どうなるかぐらいわかるだろ?」


 しかも長男の血統の、おそらく唯一人とあれば、下手したら王位継承で揉めるかも知れないぜ、と。魔石を産み出せる特異体質だと分かったら、それ以外でも厄介なことになるだろうとも付け加えた。


「え? ひとり?」


「ところでおまえ、その結晶について誰かに話したりしてないだろうな」


 もし魔石を創れる人物の噂でも広まれば、共和国から魔術師協会が誘拐しにくるぞ、なんて、脅しなのか本気なのか分からないことを口にする。しかし魔術師協会が何たるかを全く知らないジフトにとって、それは特段恐怖を感じることでもなかった。顎に手をやり、思案する。


「言ってはいないけど、多分『花と短剣』の大人は知ってたと思う。烙印捺されるときに、血も採られてたから」


 またさらりと凄惨な過去を他人事のように話す。聴いているバートの方が、顔を引きつらせていた。そんなことされて平然としてられるなんて、おまえの心臓は鋼でできてるのか、と尋ねられ、ジフトは首を傾げる。そりゃ痛いのは怖いし嫌だから、普段は思い出さないようにしてるけど、と。多少不愉快そうに片眉を上げる。傷はいくらでも治るし、死にさえしなければ大抵のことは我慢できると頭上で腕を組み天井を仰ぐ。豪語するジフトを前に、バートはただ沈黙を返すのみだった。気遣わしげな視線を送ってくるシュウと考えこむバート。静かな墓所の中で、ジフトは大きく伸びをする。俺に魔力の適性があることと、王様の遠い遠い親戚かも知れないってのはわかったけど、と、天井の光に手を翳す。手袋の甲についた輝石が煌めく。


「……それで結局、公爵は俺に何をさせたいんだろ?」


 ここに眠る骸の山も、公爵家の禁書の中身も、リオナードには既知の事実だ。どこまで勘付いているかは測れないが、ジフトが王家の血筋、即ち竜の因子を持つ者だということは、地下の迷宮脱出後の与えられた偽名や身分からも確信に至るほどには調査済みなのだろう。自室で契約を交わしたときに匂わせた、組合の内情に敏いという言葉。あれをそのまま受け取れば、下手をすればジフトが魔石を産み出す特異体質であることすら知られているのかも。

 蜘蛛の巣一つない手入れされた天井を見上げる、ジフトの喉が鳴った。

 魔力がなければ純魔動機械を操れないから選ばれた。それは分かる。しかしその先だ。公爵は自分にどこまでの力を求めているのだろうか。


「ジフト、そういえばきみも公爵と取引したって聞いたけど……いったいどんな話合いをしたの?」


 険しい横顔を見て、シュウが心配そうに声をかけた。ぼくは公爵に協力する代わりに主都の実家に支援してもらうことで合意したんだけど、と、先に手の内を明かしている。幼馴染(キアラ)を護るためだとの答えは、途中でバートに遮られた。


「あのいけ好かねぇ公爵様の狙いか? 決まってんだろ。勇心機甲をおまえに使わせて、ロザリア軍を追っ払うんだよ」


 会話に割り込んできたバートを、シュウが睨む。焦げ茶の目を瞬かせ、ジフトは聞き慣れない単語を鸚鵡返しした。


「その勇心機甲って? 確か昨日、シュウも言ってたけど、何なの?」


 名前からして、おそらく機械の一種だろうと見当をつけたジフトの瞳が好奇に輝いている。食いついてきた相手に優越感に満ちた様子でにやつくバート。その横で、シュウがあたふたと会話を止めようとする。


「な、何でもないよ。それよりジフト、きみはあまり力を使わないほうがい――」


 言いかけたシュウの肩が掴まれ、後方に押しやられる。代わりに出てきたバートが、高身長を最大限活用して偉ぶった説明を始めた。


「勇心機甲ってのは、滅茶苦茶デカい純魔動機械のことだ。てめーが今上着の裏に装備してる機関十五番、それはそいつの一部品なんだよ」


 ひらひらと黒革の手袋を纏った手が宙を舞い、ついとジフトの上着の裾を指す。これが? と、裾を掴んで裏側に装着してある機関十五番を確認するジフト。その円い瞳は、心なしどころでなく側から見て一目瞭然に興奮していた。勿体つけた様子で、バートが大袈裟に頷く。遥か昔、アガシャ王が機械の都を旧支配者と争ったときに使われたものだ、と。


「その勇心機甲を全部動かすには、普通なら莫大な量の魔石が必要なんだよ」


 それこそ都中の魔石を一晩で消費してしまうほどの。そうのたまうバートが、白い犬歯を覗かせてにやりと笑う。さすがの公爵家でも手痛い出費になるだろうな、と。

 なんだ動かせないんじゃん、と、あからさまに意気消沈するジフトを、バートが高みから見下ろす。


「ばぁーか、普通ならって言ってんだろ。アガシャはそれを己の魔力のみで操ったんだ。おまえにもその可能性があるんだぜ」


 というより、もう動かせて当たり前の段階かもな、と。床にこぼれ落ちた結晶を伏目で眺める。それを聞いたジフトの、垂れていた頭が跳ね上がった。

 

「ほ、ほんと? 俺にもそのでっかくてかっこいい機械動かせるの?」


「いや、かっこいいかどうかは知らんが――」


 わくわくと輝く瞳、感激に震える拳。急に水を得た魚のように生き生きしだすジフトの勢いに押され、バートが一歩退いた。かくいうジフトは既に人の話が耳に入ってこない状態で、機関十五番に触れてはまだ見ぬ勇心機甲とやらに想いを馳せている。先程からその後ろで会話を阻止しようとしていたシュウが、手遅れと理解しつつも身を乗り出した。乗り込み型かな、遠隔操作型かな、なんて楽しそうに予想しているジフトの肩を掴んで揺さぶる。


「ジフト、ジフトってば! さっきの話ちゃんとわかってる? 魔石が要らないんじゃなくて、きみの魔力を消費する――つまり命を削って戦うってことなんだよ?」


 必死の形相で説得されて、夢現つだったジフトがはたと我にかえる。


「……魔力全部使い切るとどうなるんだ?」


「それは……」


「別に死にやしねーぞ。一時的に適性のない人間同様になるだけだ。切れた魔力は後で補充する術もあるしな」


 ただ魔力ゼロだとおまえの超人的な治癒能力は使えないけど、と、小指で耳を掻きつつ横からバートが答える。また余計な事を、と眉を顰めるシュウに肩を掴まれたまま、ジフトは破顔した。


「その間大怪我しなけりゃいいってことか。じゃあ全然問題無いな!」


 そのまま何事もなかったかのように機械の夢想世界へ復帰しようとする。それをまたシュウが揺さぶる。


「駄目だよ! 問題大有りだよ!」


「ええー……なんだよシュウ……」


 うんざりした顔で面倒くさそうにあしらわれるも、シュウはめげることなくジフトへ周囲を指して見せた。


「この人たちがどうして竜になったか、まだその話をしてないだろっ」


「うん? 変身したんじゃないの? それで竜になってる間にやられた――」


 案の定な反応を返すジフトに、シュウは頭を振った。揺れる黒髪の下で、空色の瞳が辛そうに伏せられる。


「なってる間、じゃないよ。一度竜になったら二度と人には戻れない」


「え――?」


 浮かれていたジフトの顔色が変わった。後頭部から踵まで血流が降りていく。人が竜になるのなら、竜が人に戻ることも容易いだろう。その安直な推測が外れたのだ。動揺に見開かれた目は、それでも視界の端の、バートの挙動を見逃さなかった。空賊の青年は、ジフトと同様に一瞬目を見開いた後、合点がいったとでもいう表情を微かに浮かべた。そうしてジフトとシュウに背中を向けると、懐から取り出した古びた紙切れに何か書き付けたのだ。


 バートの挙動に一抹の懸念を覚えつつ、ジフトは(うつつ)に戻ってきた頭脳を回転させる。


「それは――人間に戻れなくなるのは困る。竜になる理由って、シュウは知ってるのか?」


 空色の瞳は、肯定も否定もせず、すいと逸らされた。こめかみに汗が浮いている。黒い眉を寄せて、シュウは目を伏せた。


「……古文書に記載はあった。でも、ぼくの知識じゃ全て理解するには足りなかった……ごめん」


 それじゃ、わかったことだけでも教えて欲しい。そう頼むと、シュウは戸惑いがちに口を割った。


「大量の魔力を使うこと。それが竜化を進行させるって……ぼくが読めたのはそこだけ」


 だから、と、シュウが伏せていた眼を上げる。懇願するような眼差しを受けて、ジフトはふと廃墟での旧友との邂逅を想起した。梁の上に立つクラウへ向けた自分の視線、あの感情。今のシュウから感じるものはそれにに相似している。


「だから、きみは魔力に頼っちゃいけない。たとえ公爵との取引だとしても、命を危険に晒してまですることじゃないだろ?」


 それに勇心機甲を動かせる人物が現れたと王国や共和国、ロザリアに知れたら。王の遺物を操るという力がどんな意味を持つか。きみはもう二度と平穏な生活ができなくなる。懇々と説得を続けるシュウの瞳は純粋な心配に染まっていた。

 真っ直ぐな視線から、今度はジフトが眼を伏せた。名前を呼んで肯定の返事を待つシュウの背後から、舌打ちの音がする。


「戦うならともかく、起動するだけならそんな心配要らねぇだろ。指揮系統を奪っちまえば戦力はてめーが上だ。いいからさっさと公爵が持ってる勇心機甲をぶんどって来いよ」


 そうしたら俺達の飛空艇(ひくうてい)で、どこへでも運んでやるよ。

 唐突に妙なことを言い出したバートに、ジフトとシュウが幽霊でも見るような眼を向ける。子ども二人から注がれる視線を浴びて、バートは口角を下げると低い声を出した。人助けじゃねーぞ、勇心機甲はバラして売り捌いたら金になりそうだからだぞ、とのたまっている。


「まあとにかく、勇心機甲が運賃ってことにしてやる。ミランダにはこの俺様から話つけてやるから大船に乗ったつもりでいろよ。ああそれと、アジリタスは広いからな。小娘の一人や二人追加で乗せてやっても構わねーぜ」


 後半はジフトの耳元で囁いて、バートはまた口笛を吹いた。そのままふらふらと周囲をうろついている。暗にキアラも乗船できると告げられ、ジフトは一瞬顔をあげたが、すぐまた伏せてしまった。


「……」


「ジフト――」


 気を揉むシュウが名前を呼ぶが、今は応えるほどの余裕がなかった。思案を巡らすジフトから、シュウも黙して一度離れる。すると暗がりの方から、はっきりと物音が聞こえた。鳴り響いていた牧歌的な口笛が止む。

 三者三様、それぞれに警戒態勢を取りながら、誰も声を出さない。息さえも押し殺し、ジフトが残り二人に目配せする。シュウは青ざめてこわばった表情で、バートは戦況を見極める冷徹な目をして、頷いた。墓所の壁に、床に、天井に、何者かの静かにすすり泣く声が反響している。ひ、と喉を引きつらせる音に、ジフトはシュウを見た。今にも卒倒しそうな顔をして、それでも口を押さえて叫ぶのを我慢しているようだ。

 ジフトとシュウがその場で足踏みしている間に、バートは自慢の回転式銃を構えて音の在り処を探しに進んでいってしまった。ジフトがその後に続き、硬直していたシュウも半泣きで追いかけてくる。


「怖いなら待っててもいいんだぞ?」


「一人で置いてくなって言ったじゃないか!」


 最小限まで声量を落として交わす会話。ここは怖くないって言ってたよな、とジフトが茶化す。怖くなんかない、と、明らかな強がりを涙声でするシュウ。ここは二百年も前の霊廟なんだ、幽霊だって死にかけのはずだ、と、訳のわからないことをぶつぶつ呟いて付いてきている。どうやら少し錯乱しているようだ。前方を行くバートが振り返り、これ以上騒いだらおまえらをまず撃ち殺す、と、声は出さず手振りだけで伝えてきた。ジフトもシュウも口を噤む。

 隻眼を瞠って探し当てたのか、バートは墓所の一角へ真っ直ぐ歩み始めた。鎧、棺、そして竜の遺骸。それらの間、わずかにのぞく壁に、震える小さな影がみえる。


 ん、と、バートが短く疑問符をあげて立ち止まった。その後ろから、ジフトが首を伸ばす。視界に入ったのは、赤みを帯びた長い茶髪、そして小柄な身体を包む古ぼけたドレスだった。そう、機械宮の地下であったあの少女。


「あれ? アール……だよな。こんなところで何してるんだ?」


 予想外な人物の登場に、ジフトが面食らった声を上げる。すすり泣いていたアールが、その声に反応して振り返った。床に垂れた長い髪が、それに合わせて地を這う。翡翠のような黄緑の目は、涙に濡れて、そして少し焦点があっていなかった。まるでどこか遠くを見ているような顔つきだ。立ち上がるのに必要かと、片手を差し出すジフトを、困惑した面持ちで見上げている。


「ジフト……? ――いいえ、あなたはジフトじゃない……。わたし、わたし――ごめんなさい」


 とめどなく溢れる涙を流れるままにして、アールは喉を震わせた。とにかく冷えた床に座らせておくのは酷だろうと、ジフトがそれを立ち上がらせる。その様子を眺めていたバートの口から、何だこいつ、と、思わず直球の感想が漏れた。ちょっと待って、と、シュウが介抱を止めようとする。


「この館に来る前、地面についてた足跡は三組だけだったよね。それも全部男性のもので、しかも全部行き帰り、ちゃんと往復分だったよ。この子はどうやってここに入ったの」


 いくら乾燥してたといえど、新しい足跡がつかないほど固い地面でもなかったし、と。

 すっかり失念していたジフトが、ああ、と、両手を打った。


「そういえば、足跡の一つがすんごい前傾だったっけ。抱えて連れてこられたんじゃないか?」


 それなら辻褄も合うし。そう言いつつ、往復分どちらも足跡の沈み具合は変わっていなかった光景が脳裏に蘇った。答えを求めて視線を向けた先で、アールは押し黙っている。

 シュウも足跡の詳細を覚えていたらしく、首を振って説を否定していた。


「ぜ、ぜったいおかしいよ! 機械宮の地下にも、どうやって来たのか結局言わなかったじゃないか!」


 神出鬼没にも程がある、もしかして本当に幽霊なんじゃないか。そう喚いてから、自分の言葉に青くなっている。大声に驚いたのか、立ち上がったアールはジフトの腕から抜け出て壁際に逃げてしまった。名前を呼んで手を差し伸べるも、哀しそうな顔をして後退りされる。急に懐かなくなったアールへ、どうしたの? と問いかけるジフト。その後ろでは、バートが何かに気付いた様子で羅針球を取り出していた。相変わらず、羅針球はどう操作しても沈黙したままだ。しかし空賊の青年は以前のように取り乱したりせず、したり顔でそれを仕舞った。なるほど、こいつが……、と、独りごちる声が聞こえる。


 懐いていた子犬が急に逃げ出したときのような気持ちのジフトへ、アールは潤んだ瞳を向けた。


「あなたがわたしの騎士じゃないのはわかってる……でも、あなたには力が、資格がある……。お願い、都を護って……」


 壁に身を凭せ掛けて、胸元で苦しそうに手を握りしめ、震える唇で一言一言を絞り出す。花弁のような唇は、なぜか血の気が引いて、頬は雪のように白んでいた。そのくせ息は浅く早い。アールが一昨日より衰弱していることに気付き、ジフトはその手を掴んで引き寄せた。抱きしめた身体は冷え切っている。


「しっかりしろ!」


 張り詰めた糸が切れたように、アールはジフトの胸の中へ倒れこんだ。顔をのぞき込むジフトを見て、黄緑の瞳が円く開く。紙のように白い顔色で、切なげに、けれど少し嬉しそうに微笑むと、アールは気を失った。くたりと小さな頭がジフトの胸に寄りかかる。慌てるジフトに、気絶してるだけだ、と冷静な診断をバートが下した。


「でも、はやく暖かいとこまでつれて行かないと――」


 首筋に当てた手から伝わるのは、弱々しい脈拍。ここから出ようと提案するジフトの脇で、シュウも恐怖より心配が勝ったのかおろおろと狼狽えている。一応墓所をぐるりと見渡し、他に隠れている者がいないか確認すると、バートが首肯した。


「ここには死体以外何もないみたいだしな。帰るか」


 色々と収穫もあったし、と、母国語で呟く。その間に、ジフトは気絶したアールを背負った。力の入らない軽い身体がずり落ちないように、後ろからシュウがそれを支える。

 構えた銃を下ろさぬまま、バートは階段へ向かった。その後に続く。


「ジフト、大丈夫?」


「うん平気。ありがとな、助かる」


 少女とはいえ、人間一人を背負って階段を昇るジフトの背後から、シュウの気遣う声が聞こえる。来たときと同じように、一定の段数を越えると、シュウは紙に書き付けた詞を読み上げて灯りを消した。闇の迫るしんがりを図らずも務めることになったせいか、はたまた未だ幽霊だと思っているのか、アールの背を押さえる手は震えている。それがジフトに伝わることはない。

 冷気漂う地下から、乾燥した暑い地表へ。六角形の館に戻ってみれば、天井から差す光がほぼ真上からになっていた。もう、朝というより昼に近い時間だ。相変わらず、アールの身体は冷たい。


「……機械宮って、お医者様いるのかな」


 不安になって口を突いた独り言に、宮仕えの医者や私兵団付きの軍医がいるし、ぼくも主都から一人連れてきてるよ、とシュウが答える。焦げ茶の目を円くすると、そういやおまえってすごい偉い官吏の息子だったっけ、と思い出した事実をそのまま喋った。うんまあそうだね、と、シュウがはにかんで言葉を濁す。古びた鎧の列を通り過ぎ、バートが押さえた扉を潜って、館を抜ける。林の中は、木漏れ日が斑模様を描いていた。シュウの部屋まで戻るか、一階の客室の一部屋を寸借して医者を呼ぶか。歩きながら相談してるジフトの視界端に、ちらりと影が映る。


「……?」


 微かな違和感に思わず足を止めた。果たして、見つめた先にあったのは。


 たなびく黒髪。深い青の瞳。腰元に輝く銀の(つか)


「みぃつけた」


 木の影に紛れるように、影自身であるかのように立つ少年が、居た。

 闇の如き長い黒髪の下で、歪な笑みを浮かべて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ