第三十話 埋葬された陰謀 中編
機械の都の東西を貫く目抜き通り。その一本裏道にそれた場所。大分中心地に近いのか、裏道といえども、立派な屋敷が並んでいる。屋根の向こうには、機械宮の屋根の飾りが見える。くるくると回る金属の輪が目視できるほどの距離だ。そんな路に、少女が一人、佇んでいた。服装からみて、良家子女とは言い難い。下女見習いといった風貌の少女は、誰かを待ちぼうけているようだった。冷んやりした石壁に身を凭せ掛け、たまにつま先で地面に何やら落書きをしている。いたずらに描いたそれは、通りを吹き抜ける風によって形を失っていく。数度そんなことを繰り返した少女は、艶やかな髪をまとめた頭を上げた。綺麗に切り揃えられた前髪の下で、茶色の瞳が不安そうに周囲を見回す。
「……遅いなぁ……」
不満げに尖らせた口は、しかし、角を曲がってきた待ち人に気付くと笑みの形へ変わった。おーい、と、太陽に背を向けて歩く影が、手を振っている。見る間に近付いてきた。二人連れの少年。
「久しぶりー」
耳に聞こえる声は、記憶とは少し違う。少女の目に映る姿も、思い出の中のそれより、ずっと成長していた。二年前に会ったきりだけれど、彼女はその人が待ち人だとすぐに分かった。何故なら。
そよぐ黒髪。海底の水で創られたような濃青の瞳。
「シルバ……」
稀なる容貌を持つ恩人の名を、少女は自覚なしで口にしていた。近寄ってきたシルバが、少女まであと四、五歩のところで足を止める。もっと近付いてきてくれてもいいのに、と、少女は内心考えた。うずうずと靴の中で指を動かす。シルバの風になびく黒髪の後ろに誰かいるが、少女は彼のことは覚えていなかった。今も、目の前にいる黒髪の少年にしか意識が向いてない。
少女がじっと熱のこもった視線を向ける先。青い目が細められ、その眉尻が下がった。
「ごめんね、急に呼び出しちゃって」
すまなさそうに微笑むその姿。見惚れていた少女は、シルバの声を聴いて我にかえると首を横に振った。
「えっ、――ううん、全然構わないわよ」
嘘だ。
本当はこの時間、少女は見習いとしてこなす仕事がある。それを同僚に無理を言って代わってもらったのだ。
昨日の夜、シルバの知人と名乗るどこかの召使から手紙を渡され、それを読んですぐ行動に移した。明日の朝、屋敷の裏口で待っていて。あることをキミにして欲しい。そう、手紙の最初に書いてあった。
ちらり、と、少女が上目遣いにシルバを見る。長いけぶるような睫毛に縁取られ、青い瞳は静かにこちらを見つめ返していた。吸い込まれそうな青の目は、二年の時を経ても変わっていない。反対に、さらさらと風に揺れる黒髪は、かなり伸びていた。背の中程まであるようだ。視線を交えるのを照れて、少女がうつむく。銀色の、剣の柄が眼に映った。成長した恩人にときめいていた心臓が、どきり、と警戒で縮む。
東の市での騒ぎは、既に少女も聞き及んでいる。黒髪の、銀の双剣使い。旋風の如く現れ、血の雨で東の市を染めた、新しい『短剣』。
「シルバ、あなた……『短剣』になったのね」
知らず眉根を寄せて呟く少女の前で、シルバは黙したまま頷いた。通りを吹く風が止む。音が消えて、僅かな間、場は静寂に包まれた。シルバの後ろに立つ目付きの悪い少年も、空気を読んでか身動ぎ一つしない。
いけないことをしている。
少女の胸中を、その一言が巡る。
東の市での出来事を見習い仲間から聞いた時、まさかと思った。あの優しかったシルバがそんなことするはずがないとも思った。けれど、届いた手紙は疑惑を強め、目の前の武装が真実を伝えている。
彼は、人殺しだ。
少女の眼が、そっとシルバを見上げた。怯えと戸惑いが混じる瞳と、大海の如く深い青のそれが互いを映す。黒髪の下の青い目は、凪いだ水面のように穏やかだった。その瞳が、すうと細くなる。哀愁を帯びた面差しで、シルバは少し俯いた。伏せた目に、長い睫毛が影を落とす。
「……待っててくれて、ありがとう」
「え――」
柔らかい声で紡がれる言葉。それを聞いた少女は所在なさげに胸元を握りしめた。視線が注がれる先で、シルバが自嘲めいた笑みを浮かべる。
「理由なんてなんでも良かったんだ。久しぶりに、顔がみたかっただけ。――元気そうで、よかった」
眼を合わせることなく独白を終えると、黒髪が風に揺れた。朝の澄んだ日差しの下。無意識に苦しいほど胸元を握る手に力を込めて、少女は瞠目した。一挙手一投足を見逃すまいとするその前で、シルバが顔を上げる。視線が絡み合う。数瞬の後。
「それじゃ、また」
寂しそうに笑って、シルバは別れを告げた。黒髪が宙に広がった。踵を返したその背中。洗い晒しの布地越しに、薄らと刺青が見えた。
背面に広がる、棘の生えた青い蔓薔薇。それが絡み付く儀式の短剣。
少女は、息を止めた。
硬直する間にも、シルバは遠ざかって行く。連れの少年が灰赤の瞳で獣めいた視線をこちらに送った。しかし、身を凍らせる殺意の眼光も、少女には届かない。その意識に上るのは、二年前、己の身に刻まれるはずだった刻印。大人達から自分を守ってくれた少年の背中。今の奉公先が決まった時、見送りでみせた寂しげな微笑。
待って、と、少女は知らず口にしていた。固まっていた足が、よろよろと前に出る。一歩、二歩と進むうち、その足取りは速くなり、やがては駆けだしていた。待って、と、少女が肺からありったけの空気を絞り出して叫ぶ。手を伸ばす。
歩みを止めたシルバの背に飛び込むと、少女は掴んだ服を握りしめた。
「機械宮に、入りたいんでしょう……? 案内、するから――」
肩甲骨の間に額を押し付け、震えた声で手紙の内容を呟く。
いけないことをしている。
少女の胸中を、止まぬ警告が繰り返す。しかしそれは、既に何の抑止にも、なり得なかった。ごめんなさい、そう懺悔する少女の肩を、振り返ったシルバの掌が包む。黒髪を揺らして緩く首を横にふる。宥めるよう肩を撫でる手に、感極まっていた少女も息を整え涙を拭った。それを映す昏い青の瞳。静かに細められたそれは、底知れぬ深淵に、酷く似ていた。
少女を落ち着かせるシルバの後方で、クラウは目下に僅かな皺を寄せた。茶鼠の髪の下で、灰赤の瞳が思案に揺れている。
いったい何時の間に、シルバはこの少女と連絡を取ったのか。何故、機械宮に今日行くと予め知っていたのか。疑問は尽きない。
考えても解らない問題に不愉快になりつつ、それに先程のあれだ、と、クラウが思い返す。シルバが少女に背を向け歩き始めたときのことを。
『協力しないのなら、口封じが必要だろう』
鼠の鳴き声のような符丁を使って、少女の殺害を提案した。もともと『花と短剣』の所有物だった少女が一人消えたところで、大した騒ぎにもならない。しかし協力を断ったこの人物を放置することは、組合の威信に埃がかかる。そう思い、また、シルバも同様に考えると思ったからだ。鉄爪をいつでも装着できるよう、足先を僅かに少女側へ向けた。けれど、返ってきた応えは。
『余計なことしないで、もう少し黙っててよ』
とのことだった。不本意ながら黙して待てば、現在の状況。躊躇っていた少女は一転、二人を機械宮の中へ手引きしてくれると言っている。この短い間に、何がどう作用して形勢が変わったのか。クラウには微塵も理解出来なかった。ちらり、と、少女と並んで歩き出すシルバに視線を送る。黒髪の隙間から見える横顔は、穏やかな笑みを浮かべている。本来なら、安心できるはずの種類の表情。しかしそれを浮かべるシルバの眼は、安堵どころか空寒さすら感じさせる。この男、と、クラウは心中で渦巻いていた警戒を自覚しつつ後に続く。他人の気持ちはよく分かっているくせに、自分が何を考えているのかは全く読ませない、と。
少女が機械宮に入るための手段であるように、自分もまた、シルバにとっては何かの踏み台でしかないのでは。
疑惑に昏く光る灰赤の瞳には、かつての友の背中が映っていた。『短剣』、そしてそれに絡み付く『花』の刺青を背負った、二年前とはすっかり様相を異にした姿が。
六角形の館の最奥。古びた鎧と旗に囲まれたそこで、天窓から降り注ぐ陽光を浴びて、碑が輝いていた。シュウの手が触れたそれは、表面に紋様を浮かび上がらせる。
黙して成り行きを見守っていたジフトが、一歩進み出した。
「その記念碑が、シュウが見つけた王国の真実――なんだな?」
暫しの逡巡の後、シュウが首肯する。歩みを止めることなく碑に近付くとジフトはそれに触れた。上面の中央に、どこかで見たような、双頭の竜の紋章が刻まれている。ただしそれは、何者かによって削り取られかけていて、細部はよく判別できなくなっていた。
自分が触れた部分も、シュウのように規則的な紋様が浮かび上がってくる。
「これ、操作盤なのか」
怪しい碑の正体がわかって拍子抜けしたジフトの声に、シュウが頷いた。
「うん。竜の紋章といい、形状といい、『虚の間』にあったものに似せて作られたんだろうね」
僅かな説明の間にも、ぺたぺたと操作盤をいじり倒すジフト。興味津々な視線を機械に注いだまま、その口が開いた。
「確かに……。消されてよく見えないけど、紋章の形も似てるもんな」
だけどこっちのは『虚の間』のやつと違って、きちんと定期的に手入れされてる。そう呟くと、ジフトは地につけていた膝を上げた。操作盤の上面、竜の紋章を囲むように刻まれたものを、指でなぞる。
「文字みたいだけど……何て書かれてるんだ?」
これもアガシャの古文? そう不思議そうな顔をするジフトへ、シュウが当惑した様子で答える。それは……、と、言い淀むと、黒髪が揺れて天井を仰いだ。
「『我らが王アガシャ、その息子ら、そして彼らと共に戦った、名も無き竜達に捧げる』って、書いてあるんだよ」
天窓の向こうに見える空を見ているのか。澄んだ色の瞳は、僅かに揺れていた。
名も無き竜、と、同じ単語を繰り返すジフト。シュウにつられた視線が、上がる。中央の天窓に向かって均等に六分割された館の天井。一枚おきに、それぞれ形態の違う竜の絵画がそれを彩っていた。翼を持ち天翔る竜、灼熱の火を吐く竜、轟く瀑布が如き流水を操る竜。色褪せた今も、それらが持つ躍動は失われていなかった。
これらの絵が表すもの、それは。
「――ここに書かれてることって、昨日話してたあれに関係してるのか」
確認すると、シュウも頷く。背後で、布の擦れる音がした。バートが組んだ腕をきつく握りしめている。険しい目が、天井を見上げていた。竜達の絵の間、黒く塗られた三枚の板を。
「その名も無き竜達とは、アガシャ王や息子達と共に戦った兵のことなんだ」
目の端でバートの様子を盗み見ていたジフトは、視軸をシュウに戻した。ジフトの目の前で、シュウがアガシャの血統を指折り数え上げる。
「長男ドラクル、次男ライオネル、三男サラマンド、四男ウルブズ、五男ヒュドラ――そして六男フォクス。彼等六人が礎となったアガシャの六血統。ジフトも知ってるよね?」
これぐらいのことなら当然、といった声音に、曖昧に返事をする。
「うん、まあ……。国王がその中から選ばれるんだよな」
でもなんかこの文だとその人達死んでるみたい、と、困惑をジフトが口にする。もちろん、全員が死んだわけじゃないよ、と、シュウがその疑問に答えた。
「この記念碑は、アガシャ戦記最後に記された、灼熱の大地平定の時の戦死者を鎮めるもの――」
ラグア? と、聞きなれない地名を鸚鵡返しするジフト。途中で遮られたシュウが、機械の都の元々の名前だよ、と教える。目を円くして感心するジフトへ、アガシャ戦記は、旧世界の支配者、レネドの民と呼ばれる人々と英雄アガシャの戦いを記したものだと、基礎的な知識を与えている。
ほとんどはじめて、国の歴史というものに触れて戸惑っているジフトに向けて、シュウは話す速度を少し落として再び語り掛けた。
「……灼熱の大地をかけたこの戦いで、アガシャ王は、旧世界の『守護者』を全て打ち破った。でも――長男ドラクルと五男ヒュドラを亡くし、自身も二度と戦えない深手を負った」
彼ら三人の指揮した直属の部隊も、ほとんどが落命した。そう、沈痛な面持ちでシュウが目を伏せる。
耳を傾けていたジフトが、眉を寄せて首を傾げた。
「んん、これが何のために作られたのかはわかったけど……。どうしてこの場所に作ったんだ? ここって、公爵家の記念館なんだろ」
話を聞くに、どうにもこれは王家の敷地に建てて然るべきものなのでは、との推測。それに、そこまでして得た土地を王家直属領としなかった理由も気になる、と。
まだ続きがあるんだ、と、はやるジフトの前でシュウが肩をすくめてみせた。大人しく黙るジフトへ、シュウが続きを話す。
「戦が終わると、アガシャ王はその位を次男ライオネルに譲り、旧世界の残党を追うため国を出た。……そして、二代目国王となったライオネルは、この土地を機械の都と新たに名付けた。激しい戦で荒んだ人心を掌握するため、旧世界側で平定の立役者だった豪族――とっても偉い人のことね。彼に公爵の地位を与え、支配させて」
それって、と、ジフトが焦げ茶の瞳を皿のように円くして口を挟む。黒髪を揺らして、シュウが頷く。
「その旧世界の豪族こそ、セシル家。そして時の公爵が、戦の死者を悼んで奉じたもの――それがこの記念碑。そう、伝えられている」
長々と話し続けたシュウは、疲れたのか、小さな溜息をついた。沈黙する二人の後ろで、バートが先程から変わらぬ姿勢で、今は記念碑の足元を凝視していた。
そうだ、これは記念碑であり、かつ何かの操作盤なのだ、と、ジフトが気付く。
「……俺をここに連れてきたってことは、この碑の意味は、それだけじゃないってことだよな」
ああ、と、シュウが辛そうに肯定する。この記念碑の下にこそ、と、揺れる空色の瞳を隠すように、かたく瞼が閉じられた。
「この地下に、王国の、真の歴史が眠ってるんだ」
上着の鈕を外し、シュウがその懐に入れていた一枚の紙片を取り出す。数滴、墨の染みがついたそれは、昨日公爵が部屋に訪れた時忍ばせたものだった。事情を知らないジフトは、紙片を見つめるシュウを不思議そうに眺めている。
聴け声を、と、シュウが紙片に書きつけた、古文書の写しを読み上げ始めた。
「――聴け声を。冷たき血よ、凍てつく骨よ。我が声は、慟哭の歌、懺悔の祈り。アガシャに捧げた忠誠があげる嘆きの叫びに応え、昏き道、現れよ――」
一言、一節、詩が読まれる度に。声に応え、碑が妖しく光る。表面に浮かぶ回路が目まぐるしく組み替えられる。最後の節を唱え終えると、碑はその表面をさざめかせ、屋敷の床が揺れ始めた。経験則から思わずその場を飛び退くジフトに対し、シュウは澄ました顔で操作盤の横に立っている。
操作盤正面の床に、縦に線が入る。そのまま左右に分かれていく地面に、ジフトが冷や汗を流した。
「ゆ、床が割れてくけどっ?」
大丈夫なのかこれ、と、揺れる床の上で両手を広げて体勢を崩さないよう抗う。実は動く床の範囲内に立っていたバートも、急に動きした地面に足を取られてよたついていた。大丈夫、落ち着いて、と、シュウが静かに伝える。なるほどよく見ると、床が割れたその下から、何かが現れてきた。段々としたそれは、階段だ。
「これこそが、セシル家が長い間守ってきた場所――」
ぽっかりと館の奥に開いた暗い穴を見下ろし、シュウが呟く。揺れは収まり、そこには重厚な石階段が果てしなく続く。
「王家により埋葬を禁じられた、ドラクル、ヒュドラ、そして彼らの臣下の墓――王国の忌むべき過去と、君の秘密が眠るところだよ、ジフト」




