第三話 偽りの花
甲虫の羽のような動きで閉じていく機械宮の門を後にして、ジフトは砂埃と錆だらけの街へ続く通りを踏みしめた。途中まで見送りでついてきた小間使いの女性が一礼して、通用門から機械宮の中へ帰っていく。
振り返って門の向こうに見える屋根を眺めていると、誰かがジフトに駆け寄ってきた。
「――ト、ジフト! こんなところで何してるの? 」
ちょっときつめの甲高い声に、はっとしてジフトが首を回す。焦げ茶の瞳に映ったのは、怪訝そうに秀麗な眉を寄せる少女の姿だった。日除けの帽子の下から、栗色の睫に縁取られた大きな茶色の目がジフトを見詰めている。
自分より頭一つ背が低い少女の姿を見止めて、ジフトが頭を掻いた。むしろ少女のほうがここに居ることが不思議でならないといった表情に、可憐な容姿の少女がつかつかと歩み寄る。腕に下げた籠から、色とりどりの造花が覗いている。
「べつに……。ていうより、キアラこそどうして中心部に? ここには造花を買ってくれる人なんていないだろ」
キアラと呼ばれた少女は、自分の持つ籠を一瞥した。埃っぽい造花の陰に、ちらりと紙束が見える。
「それは、その――」
栗色の眉を寄せて口篭るキアラの前で、ジフトはそっと竜紋の財布を仕舞った。弁解の内容を考えるのに夢中なキアラは、財布どころかジフトが動いたことにすら気付いていない。
歯切れの悪い言葉ばかり出すキアラに、ジフトはしびれを切らした。
「先下町のほうに帰ってるから。じゃな」
顔の横に手を挙げてそのまま走りだそうとするジフト。その裾をキアラが掴み、ジフトがつんのめる。
「なんだよー」
「あ、あのね、わたし――」
思い切り顔を顰めて嫌そうな表情をするジフトを掴んだまま、キアラが戸惑いながら口を開いた。
厳かな石造りの建物が並ぶ中心街。そこは貴族の住む場所で、今日も絢爛豪華な馬車が目抜き通りを往来している。そんな華やかな場所には不釣合いな二人の子どもを、遠巻きに見ている人物が居た。
「なんだよ、言うんならはやく言えって」
「うぅ、その――」
じゃれているようにしか見えないジフトとキアラ。その様子を、建物の陰からひっそりと見守っている。その体は麻の外套で、頭はフードで覆われているため、顔も性別もわからない。微かに聞こえてくる呼吸音は細く高く、喘息を患っているようにも聞こえる。
『今が絶好の機会だ』
突如、外套の下から音声が聞こえた。歳若い男の声が、小型の通信機を通して聞こえてくる。それに気付いた人物は、通信機を右手にとった。外套の袖が捲れて、指先が僅かに覗いた。本来ならば柔らかな肌に覆われているはずの手が、黄金色の金属の鱗で覆われている。
フードを被った人物が沈黙していると、通信機からじれったそうな声が聞こえた。
『おい、どうした? さっさとあのガキから道標を取り戻してきてくれって』
どうやら通信相手は空賊の青年のようだ。
刺々しい声で急かされても、フードの人物はジフトのもとへ向かうそぶりを見せない。麻のフードが揺れ、小さく首を振った。手に握る通信機のレンズ部分をジフトと、そのすぐ横に居るキアラに向ける。
『んだよ、多少の人目はこの際仕方無いだろ。それにウィル、おまえの腕なら子ども二人ぐらい簡単に――』
背筋が縮むような音を立てて、通信機が握り潰された。喚いていた青年の声も途切れ、小さな雑音だけが建物と建物の間に反響する。
ただのくず鉄になった通信機を投げ捨てると、フードの人物は路地裏へ消えていった。
「えっ、おまえ機械宮に行くのかよ」
ついに白状したキアラの台詞に、ジフトは円い目を更に円くした。驚いたことに憤慨したのか、キアラは籠を下げた腕を組んで仁王立ちしている。
「そーよ。機械宮の中にお花を買ってくれる人がいるの。……だから、今夜はおばさんのところに帰るの遅くなるわ」
茶色の目が少し翳り、キアラは俯いた。白磁のような肌を傾く日差しが照らし、柔らかい曲線を描いている。微妙な変化に少しも気付かず、ジフトは頭の上で腕を組んで暇そうにしている。長く伸びた二人の影はどこまでも平行に伸びている。
暫らく何かを待っていたキアラは溜息をつくと、ジフトを過ぎて機械宮へ歩き出した。それを見て自分も帰ろうとするジフト。足音を聞いて、キアラが振り返った。
「……何か言うことないの」
「え? 」
急に呼び止められて変な声を出すジフトに、キアラは両腰に手を当てて大袈裟に溜息をついてみせた。
「だーかーら! またねー、とか、早く帰ってこいよー、とか。可愛い幼馴染に言うことあるでしょう」
「かわ、いい……」
顔を強張らせて、ジフトがなんともいえない表情をしている。なんか文句あるわけ? と、キアラが秀麗な顔に醜悪な怒りシワを寄せて凄んだ。殺気に満ちた視線を浴びて、ジフトが慌てて笑顔を繕う。
「お、おう。えーっと――じゃぁな。また後で」
ぎこちない挨拶にキアラはまた眉間にシワを寄せたが、大きな馬車が近付いてくるのに気付いて両手を腰から放した。機械宮へ向かう馬車がジフトの横を通り、少し速度を落としてキアラの横を通る。水晶の窓が開いて、貴族の青年が手を振るのがジフトの目にも見えた。愛想笑いとは思えない綺麗な微笑みを浮かべ、キアラが会釈を返す。
「中庭で待っている。また後で会おう」
青年が煌びやかな刺繍を施した手袋を投げると、馬車の窓が閉まった。砂埃を立てて機械宮へ向かう馬車を見送り、キアラが手袋を握り締める。
「うわぁ……すっげー金持ちそう……」
だらしなく口を開けたまま馬車を眺めるジフトに、キアラが手袋を片方投げつける。
「――ばかっ」
涙を溜めた目でそう罵ると、キアラは目抜き通りを一直線に走り去った。反射的に手袋を受け取ったジフトが言い返そうとしたときには、もう随分と離れてしまっていた。
「なんだよ、キアラのやつ。変なの」
言い表せない気持ちを誰にぶつけることもできず一人呟くと、ジフトは機械宮に背を向けた。一度傾きかけた日は勢いを衰えることなく、宵の帳が静かに下りる。長いながい通りを抜けて、寝所につく頃にはもう、幾つもの小さな星が紺色の空に瞬いていた。
橙色の陽光が照らす目抜き通りを、キアラは脇目も振らずに駆けた。途中ですれ違った貴族の奥方が、何事かと振り返るほどだ。砂埃を巻き上げて、可憐な姿に似合わず全力疾走する姿はさぞかし奇異に映っただろう。
「ばか、ばか、ジフトのばかっ。なんでわかってくれないのよ! 」
走りながらそう叫び、キアラの目から涙がこぼれた。はっとして立ち止まり、慌てて涙を拭く。これから機械宮へ行くのだから、泣いてはだめだ。リオナード――先ほど馬車に乗っていた青年に会うのに、目を腫らすわけにはいかない。
細い指で目尻を拭うと、両頬を軽く叩いてキアラは目を上げた。
「……そうよ、泣いてるわけにはいかないわ」
籠の中には街の色々な秘密を記した書類が忍ばせてある。花売りをしながら集めた情報だ。子ども同士の他愛ない噂話から、ちょっと危ない裏家業の情報まで、ありとあらゆる秘密を集めてきた。それもこれも、リオナードが高く買い取ってくれるから。機械宮の中で、秘密の書類と――。
きめ細かな眉間に薄くシワを寄せて、キアラは俯いた。本当は機械宮なんて行きたくない。でも、リオナードが出す報酬があれば、ジフトは……。
ふ、とキアラの口端から笑い声が漏れた。自嘲の笑みを浮かべ、キアラが腕を抱く。
「ばかなのは、わたしのほうね――」
長いまつげに縁取られた目を伏せ、呟く。どれだけ気付いてほしいと願っても、きちんと口に出さなければ気付いてもらえるわけがない。そういう性格なのだ、ジフトは。幼馴染だから、よくわかっている。
――けれど、なかなか好きだと言えない。
袖を握り締め、キアラは足元を見詰めた。八年前、ロザリアとの大戦でキアラの両親が亡くなってから、いや、それよりもずっと前から、二人は兄妹のように育ってきた。幼かったころは二人でよく秘密基地を作って遊んだし、今でもジフトと一番仲がいいのは自分だと自負している。
ただ、それも友情としてのこと。
一度告白して、関係が壊れてしまったら。友達でいることさえもままならなくなったら。伏せたまつげを震わせ、キアラは悩んでいた。あの機械にしか興味のない鈍感なジフトを、どうやったら振り向かせられるのか、と。そして、ひとつの方法を考え付いたのだ。
「――これで、操縦試験のお金、足りるよね」
抱えた籠の中で揺れる紙束を見詰め、キアラが囁いた。まるで自分自身に言い聞かせるかのように。枯れることを知らない偽りの花を抱え、キアラは機械宮の門をくぐった。




