第二十八話 銀の刃
砂塵舞う晴天の空を、朝食の窯の煙が縦に隔てる。さまざまな料理の匂いが満ちる通り。目抜通り程ではないが、拓けたこの街道にも、屋台が建ち並び機械が闊歩していた。無論、その隙間は夥しい人で埋まっている。
口上をまくし立てて気を引こうとする商人達。その中に、外套を深々と着込んだ老人の姿があった。小さな屋台には、細い梁に沿って綺麗な銀の鈴が連なって下げられている。風が吹くたび涼やかな音色を奏でる鈴。その音に負けず、老人はしわがれた声で道行く人々に商品を売り込んでいた。
「いらっしゃい、さぁさ見ていらっしゃい。魔除けの銀の鈴だよ」
なかなか客は来ないようだった。しかし、きらきらと目を引く小さな小屋の前で、一人の女性が足を止めた。身なりからして、機械の都に観光に来たようだ。まぁ、と、感嘆の声を漏らして、女性は鈴を手に取った。
「とても綺麗ね」
「首都の職人が作ったんでさぁ。髪飾りもございやすよ」
やっと現れた客に、翁は愛想よく他の商品も勧める。店に並ぶ鈴は、どれも表面に複雑な植物模様が刻まれていた。それが陽に当たるたび、二度とない輝きを見せるのだ。どこかに下げておくには惜しい美しい装飾品が、自分を彩る髪飾りにもなる。その言葉は女性の興味を引いたらしい。榛色の瞳を鈴と同じくらい輝かせ、女性は翁に頼んだ。
「へえ、それも見たいわ――きゃっ」
しかし乗り出した身は、急に横から伸びた手に突き飛ばされた。石畳に倒れこむ女性。身を案じて立ち上がる翁の上に、影がかかる。
「おうおう、じいさん見ねえ顔だなァ」
影の主は、翁の頭二つ背が高い男達だった。二人組のいかつい男性が、鈴売りの店の前に立ちはだかる。照らす光が遮られ、銀の鈴は怯える翁の顔を映し出すだけだ。まだ若いのに禿頭の男が、顎を上げて翁を見下ろす。
「挨拶も無しに商売するたぁ、礼儀がなっちゃいねぇな」
「場所代払ってもらわねぇと困るぜ――この『花と短剣』に!」
相棒の男が、剥き出しの肩を翁に見せつけた。よく陽に焼けた肩には、よれた線で描かれた短剣と、褪せた色の花の刺青が。
そんなものでも、目にした翁は血相を変えて唇を戦慄かせた。
「は、『花と短剣』! ど、どうかお許しを――」
奥歯がなるほど震え上がって、翁はあたふたと品台の下から財布を取り出し、差し出した。二人組は、にやつきながらそれを受け取る。
「命だけは、どうか……」
「へへ、わかってるって」
今日はこれで許してやらぁ、と、重い財布から取り出した金貨を弾き男達がせせら笑う。また来る、と、振り向きざまに手を振る相棒の方に、歩いていた少年がぶつかった。勢いそのままの衝突は多少痛かったらしく、男は顔を歪める。
「おいガキ、どこに目つけて歩いてやがる? この『短剣』の刺青が見えねぇのか――」
鮮血。
全て言い切る前に、男は喉を切り裂かれた。
「あ――」
迸る朱の向こう、自分を斬った鉄の爪と、それを繰る少年へ男の視線がよろよろと動く。足から力が抜け、男は緩慢に前方へ倒れていく。禿頭の男が彼の名前を叫ぶ。それは届かない。
斬られた勢いで少年の方へ回転しながら落ちる身体。茶鼠の髪そよがせる項。服と髪の隙間。そこには男が流す血よりも鮮やかな、原色の刺青が覗いていた。血塗られた、幅広の短剣。こちらを冷たく睨む、獣の如き灰赤の瞳。
「まさか……『短剣』……?」
今際の言葉を呟いて、男の身体は石畳に落ちた。財布が破れ、金貨銀貨が石畳を跳ねて転がり散らばる。
一拍遅れて、通りを女性の悲鳴が貫いた。
「『短剣』だ!」
「店を閉めろ――」
「女を隠せ!」
朝の市で賑わっていた通りが一変、騒然とする。僅かな間に、通りからは人が消えてしまった。
静まり返った道の真ん中で、横たわる身体からじわりじわりと血液が石畳の隙間を埋めていく。濁った目を見開いたまま事切れた相棒に、禿頭の男がふらつきながら近付く。
「お、おい……うそだろ?」
禿頭の男には、少年が鉄爪から血を滴らせているのが見えない。無防備に接近してきた男の喉元に、少年の鉄爪が突きつけられる。先程まで、何もつけていなかった方の手だ。腿部に隠してある鉄爪を、黒い手袋の鉄甲の溝に装着したのだ。あまりに動きが速すぎて、禿頭の男がそれを視認したときには、鉄爪は喉仏の下に掻き傷を作っていた。つう、と、赤い線が喉に描かれる。おい、と、茶鼠の髪の少年が男に呼びかける。小柄な相手を前に、男は身動き一つできない。
「貴様らに刺青をいれた、恥知らずな彫り師はどいつだ――」
声は、少年の唇から出たそれは、ひどく掠れていて、それでいて恐ろしく空気を震わせた。灰赤の瞳が、禿頭の男を射る。今は怒りに燃える、血に飢えた獣の瞳が。
「――答えろ」
恐怖で呂律も回らない男は、浅い呼吸を繰り返し、必死で返答しようとした。自分の半分ほどしかない少年に、その気迫に押し潰されそうになりながら。やっとの思いで一言名前を告げた途端、男に訪れたのは、相棒を襲ったのと同じ鋭い斬撃だった。砂埃舞う通りに、青い空に向けて紅い血潮の柱が立つ。血飛沫は、瞬きの間に風に掻き消された。
断末魔をあげる暇もなく絶命した肉塊が、鈍い音を立てて崩れ落ちる。それを背景に、少年は真っ直ぐ歩を進める。一人逃げ損ねた、銀の鈴を売る翁の店へ。途中散らばる金貨銀貨を蹴散らして近付いてくる少年に、店の主は恐れ慄いた。逃げようとするも、足が悪いようで立ち上がるのもままならない。やがて店の前に立った少年。その影の中で、翁は泣きながら命乞いをした。
「どうか、どうか許してくだされ。あたしゃ機械の都に来たばかりで、ただのしがない商人でごさいやす。どうか命だけは……!」
拝むように頭を品台に擦りつけて頼み込む翁。少年はそれを一瞥もせず、鉄爪の先で散らばった銀鈴を一つ持ち上げた。りん、と、澄んだ音色が静寂に響く。
「老いぼれ、これは何だ」
「へ……?」
突然の問い掛けに面食らったのか、翁が眉を寄せて顔を上げた。一度で望む返事が返ってこないことに苛ついたらしく、少年の目の下に皺が刻まれる。
「これは何だと訊いている。……まさか、自分の商品の説明もできないとは言うなよ」
灰赤の瞳に睨まれ、翁は身を竦ませた。めっそうもごさいやせん、と弁解してから、震える手で近くの鈴をよく見えるように持ち上げる。
「これは魔除けの鈴――玄関や窓に吊るしておくと、その音で魔を祓ってくれるんですよ。勿論純銀製です」
怯えてはいるものの、流石に長年商人として生きてきた男。その弁達は滑らかだ。お気に召すものがございやしたら、幾らでも差し上げます、と頭を垂れる。しかし少年は説明を聞いて喜ぶこともなく、忌々しげに奥歯を噛み締めただけだった。
「魔除け、か――」
ぎりりと歯を鳴らす少年。興味が引けなかったと勘違いした翁は、商売用の笑顔を引きつらせて更に続ける。
「ああ、まぁ、お若い方は迷信と一蹴なさいやすが。最近じゃ娘さんの髪飾りとしても人気でして――」
全て言い終わる前に、それは強引に打ち切られた。輝き並ぶ鈴達が、下に敷かれた布と共に宙を舞う。とりどりの音色を奏でて、鈴は地に跳ねた。突然の暴挙に目を白黒させる翁の前で、少年は鉄爪を払い布切れを落とす。
「失せろ」
短い、けれどこれ以上ない強い命令だった。
「この鈴が持つ本当の意味も知らない商人が、二度とこの土地を踏むな」
少年の灰赤の目は、太陽に背を向け、影の中にあるその目は、確かに赤く光っていた。地に転がる鈴達が、りいんりいんと細く鳴いている。風も吹いていないのに。
剣幕に押された翁は再び震え上がり、そそくさと手に持てるものだけ持つと足を引き摺りながら逃げていった。時間をかけて遠のいていくその背中を暫く眺め、少年は反対方向に歩き出す。血の匂いを嗅ぎつけて、野犬が死体に群がりはじめていた。建物の陰から、窓の隙間から、視線と、押し殺した息の音が少年に降り注ぐ。
いくらか歩いたところで、少年を呼び止める声が聞こえた。
「やあやあ、派手にやってるねぇ、クラウ」
飄とした声に、殺気立った灰赤の目が向けられる。通りを吹き抜ける風。それにたなびく黒い長髪、銀の双剣。
灼熱の通りに、黒点の如く、クラウと同じくらいの年の少年が手を振っていた。その背後に、怯えながら様子を伺う幼子を二人従えて。
「どう? 魔石調達の目処は立った?」
にい、と口端が上がる。白い歯に、硝子より濃く青い瞳。
「シルバ――」
現れた同胞の名を呟き、クラウは顔を顰めた。
「何をしに来た」
「冷たいなぁ、クラウを手伝いに来たんだよ」
不快の表情で迎えられ、シルバと呼ばれた少年が肩を竦める。顔にかかる長い黒髪を手櫛で掻き上げ、少年は青い目を細めた。
「誰から魔石を奪うのか、さっぱりわからないけど。鉄爪だけじゃ心許ないだろ? だから、ボクが手伝ってあげる」
意味深に微笑みながら、シルバが銀の刃を納めた鞘を撫でている。言葉とは裏腹に、何か知っているとでも言いたげな眼差し。昨日も一昨日も、ボクは役に立っただろう? と、クラウより少し細身な少年は無邪気に笑った。ふん、と、クラウは鼻を鳴らす。
「それなら、その足手まといそうな奴らは何だ?」
シルバの背後でおどおどと見え隠れしている子ども二人を指して詰る。青い目をぱちぱちと瞬かせると、シルバは背後の子どもたちを抱き寄せた。
「ああ、この子たちはね、家族だよ」
ぽんぽん、と、毛髪の色が違う子どもたちの頭を撫でる。二人とも茶髪だし、それぞれ系統の違う顔立ちだ。どう見ても血の繋がりは無い。
びくつく子ども二人に顔を寄せて、優しく微笑んでみせると、シルバはその顔をクラウに向けた。
「『花と短剣』の新しい家族さ!」
満面の笑みで言い切った。撫でられている片方が、怯えながらも嬉しそうに口元をほころばせている。もう一人も、クラウから目を逸らさず、シルバの服を握り締めて縋り付いていた。
砂塵に塗れた石畳の上を、クラウの足がにじり寄る。
「見覚えがあると思ったら――ジフトが食事をやってたガキ共か」
家畜を見るにももう少しマシな目付きが出来そうなほど、クラウは冷めきった視線を送った。しかし意外なことに、縋り付いていた方の子どもは泣くこともなく返事をしてきた。
「う、うん。ジフト兄ちゃん、探してるの……」
昨日も今日も、遊び場に来なかったから、どこに行ったのか、と。舌足らずに答える幼子の前で、クラウの鉄爪を着た拳がかたく握られた。割れた爪が手袋に食い込み、軋んだ音を立てる。
「あいつは、戻ってこない」
痛いほど正面を見つめたまま、クラウが呟く。風が止む。
「ジフトは、もう二度と、『花と短剣』のもとへ帰って来ない」
無音の空間で、きょとんとした顔の子どもたちの前で、クラウは肺に吸い込んだ空気を全て吐き捨てた。
荒れた唇を噛み締めるクラウ。もう一人の子どもの顔が、みるみる歪んで涙を浮かべた。
「ジフト兄ちゃん、死んじゃったの……?」
自分で言って悲しくなった子どもが泣き出し、つられてもう一人もしゃくりあげる。頭を撫でていた手をぴたりと止め、シルバが白けたように眉を上げた。
「あーあー、なんてこと言うんだよ、クラウ。この子達、泣いちゃったじゃないか」
今度は背中をさすりながら、シルバは二人の子どもを慰める。
「大丈夫だいしょうぶ。ジフトは生きてるよ。ちょっと機械宮に出かけてるんだ」
泣きじゃくる幼子の顔を覗き込んで、にっこり微笑んで落ち着かせるよう穏やかに声を掛ける。
「クラウとジフトは、今ケンカしてるから、意地悪言ってみただけなのさ」
シルバの銀の双剣の柄、刃と同じく磨かれた銀のそれに、クラウの灰赤の瞳が映り込んでいる。その目が、真意を測りかねた様子で眇められた。
「シルバ、おまえ――」
当惑から出た呼びかけを無視して、シルバは子どもたちをあやしている。鼻水を啜り上げる子どもの涙を指の背で拭い、膝を屈めて同じ目線で、青い目は優しげに語りかける。
「ジフトがいない間は、ボクがキミ達を守ってあげる。……だから、『花と短剣』においでよ」
変声してもそれ程低くならなかった柔らかい声。慈愛を感じさせる青い眼差しを受けて、でも、と子どもは口を開いた。
「ジフト兄ちゃん言ってた……。怖いこといっぱいあるし、怖い人もいっぱいいるから、『花と短剣』入っちゃダメだって」
耳を傾けていたシルバが、うーん、と大げさな呻きをあげてみせる。
「確かに、『短剣』のお仕事は、怖いかもねー」
でも、と、固唾を飲んで一挙手一投足を見守る子どもたちへ、視線を落とす。ボクのこと怖い? と、長い睫毛に縁取られた青い目を瞬かせて問う。二人の小さな頭が横に振られる。それなら、と、シルバは破顔した。
「安心して。ボクは、『短剣』の中でも、とーっても強いんだ。だから、どんな怖いことからでも、キミ達を守ってあげるよ!」
煌めく銀の双剣を見せつけるようにくるりと一回転して。輝く目を見開く二人の肩にそっと手を乗せて。
「……そして、あったかいスープとパンを一緒に食べよ。みんなのいるお家でさ」
ひもじい思いをして辛かっただろう、寒い夜に眠るのは寂しかっただろう、差し出した両手越しに、シルバは子どもたちへ語りかける。もうそんな思いはしなくていい、と。
あったかいスープ、と、鼻水をすすりながらうわごとのように呟く子ども。もう一人は、不安そうな表情で躊躇っている。
「ぼくたち、そこに居ていいの?」
もちろん、と、間髪も入れず微笑みながらシルバは答える。
「だって、家族だもの」
その一言が、二人の躊躇の綱、最後の一筋を切った。家族、と、おうむ返しに甘美な響きを噛み締める子どもたち。彼らとシルバの間には、ほんの一歩の距離があるばかり。
「お兄ちゃんって、呼んでいいよ」
水底より濃い青い瞳を笑みに歪めて、両の手が僅かに伸ばされる。来ないのなら近付けばいい。警戒という膜が破れた幼子らは、少しの間を置いたあと、シルバの手を取った。
「お……お兄ちゃん」
「シルバにぃちゃん!」
新しく結ばれた信頼の証を受け取り、シルバは屈託ない満面の笑みを浮かべて頷いた。応えてくれることに喜んだ二人が口々に何度も呼びかけを繰り返し、その都度返事をする。頭を撫でながら、くすくすと笑いながら。いつのまにか怯えることもなくなった幼子らに、再び屈んで同じ目線になったシルバは言い含めた。
「それじゃ、お兄ちゃん達はジフトを迎えに行くね。夕方にはここに帰ってくるから……お友達も誘って待っててよ」
にっこりと小首を傾げて言うと、二人とも素直に頷く。ほんの少しの時間で、黒髪の少年は確かな信頼を勝ち得ていた。いってらっしゃいと送り出され、それに手を振り返すシルバ。
途中から黙って成り行きを見ていたクラウと並び、歩き始めようとする。
「おまたせ! じゃ、行こっか」
「おまえ――」
やっと話ができる状況になったと、走り去る幼子らを冷めた目で見送るクラウ。ん? と、シルバが片眉を上げた。無邪気な表情の相手に、苦虫を噛み潰したような顔を向けるクラウ。
「あの二人だけじゃなく、他のガキまで『花と短剣』に加えるつもりか? 小刀も握れない穀潰しを養うことはできないぞ」
至極当然のことを伝えた筈なのに、シルバは俯くと肩を揺らした。ふふ、と、その口から笑いが漏れる。わけないよ、と、黒髪の下から傲慢な声が聞こえた。
「ジフトがやれたんだ。ボクに出来ないわけがないよ」
止んでいた風が、強く吹き始めた。追い風を受けたシルバの長い黒髪が、空気の中で踊る。両腕を広げて、晴天を仰いで、黄みがかった肌の少年は青い目を弓形に細めた。
隣で聞いていたクラウが、眉を顰めている。
「そんな理由で――」
「それにさぁ、」
諫めようとした発言が、飄とした口振りで遮られる。止まったままのクラウの周りを、ぐるりと周回する。
「近々、公爵サマ、学校ってものを創るんだって」
目だけで動きを追っていたクラウの視界から、背後に回ったシルバの姿が消える。それでも声だけはいつものように捉えどころのない調子だ。背中側を歩きながら、シルバは指折り学校とやらの特色を挙げていく。
「士官学校と違って、通うのにお金は要らないんだ。読み書き計算、簡単な論理術、法律だって教えてくれる。お昼にはご飯がでて、家のない子は寄宿舎に入れるんだ!」
明るい声音で、まるで夢みたいだろう、と、シルバがくるくる回転しながらクラウの前へ躍り出る。背面いっぱいに刻まれた刺青が服の下から透けて見えるのを、黒髪が螺旋を描く様を、クラウは陰鬱な表情で眺める。ぴたりと止まり、シルバの指が双剣の柄の主線をなぞった。
「そんなモノが出来たら、『花と短剣』に入る子、いなくなっちゃうだろ?」
非対称に歪んだ眼が、黒髪の下から覗く。
「だから今、集めておこうと?」
クラウの問い掛けを背に浴びつつ、シルバは通りを西へ歩き始める。それについていくクラウの前で、人差し指が振られた。
「うーん、半分正解」
戯けた仕草に顔を顰めるクラウ。それはシルバには見えていない。ふと足を止めると、両手を天へ伸ばした。
「ボクね、思うんだ。せっかく創った学校に、だぁれも来なかったら――公爵サマ、きっとびっくりして、そして、とってもがっかりするだろうなって!」
まるで天を抱えようとするように。両腕を限界まで広げて空を仰ぐシルバの背中を、クラウは絶句して凝視していた。彼の言わんとするところを察して。
無邪気な顔で太陽をもぎ取ろうとする、珍しい黒髪の同胞。久方ぶりに任務以外で言葉を交わした、かつての友人の後ろで、クラウの頬から一筋、冷や汗が垂れた。
「シルバ……。機械の都に、何人の浮浪児がいるか、わかってるのか」
到底抱え切れる数ではない。諦めろ。質問の体をなした諭しの言葉に、かつての友は可笑しそうに喉の奥を鳴らす。
「もちろん! 三五七二人――」
予想していたよりずっと多い数を口にして。
「――ボクらの家族になる人数だ」
太陽を抉るその右手で、顔を覆い、シルバは振り返った。左手をクラウに差し伸べて。
濁っているのかと見紛うほど濃い青の瞳が、確かに蒼光を帯びている。芝居掛かった仕草は、仮面をつけた道化じみていた。
「おまえ、正気か」
「クラウこそ……」
眉を顰めて注意すると、シルバは表情を崩さずまた歩き始めた。追いかけて横に並ぶと、意味深な笑みで言葉を続けられる。
「ケチな成りすまし共と、銀の鈴の由来も知らない商人を蹴散らすだけで、満足してるの?」
いつの間にか、件の場所まで戻ってきてしまった。辺りには肉と骨と壊れた鈴が散乱し、野良犬の群れが遠巻きに唸り声を上げて、二人を威嚇している。金貨銀貨は、財布ごと姿を消していた。あれだけの騒ぎの後でも、金だけはどこかの盗人が拾っていったようだ。蒸発した血漿と糞尿の臭いが、鼻をつく。晴天の下、惨憺たる路を歩きながら、シルバは隣を歩むクラウに流し目を送った。
「ねぇ、クラウ、こんなことしてたって、何も変わらない。解決なんかしないんじゃない? ボク達は、もっと根本の原因を解消すべきじゃないかな」
例えば――と、きつね色のすらりとした指が双剣の柄を握る。銀の刃が、綺麗になめした革の鞘から覗く。
「この大地が誰のものか、公爵サマに教えてあげる、とかさぁ」
思わず凝視した横顔は、長い前髪に隠れてよく見えなかった。刃を納め、前髪を掻き上げてシルバが微笑む。
「ジフトだって、公爵サマに騙されてるんだよ。許してあげたら?」
「――っ、黙れ!」
反射的に叫んでしまい、クラウは拳を握り締めた。シルバは全く意に介さずといった様子で、長い黒髪の毛先を弄っている。大体何なんだ、と、真意の読めない相手に気味悪がった視線をぶつける。
「さっきからジフトの話ばかり――俺は魔石を採りに行くんだ。足を引っ張るつもりなら消えろ」
実はまだ機械宮に忍び込む手立てがないから、行くあてはないのだけれど。これは一人でしなければならないことだ。追い払うつもりで発した言葉を、シルバは目を伏せて鼻で笑った。
「わかってるよ。だから手伝ってあげるって、言ってるのさ」
「なに……?」
急にシルバが足を止めた。少し行き過ぎたクラウが、怪訝そうな表情を浮かべ振り返る。そこには、三日月のように口端を釣り上げたシルバの姿があった。すぅ、と、きつね色の指が持ち上がる。
「ねぇ、クラウ――」
人差し指が、クラウの心臓を指す。秘密を抱える脈動を、その背後に聳える、機械宮を。その中に居る、ジフトを。
「ボクが何も知らないとでも思った?」
最初に裏切ったのはどちらなんだろうね、と。
短剣の切っ先より細く鋭く、意味深長な笑みの上に人差し指を重ねて、黒髪の少年は青い目を昏く輝かせていた。