第二十四話 君の瞳の色は
「――シュウ?」
冷や汗が伝った頬を、街を抜ける熱風が撫でる。円い目をさらに円くして、ほうけたジフトの口から出たのは、機械宮に居るはずの少年の名だった。
焼け焦げ半壊した扉を蹴破り、臆することもなく人影が駆け込んでくる。勢い余って転びそうになるのを宙で手を回して、影はジフトの目の前まで来て止まった。揺れる黒髪が、陽光を反射する。砂で濁った空よりも澄んだ瞳が、真っすぐにジフトを射る。
思わずたじろいで一歩後退りするジフトの襟首を、二本の腕が掴んで揺する。
「きみは、きみはっ……、何やってるんだよ! 昨日倒れたばっかりだっていうのに!」
「な、何って……。ていうより、おまえこそ、どうして市場の裏なんかに来てるんだよ」
険しい顔して問い質してくるシュウの視線から若干逃げつつ、問い返すジフト。シュウが答えようと口を開きかけたとほぼ同時に、蹴破られた扉から、いつもの比ではない武装をした警吏がなだれ込んで来た。
普段の経験から反射的に身を強張らせて逃げ出そうとするジフト。が、シュウに襟首を両手でがっちりと掴まれていたため、妙な方向に首をちがえて痛い目をみただけだった。うっ、とジフトが変な声を上げて恨めしげにシュウへ抗議の視線を送る。その僅かな間に、吹き抜けになった廃墟は、警吏でいっぱいになってしまった。一階だけでない、何処から登ったのか、上の階にも青い警吏の制服が見える。当然、ジフトも、すぐそばにいるシュウも、バートや空賊頭領、自立人型機械、そして公爵の部下も青い制服に囲まれた。
「な、何なんだ?」
居心地悪くうろたえるジフトの焦げ茶の瞳がくるくると、自分を囲む警吏を見回す。青い人垣の向こうで、黄金の人型機械が腕の仕込み刀を構えていた。
金色の身体の前に、す、と白い腕が伸びる。ウィル、と、紅色の唇を薄く開いて、ミランダが機械を制した。鎧に似た装甲から出る殺気が消えて、刀が手首の中へ納められる。
訝しむジフトが、あることに気付いて眉間に皺を寄せた。
――この警吏達、いつものおっさん達じゃないな。
日常的に追われる身のジフトにとって、警吏はもはや顔見知りと言って差し支えない存在だ。名前まで知っている者から顔だけはわかる者まで開きはあるものの、機械の都の東側半分にいる警吏は、一度は関わったことがあると言えるほどに。全く嬉しくない上に誇れることでもないのだが、その識別能力を持ってしても、今廃墟にひしめいている者達の中から、ジフトの知っている顔をただの一人も見つけることが出来なかったのだ。
――だとしたら、こいつらいったい何者なんだ?
西側の警吏か、機械宮のそれか。正体不明の、制服の集団は一分の隙もなく隅々まで目を光らせている。
ミランダの正面に立つ、恐らくこの集団の長に、部下の一人が駆け寄り、短剣を見失ったと報告した。
気付けば、クラウもアスエも、いつの間にか姿を消している。勝てぬ戦は決してするなの掟通り、圧倒的数の暴力を前に潔く撤退してしまったのだろう。手当てを受ける公爵の部下エオニウスと、そして何故か一緒に介抱されているバートの様子をみて、ジフトは強張っていた背筋を緩めた。どうやら彼ら青服の目的は『短剣』だけのようだ。ミランダに対し敬礼する長の姿からも、敵意はないと見て取れる。中肉中背どこをとっても平均値な身体の長が、ミランダとエオニウスの間に立って、交渉の結果について尋ねている。貧血のせいか否か蒼ざめたエオニウスが、白んだ口を動かすのが見えた。
「……話し合いの途中で襲われたから、まだ双方の希望について触れていない」
苦しげに片目を歪めるエオニウス。しかしその口調は、最初に交渉をしていたときと比べ険が削げていた。その言葉に、ミランダが青緑の瞳を眇める。
聴いてはくれるわけね、と、軽く肩を竦める空賊頭領。床に座って手当てを受けるエオニウスが、それを見上げる。
「今日の対話で裏付けができた。……セシル公爵は、貴殿らの能力と、アジリタスの戦艦としての能力に協力を求めている。此方が提示できる報酬は昨日伝えた通りだ。何か希望があるなら言うがいい。わたしの権限の及ぶ範囲でなら、譲歩しよう」
適法がなんたらじゃなかったのか? と、隣で床にへたり込んでいるバートが水を差す。看護する青服から差し出された水筒をひったくり、蓋を外すと豪快に頭から水を被る。金髪の上を、幾つも透明な粒が滑り落ちた。もっと寄越せと浅ましく要求を重ねるバートを一瞥し、エオニウスが立ち上がる。
「それは平時の話だ。もはやこれは戦争。ゼクス陛下の治めるこの国には、戦時のための戦時法がある。ロザリアが彼らの理に則り攻めてくるなら、こちらもそうするまでだ」
視線を同じにしたエオニウスとミランダが、睨み合うように互いを見詰める。
さら、と、艶やかな長髪を揺らし、ミランダが挑戦的に口角を上げた。
「なるほどね。わかったわ。――でも、アタシは空賊だから。あんな安い報酬じゃ街一つ守るためにロザリア軍と戦うなんてこと、しないって知ってるでしょう?」
「……だから望みを訊いている」
どこまでも単刀直入な物言いをしてやめない公爵の部下をみて、ミランダはその顔に、僅かだが苦笑を浮かべた。
一呼吸置いて真剣な表情に戻るミランダ。床に刺したままだった剣を引き抜くと、切先をエオニウスへ向ける。
「勇心の道標を、我が手に」
取り巻く青服がどよめく。動揺の中、エオニウスだけは切先を向けられても眉一つ動かさなかった。
様子を見守るジフトの横で、シュウが固唾をのんでエオニウスの返答に集中している。
「要求は、それだけか?」
「あら、もっと嫌がると思ってたんだけど。……そうね、他に欲しいものと言えば――ロザリア軍との衝突に備えて、人員を確保したいわね」
瞬きすらせず相手を見据えるエオニウスに対し、ミランダはすいと視線をそらして悪戯っぽく周囲へ眼を巡らせた。
成り行きを眺めていたジフトと視線がかち合う。自分は部外者だという認識で完全に気を抜いていたジフトは、きょとんとした表情を返すだけだ。円い目を瞬かせる薄汚れた少年へ、ミランダが、つかつかと歩み寄る。何か巻き込まれそうだと本能的に察して後退しようとするジフトの肩を、空賊頭領の手が掴んだ。
「例えば――竜の因子を持つ者を我が『黄金の双頭竜』へ加える、とかね」
ぐいと近付いて覗き込んだ緑青の瞳は、静かな意志の焔を秘めていた。
生唾を呑み込むジフトの向こう、ミランダの肩越しで、エオニウスの顔が僅かに歪む。苦痛に耐えているのか、他の何事か、どちらかは判らない。適当な人材を見繕っておこう。暫しの沈黙の後、公爵の部下はそう答えた。この子がいいわ、と、重ねるようにミランダが言う。肩から手を離し、エオニウスのほうへ振り向いてさらに続ける。
「船の運用には技師が必要よ。特に、純魔導機械を使える者が。……さっき使ってみせたのは、マキナリー最高峰の純魔導機械が一つ、でしょう?適正は十分、いいえ、有り余るほどだわ。それに、技巧の精密さも」
見込みがある、と、ミランダは言葉を切った。その手は肩から離れたはずなのに、触れられた箇所が熱い。成り行きを見守っていたはずのジフトは、魅せられたようにその場に固まった。目前の長い金髪が、渇いた風に揺られ煌めいている。求めるものを追って来いとでも、言うように。
脈打つ鼓動に合わせて体温が上がる。空賊の、宙駆ける船。手配書で見たあの戦艦に、自分も乗れるのか。この手で飛空挺に触れられるのか。汗ばむ掌、はやる心と裏腹に、頭の片隅でただ喜ぶことの出来ない自分がいることに、ジフトは気付いた。固定された視軸の先で、エオニウスが険しい目に瞬きを一つする。
「……それは、私一人では決められない問題だ」
ちらと視線がジフトに向けられる。それもそうね、と、ミランダが大袈裟に頷いてみせる。本人を目の前にして、尋ねないのはおかしいわ、と。くるりとこちらを向く身体、翻る金の髪。
「ねえ、キミ、名前はなんていうの?」
きらきら光る緑青の瞳に見つめられ、ジフトは僅かに狼狽えた。真赤な紅を引いた唇が、にい、と両端を持ち上げて、真珠のような歯がのぞく。細い首は牛の乳のように白い。
「……じ、ジフト。ジフト=クレイバー」
そのまま半分露出している胸元まで下がりそうになる視線をぐいと離して、顔を背けたままジフトは名乗った。
視界の端で、ミランダが一層微笑む。
「そう、……いい名前ね。ねえ、ジフト。アタシ達と一緒に空へ来ない? アタシ、キミのこと気に入ったわ。キミならアジリタスを思うがままに操れる。最速の船に乗って、世界中を駆け回れる。きっとね」
金の耳飾りをきらきら輝かせ、ミランダは悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。ジフトの前へ、白い手が差し伸べられる。その肩の向こうには、再び外套を身に纏った等身大の人型機械。フードの下の強化硝子に、それを見つめるジフトの姿が映り込んでいる。人型機械が、襟元から何か取り出した。金の鎖に繋がれた、同じく金色の小さな断片。くらり、と、視界が揺れる。夢見心地で頷きかけたジフトの腕を、誰かが掴んで引き留めた。
黒髪の少年が、名前を呼ぶ声。
「ジフト」
半ば強引に振り向かされ、ジフトは自分の周りで渦巻いていた熱が下がっていくのを感じた。ぱちぱちとしばたく焦げ茶の瞳を、シュウが何か言いたそうに見つめてくる。何かというのは無論、空賊なんかに加わるなということだと、さすがのジフトも察しているのだが。黒い眉を僅かに歪めるだけで、シュウはそれ以上言葉を発しなかった。
「……?」
何故か中途半端な態度で濁すシュウに疑問符を飛ばし、ジフトは首を傾げた。目の前に空賊頭領が居る状況でそれを口にするのは危険、と思ったのか。それとも別の思案があるのか。
どちらにせよ、引き留めてくれたことをジフトは感謝していた。妙な力に操られて適当に了承するわけにはいかないのだ、この話は。
「悪いけど……それは出来ない」
両の拳を握りしめて、ジフトは首を横に振った。閉じた目に浮かぶのは、キアラの姿。耳に蘇るのはリオナードと契約した言葉。
『契約は君を縛る鎖にもなるんだよ』
黄緑色の蛇眼を細める公爵が言ったこと、その意味が漸く理解できた。自由に行動するという選択肢が封じられているのだ。……それに、公爵と契約していなくても、キアラを一緒に連れて行くかと訊かれれば是と言えないし、では置いて行けるのかと訊かれればこれもできなかった。
誘いを断り、顔を上げるジフトの前で、空賊頭領ミランダは軽く肩を竦めた。
「あらそう。残念、振られちゃうとは思わなかったわ」
少し唇を尖らせて拗ねたような声を出して。しかしミランダはそれ以上勧誘を重ねなかった。ジフトが焦げ茶の目をしばたかせて戸惑う間に、公爵の部下エオニウスへ二言三言、追加の条件を伝えている。弾薬の補充など、物資についての要求。青白い顔でそれを聴き、エオニウスが頷く。応急手当を受けた手に、巻かれた包帯が、朱く色を滲ませていた。それを一瞥して、ミランダが手を差し出す。
「とんだ邪魔が入ったけど、いい取引が出来てよかったわ。これからしばらくよろしくね、エオニウス」
お互い手の内は見せあったんだし、と、固い握手を交わすミランダが、ぐっと顔を近付けて囁いた。ぴくりと反応する公爵の部下から離れ、空賊頭領は黄金色の機械の名を呼ぶ。
「――ウィル」
すらりとした腕が宙に伸ばされ、その指先へ機械が触れる。瞬きの間に、ミランダは機械の腕の中に横抱きで収まった。翻った金髪が、陽射しを受けて煌きながら重力に引かれる。太く冷たい人型機械の首に両手をまわす。
「それじゃ、アタシたちはここで失礼するわ。貴方達も気をつけて帰ってね、交渉した相手が第三勢力に殺されたんじゃ、こっちの士気も落ちるもの」
茶化して釘を刺す物言い。それを聞いて、公爵の部下は血の気が引いた唇を噛んだ。
「わざわざ言われなくても、重々承知している」
目の下に皺を寄せて苦々しげに返すエオニウスに、ミランダは片頬を吊り上げてみせた。それからすぐに表情を引き締め、未だ床の上でへばっているバートに鋭い視線を送る。
「……もしもの時は頼んだわよ」
「はいはい、――人遣いの荒いことで」
くしゃくしゃと片手で前髪を掻き回し、そのままその手をひらひらとバートが振る。さっき水を浴びたばかりだというのに、その髪は既に乾き始めていた。冗談めかした態度と裏腹に、片方しかない青い瞳はミランダ以上に張り詰めた気を宿している。秒にも見たない間見つめあった後、バートが僅かに首を動かした。その目に映るは薄汚れた茶髪の少年。ミランダの視線も、ジフトに注がれる。覚えず拳を握るジフトへ、ミランダは笑みを浮かべると悪戯っぽく片目を瞑った。
「また会いましょう、ジフト。『双頭の黄金龍』は、いつでもキミを歓迎するわ」
青緑の瞳が、ジフトを射る。妖しい笑みには、それだけで何か抗い難い魅力があった。返事に詰まっている間に、ミランダは機械の首に抱きついた身体を一層それに近付けて、耳元で何か囁いた。首肯した金色の機械が、床板を蹴る。焔が突き破った天井を越え、ミランダ達の姿はすぐに見えなくなってしまった。呆然と、反動で穴の空いた床板を眺めるジフト。耳に聞こえる、機械が地面を蹴って跳ぶ音が、遠ざかっていく。
光を失った手袋の上から、ジフトの腕に誰かがそっと触れた。
「ジフト……」
揺れる黒髪の下からシュウの空色の目が、こちらを見つめている。寄せられた眉から心細さを感じ取ったジフトは、振り返ると苦笑してみせた。
「だいじょーぶだって。空賊の仲間にはならない。さっき、引き留めてくれて助かった。ありがとな」
白い歯を見せて満面の笑みを浮かべるジフト。しかしシュウの表情は暗いままだ。手袋越しに掴んだ手首を離さず、シュウが俯いて呟く。言いたいことはそうじゃないんだ、と。焦げ茶の瞳が円くなる。
「へ? 違うの?」
疑問符を飛ばすジフトの前で、シュウが頷く。手首を握るシュウの掌に力が篭った。いつまで握ってるつもりなんだろう、と、少し気になって視軸をそれに合わせる。ほぼ同時に、シュウが手首を強く引いた。お、と、間抜けな声を出してつんのめるジフトの肩を、シュウのもう片方の手が支える。姿勢を立て直そうとすると、肩を抑えられた。
「な、なんだよ」
「ジフト、勇心機甲を使ったね?」
険しい表情のシュウの顔が、すぐ目の前にある。まだ少し身じろぎしようとしたが、シュウは真剣な顔色のまま離してくれなかった。ゆうしんきこう……? と、鸚鵡返しに尋ねるジフト。空色の瞳から、僅かに剣呑さが削げた。セシル公爵から何も渡されてないのかと安堵の声色で尋ねられ、ジフトは首を横に振る。自由なほうの腕で短い上着の裾を捲る。息を飲む音。
「それ、は……」
「機関十五番だって。変な名前の機械だけど、結構役に立ったぜ」
これが無かったら今頃クラウに八つ裂きにされてたかもしれない、なんて思いながら伝えるジフト。その正面で、シュウが目に見えて意気消沈していく。重いんだけど、と、端的に苦情を言うジフトの耳に、シュウが漏らした言葉が入る。
「――ル公爵、なんてことを――」
額を押さえて呻くシュウの顔を覗き込もうと、ジフトが首をかしげる。どうかしたのか、そう半分も言い終わらないうちに、空を斬る音が聞こえそうなほど勢いつけてシュウが面を上げた。近い。鼻先が触れそうなほどだ。
「おい、なんだよさっきから――」
「ジフト、顔を逸らすな。ぼくの目を見るんだ」
「な、……やだよ、どうしてそんなこと」
「――いいから!」
特に理由もなく反射で目を背けると、顎を掴んで無理矢理正面に顔を向けさせられた。思わず頭に血が上って睨みつけるジフトの目を、眩しい光線が灼く。
「うっ――?」
「……すぐ終わるから。目を閉じないで、じっとしてて」
固く閉じた瞼の上を、光が撫でている。聞こえてくるシュウの声があまりにも切迫していたので、ジフトは仕方なく、恐るおそる瞼を開いた。真剣そのものの表情をしたシュウと、その手に握られた小さな輝石が見えた。目を灼く光は、輝石から出ている。眩しくて何も見えないはずの、光を受けているほうの目が、石を中心に像を結び始めた。しかし、左右で見える世界は同じではなかった。普段とは全く違う景色を映す瞳に戸惑っていると、シュウが輝石を拳の中に握り込んだ。光が、消える。
「シュウ、今のって……」
ちりちり痛む目を押さえて、ジフトは開きかけた口を閉じた。肩に乗ったシュウの手が、力なく落ちていく。輝石を握るその手が、震えていた。黒髪の下で、冷や汗が頬を伝う。爪立てるように顔を撫で下ろしそれを拭うと、深く息を吸ってシュウが目を開いた。空色の瞳だ。背後から、バートの声をがする。
「クソガキ共、積もる話は馬車ん中でしろ。機械宮に帰ってこいつの手当てをしないと、結構やばいぜ」
振り向けば、エオニウスが青服の一人に肩を借りて玄関口まで移動していた。大分血を失ったらしく、顔面蒼白だ。そのすぐ横、煤けた壁にもたれ掛かるバートの顔色も、決して良好とは言えない。紅い錠剤を取り出してはぼりぼりと貪っているバートを見て、シュウは二、三度頭を振ると歩き出した。慌てて、その後ろをジフトがついていく。一歩進む毎に半歩ずつ差が開くため、軽く駆け足になるとジフトはシュウの横につけた。
「なぁ、さっきの何だったんだよ? 教えてくれたっていいじゃんか」
「……機械宮に戻ってから話す」
若干俯きながら、ぶっきらぼうに返すシュウへ、ジフトは思い切り顔を顰めてみせた。なんで機械宮に戻ってから? 馬車でじゃ駄目なのか? と、抜きつ抜かれつ駆け足のまま尋ねるジフト。その様子を横目で眺めていたシュウが、ちらと視線を動かす。釣られてジフトもそちらを見ると、そこには気分悪そうなバートが居た。あの多分に不味くてしようがない錠剤のためか、能力の反動のためか、もともと良くはない目付きがさらに陰険になっている。来た時は一台しかなかった馬車が、今は廃墟前にひしめくほど停まっている。その中に、シュウがいつも使っているものも見えた。
あいつに聞かれたらまずい話なのか、と尋ねると、こくりとシュウが頷いた。といことは王国の秘宝に関する事なのか、と、胸中で色々思考する。考えているのがわかったのか、馬車に乗り込む寸前にシュウがこちらを向いた。
「ジフト、これは国家の危機なんだ」
そうだろうとは思った、そう返すと、シュウの眉間に皺が寄る。
「……同時に、きみの生命も脅かされてる」
「うん?」
確かに裏切った『花と短剣』から、命を狙われることにはなるだろうと、ジフトも予想していた。しかし、シュウはジフトが『花と短剣』に属していることを知らないはずだ。何故それにシュウが気づいたのか、と疑問を抱えるジフトの耳に、シュウの声が聞こえる。
「どうすればいいのか、ぼくには未だわからない――」
昇降口を登りきり、馬車内の壁に拳を当てて、シュウが押し殺した声を出す。もしかしてシュウが心配している生命の危険とは『花と短剣』とは別なのでは、とジフトは気付いた。灼熱の太陽は傾きかけ、建物や馬車は長い影を伸ばしている。対面になっている席に一人ずつ腰掛けると、ゆっくりと馬車は動き始めた。水晶の窓から外を眺めて、シュウが瞳に険しい色をうかべる。
人っ子一人いなくなった東の市が後ろに流れていき、ジフトが重い空気に耐え切れず、うずうずと何度も座り直し始めた頃。張り詰めた雰囲気はそのままに、漸くシュウが口を開いた。
「機械宮に着く前に、少しだけ話しておくよ。さっきぼくが使ったもの。ジフトはこれが何だか、知ってる?」
ポケットから輝石を取り出し、シュウが尋ねた。掌の上で淡く輝く石を覗き込むも、ジフトは首を横に振る。知らない、と返すジフトに、やはりそうかとシュウが呟く。好奇心に満ちた眼差しを輝石に注ぐジフトへ、シュウは説明を始めた。
「機械の操縦免許の区分、きみも知ってるよね? 第一種が純魔動機械まで、第二種が準魔動機械を操縦できる、って区分」
うんわかる、と、頷きながらジフトが言う。ねぇジフト、と、シュウの指が輝石を摘み、水晶の窓から射し込む夕陽にそれを翳す。透明度の高い石は、表面を綺麗に磨かれていて、よく光を通す。
「どうして機械は純魔動と準魔動に分けられてるのか、考えたことある?」
目線の少し上に翳した輝石を、シュウの空色の瞳が見つめている。窓から注ぐ陽光は、ときどき背の高い建物に遮られ、その度にちかちかと輝石は瞬いた。うーん、と、顎を触りながら遠い記憶を呼び起こすジフト。なんか聞いたことあるぞ、と、瞬く石に視線を向ける。
「確か……全部魔力で動いてるのが純魔動機械で、最初の駆動機だけ魔力で動かして、あとはその駆動機で作った電気で動いてるのが準魔動機械――だったっけ」
運び屋のおっちゃんが言ってたことの受け売りだけど。そう付け加えて、口を閉じる。そうだね、と、翳していた手を下ろし、肯定するシュウ。掌に転がる輝石は、陽光を失っても煌きを喪わない。淡い色を纏う固体を凝視するジフトの胸に、まさかという思いがふつふつと湧き始める。察したようにシュウが目を細め、一つ呼吸をつく。その手の上で輝石が躍る。その動き一つひとつに眼を奪われる。
貧困街の外れの外れ、ガラクタの山々。故障して捨てられた駆動機を数多見てきた。分解して機構を解析しようと、鉄屑の上を彷徨い、幾つ駆動機を集めたことか。
どれだけ集めても、分解しても、組み立てても、見つけられない部品があった。組み上げた駆動機は動かなかった。
――いや、単なる部品じゃなくて、燃料と燃料缶だったんだ。
ならば無いはずだ。それは回収されるのだから。次の駆動機のために使われるのだから。しかし、こんなに小さいものだとは。
ごくりと生唾をのみ込むジフトの前に、発光する石が差し出される。
「そう、これが魔石。『これ』が、都中の――いや、世界中の機械を動かす動力源。この小さな一欠片ほどに、二大大河を流れる水と同量の魔力を溜めておける。そして、それを取り出すことも」
見入るジフトの眼前で、輝石が強い光を放った。思わず腕で顔を庇うと、光が上方に向かって収束していく。恐るおそる腕を下ろした先には、まるで煙のように燻る光を出す輝石と、それを持つシュウの姿があった。空色の瞳が、淡く光を帯びた澄んだ目が、真っ直ぐにジフトを見ている。
「お、おまえ……」
「魔石に蓄えた魔力を取り出すには、相応の衝撃を魔力によって与える必要があるんだ。通常、準魔動機械には、燃料用の魔石と、それから力を引き出すための補助用魔石が隣接で設置されてる。燃料用のものに、常時微弱に魔力を漏出させている補助魔石をぶつけて、動かす分の力を引き出すんだ」
どれだけの力を与えるかで、引き出せる魔力の量が決まっているから、調節も容易い。そう、シュウが説明を続けながら輝石を転がす。強弱自在に光は馬車の壁に斑を作る。掌に在るのは、一つの輝石だけだ。ならばどうやって出力の調整をしているのか。不穏な予想が脳裏を過ぎる。眉間に皺を寄せるジフトの頬を、一筋の冷や汗が、伝い落ちて染みを作る。この世界には、と、シュウの唇が言葉を紡ぐ。
「――この世界には、体内に魔石と同じ成分を持ち、自らの意思で魔力を操れる生物がいる。伝説の竜然り、天馬然り、絶滅したと言われる天空鳥然り。微弱なものなら、この都の外にたくさん棲んでる、よく肉にされて食べられてるガウフだってそうだ。そして魔力を操る性質は、」
人間でも持っている者がいる。
零への収束。魔石は光を喪った。
一際大きく馬車が揺れ、曲がり角をまわって建物の陰へ入る。
仄暗い影の中で、空色の瞳が浮いていた。見開く円い目の淵を、汗が伝っていく。呼吸が上がる。
「ジフト、」
名を呼ばれ、座席の上に置かれた手が、びくりと跳ねた。無意識に窓の外へと視線を逃がすジフトへ、顔を背けるなと声がする。
「眼を逸らさずに、しっかりと見るんだ。きみの――瞳の色を」
視界の端で何かが瞬く。目を細めて視軸を動かした先には、小さな手鏡が在った。シュウの持つそれが、少しずつ上へと移動する。首から顎へ、顎から口へ、鼻へ、鏡がジフトの姿を映し出す。見開いた両目が映った瞬間、ジフトの喉が引き攣った音をあげた。
鏡に映る円い瞳は、片側が淡く緑に染まっていた。瞳孔の内側から、光が、滲み出るように。
夕陽に照らされた三階建ての廃墟。煤に塗れた室内は静寂に包まれていた。先程までは公爵の私兵で溢れかえっていたこの場所に、今残っている者は一人だけだ。階段下の闇の中で、ロザリア兵の青年、エミールは、膝を抱えて震えていた。
――いったい、何が起こった?
緑の混じった青い目を限界まで見開き、視線は落ち着きなく辺りを彷徨っている。白い強膜の上には涙という名の体液が零れ落ちそうなほど溜まっているが、それを舐めようとする小蝿はもういない。いや正確には、もう生きていない。熱に侵されて生命活動を停止し、彼の足元で天に腹を向けて転がっている。先程廃墟内を満たした焔のせいだ。腐敗した床の上で足を組む死骸をちらと一瞥し、エミールは震える手で携帯ナイフへ手を伸ばした。船を降りる時確かに装備したそれが、なくなっている。融解した革のホルダーが、ナイフが熱で蒸発したことを物語っていた。妹の名前を呟き、組んだ両手の上へ額を預ける。閉じた瞼の下で、つい先刻起こったことが、音声付きで再生される。
突如現れた『花と短剣』。マキナリーの闇を支配する存在に慄いている間に、正方形の奇妙な光が部屋を満たした。殺し合いが始まると身構えた次には、視界が炎に包まれていた。火の手が広がる直前の、聞こえてきた空賊頭領の詞。
――紅き焔の竜――契約――
『我が願いを妨げんとするものを滅せよ』
「……っ」
嗚咽を飲み込み、目を開く。煤けた膝が見えるだけだ。
――ほらふきが流した噂だと、与太話だと思っていたのに……。
噂は真実だった。あの女空賊は、『双頭の黄金竜』は、真に伝説の三竜と邂逅し、契約を結んだのだ。でなければ、こんな事が出来るはずがない。敵対する勢力の、武器だけを焔で蒸発させることなんて。
他の奴らにしても、あの背の高い金髪の青年――彼はおそらく蒼き氷の竜と契約を交わしたのだろう。終始ミランダに情報を送っていたし、何より隠れていた自分のナイフも溶かされていることが、それを如実に語っている。もう一人、……一人と呼んでいいのか判断に若干苦しむが、あれが着ていたのは黄金竜の鱗だ。本当に存在していたのだ。
嗚呼、と、エミールは喉から息と共に声を搾り出した。組んだ指を解き、両手で髪を掴んで掻き上げる。ぶちぶちと、橙がかった金髪が抜ける音がした。戦慄が、身体を満たしている。こんなの無理だ、と、血の気が引いた唇から独りでに声が漏れていた。無茶だ、勝てない、勝てるわけないじゃないか、と。
「伝説の三竜だぞ、『魔法』を使える相手だぞ? ……は、ははは、無理に決まってるじゃないか」
そんな相手が敵に回ってしまったのでは。髪を掴む手が震える。堪えていた涙が、ついに決壊して溢れた。透明な雫が腐った床に落ち、黒い染みが拡がる。マキナリー側に情報も漏れてしまった。作戦は完全に失敗だ、始まる前から。撤退しろと、皆に伝えなくては。でないと――皆殺しにされてしまう。
絶望に塗りつぶされた心を抱えて蹲っているエミールの耳に、近付く足音が入った。硬直する彼の鼓膜を、よく聞き知った声が叩く。
「エミール、居るなら返事をしてくれ」
あの親切な青年だ。張り詰めていた身体が緩んだが、喉は乾いていて咄嗟に声が出せなかった。それでも僅かに身じろぎした物音を聞き取って、青年は階段下へ近づいてくると、腐食したタペストリーを捲った。射し込む夕陽が目に痛い。眉を寄せるエミールの前で、青年は一瞬息を呑み、刹那の後に破顔してエミールを抱擁した。
「よかった、よかった……! 無事だったんだな!」
感極まり鼻声を出す青年の横髪は、べったりと血に濡れていた。外で何かあったのかと尋ねると、青年は声を詰まらせた。視線を横に泳がせ、重い口を開く。
「おまえとはぐれたすぐ後に、とんでもないことが起こったんだ。市に……『短剣』が出た。ばらばらの死体を持って」
どうやらあの鉄爪使いと女の『短剣』は、廃墟に来る前に一仕事終えていたらしい。死体を市にばら撒き、それに近づこうとする者を片端から始末していった、と、青年は俯きながら語った。騒ごうとした者も容赦なく殺し、市は静寂に包まれたという。
「俺はもう気が気じゃなかったよ。万が一にも殺されたのがおまえだったらどうしようかと」
ちょっと目を離した隙にいなくなっちまうんだからなぁ、と、何度目かのため息をついて青年が額の汗を拭った。謝罪するエミールに、無事ならいいんだと無理に笑顔をみせるが、今度したらぶっ飛ばすぞ、とも言って頭を小突く。
「まったく、いろんな意味で生きた心地がしなかったぜ。まぁ『短剣』はすぐにどっか行って、大量の警吏がその場をおさめてくれたけどさ。そのあとはなんかすげー爆発音してたけど。それにしてもエミール、なんでこんなところにいたんだ?」
唐突に振られ、エミールは固まった。逡巡の後、『短剣』らしき者が近づいてきたからここに逃げ込んだ、と、それらしい言い訳を口にしていた。青年が目を見開く。
「おいおい、よく無事だったな……。っというか、もしかしてここ、さっきの爆発があった場所なんじゃないのか? あまり熱くないから気付かず入ってきたけど、いろいろ吹き飛んだ跡とかあるし」
きょろきょろと辺りを見渡す青年に、エミールは身を乗り出し話を被せる。
「そ、それは……。それより、早く艦に帰らなくちゃ。『短剣』と、――作戦のことで、報告しなきゃならないことができたんだ」
作戦という単語に、青年がぴくりと反応する。何があったんだと尋ねられ、エミールは視線を泳がせた。
「あ、ああ、『短剣』の持ってた武器が、見たことないものだったから。君もみただろ? 薄茶の髪の男の子が使ってた、蜘蛛の巣みたいな武器だよ」
なるべく空賊と公爵の密談について触れないよう、濁すエミール。話を聞いて、青年は一層怪訝そうな顔をした。俺が見たのは違う『短剣』だな、との言葉に、足に刺青した女の子もいた、と訂正する。いいや、と、青年は首を横に振った。
「俺が見たのは、黒髪の少年だったぞ。銀の幅広ナイフを持ってた。仕組みはさっぱりわからんが、伸縮するんだよ、それが。切れ味がそりゃもう悪魔的でな。一振りするごとに人が死んでた――。あの身のこなし、魔法でも使ってるんじゃないかと思ったぜ。ほらこの血、俺の真横で人が斬られたんだ。真青な目でこっちを見られて、本当に死ぬかと」
黒髪青目なんて見たのは初めてだ、ありゃどこの血統かねぇ、とぼやく青年。そういえば公爵の私兵が雪崩れ込んできたときに、黒い髪の少年がいたような、と、エミールが一瞬回想した。が、そんなことで時間を潰している時間はないと、立ち上がって艦へと駆け出す。待てよと後ろで叫ぶ青年に、一刻を争うのだと返すと、エミールは脇目も振らず通りへ飛び出した。