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第二十三話 花と短剣、そして天下無敵 後編

 花と短剣。空賊頭領ミランダが発したその単語が、場の空気を変えた。――いや、正確には、それを聞いた梁の上の少年が纏う空気を変質させた。獣然とした表情の薄い顔から、さらに無駄な感情が削ぎ落とされる。見下ろす双眸に宿る眼光に、ジフトは、昨日の夜バートが見せたあの恐ろしい貌を想起した。善も悪も、同情も憎しみも関係ない。生命を奪い、貪り尽くす。


――死神の眼だ。


 そう、思った。

 対峙するミランダも、引けを取らない気迫を感じさせる。腰の長ものに伸ばしかけた手が、ぴんと張り詰めている。


 どうやら、自分にとって恐怖という感情は、緊張に似て長続きしないものらしい。

 抜刀するには分が悪すぎる、と、冷えた指先を手のひらに食い込ませた。梁の上まではゆうに鞘の数倍の距離がある。ただの剣では抜いて飛びかかるなど夢のまた夢。あの鞘に収まっているものが銃剣だったとしても、引き金を引くまでに彼女の首は飛ぶだろう。互が動かないこの時は膠着状態ではない。獲物をどう屠るか考える捕食者の前で、せめて痛みを抑えるために諦めという名の脳内物質を出すための時間だ。そしてそれは、あまり残されていない。


 人型機械の腕の中で、ジフトは上着の裾へ手を伸ばした。

 迷っている場合ではない。連れて行かれる場所を聞いたときから、こうなることはわかっていた。


――この手は、この拳は、


 身に付けた手袋が、甲に付いた輝石が、紅く妖しい光を発する。微かな息遣いとともに、殺意の籠った視線がこちらへ向く。睨み合うはかつての友、その顔に重ねて瞬くのは、幼馴染の姿。


「……何をしている、ジフト」


 おまえは『こちら側』だろう、と、頭上から声がかかる。問い掛けに無言で返し、ジフトは赤光に包まれた指を動かした。正方形だった光の塊が、賽の目状に分割されて空に散る。宙に漂うそれらを、梁上の刺客は苛立たしげに一瞥した。反抗が許されると思っているのか、と、少年は茶鼠色の髪を揺らし高圧的な声を出す。ぎり、と金属同士が擦れ合う不快な音がした。少年が苛立ちに任せて手に力を入れ、指に嵌めた指輪同士が接触しているのだ。


「おまえ、まさか――そうか、だから誰も糸に掛からなかったんだな」


 少年が気付いた。ジフトが紐刃の空白地点を敵方に教え、裏切ったことを。研ぎ澄まされた殺意に激昂の不純が混じり、空間を仕切る刃が震える。

 あいつは何か躊躇っている、と、自分でも驚く程冷静に、ジフトは相手の心情を分析していた。少年が攻撃をしてこない理由はわからない。が、今の自分達には好都合だ。小さな立方体に分けた赤い光を均等に宙に散らし、ジフトは視線を動かさず視界の端に意識を集中した。色がつかない白黒の視界端で、バートが眼帯を押さえて契約の言葉を唱えている様子が見える。薄紅色に脳が補完したその像が、こちらに向かって手で合図を送ってきた。この場に居る敵の数は、二人だけだと。

 バートの齎した情報から、ジフトは確信した。潜んでいるもう一人の敵は、ただの補佐だ。『短剣』が殺しをするときは、特別に事情でもない限り、相手より多人数で臨むのが常だ。名前の通り短剣や針などの近接攻撃を得意とする者が多いからだ。――だが、今梁の上に立つ少年、クラウは違う。少々仕掛けに時間が掛かるが、張った巣の中に獲物を追い込めば、一度に何人もの相手を殺めることができるのだ。そのことについてはジフトが一番よく知っている。

 公爵の部下とミランダ達空賊を始末するのに、『花と短剣』は、クラウ一人で十分と判断したのだ。

 それが、手痛い失策とも知らずに。


 鼠の鳴き声のような符丁を何度か使ってから、少年はもう一度ジフトの名を呼んだ。その声は、幾分落ち着きを取り戻している。


「――その手袋は、操縦着か。その妙な光……どうやら特別製らしいが……そんなものを見返りに裏切ったとして、後悔することになるのはおまえだぞ」


 侮蔑の眼差しを受けて、ジフトは少年を見据えたまま光の点を空中へ縦横等間隔に並べることに注力する。クラウの方も、怪しい動きをするジフトに対して威嚇攻撃を仕掛けることもなくそれを見守っているだけだ。床下からもう一人の『短剣』が、クラウに符丁を使って何かを伝えた。身体を引き摺る音がする。と同時に、バートが今度は別の合図を出してきた。

 つぅ、と、ジフトの頬を冷や汗が伝う。


 互いに、時間を稼ぎ合っている。

 今起こっているのは、水面下の攻防戦だ。


 クラウが仕掛けの位置を変えて紐刃の空白地点を移動させるのが先か。ジフトの立てた作戦が成功するのが先か。

 機関十五番。宮の廊下で公爵から託されたそれの使い方。馬車の中で覚えた仕様を脳内で反芻する。

 増援が来る前に、布陣さえ敷いてしまえば。あとはクラウが何をしようと全て手遅れだ。


――だって、紐刃のこの使い方は――


 永遠にも思える刹那に、思い出が蘇る。

 ロザリア側の検問所を抜けた先にある、小さな森。そこは街でよく食べられる鳥が営巣に来る場所の一つだった。ある日、クラウがジフトをそこに呼び出した。彼の弟が最近食欲がなく、好物のあの鳥肉をとって喰わせてやりたい、というのがクラウの願いだった。組合から猟用の網を持ち出すことが出来ないから、別の方法を一緒に考えてくれないか、という。クラウとも、その弟とも、当時よく遊んでいたジフトは、心配していたこともあって二つ返事で承諾した。そうして、試行錯誤の末に完成したのが、紐刃だった。

 仕掛けを作ったのは、ジフトだった。指先一つで刃を好きに動かせるように、クラウと共に日が沈むまで改良と実験を繰り返し、初めて仕留めた鳥の暖かさを、キアラに調理してもらった肉を届けた彼の弟の嬉しそうな表情を、今でも覚えている。――そしてその後すぐ、クラウは『短剣』に選ばれた。彼の持つ武器は、その範囲攻撃の有用性からすぐ重宝されるようになり、クラウの名は瞬く間に『花と短剣』中に知れ渡ることとなった。

 人殺しのために作った道具じゃない、と、良くない噂を聞くようになってから、ジフトは主のいなくなった巣の下でクラウに訴えた。青い隈に覆われた灰赤の瞳。倦んだ視線。ざわめく風と木の葉擦れ。

 紐刃あれで人を殺した金で、狩りをするより良い肉を買えるんだ。そう、クラウは吐き捨てた。背を向けられて見えた襟足の下には、真新しい刺青が毒々しく存在を主張していた。その日以来、クラウはジフトの前から姿を消した。次々と聞こえてくる恐ろしい異名だけを残して。


 だから、と、回想を振り切り、ジフトは拳を開いた。光の位置調整が終わった。

 だから建物の外壁に付けられた『仕掛け』を見ただけで、これから戦う相手が誰なのか、ジフトは理解してしまった。その利点も弱点も、使い手のクラウと同等、いやそれ以上に、わかっていた。仕掛けは、森で鳥を狩ったあの日のままの姿で、使われていたから。クラウがどんなに武器として紐刃について熟知していたとしても、技術的な欠点を覆すことはできない。


 灰赤の眼を眇め、クラウが遂に動いた。仕掛けの位置が変わったのだ。きりきりと刃と繋がった指輪を引き上げる。――が、標的を切り裂くはずの細い刃は、梁から下の部分が、微動だにしない。


「――?」


 険しい眉が一層深い皺を作る。もう一度だけ微かに指を動かし、事態を理解したのだろう、指輪を上から嵌めた革手袋を脱ぎ捨てようとするクラウへ、ジフトは鋭く警告した。


「動くな!」


 一拍。その後に。


「……頼む、動かないでくれ」


 赤光に包まれた手を宙に差し伸べたまま、ジフトはかつての友に懇願した。見下ろす灰赤の瞳が、怒りの炎で朱く染まる。警告も哀願も無視して、クラウは手袋を脱ぎ捨てた。空を飛んだ黒革の手袋が重力に負け、固定された紐刃の枝末から垂れ下がる。ほんの、一瞬にも満たぬ間。

梁の上から人影が消えた。


 歪む赤光。

 廃墟に響く金属音。


「貴様ァッ!」


 鉄爪をジフトの喉元に突き付けたクラウの咆哮が、空間を揺らす。

 血に飢えた爪は、しかし、真皮にすら届かぬ所で、止まっている。研ぎ澄まされたそれに絡みつくのは、先程まで彼が操っていたはずのモノ。


「今だ、斬れ!」


 ジフトの叫ぶ声。

 両腕を封じられたクラウがまた鉄爪付きの手袋を捨てる前に。

 廃屋の中を、閃光が走った。


「……ッ」


 目も眩む明度に思わず拳を眼前に翳す。閉じ切った瞳孔の隙間から入った光は、すぐに収束した。空賊頭領、ミランダのもとに。彼女が構える剣の、巨大な牙に似た刀身に。


「協力に感謝する」


 真紅の唇がその片端を吊り上げる。覗く白い歯がぬらりと光る。

 燃え盛る刀身の焔を反射して。


 白い指が、炎に包まれた刃の上を舐めるようになぞる。チリチリと、宙を漂う塵が燃える音がした。が、ミランダの指は火傷一つ負っていない。

 つう、と、刃を、唇と同じ真紅の血が伝った。火焔が、勢いを増す。


「古の戦士、大地の暴君――紅き焔の竜よ、この身が流す血は魂の代償、交した契約のもとに、我が願いを妨げんとするものを滅せよ」


 異国の言葉と共に、炎が膨れ上がった。紅の中に、金髪が踊る。


 眩しい光が空虚を満たし、窓を、扉を、天井を突き破った。轟音を上げて火柱が快晴の空を駆け昇る。


 炎の奔流に飲み込まれ、思わず息を詰めた。……しかし、辺りで暴れる火は身を焼くこともなく、呼吸に必要な酸素を奪うこともなかった。


――本物の火じゃないのか?


 眩さに薄目を開ける事しか出来ず、細い視界から周囲を確認する。まともに物も見えない。飛んできた木片がぶつかりそうになり顔を手で庇おうとする。直前で木片は消炭に変わった。業火に油を含ませた薪を投げ込んだ時のように。渦巻く炎は確かにものを燃やす力を持っている、と、ジフトは理解した。ただし全て無差別に燃やしてしまうのではない、とも。


 火焔の性質を観察する間に、辺りは沈火した。床や壁は、一部燻っているところもあるが、ほとんど無傷だった。しかし広がる視界は、炎に包まれる前後で確かに違った。ぶち抜かれた天井と窓から陽光が燦々と降り注ぎ、あらゆるものの真下に黒い影を作る。煤けた硝子を拭ったように、全てが鮮明に映った。そして、風景を切り分けていた細い紐刃。蜘蛛の巣のように宙で揺れていたそれらが、塵一つ残さず消えている。

 足元に燃え残った革の手袋を見つけて、ジフトはその場から後退りした。窓から吹き込む砂が、じゃりじゃりと靴底と擦れて鳴る。粒子が細かい傷を腐った床板に付ける。未だ赤光に包まれたままの拳が、汗に濡れた。声にならない音が、独りでに締まった喉から漏れる。

ほぼ同時に、鋭い金属音が耳元で響いた。身を強張らせるジフトの顔、そのすぐ横、黄金の腕が庇うように広げられている。少し離れたところには、取り出した覚えのない自分のナイフが転がっていた。


「……チッ」


 物陰からの舌打ち。聞こえてきた腐板の影へ、すぐさまバートの銃が火を吹いた。撃ち抜かれた衝撃で崩壊する板の後ろから丸腰のクラウが飛び出す。煤で全体が黒くなっていたが、それ以外は負傷も何もしていないようだった。その様子に安堵するが、クラウは丸腰になっても先程の宣言を実行する事を諦めていないようだ。ギラギラと灰赤の目を光らせて、バートの射線上に入らないよう気を付けながら、攻撃の機会を狙っていた。


 ちらり、と、ジフトは上着の裾裏を一瞥する。ほつれた布の下に、機関十五番の一部が見える。


――まだ、余裕はあるけど……。紐刃は蒸発しちゃったし――


 光に包まれた指は広げたまま動かさず。視線だけを背後に、空賊頭領ミランダに向ける。彼女の様子を確かめるために。

 バートが力を使ったときにそうだったように、ミランダもまた、なんらかの反動を受けているかも知れない、と。


「……」


 沈黙。在るは唯、静寂を震わす覇気。

 長い金髪が風に揺蕩う。


 空賊頭領ミランダは、剣の切先を床に刺し、その束に両手を乗せて威風堂々と直立していた。青緑の瞳はまっすぐに敵――クラウを見据えている。


――消耗はしてない?相手の出方を窺うつもりなのか?


 ミランダが追撃をするなら後方支援しようと考えていたジフトは、困惑した。

 揺れる焦げ茶の瞳に、ミランダの耳飾りが光る。きん、と、確かに音がなった。


「――ウィル!」


 同時か、遅れても刹那の間、ミランダの声が鋭く響く。

 すぐ傍で陣風が巻き起こるのを、感じた。白昼の中、火花が瞬く。金属と金属がぶつかり合う、火花が。


「あ……」


 眼を、再び奪われてしまった。身体を撫ぜる生温い風に煽られて、鳥肌が立つ。風を遮ってくれた壁はもう無い。壁は、自立制御の等身大の人型機械は、麻の外套を脱ぎ捨てて、戦っていた。ミランダの足元から、床を破って現れた襲撃者と。

 ミランダを中心に散る火花を眼で追いながら、ジフトは生唾を飲み込んだ。


――速い。


 現れた襲撃者の剣捌きが。そして、それ以上に、あの黄金の人型機械が。


 決着は、早かった。


「ぅあッ」


 小さな呻き声を上げて、襲撃者の身体が弾き飛ばされる。砂埃を上げて床の上を慣性で引き摺られて。ミランダが機械を呼んでからこの間、僅か数瞬。

 攻防に見惚れていたジフトは、足元に転がってきた襲撃者の姿を見て正気に戻った。


「えっ、ア、アスエ?」


「あっ、ジフト……。えへへ」


 擦過傷だらけになった腕が上がり、長く艶やかな茶髪を掻き上げる。目元に薄く朱を引いた、少女の姿がそこにあった。化粧で大人っぽく見えたその顔も、ジフトの知るものだった。こっちはキアラと仲が良かった少女。記憶が確かなら、キアラと同い年のはずの。

 へへー、 負けちゃった、と、少女は大人びた外見に似合わず溶けるような笑顔でゆるい声を出した。絶句するジフトの足元で、少女は両手をあげて降参の意思を示す。止めを刺そうとしていた人型機械が、動きをとめた。


「お、おまえ、なんで……どうして……?」


 動揺で息が乱れて後退りするジフトへ、少女は首を傾げる。しなをつくるように倒れた少女のスカート、その切り込みから覗く太腿には、毒々しい原色の刺青が刻まれていた。鮮やかな『花』と、そして『短剣』が。


「ん? 何? ああ……コレ。あたしどっちの素質もあるんだって、フレン婆ちゃんとジョー爺さんから言われたんだもん。成れるなら、両方成っちゃおうって思ってぇ」


 世間話でもするように、ごく自然体で、微笑みながら少女は刺青を指した。少女のすぐ近くには、一緒に弾き飛ばされてきた武器が転がっていた。この廃墟の基礎にあったものだろう、錆びた鉄の棒。ついさっき引き抜いたのか、乾ききらない泥が付着していた。戦いでついた傷の部分だけ錆が剥がれ、眩しい。

 言葉を失い立ち尽くすジフトの前で、少女は髪を掻き毟った。


「あぁー、でも、こんな失態やらかしちゃったら降格されちゃうよー! ヤダやだ、せっかくお金貯めて読み書き詩踊覚えて芸身につけようとしてたのにー! 『短剣』の仕事も減ったらズル休み出来なくなる……『みせ』で客とらされ続けるだけの暮らしなんかに戻りたくないよぉー! ……こんなはずじゃなかったのにィ……全部あんたのせいだからね! クラウ!」


 表情を一変させ、少女は物陰を移動する仲間を睨んだ。急に責任を押し付けられたクラウが、影の中でギラつく目を不快そうに細める。そのすぐ横を、弾丸が掠めた。さっきから何発も外している。敵を警戒しつつ、ジフトはバートの様子を窺った。眼帯の奥から溢れていた青い光が消えている。


――まずい、時間切れだ。


 血の気の引いた唇から出る浅い呼吸、吹き出て輪郭を伝う汗。見ただけで、バートの体力が限界に達しつつあるのがわかる。力を使った反動がやってきたのだ。笑う膝を地につかないのは、彼の最後の意地なのか。

 震える手で銃弾を装填しようとするバートに、クラウも気付いた。仄暗い闇の中から、一歩、にじり寄る。短い符丁を少女に送り、それを受け取った少女は喚くのをぴたりと止めた。


 廃墟の窓から、遠くで響く警笛の音が届く。静寂に包まれていた広場を、抑えたざわめきが満たす。それに紛れて、廃墟へ近づく足音。こちらへ、一直線に向かってくる。


 本能が、警鐘を鳴らした。


 耳に聞こえるのは、砂利を踏む軽い、そして間隔の短い音。大人では出せないその音から、近づいてくるのは子どもだと判断できる。窓から入る風に、鉄の臭いが混じる。

 ぞわり、と、ジフトの日に焼けた肌が粟立った。


 他の『短剣』だ。


 おそらく、先程ミランダが廃墟の中で放った炎の柱を見て広場から駆け付けたのだろう。

 ジフトの鼓動が、一気に速まった。


 逆転した形勢が、また元に戻ってしまう。

 ……いや、それよりも悪い。


 手袋の輝石から出る光をこっそりと操作しつつ、ジフトは周囲の状況を確認した。バートは、一応銃弾を装填できたようだが、既に立っているだけで精一杯のようだ。エオニウス――うずくまっている公爵の部下の男性も、出血のせいかかなり顔色が悪い。ミランダは見た目に出ていないが、わざわざ斬り合いをあの人型機械に任せたところをみるに、今は動けないのだろう。――つまり。


 ごくり、と、思わず喉が鳴った。


 今、まともに動けるのは自分と、あの黄金の機械しかいない。

 対して、敵方は――クラウは武器を失っただけ、アスエも擦り傷だけで他は無事。更に外から一人、別の『短剣』もやってくる。


 瞳孔が縮拡を繰り返し、くらくらと視界が揺れる。こめかみを冷たい汗が幾筋も伝った。……読み間違えた。戦略を。後悔などしている場合ではないとわかっても止められないジフトの耳に、割れた窓から、走ってくる者の声が聞こえた。


「――ジフト!」


 すこし息切れた甲高い少年の声が、ジフトの名を呼ぶ。思わず声のするほうへ振り向く目に映ったのは、砂塵の壁を抜けて現れた人影の、風になびく黒髪だった。

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