第二十一話 運命の出会い
揺れる空、車輪の音。ジフトと空賊の青年、それに公爵の部下はひとつ馬車の中に黙って座って東の市へ向かっていた。
昨日の夜乗った馬車と違い、進行方向順の座席の四人乗りなので、窮屈な居心地の悪さをジフトは味わっていた。公爵の部下の後頭部を眺めるジフトの隣で、空賊の青年、バートが聞きなれない言語で延々独り言を呟いている。内容はさっぱりわからないが、表情から察するに愚痴に間違いないだろう。
少しだけ身を捩り、ジフトは手の平に滲む汗を拭った。この二人には、話せることを、全て話した。あとは到着してからからどうなるか、だ。
じっと座っているだけだと気分が沈みそうになるから、ジフトは窓枠に手をかけて外の景色へ思いを馳せた。流れていく建物の間からは遅い昼食を準備する煙がたまに上がっている。
――きっと今頃は長屋でも飯食ってるんだろうな……。
道端の階段で親子が仲良く弁当を食べている。その様子を見て、ジフトはふっと目を細めた。
そういえば昨日はキアラの料理を食べ損ねた、と、はたと気付いてジフトは窓枠に額をつけた。食あたりでも起こしたか、とバートが声をかけてくるのに首を振る。
馬車の中にも、街にただよういい匂いが入ってきた。
さっきたらふく食べたばかりなのに、ジフトはごくりと口内に溜まってきた唾液を飲み込む。
そうだ、さっきは全然味わう余裕が無かった。
食い過ぎで膨らんだ胃の形を腹をさする手の平で感じながら、ジフトは窓から見える空を見上げた。
――別に、キアラは特別に料理が上手いってわけじゃないけど、
突き抜けるような青空に、いくつも竈の煙が上がっている。
――あいつは、いつも俺の好みの味のを作ってくれて、それに、
窓枠に寄りかかり、眩しい太陽を仰ぐ。日輪に重なって、幼馴染みの笑顔が浮かんだ。
――やっぱりあいつが作って、あいつと一緒に食う飯が、一番美味いんだよな。
遥か天空を鳥が弧を描いて飛ぶ。鋭い鳴き声で夢うつつ状態から戻ってきたジフトは、それでもはっきりと飢えを認識していた。いや、腹はもう完全にいっぱいだ。これ以上何か入る余地など一分もない。でも、物足りないというこの気持ちはいったい……。
困惑する思考は、馬車の急停車によって止められた。
「……着いたか」
公爵の部下エオニウスが、躊躇いもなく戸を開き下車した。我に返ったバートが負けじと勢いつけて外に出ていく。二人の背中をのそのそと負いながら、ジフトは機械宮へ振り返った。キアラは今、あの中にいる。
「……」
ぬるい風が頬を撫でる。
煌めく機械宮の姿を見つめながら、もう一度キアラの手料理が食べられたらいいな、と、ジフトは朧な夢を抱いていた。
東の市の裏、廃墟の内階段。硝子の無くなった窓からは、燦々と陽光が差込んで、階段の下に濃い影を作っている。
――来た。
階段下に身を潜めていたロザリア軍の兵士――エミールは僅かに身じろぎした。少し離れたところから馬車が止まる音が聞こえ、複数人の足音がこちらへ近づいてくる。
暑く狭い場所でじっと待機していたエミールは、顎を伝う汗を拭った。
――と、いうことは、もうすぐ三時になるのか。
確か、三時になったら班は集合する予定だったはずだ。万が一にも一緒にいた青年や他の班員にみつかって連れ戻されないよう、エミールはあれから待ち伏せする場所を建物の中へと移動していた。
ぎい、と錆びた蝶番が軋む。扉が開く。
現れた面子を見て、エミールの緑がかった青い目が僅かに眇められた。
まずはロザリア人の、国民平均と比べても頭一つ背の高い青年。風体から見て、彼が『双頭の黄金竜』一員のバートとみて間違いないだろう。銃をかまえているその姿に一瞬身がすくんだが、相手はしばらくこちらに目を凝らしたあと何事もなかったように奥へ進んでいった。闇の中から様子を見守るエミールの、半開きの口からほうと安堵の息が漏れる。
二人目は――身なりのいいアガシャ人の男性。まさかマキナリーの公爵が自ら交渉の現場に赴くとは思えないから、おそらくは代理として来た部下なのだろう。
そして三人目。
――何だ、あれは?
思わず階段下の影の中から首を伸ばし、エミールは二人の男性の後ろから現れた人物を凝視した。
少年だ。
――空賊一味の一人か? いや、それとも公爵の部下……?
錆と埃と油汚れで黒茶けた、アガシャ人の少年。大きな焦げ茶の円い目が妙に印象的だが、それ以外はただの薄汚れた少年である。さっき広場ですれ違っていたとしてもまず気に止めないだろう、というくらいの。
そんな至って普通の少年が、なぜ空賊とマキナリー公爵の交渉の場に? と、エミールの頭の中で疑問符が点滅する。そして、はたと思い出した。
――あの子が、ミランダ達から羅針球を盗んだ――
そして『意思を持つ壁』と契約した、少年。
思わず生唾を飲み込むエミール。
ではあれが、『壁』と、付随する機関を操る手袋なのか、と、食い入るようにエミールは彼を見つめた。……昨日、上官の部屋で見た資料とは若干異なっているようだが――
少年を凝視するエミールの胸中に、言い知れぬ不安が渦巻いた。
――何だ? なぜこんな胸騒ぎが……。
急に涼しくなった気がする、と、エミールは少年へ集中していた意識を分散させ周囲の音に耳を澄ませた。
――喧騒が、さっきまでと違う?
音の質が、変わっている。先程までは壁越しにも商人の客引きの声、がなり立てる取引の声、金貨銀貨の触れ合う音に準魔動機械が闊歩する音が体感温度を上げるほど聞こえていたのに。
音は、ざわめいていた。息をひそめて、声を落として、囁く音が重なりあって微かに聞こえる。
エミール、と、遠くであの青年が自分の名を呼ぶ声がはっきり聞き取れるほどに。
どこかから、小さく引き攣った誰かの悲鳴が聞こえた。
――今のは――
意識をそちらへ向けようとした瞬間、閉まっていた扉が音を立てて開いた。
真紅の外套、流れる金髪。
双頭の黄金竜頭領ミランダが、側近を従え不敵に微笑んでいた。
戸口から聞こえた音に振り向いて、ジフトは一瞬にしてそこに立つものの虜になってしまった。
思わず声を詰まらせるジフトの背後、公爵の部下エオニウスが一歩進んで口を開く。
「貴殿がミランダ=プレテンスか」
「いかにも。貴公は――リオナード=セシル公爵ではないようですね」
金髪をなびかせて、空賊の頭領はこちらへ近づいてくる。外套の前は空いていて、大胆な開襟の服を来ているのがわかる。装飾具の類は着けていなかった。
我が名はエオニウス、セシル公爵の代理で交渉にあたるためここへ来た、と、公爵の部下が名乗った。ミランダと呼ばれた空賊頭領の金色の眉が片方、ついと上がる。
「なるほど。承知しました。では早速、昨晩の話の続きをしたいのですが――」
エオニウスに注がれていたミランダの視線が、ジフトに移った。黄緑の瞳にみつめられても、ジフトは呆けた顔のままだ。視線も意識も、ミランダの、その背後に居るものに全て奪われていた。
――何だ、あれは。
麻の外套から覗く、金色の鎧。鋭い爪。黒い強化硝子で覆われた頭部前面が、僅かな光を鈍く反射する。外套の合わせから除く首元は、頭部から伸びた配線が筋繊維の如く剥き出しになっていた。
ぞくり、と、背中を走る震え。知らず握り締めた拳は、己の手の平に爪を立てるほど力んでいた。興奮を表に出さないようにするだけで精一杯だ。
人型の機械だ。
動いているものなんて初めて見た――そうジフトは胸中で呟いた。それも、今まで見てきた機械の中でも群を抜いて精巧だ。さっきの歩き方なんか、重心の移動の仕方といい、僅かな関節の動きや捻りといい、まるで本物の人間みたいだった。
――どうやって動いてるんだろう。
握り締めた拳が、今度はゆっくりと開いて、勝手に指が動き出しそうになる衝動にジフトは堪えた。歩いた時の音と地面の振動からすると、ただの機械ではないようだ。あの大きさにしては振動が殆ど感じられなかった。少し、軽い、はずだ。若しくは、足音を忍ばせるほどの技術が詰め込まれているか。
――中身が、あれの中身が知りたい――!
瞬きもせず人型機械を凝視するジフト。その様子を見たミランダが、紅を引いた唇の両端を上げてほくそ笑んだ。正面に立つエオニウスが怪訝な顔をしている。
「――失礼しました。では、まず公爵の返答を聞きましょうか」
返答なら昨日伝えた通りだ、と、エオニウスが返す。ミランダは再びジフトに一瞥をくれると、涼やかな目を公爵の部下に向けた。もっと良い返答を期待している、と言ったはずですが……、と、挑発するように首をかしげた。むう、と、エオニウスが唸る。
「既に警告したが、貴殿らはアガシャ王国セシル公爵領マキナリーの領域を侵犯している。これはアガシャ・ロザリア停戦協定第三条一項への明確な違反であり、アガシャ王国領治法第三部二六条の規定によれば武力制裁を行うのが妥当なところだ。猶予を与え、このような交渉の場を設けて対価を払う事自体が既に譲歩の最大限度だ」
その発言は貴公の考えであって、公爵の思惑とは別のものでしょう、と、ミランダが返す。考えではない、規定だ、と、大真面目な顔でエオニウスが返した。やれやれと、ミランダが暑そうな上着をさらにはだけさせた。と同時に、口調も砕けたものになる。
「はぁ、これじゃいつまでたっても平行線になっちゃうわ。昨日最初に無線をかけてきたのは貴方ね? 堅苦しすぎて交渉の前に窒息死しちゃいそうよ。お互いもう少し腹を割って話さない?」
「違法な状態が適法に回復するまで、これ以上の譲歩は出来ない」
対してエオニウスは頑として姿勢を崩さない。マキナリーから出て行ってほしいなら出ていくわよ、と、ミランダは肩を竦めてみせた。
「……でもね、アタシ達だけが国境から退いたとしても、貴方たちは困るんじゃない? 双頭の黄金竜はいなくなっても、それを狩るためにでてきたはずのロザリア軍戦艦ヴィース、ミサイル艇コントルティとスタットは国に帰らないわよ。それが分かっているからこそ、貴方の主人のセシル公爵は、アタシ達を取り込もうとしてるんじゃなくって?」
そこだ、と、エオニウスは不快そうに顔を歪めた。
「お前達空賊とロザリア軍は繋がっている。どんな理由があってかは知らないが、賊、それも敵国と協力関係にあった輩と手を組むなど、いつ背後から切り掛ってくるかも知れぬ。私の考えを述べるとすれば、そのような危険な手段は取るべきでないと、ただその一点だけだ」
なるほど、信用してもらえないのね、と、ミランダは肩を竦めてみせた。悲しそうな表情を浮かべるミランダ。エオニウスは相変わらず眉一つ動かさなかった。そのまま無言を貫く公爵の部下に、ミランダは懐から白い封筒を取り出す。
「いいわ。それなら証拠を見てもらいましょう。……これは、ロザリア軍上層部からアタシ宛てに届いた通達よ。この中に、今後ロザリア軍がどう動くかが書いてある。どんなことが書いてあるか、その目で確かめてみて」
封筒を受け取り、エオニウスが中を検めた。出てきた用紙に書かれた文字を、視線が追う。
緊迫した空気の中、ジフトは一人、取引のことなど全く無視してミランダの背後に立つ機械に視軸を固定していた。駄目だだめだと自分を戒めても、ふらふらと足が人型機械の方へ吸い寄せられていく。
何か変だ、と、思考が纏まらない頭でぼんやりとジフトは思った。視界の中で、人型機械はきらきらと輝いている、――ように見える。実際は扉も閉まり、それの立っている場所は廃墟の中でも暗いところだ。いくらあの金色の外装が光を反射するとしても、今見えているように、眩しいほどというのはおかしい。いや確かに過去に何度か、憧れの型の機械を見たときにはこんなふうに光り輝いて見えたものだが、それは見る方の心情を加味した程度のことで、これほどまで視覚に心情が影響することなど初めてだ。
――あれ? でも前、どこかで……。
似たようなことがあったような。
視界の端で靡く金髪の房を見て、ジフトの脳裏に数日前の記憶が蘇る。空賊の頭領ミランダから財布を盗ったときの光景。
あの時は、彼女が光り輝いて見えた。別に惹かれはしなかったが。
釘付けにされた視線を、ジフトは無理矢理引き剥がしてミランダへと向けた。空賊頭領は、派手な赤い外套の上で輝くような金髪を靡かせていたが、あの日のような輝きは失せているようだった。代わりに今、強力にジフトの眼を引くのは。
――あの機械の首に、何か掛かってる。
少し冷静さを取り戻した頭で、再びジフトは機械を見つめた。先程は光に目がくらんでよく見えていなかったが、機械は首から何かぶら下げていた。金の鎖が、剥き出しの配線の上で一際怪しく輝いている。よく見ようと目を凝らすジフトの思考が、再び霞がかりはじめたその時。
「これは……ここに書かれていることは、本当なのか」
それまで鷹揚を貫いてきたエオニウスが、動揺に震えるて尋ねる声が、聞こえた。




