第二話 空賊の影
目の前の美女にジフトが見惚れていると、すぐ近くの曲がり角から大勢の走る足音が聞こえてきた。豪奢な服を着た女性が素早く角を盗み見て、ジフトの背後に立つ青年に目配せする。
「ずらかるよ」
凛とした声に命令され、青年はジフトの頭に突きつけていた武器を下ろした。視界の端にちらりと見えた青い躯体に、ジフトの眼が釘付けになる。裏通りの骨董品屋で見たことがある、大口径の弾倉回転式銃だ。八年前の大戦で、製造技術が失われてしまったその銃は、たとえ動かなくても好事家の間で高値で取引されている。動くものは一丁で豪邸が買えるとの噂もあった。
手入れの行き届いた銃身が日光を反射して、青年は女性の後を追う。人だかりの向こうへ彼らが消えたと同時に、いたぞ! と声が上がった。
「ミランダ一味の紋章を持ってる――あの少年を捕まえろ! 」
口ひげを生やした男性が、ジフトを警棒で指した。首を傾げるジフトに、警棒を構える警吏が次々襲い掛かる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺はそんな奴のこと知らないってば」
問答無用で振り下ろされた警棒をひらりとかわし、ジフトは気付いた。手に握る財布を見ると、双頭の黄金竜の紋章がしっかり縫い付けられていた。赤い宝石でできた竜の目が、日光を反射してキラキラと輝く。
紋章ってこれか、そう呟くジフト。いたずらっぽい焦げ茶の目が、警棒を握り締める警吏達を一瞥する。
このまま捕まると、面倒なことになりそうだ――。
迫ってくる官吏達の輪にじりじりと追い詰められ、背中が民家の壁に当たった。汗の滲む背中に、砂埃がくっつく。もう逃げられないぞ、と得意顔で警吏の男性が口ひげを弄り始めた。ジフトの口端がにやりと上がる。
「――! 」
一番小柄な警吏の頭に両手をついて飛び越えると、ジフトは雑踏の中を駆け出した。驚いて振り返る人々の顔が、あっという間に後ろへ過ぎていく。待てと叫ぶ警吏の声がして、大勢の走る足音が近付いてきた。
――撒けそうにないな。
逃げ切ることは諦めて、ジフトは隠れる場所を探すことにした。屋台でごった返している本通りをくまなく視線が走る。
機械と人が行き交う波の僅かな隙間を見つけて、ジフトは再び走り出そうとした。人型機械の影から黒髪の少年が飛び出し、ジフトにぶつかる。
「うわっ」
「わぁ! 」
竜の紋章の財布を取り落としそうになり、ジフトの体が傾いだ。そこへ重心を乱した少年が倒れこむ。地面に尻餅をついたジフトは、あっという間に警吏達に囲まれてしまった。縄を持って近付く警吏の一人が、意地の悪い笑みを浮かべている。
「もう逃がさんぞ。あの女空賊がどこにいるか、きっちり吐かせてやるからな」
「だから、俺は空賊のことなんて知らないって――」
ジフトの言葉を、起き上がった少年の腕が遮った。手を広げてジフトを庇う少年に、警吏達は不審げな眼を向けている。その肩に縫い付けられた紋章を見て、髭を生やした警吏の顔色が変わった。
「彼は空賊なんかじゃありません。この財布は、重要な証拠として、ぼくが彼に預けたものです」
大人の、それも警吏に囲まれているにも関わらず、黒髪の少年はきっぱりと言い放った。円い目をさらに円くして、ジフトが少年をまじまじと見詰める。青地に白の縦線が入った少年の服は、ジフトの知らないどこかの制服だった。
若い警吏が不満そうに何か言いかけたが、口ひげを生やした警吏がそれを止めた。まだ両手を広げている黒髪の少年に、警吏が恭しく礼をする。
「これはこれは、とんだ失礼を致しました。我々は独自で調査を進めますので、どうかごゆっくり御観光をお続けください」
それだけ言うと、警吏達はそそくさと人ごみへ散っていった。状況が飲み込めず辺りを見回すジフトの腕を、少年が掴む。好奇の眼を注ぐ民衆から離れようと、路地裏へと向かう少年。道に落ちているごみを踏まないように歩く少年に、ジフトは焦げ茶の瞳を向けた。黙々と歩く黒髪の少年は、ジフトの手を放す素振りも見せない。
「……あのさ」
俯きながら歩く少年に、ジフトは声を掛けた。はっとして、少年が振り向く。街では珍しい真黒な髪が、照りつける正午の日差しを眩しく反射した。どこまでも澄み渡る空のような瞳が、ジフトを見詰めている。
不思議そうに首を傾げる少年の前で、跳ねた髪を弄ると、ジフトは満面の笑みを浮かべた。
「助けてくれて、ありがとな! じゃ、これで」
「え? ……あ、はい」
一瞬戸惑った少年の手を振りほどき、そのままジフトは本通りへと続く商店の扉をくぐろうとする。日に焼けた腕を少年が掴み、ジフトを引き止めた。開きかけた扉が閉まり、魔よけの銀の鈴が涼やかな音を立てる。
「――なに? 」
「あの、その財布……」
黒髪と対照的な空色の瞳が、言い難そうに財布を見る。ジフトも自分の持つ財布を一瞥した。双方無言のまま、正午のぬるい空気が裏路地を抜けていく。
沈黙を破ったのは、黒髪の少年だった。利発そうな顔を少し顰めて咳払いをして、少年が懐から金の懐中時計を取り出す。文字盤がよく見えるように時計を持ち直すと、少年は口を開いた。
「この時計と、交換してくれませんか」
じゃらりと音を立てて垂れる金の鎖に、目を円くしたジフトの顔が映りこんでいる。手に握った財布と金の懐中時計を見比べて、ジフトはごくりと喉を鳴らした。あと一押しだと感じ取ったのか、黒髪の少年は時計をさり気無く後ろに隠して残念そうに呟く。
「おっと、すみません。もう宿に帰らないと……。まだ警吏がうろついてますから、お気をつけてくださいね」
黒髪を揺らして少年は踵を反した。細かな鉄くずが舞い上がり、そしてすぐ地面に落ちる。雑踏の中へ消えようとする少年を見て、ジフトは慌てて後を追った。足音に気付いた少年が立ち止まり、ジフトには見えないように、ほくそ笑む。
「待てって! なぁ、おまえさ――」
「はい、なんでしょうか? 」
後ろから呼び止められ、少年がゆっくりと振り返った。思惑通りに事が運んだと満足そうに細められた瞳が、ジフトを見て怪訝そうな色に変わる。振り返ったそこには、ジフトが焦げ茶の瞳を好奇心に輝かせて立っていた。
「その時計、初めて見る造りの時計だ。もしかして首都からの旅行者――? 」
嬉しそうに顔をほころばせて尋ねるジフトの前で、少年は驚いて懐中時計に眼を向ける。文字盤の中の秒針は滑らかに動き、時の流れは止まることなど無いと教えてくれている。
「え、ええ……。これは今年の半ばに首都で出回るようになった水晶時計です。でもそれが何か――」
急に言い当てられて言葉を詰まらせる少年の返事を聞いて、ジフトの顔が明るくなった。やっぱりそうなんだ、と嬉しそうにひとりごちるジフトの前で、少年も思案を巡らせる。ジフトの手中にある竜紋の財布を見詰め、少年は空色の双眸を窄めた。
ひとり浮き足立っているジフトに、少年が黒髪を揺らして咳払いをしてみせる。懐中時計を懐にしまうと、少年は裏のある声でジフトに話を持ち掛けた。
「機械に興味があるのでしたら、ぼくの泊まっている宿にきませんか? 首都から持って来た新しくて珍しいものが、たくさんありますよ。――ただし、その財布を渡してくれないと、お見せすることはできませんが」
再び目を輝かせるジフトの前に人差し指を突き出し、少年が片方の口端を上げて笑った。竜の紋章がついた財布に一瞬だけ視線を落とし、ジフトが頷く。足取り弾ませてジフトが近付いてくるのを見ると、少年は意味深な笑みを浮かべたまま踵を返した。
黄金色の太陽が照らす目抜き通りの中央を、ジフトと黒髪の少年が歩いている。もう警吏たちに捕まりかけた所から随分と離れ、歯抜けのようだった町並みが段々と一定の軒高へと整っていく。まるで巨人が定規で測って切り取ったように水平な屋根々々を見上げ、ジフトが焦げ茶の瞳を窄めた。
すぐ横を黙々と歩く少年にジフトの眼が向かう。
「――なぁ、まだ宿に着かないのか? 」
「もうちょっとですから」
ぶっきらぼうに言う少年に、ジフトは肩を竦めて頭を掻いた。日傘を差した高貴な服の女性が、錆と埃で汚れきったジフトを冷たい眼で一瞥する。いつのまにか、通りを賑やかしていた機械や売り子の姿は消えて、着飾った男女とそのお供が目に付くようになっていた。
見慣れない光景に、ジフトは落ち着き無く辺りをきょろきょろと見回している。
「だけどさぁ……中心部は貴族が住むところだぜ? 旅の宿なんてこっちには無いと思うけど」
煤けた鼻の頭を掻くジフトの目が、ある一点に釘付けになった。周りの建物より一際背の高い真鍮の門が、目抜き通りの奥で存在を主張していた。強い日差しを反射する巨大な半円の門が、眼を丸くするジフトの前で変形していく。まるで甲虫の羽のように開いた門の向こうには、目を瞠るような緑の庭園が、錆だらけの街とは対照的に広がっていた。
思わず言葉を失って後退りするジフトに、少年が少し自慢げに笑って門の向こうを指す。
「あそこがぼくの泊まっている宿、機械宮です」
「宿――っておまえ、あれ、城じゃないか! 」
少年の言葉にジフトが我を取り戻し、機械の門の向こうを見て口をぱくぱくと動かしている。二の句が継げないジフトの目に、少年を迎えに来る馬車が映った。
「財布を見られると都合が悪い。隠しておいてください」
少年に耳打ちされるがままに竜紋の財布を後ろ手に隠し持つジフト。その一瞬後に、馬車から少し質素な服を着た女性が出てきた。
「お帰りが遅いので心配していたのですよ。……あら、そちらの方は? お友達かしら」
落ち着いた灰色の瞳に見詰められて、ジフトが肩を強張らせる。財布を見られやしないか緊張するジフトと違って、少年は女性に帽子を渡すとさっさと馬車に乗り込んだ。水晶を薄く削った窓の向こうから、少年がジフトに乗れと目で合図を送っている。
不思議そうにこっちを見ている女性と、馬車に乗った少年とを困り顔で交互に見詰めるジフト。服に付いた砂埃を払うと、ジフトも馬車に乗り込んだ。車内は二つに区切られていて、質素な服を着た女性は前方の席に乗り込んだ。
涼しい顔して宮内の庭園を眺めている少年に、ジフトが呆れた声を出す。
「おまえ……何者? 」
「ガイアから来た、ただの観光者ですよ」
質問をさらりと流すと、少年はまた窓の外の景色に眼を向けた。極彩色の果物が実る庭を眺める少年の空色の目に暗い影を見て、食い下がろうとしていたジフトの口が閉じた。小洒落た馬車の中で、少年はじっと外を眺め、ジフトは居心地悪そうに体を縮こまらせている。
やがて、馬車は城の前で止まった。特殊な塗料で覆われた真鍮製の外壁が、日の光を受けて青白く輝いている。幾何学模様に色づけされた硝子窓は、まるで訪問者を見下ろす眼のようだ。雲に届きそうなほど高い屋根の上には、くるくると回る不思議な球体の仕掛けが浮いていた。
馬車から降りたジフトが城の外観に圧倒されていると、こっちへ、と少年の声がした。しゃなりしゃなりと歩く質素な服の女性の後ろで、少年が手招きしている。駆け足で少年の横につくと、前庭で遊んでいた子どもたちがジフト達を指してクスクスと笑った。思わず鼻の頭を擦って汚れを落とそうとするジフトに、少年が冷めた声を出す。
「ああ、気になさらないで。あなたを笑ってるのではありませんから」
「え? でも――」
なかなか落ちない黒い染みを擦りながらジフトが反論しようとしたが、少年がまた暗い表情をしているのに気付き、口を閉じた。黒髪を揺らして黙々と歩く少年を、茶色の頭を掻きながらジフトが追いかける。突然自分を助けてくれた黒髪の少年を不審に思いながらも、ジフトの心はあっという間に機械仕掛けの城の虜になってしまった。
植物を模った細かな彫刻を施した、独りでに開く機械仕掛けの扉。操る人もいないのに動く茶菓子を載せた盆。長いながい回廊は、埃一つ落ちていない。体から落ちた砂埃が回廊の端にある溝へ移動するのを見て、ジフトは焦げ茶の目を円くした。
女性に案内されて、ジフト達は突き当たりの扉の前に着いた。優雅に一礼した女性は、飲み物を持って参ります、と言って回廊を戻っていった。懐から小さな金属の正四面体を取り出す少年に、これから何が起きるのかとジフトが目を輝かせる。それに気付いた少年は不思議そうに片方の眉を上げて、正四面体を扉の一箇所に当てた。正四角形の金属板が押され、窪みができて正四面体が中に吸い込まれる。金属が擦れあう音が廊下に響き、正四面体が吐き出されると同時に扉が開いた。
おおー、と感嘆の声を上げるジフト。金属の鍵を懐にしまいながら、少年が呆れ顔になっている。
「単なるロザリア式の鍵じゃありませんか。大袈裟な」
「初めて見た! な、もういっかいやって? な? 」
興奮気味にせがむジフトに首を振ると、少年は部屋に入った。なんだよ、と唇を尖らせて後に続くジフト。不満たらたらだった表情が、部屋の中を見て変わっていく。
偏光硝子の窓から注ぐ青い光を浴びて、大小さまざまな時計がところ狭しと並んでいた。時計だけではなく、蓄音機や何かの設計図などもある。自分でも気付かないうちに顔を綻ばせるジフトの視線を、少年の手が遮った。
「財布を」
やや冷たい声に、ジフトが目を逸らして後退りする。じれったそうにしている少年に、ジフトが尋ねた。
「これ渡したら、俺のこと追い出したりする? 」
「しません。約束ですから」
疑われるのが心外だったのか、少年は不機嫌そうに顔を顰めた。まだ迷っている様子のジフトを見て、少年は溜息をついて近くにあった椅子に腰掛ける。
「……わかりました。どうぞ存分にご覧ください。財布を渡すのは後でいいです」
眉間に皺を寄せてそう言うと、少年は腕を組んで窓へ眼を向けた。少年の態度に眼を瞬かせ、ジフトが気まずそうに財布を差し出す。
「あー、ごめん」
竜紋の財布を無言で受け取り、少年はジフトを一瞥した。すぐ視線を財布に落とし、真紅の紐を解いて中を覗きこむ。白い絹に包まれた何かがちらりと見えたが、ジフトはそれよりも周りの機械のほうが気になっていた。そろそろと部屋中に眼を走らせるジフトの前で、少年が息を呑む。
何か見つけたのかとジフトが視線を戻すと、少年の手の平で小振りの羅針球が輝いていた。
「――の道標――。本当に存在したんだ……」
古びた羅針球を眺める少年の目がきゅっと窄まる。それ何? と、ジフトが尋ねようとした一瞬先に、少年が口を開いた。
「ミランダはこれを使って王国の秘宝を探しているんですね? 彼女がこの街に来たということは、秘宝がここに隠されているということですか」
「え? ミランダって誰? 秘宝とか、そんなの知らない……それにその財布、俺のじゃないんだけど」
知らない名前と話に戸惑うジフトの答えを聞いて、少年は空色の目を見開いた。ぎょっとして身を固くするジフトの前で、少年が長い溜息をついて項垂れる。羅針球を持った手で頭を抱え、少年は小さく首を振っている。膝に乗っていた竜紋の財布が落ちて、ジフトはそれを拾おうと身を屈めた。
なんとなく顔を覗き込んだジフトと少年の眼が合い、ジフトが財布を差し出す。
「おまえ、ほんとに何者なんだ? 」
「それはこっちが訊きたいですよ――」
脱力した声を出すと、少年は財布を受け取り羅針球をその中にしまった。ひどく失望している少年を前にして、ジフトは鼻頭を擦る。
「えっと、俺……ジフト。ジフト=クレイバー。下町のほうでスリして生計立ててるんだ」
「物盗り……。だから双頭の黄金龍の財布を持っていたのですね」
素直に頷くジフト。赤い財布に縫い付けられた金の竜紋が、日光を反射してきらりと輝いた。それが眩しかったのか、少年が空色の目を窄める。黒い髪をなびかせ、胸に手を当てると少年はジフトに向き直った。
「ぼくの名はシュウ=ライン。ライン家の三男です。少し事情があって、この街で休暇を過ごすことになりました」
「ふーん、そうなんだ」
聞いたことに何も疑問を抱かずそのまま流そうとするジフト。ふと、脳裏に少年の苗字と同じ官吏が思い出される。
「……ラインって、もしかして王国軍事科学長の」
「はい」
「この間失脚した、あの」
「――――そうです」
顔を顰めて頷いて、シュウと名乗った少年は押し黙った。
一分ほど、沈黙が続いただろうか。静寂を破ったのは、重い空気に耐え切れなくなったジフトだった。財布とシュウの顔を交互に見て、おずおずと話しかける。
「空賊の財布なんか手に入れて、どうするつもりだったんだ? 」
「どうって……。あなたには関係ないでしょう」
顔を腕にうずめたまま、シュウが答えた。腕の下からくぐもった声で、別にミランダ一味を捕まえて功を立てようとか、秘宝を見つけて王に献上しようとかいうわけじゃ――、と、ぶつぶつ呟いている。独り言にしては大きすぎる声を聞いて、ジフトが訳知り顔で口端を上げた。
「ふーん、失脚した父さんの代わりに家の名誉を取り戻そうってわけか」
がんばれー、とか気の無い励ましの声をかけると、ジフトは踵を返した。鼻歌交じりに珍しい機械を眺めるジフト。その様子を、シュウが顔を覆う指の間からじっと見ている。いい考えが浮かんだのか、暗い影が差していた空色の目がぱっと明るくなった。
「あなたがミランダ達から財布を盗んだってことは、顔を見られてるはずだ。彼らがこの道標を盗られて黙ってるはずがない。――ということは」
「ん? 何か言った? 」
段々と自信を取り戻してきたシュウの声に、ジフトが振り返った。その顔に、竜紋の財布が当たりそうになる。驚いて飛んできた財布を受け止めると、中は空だった。
首を傾げるジフトの前で、羅針球を垂直に投げて遊ぶシュウが意味深な笑みを浮かべている。
「きみが財布を持って目抜き通りをうろついていれば、ミランダ一味が接触を図ってくるはずだ」
「お、俺、囮かよ! 冗談じゃない、なんでそんなこと――」
「きみが空賊の財布なんか持ってるから、ぼくが勘違いしてしまったんじゃないか」
「空賊を捕まえるか捕まえないかは、おまえの問題だろ。俺は絶対協力なんてしないからな」
「ぼくが助けなかったら今頃牢獄に繋がれてたのに、なんて口の利き方をするんだ」
「いつ俺が『助けてくれ』って――」
口論の熱が上がって掴み合いになりそうになった瞬間、機械仕掛けの扉が開いた。互いに睨みあっていたジフトとシュウの視線が、しずしずと入ってきた女性に向けられる。
「あらあら、すっかり仲良しさんになったのですね。お喋りする声が廊下にも少し聞こえていましたよ」
湯気の立つコップを卓上に並べながら、女性が灰色の目を細めてクスクスと笑った。気まずくなって視線を送るジフトに、シュウは顔をしかめてそっぽを向いている。
質素な服を着た女性が二人分のお茶と菓子を並べ終えて、垂れた前髪を後ろに撫で付けた。微妙な空気の二人に、女性が一礼して扉へ歩いていく。
「それでは、ごゆっくり。シュウ坊ちゃまにお友達が出来たと報告すれば、きっと奥様もお喜びになりますわ。ガイアで休養中の旦那様も――」
腑に落ちない顔をしているジフトにウィンクすると、女性は廊下に出て扉を閉めた。
「坊ちゃまって呼ぶの止めてって、いつも言ってるのに……」
唇を尖らせて、シュウが呟いている。ジフトが椅子の背に腰掛けて卓上の茶菓子を一つ摘み、肩を竦めた。
「――ちょっとぐらいなら、手伝ってやってもいいぜ」
驚いて振り向くシュウの前で、ジフトが茶菓子を自分の口に投げ入れる。表情を明るくするシュウに、ジフトが人差し指を立てる。
「ただし、一個だけ条件があるけど」
「……? 」
黒髪を揺らして首を傾げるシュウ。勢いつけて椅子の背から降りると、ジフトは悪戯っぽい笑みをシュウに向けた。
「また遊びにきてもいい? 」
ジフトの問いかけに、空色の目が円くなる。鼻の頭を擦って返事を待つジフトの目に、シュウが苦笑する顔が映る。うん、わかった、とシュウが頷いて、ジフトは茶の残りを飲み干した。
機械宮の屋根に取り付けられた球体の仕掛けが、きらきらと日の光を反射している。その様子を望遠鏡で眺める金髪の青年の肩を、白い手袋を着けた手がとんとんと叩いた。空中に浮かぶ船の手すりから身を起こし、青年が振り返る。強風が吹き、青年の前髪が揺れて左目を覆う眼帯が見えた。鋭く光る青の瞳が、背後に立つ人物を捕らえて拍子抜けしている。
「調子はどう、バート? 見つかったかしら」
「あ、姐さ――じゃなくって――ミランダ、あいつ随分と厄介な場所に居たぜ」
バートと呼ばれた金髪の青年が、背後に立つ女性に望遠鏡を渡して遥か遠くの機械宮を指した。ミランダと呼ばれた女性が手すりから身を乗り出し、船体をとりまく風がヴェールを巻き上げた。その下から現れたのは、青年と同じ金色の髪に青緑の瞳を持つ端正な顔だった。
風に飛ばされかけたヴェールを青年が上手に捕まえて、望遠鏡を女性に渡す。焦点を合わせると、女性は不服そうな声を出した。
「あの城の窓、外から中が見えないようになってるわ」
「おっと、ごめん。そーいう時はここのスイッチを押して……と」
青年が望遠鏡を操作すると、女性が感嘆の声を上げる。見た目の割りには重量のある望遠鏡を通して、機械宮の中に居る人々の輪郭がぼんやりと見えるようになった。
すごいわ、と呟く女性に、手すりに後ろ向きに寄りかかった青年が金髪を掻きあげてにやりと笑う。
「だろ? ま、俺の『眼』だと、もっとよく視えるんだけどね」
そう言って、青年は左目をすっぽり覆う眼帯に白い指で触れた。光沢を押さえた革のホルダーの下で、小さなレンズが次々と様々な厚さのレンズに切り替わる。そのさらに奥では、機械の光とも太陽光の反射ともつかない不思議な光がゆらゆらと揺れている。
あんただけは敵に回したくないわね、と女性が皮肉交じりに言って、青年が笑った。よく通る声が雲ひとつない晴天に響き、虚空の彼方に吸い込まれて消える。
「――で、どうする? ミランダ。日が沈むと同時にあの城に主砲でもぶっ放そうか」
「馬鹿なこと言わないで。ガイアから治安長が来てるって噂を聞いたわ。あの子が一人になるのを待って、道標を取り返すのよ」
「そして、口封じにさくっと殺る。うん、完璧だな」
風に揺れる金髪の下で意地の悪い笑みを浮かべて、青年が腰から下げた回転式銃を軽く叩いた。望遠鏡から顔を上げた女性が少し顔を顰め、青年の言動をたしなめる。
「だから、無駄に事を荒立てないでってば。それにあの子……なかなか見込みがあるわ」
「見込みぃ? ただのスリしてるガキじゃんか」
女性がジフトを褒めるのが気に食わないのか、青年は大袈裟な身振りで小ばかにした態度をとった。青年に望遠鏡を返し、女性は機械宮のある方向をじっと見詰める。青緑の瞳を傾きかけた太陽の光が撫で、不思議な色合いを生んでいる。
「そうね、そうかもしれない。でも、このアタシが気付かないくらい上手にスリをやってのけるなんて、随分手先が器用じゃない。……今のアタシ達には、そういう器用な奴が必要なのよ」
まるで独り言のように呟く女性の横で、はいはいそーですか、と青年が手すりに寄りかかって天を仰いだ。ぶつくさ不満をたれる青年の声など気にも留めない女性の目には、機械宮の上で回る仕掛けが反射する光がちかちかと映っていた。