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第十八話 初めの一撃

 夜霧が漂い始めた貧困街、まだ舗装が残っているぎりぎりに停車した馬車の扉を軋ませ、ジフトはキアラとともに乗車した。床板だけでも外に立つ掘建て小屋より上質な木材から視線を上げた先には、驚くシュウの顔とその場で立ち止まっているキアラの背中があった。


「あ、あなたは――」


 空色の眼をしばしばと瞬きしているシュウが、どもりながら何か言おうとする。扉を閉めたジフトがキアラの顔を覗き込むと、こちらも茶色の大きな眼をもっと見開いていた。そのまま沈黙してしまう二人の表情を見比べ、もしかして知り合い? とジフトがどちらにともなく尋ねた。頷くシュウの前で、キアラも首肯して、シュウへ手を差し出した。


「あの――ハンカチを貸してくれて、ありがとう」


 伸ばされた手にはジフトが見慣れぬ綺麗な白い布を四角に折りたたんだものが握られていた。好奇心から説明を望む眼差しをジフトから受け取ったキアラが、機械宮でこの人に助けてもらったことがあるの、と述べる。ハンカチはそのときに貸してもらったものだ、とも。へーそうなんだ、と呑気な様子で頭の後ろで腕を組むジフト。キアラからハンカチを受け取ったシュウは、何故だかわからないが頬を朱く染めてしどろもどろになっている。やたら視線を泳がせるシュウの前で、キアラは余所行きの笑顔をつくってみせた。


「わたし、キアラ=グレイっていうの。あなたもこれから機械宮へ行くの? 」


「え、えっと……は、はいっ。その――キアラさん、ですか。……ぼく、は、シュウ=ラインと申します! よ、よろしく……」


 おねがいします、と聞き取れないほど震える小声でそう言って、シュウは真っ赤になった顔を伏せた。普段の様子はどこへ行ったのか、すっかり赤面してちらちらとキアラの顔を見ては視線をそらすことを繰り返している。挙動不審なシュウのさまに疑問符を浮かべるジフトとキアラのそばへ、小さい影が一つ近づいてきた。ジフト、とか細い声で名を呼ばれ、服の裾を引っ張られる。キアラもやってきた見知らぬ顔に気づき、ジフトの後ろに隠れる少女へ眼を向けた。茶色の瞳と黄緑の瞳が視線を合わせるのを見て、ジフトがキアラに事情を説明する。


「ああ、この子はアールって言って、機械宮の地下で迷子になってたから連れてきたんだ」


 かなり乱暴な状況説明だったが、それを聞いたキアラは、ふーん、と一応納得したような返事をした。木の陰に隠れる小動物よろしくジフトの背中にしがみついている少女に、怖がらせないようにっこりと微笑みかける。


「はじめまして、わたしキアラ。よろしくね」


「……」


 じっとキアラを見つめていたアールは、自己紹介を聞いて潤んだ黄緑の瞳を伏せ、無言で頷いた。


「そういえば、護衛の人と空賊のあいつはどこ行ったんだ――? 」


 一通りその場にいる全員が名乗ったところで、ジフトが馬車の窓から外をうかがう。と、空賊の青年が濃い夜霧を掻き分けるように走ってくる姿が焦げ茶の目に映った。何事かと危ぶむ間に、青年は馬車に着いて乗り込んできた。息を弾ませながら、いますぐ馬車を出せ、と御者に指示を出している。何かあったのか、とジフトが声をかけると、青年は鋭い目を険しい色に染めた。


「おいてめぇ、ここに住んでるだろ。だったら『何が』起こってるのかくらい察しがつくだろうが」


「――! 」


 空賊の青年――バートの言葉を聞いて、ジフトの肩が強ばった。窓の外では、貧困街の家並みから漏れる灯りが線を引いて遠ざかっていく。馬車が動き出したのだ。

 まさか、と、信じられないといった様子で呆然としているジフトを突き飛ばすように、バートは後退する町並みを覗く窓へ近づいた。その手には、いつの間に取り返したのか青い躯体の弾倉回転式銃が。空賊の青年が構える武器を目にして、心ここにあらずだったジフトは我に返った。さっきまで赤面して挙動不審だったシュウも、銃を見とがめてバートに詰め寄る。


「どうして武器を持っているんだ。これはあの人に預けたんじゃ――」


「そいつから突っ返されたんだよ。おまえらクソガキどもを守ってやってくれってな」


 唾吐くような応えに、ジフトは険しい表情で目を細め、シュウは当惑して口をつぐんだ。が、すぐに疑問が身体いっぱいになって我慢できなくなったらしく、じゃああの人は今どこに、と青年に尋ねる。知らねぇな、と、これまたぶっきらぼうにバートは窓の外を警戒しながら言った。


「ま、運がよかったら帰ってこれるんじゃねーか? いいか、俺はてめぇらガキのお守りだけでうんざりしてるんだ。いい年した男の心配なんかしてる気持ちの余裕は無ぇよ。余計な質問するぐらいなら邪魔にならないところで丸まって静かにしてろ」


 敵を撃ち漏らして欲しいんなら話は別だがな、と、撃鉄を起こしながら青年が小声で付け加えた。そのままぶつぶつと聞きなれない言語で何か唱える。全て唱え終えた後、革の眼帯の下から、不可思議な青い炎が揺らめき始めた。気味の悪い光に怖れをなしたのか、シュウが顔を引きつらせてあとずさりする。反対に、つ、と青年に近づくものが居た。ジフトだ。


「追手は何人来てる」


 自分も窓の外をうかがいながら尋ねるジフトの表情を、ちらとバートが一瞥する。青年からの返答を聞くと、ジフトは焦げ茶の瞳を覆う影を濃くした。おまえのその『目』で追手の特徴は見えるのか、と、普段とは全く違う、らしくない押し殺した低い声でさらに尋ねる。空賊の青年は怪訝な眼でジフトの顔を見たが、不機嫌そうに眉を寄せると窓の外へ視線を戻した。


「……何考えてるか知らねぇが、手ぇ出すんじゃねーぞ。生かして連れてこいって言われてるんだからな」


 怪我しないように引っ込んでろ、と付け加えて命令されたものの、それらの言葉はジフトの耳を素通りしていった。流れゆく家並みの一つ、屋根の上で動く小さな影に気づき、それをよく見ようと目を凝らしていたからだ。ジフトの視線の先にあるものに遅れて気付いたバートが、目の下に薄く皺を作る。新手か、と呟いて照準を合わせようとする青年に、はっとしたジフトの腕が無意識に伸ばされた。視界を遮られたバートはすぐさまその手を叩き落とし、また照準を合わせる。影は、馬車の上へ飛び移ろうとしている。慌てたジフトは、銃口の前に飛び出した。


「ま、待って! 撃つな――! 」


 必死の懇願も、問答無用とばかりに青年はジフトの頭を左手で押さえつけ、半開きの窓の隙間から発砲した。がむしゃらに暴れるジフトの足がバートの脛を蹴り、わずかに照準がずれた。鋭い銃声に馬車内の子どもたちが悲鳴を上げ、屋根の上の影が倒れる。肩から血を吹き出して倒れる影は、ちょうどジフトと同じくらいの背格好の、少年だった。その手に握っていた短剣が虚空へ放り出され、月光を浴びてちかちかと瞬いた。発砲した瞬間身を強ばらせたたもののすぐ振り返ったジフトの瞳に、その様子がまざまざと映し出される。ああ、と、声にならない引き攣った音が、ジフトの喉から絞り出された。動揺で瞳孔が開ききった目を遠ざかる屋根の上へ向け、欠けるほど爪を壁に突き立てるその姿に、空賊の青年が独り言を漏らす。


「『花と短剣』……」


 ぎくり、と、確かにジフトの肩が痙攣した。その左腕を覆う筒状の布を見て、なるほど、とバートは呟く。よろよろと窓辺から離れるジフトに背を向けると、バートは昇降扉に向けて二回発砲した。短い断末魔が二人分上がり、遠くで誰かが倒れる音がした後、静かになる。どちらも、子どもの声だった。木の車輪が石畳の上を跳ねる音だけが聞こえる中で、頭を撃ったのか、と、ジフトの声がした。硝煙立ち上る銃を片手に持った青年が、ゆっくりと振り返る。眼帯の奥で揺らめいていた光は、すでに消えていた。しかしそれだけでなく、いつもその顔に浮かべている不遜な表情、目に宿る薄ら寒い狂気も、なりを潜めているようだった。そこにあるのはただ、憎しみも嫌悪も無い純粋な殺意を身に湛えた何かだった。善悪の区別を超えて生命を刈り採るモノの眼差しだった。見すくめられて硬直するジフト、ぎょっとして身を寄せあうキアラやアールを眺め、バートは銃を持たないほうの手で目頭あたりを揉んでいる。長い溜息を一つ吐いて手を下ろせば、顔には普段の狂った世界に片足突っ込んだ表情が戻っていた。


「……あのなぁ。あいつら追手だぞ? 頭を狙って何が悪い。この俺様の天才的技量によって苦しまないよう一撃で殺してやってるんだ、むしろ感謝してもらいたいね」


 堂々と開き直り両手を広げて同行者達を見回すが、誰も何も返事をしなかった。沈黙に包まれた車内で、バートはつまらなさそうに顔をしかめると、ふらつく足取りで席について薄汚れた布を取り出して、銃身についたススを落とし始めた。壁に背をつけたままずるずると床に座り込むジフトへ、青い制服を着た手が差し伸べられた。


「大丈夫? ジフト――」


 名前を呼ぶその声につられて見上げると、シュウが心配そうにこちらを覗き込んでいる。血の気が引いた顔を横に振ると、視線の先にシュウの影からジフトを気遣わしげに見つめるキアラの姿があった。その腕に、恐怖で泣き出してしまったアールが抱かれている。胸に顔を埋めて啜り泣くアールの頭を、キアラの白い手が優しく撫でていた。ジフト、と、もう一度シュウが名前を呼ぶ。


「……少し、一人にしてくれ」


 立てた両膝の上に腕を組んで、そこへ顔を伏せるジフト。しばしの沈黙のあと、うん、と小さく応答する声が聞こえ、シュウの足音がやや離れた座席のほうへ向かった。キアラとアールを慰める声が聞こえる。三人とも、先程の事件にそれぞれ衝撃を受けているようだった。震える声でぼそぼそと会話する彼らの声を聞きながら、ジフトは顔を伏せたまま腕の隙間から見える床を眺めていた。靴に付着して落ちたのか、小石が視線の先で踊っている。白黒灰色の小石が乱舞するさまをじっと凝視するジフトの脳裏に、撃たれた影が肩から血を吹いて倒れていく様子が何度も繰り返される。霧の隙間、月光に照らされた少年は、よく一緒に長屋を抜け出して夜釣りに出かけた悪友の一人だった。釣れた魚の大きさを競い、キアラやほかの悪友たちともじゃれあって、近くで焚き火している大人たちに火を貸してもらって、焼いた魚を皆で食べた。ぱりぱりに焼けた皮ごと食べた魚の味も、満面の笑みを浮かべて冗談を言い合う悪友たちの姿も、鮮明に覚えている。そうまるで、今、起こっている事かのように。日常の一頁だった思い出の隙間に、ちかちかと闇に放り出された短剣が見える。血を吹き出し倒れる影が見える。悪友たちの笑い声のかわりに、短い断末魔が繰り返し響く。閃光のように混ざった記憶が脳裏に再生される。膝の上で組んだ腕を、いつしか己の手がきつく握りしめていた。日に焼けた肩が小刻みに揺れる。


――覚悟は、してた、はずなのに――


 右手が、左上腕をきつく掴む。そこに有らねばならぬものを思い、瞼を下ろした。視界は、光を通さぬ暗黒に包まれた。

 自分で下した決断、引き起こされた最初の波紋。想像以上に慄き軋む心を少しでも奮い立たせようと、ジフトは一層かたく自分の腕を握った。

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