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第十四話 欠けた記憶 前編

 真っ暗な洞の中、奔流の音が石の壁に反響している。手を伸ばせば触れられそうなほど濃い闇を、小舟の舳先で揺れる小さな蝋燭の灯りが申し訳程度に照らしていた。そんなほの暗い水路を、ジフトとシュウ、名前も知らない少女、そして空賊の青年が小舟に乗って進んでいる。先頭には、空賊の青年。舳先に片足を載せて横柄な態度でジフト達に指示を出す青年の、眼帯に覆われた片目は、暗闇の中で幽かに光を揺らめかせていた。


「――よし、次の十字路を左へ行け。水流が強いからもっと力を込めて漕げよ。さもないと流されるぞ」


 眼帯の奥の光が強くなった後、青年がそう命令した。くしゃりと顔を顰めて、青年が眼帯を手で抑える。時折、首元についた何かを操作しては舌打ちすることを繰り返す青年の背中を盗み見て、シュウがジフトに目配せした。気づいたジフトへ、シュウが小声で話しかける。


「なんだかさっきから様子がおかしくないか、あいつ」


 青年に聞こえないよう低く話すシュウの言葉に、ジフトは曖昧な表情で返した。確かに、この暗闇の中を羅針球もないまま迷わず進んでいけるというのはどうも奇妙だと、ジフトも考えていた。機械宮の地下に眠る何かの制御装置を開放したときも、『資料を少しみただけだからわからない』みたいなことを青年は言っていた。それなのに今、金髪の青年は一つの路も間違えることなくジフトたちに指示を出してくる。まるで、その手にこの水路の詳細な地図でも持っているかのように。


――そうか、つまり……。


 漕ぎすぎて感覚が麻痺してきた腕を無理やり動かしながら、ジフトは思案した。肩越しに見える青年の顔を、怪談話で聞いた魂魄のような光が、ぼうっと照らしている。相変わらず苛ついてはいるものの、自棄ではなくなった青年を見て、ジフトは胸中で一人呟いた。――あの眼帯の奥で光っているものが、青年を導いているのだろう、と。そして、それは何時も彼を導いてくれるわけではなく、どうも時間的な制限があるもののようだ、と。半刻前に青年自身から聞こえた台詞を、ジフトは忘れていなかった。その後のやり取りで、青年の首元にあるのは通信用の機械だろうということも推察していた。あの騒ぎの中でも辛うじてそれらに気づいたジフトには、青年が何をしているかわかった。しかし、少し前まで恐怖で混乱していたシュウにとっては、青年の行動が何を目的とするかがわからなくて、それで奇妙に映ったのだ。

 ジフトの焦げ茶の瞳が、舳先に立つ青年から船腹に座る少女へと向かう。船腹、と言っても、ジフトの背の二倍半ほどしかない小舟では、四人ともあまり距離のない位置にいるのだけれど。そんな小さな舟の真ん中で、少女は、ジフトとシュウが楷を漕ぐ邪魔にならないよう身を縮こまらせていた。時折憂いを帯びた黄緑の瞳がこちらへ縋るような視線を送ってくるが、少女は何も言わずおとなしくしていた。暗がりが怖いのか、何か別のものに怯えているのか。少女の手のひらはジフトの膝に置かれ、抑えきれない震えが伝わってくる。そんな少女に、ジフトは思わず声をかけていた。


「あの、さ――」


 びくん、と、少女の肩が小さく痙攣する。その声がジフトから出たものだと、一瞬の間を置いて理解した少女の瞳が、こちらへ向いた。潤んだ目に映る蝋燭の灯を見つめながら、ジフトは続ける言葉を探す。


「――まだ、名前聞いてなかったよな。……俺、ジフト=クレイバー。君の、名前は? 」


 既に自分の名を知っている相手に対して、改めて自己紹介することにおかしさを覚えつつ、ジフトは尋ねる。その名を聞いた少女は、秀麗な眉をわずかに寄せて、ジフトの名を繰り返した。


「ジフト……。クレイバー……? 」


「そう。それが俺の名前だよ」


 小首をかしげる少女に、ジフトはうなづいてみせた。どうも少女は、ジフトという名は知っているが、クレイバーという姓を聞いたことがないようだった。人違いだったかと一人納得しつつ、ジフトが少女に名乗るよう促す。逡巡の後、少女はぽつりと呟いた。


「……アール」


 澄んだ黄緑の瞳を哀しそうに伏せて、たったそれだけの言葉を少女は紡ぐ。儚いその姿が闇に溶けてしまいそうで、ジフトはいつの間にか楷から右手を放し、少女の頬に触れていた。手袋越しに、時間を置いて少女の体温が伝わってくる。

 触れられた少女は一瞬目を円くしたが、ジフトの瞳をのぞき込むと、柔らかな笑みを浮かべた。


「やっぱり、ジフトはジフトのままなのね」


 嬉しそうに、そして少し切なそうに、少女が囁く。頬に触れるジフトの手へ愛おしそうに自分の手を添えて、アールと名乗った少女は目を閉じた。幸せを噛み締めるよう、手に頬擦りする。そんなアールを見て、ジフトは今更ながらに自分のした行動が恥ずかしくなってきた。耳まで赤くなったジフトと、その手に頬擦りするアールに、シュウが声をおさえてつっこみを入れる。


「二人とも、こんな時に何してるんだよっ。ほら、ジフト、ちゃんと楷を握って漕いでってば」


 ぼく一人じゃ流れに逆らいきれないんだから、と、シュウがちょっと悔しそうに口を尖らせた。怯えた視線を船尾へ送るアールに、ジフトは苦笑しながらシュウを紹介する。


「あいつはシュウ=ラインっていうんだ。いいところのお坊っちゃんだからたまにむかつくこと言うけど、べつに嫌な奴じゃないぜ」


「じ、ジフトぉ――っ」


 果てしなく上から目線の物言いに、シュウが眉を釣り上げて楷を握り締めている。なんだよ本当のこと言っただけじゃん、などと、けろりとした表情でさらにジフトがシュウを煽る。かっとなったシュウも、負けじと楷を手放して身を乗り出した。


「お坊っちゃんだなんて馬鹿にするな! ぼくが居たから、機械宮に入れたんだろ。『虚ろの間』に行けたんだろっ。それにそれに、ぼくがアガシャの古代文字を読んだから――」


「……おまえのそーいう恩着せがましいところが、好きになれないんだよな……」


 すごい勢いで自分の功績を喋り出したシュウに、アールが驚いて固まっている。呆れた顔して頬を掻くジフト。つんと横を向いたシュウの拗ねて尖った口から、感謝されて当然のことをしてるのに、それをしないなんてきみはどこまでも無礼だな、なんて言葉が聞こえてくる。ちらちらと目で感謝の言葉を要求しているシュウに、ジフトは苦い笑いを浮かべてみせた。


「あー、うん。ありがと」


「なんだよその言い方。それに表情。気に食わないな」


 空色の目を冷たくして、シュウが難癖つける。笑っていたジフトの眉間にうっすらしわが寄り、なんだとはなんだよ、と若干低い声がその口から出た。


「ちゃんと言っただろ。さっきまで怖がって泣き出しそうだったくせに」


「ち、違うっ。怖がってたのは最初のほうだけだし――」


「おいィ、力を込めて漕げってついさっき言ったばかりだろうが。無駄口叩いてる暇があるんだったらオールを握れ! 」


 頭上から一喝され、ジフトもシュウも慌ててその手に楷をとった。ったく、油断も隙もありゃしねぇクソガキ共だぜ、と、青年がジフトの背後で愚痴をこぼす。気がつくと、水路は激しい水流から生まれた波頭で白く泡立っていた。楷を漕ぐ腕に冷たい飛沫が触れる。波に煽られ、船体が右へ左へとかしいだ。波音に混じり、頭上からかすかなうめき声が聞こえることに気づいたジフト。焦げ茶の目が後ろを見ると、空賊の青年が眼帯を片手で抑えて舳先でよろめいていた。革の眼帯の奥で揺らめいていた不可思議な光が、消えてしまっている。

 こめかみに油汗を浮かべる青年を見て、ジフトは声をかけた。


「気分悪そうだけど、船酔いしたのか? 」


 落ちると危ないから降りてこいよ、とジフトが続ける。舳先から青年が来やすいよう移動するため腰を浮かすジフト。それへ胡乱な眼を向けた青年が、懐から赤い錠剤を取り出しつつ顔を歪めた。


「……空賊が船酔いするわけないだろーが。これはアレだ、単なる持病だ。薬飲めばすぐ良くなる」


 などと言いながら、青年が錠剤を五、六粒口の中に放り込んだ。かたいものを噛み砕く音が、波音をこえて聞こえる。相当苦くてまずいのだろう。おえっ、と短く嗚咽を上げつつ、青年は薬を飲み込んだ。吐きそうな顔をして舳先で揺れている青年を、ジフトは焦げ茶の円い目で観察している。青年が視線に気づき、鬱陶しそうに振り返った。


「――なんだ。言いたいことでもあるのか、えぇ? 」


「いやー、おまえの名前もまだきいてなかったなぁと思って」


 半目で湿気た視線を送ってくる青年に、ジフトは薄茶の髪を左手で掻いて笑った。邪気のない顔で名乗るのを待っているジフトを見て、青年が鼻にシワを寄せている。ジフトが首をかしげると、青年の口角下がる唇が動いた。


「バート。バート=チャフルだ。で、ガキ。おまえの名前は」


 どこまでも横柄な態度の青年の問いに、ジフトは己が名を告げた。不機嫌絶頂の空賊を前にしているにもかかわらず、円い瞳を輝かせている。そんなジフトを見て、バートと名乗った青年は呆れ混じりの溜息を吐く。どうしてそうも肝が座ってるんだ、この俺様とハイウィンドが怖くないのか、などと独り言とも問いかけともつかない声量でぶつぶつ呟いている。どうやらハイウィンドとはその手に握る大口径回転式銃の名前らしい。怯えるアールを片腕で抱いてなだめるジフトの耳を、バートの口から垂れ流される呪詛的な愚痴が通っていった。水路のさきに見え始めた光を見つめるバートに、もう安全だってわかってるから、とジフトが言う。


「あ? どーいう意味だ」


「だってさ、さっき俺が契約したでっかい機械。あれ、おまえたち『双頭の黄金竜』が探してるものへの手掛かりの一つなんだろ。おまえたちが新しく契約し直すには、また『竜の血』を取ってこないといけない。でも『竜の血』はそうそう簡単に取りにいけない。――ということは、今あの機械を操作できる俺をどうにかして協力させるしかない。つまり、俺を脅すことはできても殺すことはできない、ってこと」


 そう説明して余裕の笑顔でいるジフトを、バートの青い目がじっと見下ろす。


「……ほほう? 誰が『竜の血』を取りに行くのが難しいなんて言った? 俺たちは世界最速の飛空艇アジリタスを持ってるんだぜ。地の果てだろうがすぐに飛んでいけるんだからな」


 口端から鋭い犬歯を覗かせ、バートが高身長を利用してジフトを威圧する。薬が効いたのか頭に血が上ったのか、青白かった顔に赤みが戻ってきていた。金髪の下の青い目が再び狂気を宿し始めている。しかしジフトは恐るるどころか、不敵にもまっすぐその目をにらみかえした。


「その場所へ行くことはできる、でも竜から血を取ることは難しい。そうだろ? 」


「うぐ――」


 全く物怖じしないジフト。声を詰まらせるバート。数秒の対峙の後、刃物のような鋭い視線を投げつけていたバートのほうが顔をそらした。二人の様子を見ていたシュウとアールがほっと胸をなでおろす。

 眩しい光が、ジフト達を照らした。思わずかざした手の向こうに、格子から漏れる陽光とそれを反射する水飛沫がみえた。シュウの表情に安堵の色が滲み、やっと地上に出られる、と喜ぶ声が唇からこぼれた。点検のためにつくられたのだろう、丁度小船を停めるのに具合の良い船つき場も見える。シュウが船尾にあった綱を投げ、大きな揺れの後、小さな舟は進むことをとめた。不安定な足場のせいで、なかなか降りられないアールへ手を差し伸べるジフト。

 抱きとめたアールの肩越し、赤茶色の髪がなびく後ろで、バートが襟元を弄っているさまが視界にうつった。短い雑音が聞こえ、青い瞳が嬉しそうに開かれる。どうやら通信機能が複活したらしい。連絡をとられる前に状況を打開しなくては、と、ジフトの気持ちがはやる。そんなことなど露知らず、水路の終着点へ駆けたシュウが、鉄の格子扉を開け放った。

 鎖びた蝶番が軋む。もう待ちきれなかったのだろう、音に気付いたバートが銃を構えるより速く、シュウは青い制服をはためかせ暗い空間から飛び出していった。


「くそっ、待ちやがれ――! 」


 どちらを確保しておくか躊躇したのか。青い瞳はジフトとアールを一瞥すると、シュウが去った格子扉へその眼差しを向かわせる。光へ進む長い足は何度も縺れてバートの上体がよろけた。急に身体能力が低下した空賊の青年をみて訝しむジフトの腕を、アールの震える指がつかむ。潤んだ黄緑の目から送られる無言の訴えを理解すると、ジフトも二人の後を追った。勿論、その左手はしっかりアールと繋いで。暗闇を切り取ったような格子扉をくぐると、視界が一瞬白に染まる。


「――っ」


 目の奥を突き刺す日差しに腕を翳すと、二つの人影が立ち尽くしているのが見えるようになった。シュウとバートだ。右側には大きな雲に覆われた空が、左側には今出てきたばかりの機械宮を囲む城壁が広がっている。二人の向こう、城壁にもたれ掛かる影が、在った。それを凝視して固っているニ人へ、ジフトが声をかけた。否、かけようとした。

 喉まで出かけた声を飲み込み、息が止まる。


 驚いてさらに円くなった焦げ茶の目が見つめる、その先で。

 人一人にしては大きな影が、ゆっくりと頭のほうから二つに別れた。

 上空の雲が風に流され、薄茶色の柔らかそうな髪をもつ頭が陽光に照らされる。見覚えのある風貌の人物に、ジフトは己が背筋を強ばらせた。





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