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第十三話 凶兆

 機械の都の外に広がる草原を、昼下がりの陽の光が照らしている。青々とした維管束植物が地平線まで埋め尽くし、たえまなく吹くぬるい風にその葉をなびかせていた。ゆるやかな弧を描く地平線の向こう側には、紫がかった山がそのいただきに白雪をのせ、悠然と存在している。大戦の後、調停が行われてから続く、平穏な景色。そこに、大きく影を落とすものがあった。


 巨大な飛空戦艦と、それに近づく小型艇。

 戦艦のかたちは、ジフトが以前にもらった手配書のもの――空賊の船に酷似していた。

 戦艦船尾の欄干に小型艇から綱がかけられ、命綱と簡易橋を身につけた男性がそれをつたう。先に甲板に降りた男性の手によって簡易橋がかかると、艇から数人の男性が続いて降りてきた。身に付けている軍服は、草原の向こうの山肌を思わせる暗い紫色だった。彼らの襟元には、炎を囲む十二の星の紋章がきらめいている。それはロザリアを表すものだった。

 最も肩章が豪華な男性に、戦艦の乗組員たちがやや投げやりな態度で敬礼をする。こちらはとくに決まった服装でもなく、ただ擦り切れてくたびれた印象だけが揃っていた。磨きあげられた甲板に映る小汚い姿の乗組員たちを見て、豪華な肩章の男性が不快そうに顔をしかめる。


「科学の粋を集めたアジリタスがこんな奴らの足として使われるとは、――嘆かわしいことだ」


「はぁ、その、船自体は大事に使ってるんですが、自分たちの服のほうは、その……。急に来られるというんで用意が間に合いませんで」


 乗組員のうち一人が、角刈りの頭を掻いて言い訳した。他はというと、一度敬礼したあとは軍服の男たちに目もくれず、それぞれの仕事をこなしている。それがますます気に入らなかったのか、豪華な肩章の男性は金色の髭を震わせた。氷のように冷たい青の瞳が、角刈りの男性に鋭い視線をなげつける。


「――もういい。ミランダはどこにいる」


 威厳を示すためか胸を張り、軍服の男性が見下した調子で尋ねた。その様をみて、乗組員たちの影からくすくすと子どもの笑い声が漏れる。角刈りの男性が、御頭なら艦橋でお待ちですよ、と眠そうな声で軍服の男たちを引率していく。


「……なんか、歓迎されてないって感じですね」


 艦橋へ向かう間にも物陰から投げられる剣呑な視線に、一団の最後尾を歩いている青年が、すぐ前を歩く男性につぶやいた。紫の軍服から肩越しに、湖のような青い目が青年へ向けられる。感情の起伏が乏しい、凪いだ水面のような眼だった。


「歓迎も何も、こいつらは『空賊』だからな」


「でも、それはアガシャやマリーノに対してのカモフラージュであって、実際は古文書を他国に奪われないよう派遣された軍の特殊部隊じゃないんですか。ていうか、僕はそう聞いてたんですけど」


 それなのにこの有様はどういうことなのか、とでも言いたげに、青年は橙がかった金髪を揺らして戦艦の上で作業している乗組員たちを一瞥した。何か答えを望む部下の顔を、無感動な青い目がみつめている。


「軍の上層部が言うことをいちいち真に受けていたら、命がいくつあっても足りないぞ」


 先を行く者たちに聞こえぬよう、男性が声をひそめる。しかし、その声色は相変わらず淡白で、まるで自分は蚊帳の外にでもいるかのような雰囲気さえ漂っていた。上官の言葉を聴き、青年が片方の眉を上げる。それってつまり、『双頭の黄金竜』は軍の指揮下に無いってことですか、と、まだ鈍いことを言っている。青い目をした男性は、彫像のような冷たい顔になんとも言えない表情を浮かべた。なんですか、と、つっかかってくる部下をしげしげと見つめ、男性が軽く首を振る。


「――やはり、おまえの目、少し緑が混じっているな」


 淡々とした調子でそう言われ、青年は目を見開き、すぐ顔をそらした。肩をこわばらせて青年が立ち止まる。急に態度が変わった青年と、それに気づかず艦橋へと向かう階段を登る一団を、男性が交互にみる。その顔には特に困ったとかどうしようとかいう積極的な表情は無く、ただただ目の前の事象を観察している、といった感じだった。

 片手で顔をおおって細かく震えている青年へ、男性が呆れ混じりの声をかける。


「そう心配しなくてもいいだろう、都と軍の中は違うんだ。髪が金でなくて、目が青でないからといって、迫害されたりはしない――はずだ。出世を望みさえしなければ、な」


 だからはやく付いてこい、と、暗にそう言って男性は踵を返し、一団を追った。その後ろを、なんとか震えを押さえ込んだ青年が黙ってついていく。すこし緑が入った青い目は、一歩先を行く紫の軍服の集団へ、暗い視線を送っていた。





「ここです。どうぞ」


 欠伸を噛み殺して、角刈りの男性は重そうな扉を開けた。最低限以下の態度に顔をしかめつつ、先頭に立つ立派な肩章の男性が中へ踏み入る。それに続いた一団の口から、感嘆の声が次々漏れた。甲板同様磨きあげられた床、黒檀の卓、壁に掛けられた精緻な地図と、そこに刺さるロザリア軍を表す紫色のピンたち。整然としたそれらは、そのまま軍の会議室として使っても違和感さえないだろう。しかし感嘆の声をあげた者たちの眼は、その部屋の中央、卓を挟んだ向こう側の女性へ注がれていた。遅れて入ってきた青年も、青緑の目を円くして女性に釘付けになっている。

 背後にいる部下たちのうちおよそ半分が絶句してしまったことに気づいて、先頭に立つ男性は顔をしかめた。そのまま、射抜くような視線を卓の向かい側に投げつける。軍服の男たちが入ってきても立ち上がろうとすらせず、目を閉じてゆったりと腰掛けている金髪の女性の姿に。


 息を詰めて歯ぎしりをする音を聞いて、女性が目を開けた。若草を濡らす朝露を思わせるような青緑の瞳をみて、一団のなかからかすかに嘆息の声がした。それを聞いて、先頭の男性が不甲斐なさからくる怒りに拳を震わせている。金髪の女性は目の前の男性をちらと一瞥すると、聞こえてくる恍惚の声を満足気に受け止めて立ち上がった。目の覚めるような金髪を揺らし、軍服の一団に軽く会釈をする。


「ようこそ、『双頭の黄金竜』へ。このミランダ=プレテンス、諸君らの訪問を心より歓迎する。都から遠路はるばるご苦労でしたね、ハンス大佐」


「……っ」


 花弁のような唇から出た声は甘く、けれど毒を含んで先頭に立つ男性を挑発していた。男性のこめかみがひくつき、その手が一瞬腰に提げた軍刀へ伸びる。しかし、女性の横に立つ麻の外套を纏う人物を見て、手は元の位置に戻った。年のせいか少し白んだ青い目が、女性と外套の人物の間を神経質に行き来する。外套の人物はフードを目深に被っているため顔が見えないが、先程の男性の挙動を見て明らかに敵意を醸していた。女狐め、と、男性が髭の下の口を歪めて吐き捨てる。

 男性が自分の飾緒の間に手を差し入れ、懐から一通の書簡を取り出した。それが卓上に投げられ、女性のもとへ滑る。ちょうど手前で止まった書簡を受け取り、目を通す女性――空賊の頭領、ミランダへ低い声がかけられた。


「総司令部からの通達だ。何が書いてあるかくらい、開かなくてもわかるだろう」


 嫌味な言葉に、ミランダが伏せていた眼をあげた。長い睫毛まつげに縁どられた青緑の瞳に、軍服の男性が映る。厚く紅を塗った唇が、本心とは程遠い愛想笑いのかたちをつくった。


「さて? 我々はロザリアから提示された報酬に見合う働きをしている。こんなことを言われるのは心外ですね」


 そう言って、ミランダが少し顎を上げる。見下ろすその眼差しは、明らかに軍服の一団を試していた。白い手袋に覆われた指が一本ずつ書簡から離れ、軍上層部からの通達がひらひらと卓へ落ちる。紙が卓上の一面に触れたそのとき、ついに先頭の男性が怒りを露わにして卓に両手をついた。大きな音に、背後でミランダに魅入っていた者たちも一瞬正気に戻る。


「白を切るのもいい加減にしろ! 報酬に見合う働きをしている、だと? ふん、片腹痛いわ。おまえ達の遂行した任務など、ロザリアがおまえ達に施したことの万分の一にも満たぬだろう。こちらが下手に出ていれば、つけあがりおって――」


 金の髭を震わせ、口角泡飛ばす勢いだった男性が、ここで少し言葉を切った。卓上の両手が拳を握り、革の手袋が擦れる音がした。黙っているミランダの立ち姿に一団が再び魅了されかけ、後方にいた青年の耳に忠告の声が聞こえた。


「……気をしっかり持て。ここで術に嵌るようでは隊に置けないぞ」


「術――? 」


 青年がはっと気がつくと、少し前にいたはずの上官が一歩下がって横に立っている。周りを見てみろ、と、小声に従う。一団の半数ほどが、少し前までの青年のように、ぼぅっとミランダを見つめていた。しかし、どうもただ綺麗な女性に目を奪われているという感じではない。もっと何か別の、禍々しい力にでも取り付かれたような、そんな眼をしている。


「これは……いったい……」


 戸惑う青年の疑問に、殆ど聞こえぬぐらいのささやき声が答える。


「カエレスティス湖で見つかった遺物の一つだ。身に付けている者の魅力を高め、魅入られた者は使用者の意のままになると報告書にあった」


 無感情な眼でミランダをみつめる上官から伝えられた言葉に、青年は目を円くする。それから慌てて左右を見回し、声を抑えて尋ねた。


「そんな危険なものが、どうして空賊の頭領なんかの手に……」


「なに、言うほど危ないものではない。相手がそれを身に付けていると知って身構えるだけで、効力を失ってしまうような代物だ。現におまえも正気を保っていられるだろう」


 指摘され、青年は口を開いたまま瞬きした。数秒の沈黙、そして片手で頭を抱える。確かにそうですけど、そういうことが言いたいんじゃなくて……、と、青年が橙がかった金髪をかき回す。一団の最後尾で青年がずれた上官の戯言のせいで呻いている間にも、大佐と呼ばれた男性とミランダのやりとりは続いていた。あーとかうーとか言っている部下を横に、男性は会話する二人を注視している。納得のいかない部下にむけて、男性はさきほどよりさらに低く小さな声で語った。


「――あの遺物を欲しがる貴族の奥方や令嬢が後を絶たなくてな。どうせあっても、いらぬ争いの種になるだけだということで、破壊したということにしてミランダに渡したらしい」


 道標の情報と引き換えに、と、男性が付け加える。それを聞いた青年は、なんとも面白くなさそうな表情で眉を寄せた。だったら、と、青年が尖らせた口から小声を出す。


「あのひとが他人を魅了する危険な遺物を持ってるって、隊の皆に前もって伝えておいたらよかったじゃないですか。隊の半数がミランダの虜になっちゃってるんですよ? これじゃ任務にも支障が」


「そうだな。遺物の影響を受けない者がこれだけしかいないのは、さすがに意外だった」


 うなずく上官から聞こえた言葉に、青年は眉を顰めた。テストだったんですか、と、尋ねる青年。上官がそれを肯定する。


「クヌト山から出土した古文書に、他にもこういった、より強力な遺物の存在があると記されていた。それも一つや二つではない。上層部は近く、この類の遺物に耐性をもつ人間だけでの部隊をつくると決定した」


 口も動かさずささやく上官を、青年は思わず凝視した。それから前方で会話しているミランダと大佐を見遣り、また視線を戻して口をぱくぱくさせている。その顔は血の気が引いて白くなっていた。


「な、なんで上層部の意向なんか――というか、どうしてそんな重大なことを僕なんかに――」


 しかもこんな時に、と、完全に容量いっぱいになって眼を泳がせる。無感情な眼でその様子を観察している上官をみて、青年は、はたと気がついた。もしかして科学省の、と、青年がつぶやく。彫刻のようだった上官の顔に、わずかながらも表情が出た。感心しているのか、ほくそ笑んでいるのかすらわからないほどに微小な変化だった。しかしそれだけで青年は察したようで、眉間にしわを寄せると口をつぐんだ。今だ不満そうな視線を投げかけながらも黙り込む青年のよこで、上官は硝子のような青い目をミランダと大佐へ向ける。青年とのやりとりの間に、二人も交渉を終えたようだった。

 踵を返す大佐を、ミランダは何も言わず見送っている。胸元に垂れる金の鎖へ指を触れると、見とれていた男性たちも正気に戻った。そのまま大佐に続いて艦橋から出ていく軍服の男性たち。窓越しに彼らが去る様子を見守るミランダの耳に、通信が入ったと知らせる音が聞こえた。麻の外套を来た人物が差し出す通信器を受け取るミランダの双眸が、窄まる。ほんの一瞬、躊躇すると、真紅の唇が動いた。


「――こちらミランダ」


 静かな炎を燃やす青緑の瞳は、窓のむこう、草原の上で遠ざかっていく小型艇を睨みつけていた。

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