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第十二話 片の手袋

 かさり、と、石の上を金属が掠める音に鼓膜が震えた。光る壁を背にじりじりと後退するシュウと青年の横で、ジフトは目の前の有様に釘付けになっていた。大きく見開かれた焦げ茶の目には、壁から出る色を浴びて輝く銀の機械の姿が映る。薄暗がりの中でさえ見惚れてしまうほどの躯体は、金の光に照らされて直視できないほど眩しかった。曲線を描く蛇腹状の胴が反射する光に、ジフトは目の奥がちりちりと痛むのを感じた。それでも、目を細めることができない。息をするのさえも忘れて、自分達を追い詰める捕食者の動きをみつめていた。銀の関節が動き、金属の擦れる音が聞こえるたび、胸を打つ脈が速くなる。


 ぴくりとも動かない身体とは正反対に、頭の中は今までに無いほど大量の思考がせめぎあっていた。あの機械がどんな構造をしているのかという好奇心と、このままだとあれに殺されてしまうという恐怖。もっと近付きたいと切に願いながらも、足が竦んでいる。煌く銀の刃に触れてみたいが、それに切り裂かれて死ぬのは嫌だ。操縦試験も受けずに死ぬなんて、嫌だ。もっと、もっと機械のことが知りたい。触れてみたい。分解して、組み立てて、動かして、また分解して、改良して――。

 尽きることの無い、飢えにも似た感情が、恐怖を超えた。


「……の血が、あればいいんだろ」


 走りつかれて乾いた唇から出る、かすれた声。照準を機械の頭部に合わせていた青年が、眼だけこちらに向けた。下瞼に皺を寄せて、青年がジフトに大声で返す。


「はぁ? ――だから、もう竜の血は無いんだっつってんだろ! こいつらを全部スクラップにしなきゃ、二度と天道様を拝めないんだよ」


 自分で言っておいて、青年は金髪を揺らし唾を吐く素振りをみせた。恨めしげな青い目が、柱の影から次々に現れる機械の上を流れていく。その数は、さきほど逃げ出したときよりずっと多かった。吹き出る冷や汗が頬を伝い、切り裂かれた傷口に染みたのか、青年は顔を歪めた。銃を片手に持ち替えて襟元に触っていたが、悔しそうに舌打ちするとまたもとのように構える。電波が届かない、と呟く声が聞こえた。

 これ以上機械たちが近付いてこないよう牽制する青年の足元に、落として割れた瓶の破片が輝いている。おろおろするシュウがせめて一滴だけでも、と思ったのか、白いハンカチを取り出して腰をかがめる。床に広がる赤い染みを見て、黒い頭がかしいだ。


「これは……? この石、どこかで……」


 瓶から零れた液体が、赤くこごって石と化している。その欠片を爪をつかってとると、シュウは白いハンカチにそれを挟んだ。竜の血はすぐ石になっちまうんだ。と、固まってしまった赤い液体に、青年は振り向くこともなく忌々しそうにそう言った。おまえが余計な動きさえしなかったら――、そう言いたげに、殺気の篭もった眼が少女に向けられた。怯えた様子の少女は目をそらし、ジフトの背中に縋りつく。

 空気が、張り詰めていた。恐怖と怒りと絶望がない交ぜになって息をするのも苦しい空間を、ジフトの声が開く。


「俺達の中の、誰かの血じゃだめなのかな」


 独り言にも聞こえる小さな呟きを、青年はすぐさま全力で否定した。


「駄目に決まってるだろ。古文書には『竜の血』じゃないと――」


 でも、と食い下がるジフトに、青年は思わず振り返り身長で威圧する。


「だから、駄目無理無駄! 試すまでもなく無理だ! 」


 犬歯をむき出しにするほど感情的に否定され、ジフトは気圧されて一歩後退りした。背中で服を掴んで縮こまっていた少女が、大声を聞いてさらに小さくなるのを感じる。あまりの言い様に、ジフトも思わず語尾を荒げた。


「んなこと、やってみないとわかんねーだろ」


 おまえに未来が見えるんならともかく、と口を尖らせるジフトに、青年は顔をそむけて腕を組む。


「――ふん、好きにしろ! どのみち詰んだんだ、俺達はここでゲームオーバーだぜ」


 首を振ると、青年は賭博札を投げる仕草をした。勝負はハネた、と言いたいようだ。そして青年の言葉通り、終わりはすぐ近くまで迫っていた。かさりかさりと音を立て、銀の刃が距離を詰めてくる。隣でシュウが空色の目を暗くするのを、背後の少女が自分に頭を押し付けて震えているのを、交互にみつめるジフト。――絶望が、濃い。ジフトの瞳が、光る壁へ、閉ざされた扉へと向けられる。光はこんなに近くにあるのに。希望にもう触れているのに。

 諦める気など毛頭無かった。まだ試していないことが、ある。


 肺が痛くなるまで息を吸い込むと、細かく震える両手を固く握りしめた。透明な管の前まで進んで、いつも隠し持っている小さなナイフを取り出す。左手親指の腹にそれをあてる。冷たい刃の感触に、背筋が粟立った。青年の威嚇射撃の音が、すごく遠くのものに聞こえる。白くなってきた唇を噛んで、ジフトは光る花弁の中央に伸びる管を見下ろした。逸る気持ちと裏腹に、頭の片隅から待てと叫ぶ声がする。

 壁に映し出された指示と違ったことをすれば、なんらかの罠が発動するかもしれない。命を落とすような、危険な罠が。


――それでも。


 このまま無抵抗に死ぬのは納得できない。少しでも可能性があるのなら、それに、賭ける。


 血の気が引いて悴んだ指先に、暖かいものが触れた。驚き見開いた眼に映るのは、名も知らぬ少女の自分を気遣う表情。涙を湛えた憂う黄緑の瞳。


「ジフト――」


 か細い声に名を呼ばれ、躊躇う胸中に澱んでいた何かが、弾けた。背後のやりとりに気付いた青年が振り向くよりはやく、鋭い刃先が皮膚を裂く。四人を取り巻く銀の機械が、均衡が崩れたことを察知して狂ったように躍りかかってくる。凶刃翻る暗闇の中、真紅の一滴が虚ろな管の底に、墜ちた。


 刹那の静寂、そして。


「っ……! 」


 赤い円から広がる黄光が、花弁に似た格納機を、そして管から繋がる線を染めていく。光の筋となったそれは壁を伝い、ジフト達を明るく照らす。銀の機械が反射していたそれとは、比べ物にならないくらいに。斬りつける寸前だった刃の群が、光に慄き闇を求めて後退していく。


「う、動いた……」


「なん、だと……? ――ふざけんなっ。俺達のしてきた苦労は無駄骨だったのかよ! 」


 呆然と壁が蠢くのを眺めるシュウ。口から漏れた言葉は、青年の声が被さってそのまま消えた。何故かやけになって悪態をついている青年の横で、シュウと少女が事態を把握できずに目をしばたいている。

 おごめく壁からジフトの額へ、一条の黄線が注がれた。覚えず肩をこわばらせるジフトの耳朶を、無機質な音波が叩く。銀の機械が出す音に混じるそれは、可聴域の限界まで近付いた高周波となって空気を震わせた。耳を塞ぐジフト達から、銀の機械たちがさらに一歩退く。


 不可視の結界をつくった壁から、無感情な合成音声が聞こえてきた。


『悠久の時を経て我と契約せし者よ、汝の詞を我に注ぎ、我の詞を汝に注ぎたまえ』


 それはまるで幾多の男女が同時に声を発しているような音だった。ややもすれば聞き取れないその言葉を聴いて、ジフトが疑問符を飛ばしながらシュウを振り返る。今、なんて言った? と、尋ねようとすると、壁から発せられる音が不安定な変調をした。無作為に高低を繰り返すそれは、次第に柔らかな女性の声へと収束していく。


『時は数えられ、詞は注がれた。我、古き主の記憶の上に、汝の記憶を記さん。汝の詞で我を変え――言語――変えて――、……言語の設定が正常に変更されました。引き続き、所有者情報の更新を行います』


「へ? 」


 機械の話し方が、古めかしい口調から急に理解できるものに変わった。思わず円い目で光る壁を凝視するジフト。その額に注がれた黄線が細かく分かれ、ジフトの身体の上をくまなく走査していく。光の線が指先までいくと、手を握っていた少女が弾かれるようにその手を離した。首を傾げるジフトの前で、少女は怯えた視線を光る壁に送っている。


「これって……一応、成功したってことなのかな? 」


 自分自身も腑に落ちていない様子で、シュウが誰にともなく訊いた。無論誰も答えられるわけはなく、ただその背後で青年がなんだよこれと頭を抱えて無限に呟くこだまが聞こえるだけだ。凍えるほど冷えた空間を、光る壁の排空口から出たぬるい風がとおりぬける。

 先ほどの高周波が原因なのか、あれほど荒れ狂っていた銀の機械たちも彫像のように固まっている。


「とりあえず、命は助かったみたいだなー」


 深刻な問題だったわりには、のほほんとした語尾でジフトが頭を掻いた。茫然自失だったシュウも、我を取り戻しつつある。それを見たジフトが、先ほどの無茶な行動をうるさく責められないよう、こっそりと後退りした。動かなくなった銀の機械へ好奇の眼を向けるジフトに、光る壁の中から声が語り掛ける。


『生体認証登録が終了しました。入力動作の初期化と登録を行います。外部入力装置を装着してください』


 要請を聞いて、シュウが黒髪を揺らし顔を顰めた。


「外部入力装置? 羅針球ではないだろうし、だとしたら誰がそんなもの……」


 持ってるんだろう、と口にこもらせながら、シュウが青年をちらちらと横目で見る。わざとらしいにもほどがある視線に気付いたのか、青年が顔を上げた。持ってねぇよ、と、やさぐれた表情で青年が毒を吐く。それを訊いて両手で顔を覆ってしゃがみこむシュウの背中に、ここであれを使うとか書いてなかったし、そもそもまだあれは盗んでない、とかなんとか青年の言い訳が降った。

 膝に頭をうずめたままのシュウが、声にならない呻きを上げて首を振っている。


「右心の道標がみつかったと思ったら地下に落ちるし、空賊や警備機械に襲われるし――。やっとここから出れると思ったのに必要なものがない、そんなのってひどいよ」


 鼻をすするシュウに、泣きたいのはこっちのほうだぜ、と青年が金髪をぐしゃぐしゃと片手で掻き回す。愚痴っている二人をよそに、ジフトは光る壁の前でぶつぶつと独り言を呟いていた。


「入力動作ってことは、操作盤を使うってことだろ……? んー、でも、どこにも『外部入力装置』が格納されてるような場所は見当たらないな」


 まめだらけの手で壁を触るジフトを、少女が心配そうに見つめている。釦の群を触る親指に、痛みが走る。上から降ってくる輝く砂が、傷口に入ったらしく、ジフトは手を引くと傷口をなめた。


「っててて――」


 顔を顰めるジフトに、少女が心配そうな表情で近寄る。どこから取り出したのか、古びた絹のハンカチで傷口を少女がゆるく縛る。礼を言うジフトの目に、少女の身に付けている手袋が映った。頭の中で、ある記憶がよみがえる。


 馬車の中から、キアラに手を振っていた青年。彼が投げた手袋を受け取ったキアラ。焚き火に集まっていた夜、この手袋は機械を動かすためのものだと言われた。機械宮で再び会った青年は、シュウから『公爵』と呼ばれていた。どうやってキアラと青年が知り合ったかはわからないが、あの手袋が、この都を治める公爵から渡されたものだとすると――。


 そこまで考えて、ジフトの眉が寄った。傷が痛むのかと勘違いした少女が、憂えた瞳で覗き込んでくる。なんでもない、と首を振ると、ジフトは顎を掻いて自問自答した。


 もし、今持っている、キアラから受け取った片方だけの手袋が、光る壁の外部入力装置だとしたら。……そんな大事なものを公爵がキアラに渡すだろうか? それも馬車の中から投げるようにして。

 しかし、公爵は、機械宮の中で自分とシュウが羅針球を持っていたときも、ただ幼少期を思い出して懐かしんでいるだけだった。ひょっとすると、彼は羅針球や王国の秘宝について、何も知らないのかもしれない。機械宮の倉庫かどこかに眠っていたこの手袋をみつけ、たまたまキアラに渡し、それが偶然自分に渡されて――。

 そんな奇跡にも似た偶然があり得るだろうか。


 ある、と、ジフトの中で経験からくる小さな肯定があった。どんなに起こり得そうにもない事象でも、そこに事象が起こる可能性さえあれば、完全に否定することはできないのだ。だからこそ、奇跡は存在する。そして自分には、そういった『ありえないこと』を実現させてしまう何かがあるのだろうとも、薄らと認識しはじめていた。羅針球を盗んだこと然り、光る壁との血の契約然り。一度胸の中で弾けた感情が、希望を確信に変えていた。この一連の事件には不可視の繋がりがある、と。


 急かすように、壁から先ほどと同じ言葉が発せられた。ずっと持っていた手袋を取り出すジフト。普通の手袋より少し重いそれは、不可思議な光沢をしている。一瞬、キアラのことを考えたジフトは、そのまま手袋を身につけた。視界の端に、青年が手袋を見て驚愕の色を顔に浮かべる様子が映る。どこでそれを、と、青年が問い質すと同時に、壁と共鳴するように手袋が光を帯びた。甲についた赤い結晶から薄紅色に発光する透明な立方体が現れ、ジフトの右手をすっぽりと包む。


『入力装置右側の装着を確認。同期完了しました。左側の装着を行うか、入力動作の初期化と登録を行ってください』


「よっしゃ! 正解! 」


 おもわず左拳を突き上げるジフトの前に、いくつかの文字列が浮かび上がる。


「正解って……。ジフト、もしかしてその手袋がどんなものかわからずに着けてみたの? 」


 再び光る壁が動き出したことで絶望の淵から戻ってきたシュウが、やれやれと頭を振って近付いてくる。いったい、きみはどれだけ勝手な行動をすれば気が済むんだ、と疲れた調子で呟くシュウ。口を尖らせつつ文章に目を通すシュウの横で、ジフトは煤だらけの鼻頭を左手ひとさし指で擦った。


「おまえだって何回落ち込めば気が済むんだ――って、まぁいいじゃん。何て書いてあるのか読んでくれよ」


 頼まれたシュウは空色の瞳を不思議そうに瞬いて、ジフトをまじまじと見つめた。無邪気な顔のまま黙って待っているジフトに、シュウは腑に落ちない表情で読み上げてみせる。


「えっと――『装置左側の同期をせず入力動作の初期化を行うには動作一を、同期も入力動作の初期化もしない場合は動作二を実行してください』だって」


 どうする? と尋ねるシュウ。そんなこと訊かれてもなぁ、と、ジフトが左手で頭を掻いた。


「左手用の手袋は、俺持ってないし……。この手袋ってあれだよな、完全手動入力装置っていう、手の動きで機械を制御するやつ。だから右手だけで動作の登録すると後々面倒そうだし……。かといって設定そのままだと、どの動きでどんな命令が出るのかわかんないし。というか、『動作一』と『動作二』がどんな動きなのかもわからないんだぜ? 」


「――動かし方なら、知ってるわ」


 うんうん呻りながら思案していたジフトの左腕に、少女の手が触れた。はっとして振り向くと、濡れた黄緑の瞳が確固とした意志を持ってジフトを見上げている。可憐な唇が開き、清水のように澄んだ声が言葉を紡ぐ。


「わたしの手を追ってみて。きっと思い出せるようになるわ、ジフト」


 白く華奢な手が、蝶のように宙を舞う。流れるような少女の仕草を、少し遅れてジフトが右手で真似する。ぎこちない動きが終わると、光る壁の上に浮かんだ文字が消えた。新しい文章が浮かびあがる。


『動作を受け付けました。入力動作の設定の変更が必要になったときは、設定一覧を開いて「入力動作変更」の項目を選んでください』


「なるほど、今のが『動作二』ってわけか」


 機械音声を聞き、ジフトが先ほどの動きを左手で鏡映しに繰り返す。それを眺めていた少女は寂しげに微笑むと、再び手を宙へ伸ばした。床と水平に伸ばした手の親指から中指までを広げ、少し下に向けた後、もとに戻す。ジフトも同じようにすると、錆付いた扉から鍵の開く音が聞こえた。重そうな扉がひとりでに開くのを見て、シュウが少女に訝しそうな眼を向ける。


「……そこまで知っていて、どうしてこんなところに一人取り残されていたんだ? 」


「わたしには、主となる資格が無いから――」


 瞳を潤ませ、憂えた表情で顔を俯ける少女。シュウの視線を遮って、ジフトが二人の間に割って入った。


「この子のおかげで助かったんだし、細かいこと言わなくてもいいだろ」


「でも、空賊のあいつが持ってた『竜の血』を台無しにしたのもこの子じゃないか」


 事をおさめようとするジフトにシュウが反論する。その後ろのほうから、あいつ呼ばわりとは随分だな、と青年がこころなしか低い声を出す。足で扉を開き止めていた青年が、銃を片手に三人を手招きした。


「この先は水路だ。ちょうど小船が置いてあるから、おまえたちはオールを漕げ。俺が水先案内してやる」


 流水の音を背後に、冷めた目を細めて青年がのたまう。反発しかけるジフトとシュウを顎で指図すると、金髪が揺れた。

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