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第十話 竜の血 前編

 仄暗い空間に、機械の駆動音が響く。獰猛な獣の呻り声のように、それは低く重くうねるように続いている。

 その音の元、金属でできた巨大な壁の前に、ジフト達は立ち尽くしていた。


「――『意思を持つ壁』? いったい何のことだ? 」


 逃げ道を失ったと絶望していたシュウが、金髪の青年に疑問を投げ掛ける。空色の瞳を、青い瞳がみつめかえした。


「今から遡ること九年、ロザリア・アガシャ大戦の始まる少し前。アイアンウィエストの南で一枚の古文書といくつかの鉱石が発見されたこと、知ってるか」


 どこか狂気じみた色を帯びていた青年の眼が、真剣そのものでシュウに向けられる。首を傾げるジフトと少女の前で、シュウが不可解そうにゆっくりと首を縦にふる。


鉄の都アイアンウィエストでみつかった、古代文明を知る貴重な資料だったと習ったことがある。……でも、それとこれと何の関係があるんだ? 」


 ますます謎が深まったといわんばかりの声色のシュウ。その言葉を聞いて、青年は皮肉な笑みを浮かべた。資料だった、ねぇ、と、可笑しそうに片方しかない目を細めている。むっとして突っかかろうとするシュウの眼前に、青年が骨ばった手を広げた。


「そこの鼻たらしてるガキと違って、おまえは学があるみたいだな。だったら、古文書と鉱石がどこの国に奪われたか、そしてその後歴史がどうなったか、よーく知ってるだろ」


 長身を利用して見下され、シュウの顔が険しくなる。二人の話に全くついていけなかったジフトが、どういうこと? とシュウに小声で尋ねる。青年を睨みつけていたシュウが振り返り、苦々しい表情でジフトにこたえた。

 古文書が発見されたのは、鉄の都の最西にあるクヌト山という場所だったこと。その付近でロザリアと領土を巡る小規模な戦闘が度々起こっていたこと。


「クヌト山の戦い――これはジフトも聞いたことがあるだろう? 」


「んっと……前の王様がそれで戦死して、右腕だった大将が今の王様になったんだっけ」


 うろ覚えで話すジフトに、シュウが神妙な顔でうなづく。


「あのとき、古文書と鉱石はロザリアに奪われたんだ。それから一年後、今度はカナン砂漠で新しい鉱石が発見された。そしてまたロザリアと戦争が始まった」


「それが『八年前の大戦』ってわけだ」


 にやついて茶々を入れる青年を、シュウが嫌悪を籠めた眼で睨む。激しい視線の応酬を繰り広げるシュウと青年の間で、頭を掻くジフト。ちっとも話の筋が理解できていないジフトを見て、シュウは一呼吸おくと言葉を続けた。


「大戦の最初のほうは、補給路のこともあって王国が優勢だった。――でも、開戦から半年後、ロザリアは急にそれまで見たこともないような新しい兵器を投入してきた。それが――」


「飛空艇、だな」


 絶妙な合いの手を出す青年を、シュウが鬱陶しそうに一瞥する。そのままジフトへと戻した空色の目が、はっと見開かれた。


「そ、そうか。いや、でもまさか……」


「なんだよ? 」


 怪訝そうな顔をして眉を寄せるジフト。その横で、シュウは拳を口元に寄せてぶつぶつと何か呟いている。名前を呼んで顔を覗き込もうとジフトが前かがみになると、弾かれたようにシュウが眼を上げた。


「奪った古文書と鉱石で、ロザリアは飛空艇を造ったんだ! ロザリアは知ってたんだ、クヌト山やカナン砂漠で発見された鉱石の価値を――。それも、少なくともクヌト山で古文書や鉱石がみつかる前から。そうでなければ、もともと優勢だった王国に何度も戦いを挑んでくるはずない。待てよ、クヌト山付近で戦闘を繰り返してたってことは、もしかしたら鉱石がどのあたりから出るのかさえも知っていた……? 」


 シュウから疑惑の眼を向けられ、金髪の青年は皮肉交じりの笑みを浮かべた。まぁそんな感じだな、と肯定する青年。でも……、とまだ思考を続けるシュウを置いて、青年は目の前の光る壁に触れた。その指を、光りを受けて輝く粒子がさらさらと伝い落ちる。眼を瞬かせるジフトと少女の前で、青年は流れ落ちる粉を少し摘んだ。親指と人差し指の腹に挟まれた粉が落ちていくさまを、青い瞳がみつめる。砂漠の砂と同じだ、と呟いた青年の声は、大きくなる機械の駆動音に掻き消された。


 呻るような駆動音に紛れ、蜂が顎を鳴らすような音がかすかに聞こえる。いち早くその音に気付いたジフトが周囲の柱を見回す。焦げ茶の瞳に、銀色の追跡者達の姿が映った。


「――もう追いついてきやがったか」


 青年の短い舌打ち。先ほどの爆発に巻き込まれたのは、追っ手のうちの極少数だったようだ。ジフト達の様子をゆらめきながら見つめる機械たちの腕や尾には、銀に光る仲間の残骸が垂れている。光を怖れているのか、銀色の足は闇の中で足踏みしてそれ以上進んでこない。


 飢えた獣のように闇の中を蠢く機械たちを鼻で笑うと、青年は光る壁に向き直った。

 すぐ傍で眼を輝かせているジフトを一瞥してから、また壁に視線を戻す。少し切れ長の青い目が、壁に浮かぶ数多の文字と菱形にならんだぼたんの間を行き来する。


「……」


 腕を組んで直立する青年が無言で壁をみつめ、その様子をジフトが熱の篭もった眼で凝視している。

 痛いほどの、沈黙。


「……」


 重々しい雰囲気の中、シュウが生唾を飲む音がやけに大きく聞こえる。少女の潤んだ目から送られる視線を背中に受け止め、青年の薄い唇が真一文字に結ばれる。金髪の下の、牛の乳を思わせるような青年の白い肌から汗が滲む。

 三人が固唾を飲んで見守る中、蚊の鳴くような声とともに青年の頬を汗が伝った。


「熱くなりすぎて、どのボタン押せばいいか忘れちまったぜ……」


「えっ――」


「なんだよ、情けないなー」


 絶句するシュウの声にかぶせ、ジフトが青年にむけて野次を飛ばす。しおらしく丸まる背中越しに、青年がかっとなって首だけ振り返る。


「るっせぇ! 本当なら機械宮へ忍び込むのはもっと後のはずだったんだ。ぱらぱらっと適当に資料読んだだけで、何通りもあるボタンの押し方なんて覚えられるかよ」


 口を尖らせて言い訳しつつ、青年はちらちらと自分の懐中時計を見て時間を確かめている。今、使うか……? などと不可解な言葉を呟く青年の前で、ジフトは頭の上で腕を組んだ。


「そこに浮かんでる文字は? それを読んだら、ぼたんの押し方がわかるんじゃねーの」


 とても年上に対する口調とは思えない言い方。そんなジフトの言葉に、青年のこめかみは血管を浮かせ、ひくついた。両の手が金髪を掻き毟り、口端の下がって犬歯が覗く。


「あのなぁ、俺はロザリア人なんだぞ。ロザリアの古文を読むのもままならないってのに、アガシャの古文なんか読めるわけねぇだろ」


 低い声でうなるようにそう言う青年が、だったらおまえが読んでみろ、とジフトにすごむ。途端に半笑いで後退りしだしたジフトを押し退け、青年との間にシュウが割って入った。

 真剣な眼差しで壁に浮かぶ文字を見つめるシュウの横顔を、ジフトがうれしそうに、青年は怪訝そうに見る。読めるのかと、青年がおそるおそる訊くと、シュウは力強く頷いた。


首都ガイアの士官学校で習ったことがある」


「……大丈夫なのか、それ」


 冷や汗をかく青年を無視して、シュウは壁をみつめて眼を細めた。


「『我に触れし、我が主あらざる者よ。悠久の時経るも、未だ我が主かえらず。契約は白に戻りけり。我、新たなる契約と主を望まん。なんじ力を望むならば、連なる群れの真中より空へ一筋の道を灯せ』――だって」


 読み上げたシュウが、ジフトと青年に疑問符を送る。


「全然操作の説明になってねーじゃねぇかよ。ええと、つらなるむれの……」


 青年がシュウと一緒になって考え込む。その隙に、日に焼けた手が光る壁へと伸びた。気付いたシュウが止めようとするよりも一瞬はやく、ジフトの指がぼたんを押す。ぼんやりと光っていた壁が、一層眩しく輝いた。


「じ、ジフトぉっ! 」


 勝手なことするな、とシュウが叫びかけ、その口を閉じた。菱形にならんだ釦のうち、中央から頂点までが一列に赤く点灯している。そのまわりから、壁に浮かぶ文字が形を変え始めた。


「連なる群れって釦のことだろ? で、向かい合う頂点を一直線に結んで、その線が交差したところが真中。そこから空へ一筋の道を灯せ、つまり中央から真直ぐ上へ釦を押していけってこと」


 人差し指で鼻頭を擦りつつ、ジフトがにやりと口端を上げた。呆けているシュウの後ろで、青年は納得したが認めたくなさそうに口元をゆがめている。気を取り直したシュウが小言を言おうとするのを見て、ジフトは壁を指した。


「ほらほら、なんかまた新しい文字が浮かんできたぜ。翻訳、よろしくな」


「――わかったよ」


 悪びれもせず楽しそうに言うジフトに、じとっとした視線を投げつけ、シュウは壁の文字へ眼を戻した。見つめる眼差しは先ほどと同じで真剣そのものだが、唇が拗ねたように尖っている。


「……『力を望む者よ、我が前に資質を示せ。竜の赤き雫を我に注ぎし時、天への道、開かれん』」


「竜の赤きしずく? 」


 今度はジフトが首を傾げた。これも何かの暗号だと思ったのか、シュウは眉間に深く皺を寄せて必死に推理している。青年は何か思い出したらしく、懐から小瓶を取り出した。大きな手に握られた、金の装飾が施された小瓶をみて、少女が一歩後退りする。

 それは? と尋ねるシュウに、青年は小瓶の首を摘んで見せびらかすように振ってみせた。


「言葉そのまま、竜の血だ。俺が持ってきてたことをありがたく思えよ」


 硝子を金で補強した小瓶の中で、赤い液体が揺れる。


「竜の血、って――。伝説上の生物が存在するわけが……」


 眉根を寄せて否定的な目をするシュウ。青年が羅針球を取り出し、小瓶と並べて持ち上げた。


「伝説のはずだった右心の羅針球が存在するんだぜ? 竜だって本当にいてもおかしくねーだろ」


 掌の上で微かな光に輝く羅針球と小瓶をみつめ、シュウが沈黙する。どうしても納得できないシュウを、青年は短く息を吐くと顎を上げて見下ろした。


「信じなくてもいいからとっとと操作しろ。こんなところで死ぬなんて、俺は絶対に嫌だからな」


「……」


 無言のまま、シュウが壁の文字へ眼を戻す。最後の一文を読み上げ、それを聞いたジフトが、点灯していない菱形の頂点の釦を時計回りに押した。

 金属同士の擦れあう、悲鳴のような音が地下の空間に響く。その音に気おされるように、すぐ近くまで来ていた銀の機械たちがよろめいた。文字の浮かんでいた壁が光を失い、身を捩るように変形する。僅かに開いた隙間から、白く輝く細長い何かが滑り出て、四人の前で止まった。

 蕾のような発光体が、まさしく花のように、一枚いちまい光の花弁を開いていく。もどかしいほどゆっくりと開いた花弁の中から、細い水晶の管が現れた。


 未知の技術に瞳を輝かせるジフトを片手で横に押し退けて、青年が光る花の前に立つ。


「ここに竜の血を入れればいいってことだな」


 神妙な面持ちで小瓶の蓋を開ける青年。そのすぐ傍らで、なんだこれすごいかっこいい分解したい、とジフトが我を忘れて魅入っている。


 青年が水晶の管の上に小瓶を傾け、ジフトとシュウが片や興奮気味に、片や心配そうに様子を見守る。赤い液体が小瓶の内側を伝い、雫が管に落ちようとした、そのとき。


「きゃああっ」


「わっ」


 大きな悲鳴とともに少女が青年の背中にぶつかった。


「あ、ちょ、ああぁ」


 うろたえた青年の声の後、ぱりん、と、乾いた音がした。何が起こったのか呆然と立ち尽くすジフトとシュウ。


「こっ……の、クソアマぁあ――ッ! 」


 ぶるぶると肩を震わせ、青年が吼える。その足元には、運悪く割れてしまった小瓶が転がっていた。石畳を、液体がじわじわと赤く染めていく。振り向きざまに青年が少女の襟首を掴み、華奢な体が持ち上がる。

 怯える少女を睨みつけた青年の青い目が、その後ろにあるものを見て見開かれる。


「っ――」


 チキチキと、金属の顎を噛み鳴らす音。光を怖れていたはずの銀の機械たちが、間を詰めてきている。圧倒的な数。青年が少女を掴んでいた手を離し、摺り足で半歩後退した。骨ばった手が、腰に提げた回転式銃へ伸びる。構えた先には、一番近くにいる機械の頭が。

 機械の額にはめ込まれた硬質ガラスの奥が、光る。

 真紅に光る機械の瞳は、冷徹な捕食者の容貌でジフト達を見下ろしていた。

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