7話_ フィオナの家と、優しい時間
代表たちがそれぞれ立ち上がり、和やかに会話を交わしながら部屋を後にしていく。
その光景を眺めながら、私はようやく深く息を吐いた。
……はぁ。次まとめ役って……本当に、私が……?
まだ落ち着かない胸の鼓動を抱えながらも、私は静かに席を立つ。
そのときだった。
「リリシア、ちょっと待ってくれ」
背後から聞こえてきたのは、バスカさんの低くて落ち着いた声だった。
思わずびくっとして、私は振り返る。
「あ、は、はいっ!」
声が裏返りそうになるのをなんとか堪えながら、私は慌てて返事をした。
気づけばティナも私の隣にぴったりとついていて、不安そうに私を見上げていた。
「リリシア、お前、この後予定はあるか?」
バスカさんが腕を組みながら声をかけてくる。表情はいつも通りだが、どこか気遣うような雰囲気があった。
「え? い、いえ、ありません……」
反射的に背筋を正しながら答える。緊張はまだ残っていたけれど、どこか心が軽くなるのを感じていた。
「わたしも〜」
ティナがすかさず手を挙げ、笑顔を見せる。
「なら、この後、うちに来い」
突然の誘いに、私はきょとんとしてしまう。言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「えっ? い、いいんですか……?」
私が戸惑っていると、今度はフィオナが一歩前に出て、笑顔で背中を押してきた。
「いいのいいの、久しぶりに晩御飯食べにきてよ! 今日のリリ、頑張ってたし」
その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……」
気づけば、自然に笑みがこぼれていた。
「よし、決まりだな。マグナスには俺から言っておく」
バスカさんはそう言って、満足そうに頷いた。
気が張り詰めた会議のあとの、思いがけない優しさ。
ほんの少し、胸の緊張がほどけていくのを感じた。
その後、バスカさんは「ちょっと用があるから先に戻ってる」と言い残し、軽い足取りで議事堂を後にした。
私とティナ、そしてフィオナの三人は、夕暮れに染まり始めた街を歩きながら、フィオナの家へと向かうことになった。
「そういえば、フィオナのお家って、どんなの?」
ふと気になって、私は横を歩くフィオナに問いかける。
「あ、え〜っと……それは、見てからのお楽しみで」
少しだけ頬をかきながら、フィオナはごまかすように笑った。
「きっと、前みたいな可愛いお家だよ〜」
ティナが無邪気に笑いながら口を挟むと、フィオナはさらに曖昧な笑みを浮かべた。
「あははは……」
しばらく三人で談笑しながら歩いていると、フィオナがふいに足を止めた。
「――着いたよ」
その声に、私は何気なく前を見て、思わずまばたきをする。
「へ……?」
目の前に現れたのは、「家」というより、まるで貴族の屋敷のような立派な建物だった。高い塀と、美しく整えられた門構え。手入れの行き届いた庭木に、大きな窓の並ぶ二階建ての建物。
私は口をぱくぱくと動かしながら、ようやく言葉を絞り出す。
「こ、ここが……フィオナのお家……?」
「う、うん……」
フィオナは少し気恥ずかしそうに、頬をぽりぽりと掻きながらうなずいた。
「お〜! すご〜い!」
ティナが目を輝かせて、門の前をぴょんぴょん跳ねながらはしゃぐ。
私は圧倒されながらも、思わず口元をほころばせた。
フィオナって、こんなお屋敷に住んでたんだ……
そんな私の驚きをよそに、フィオナは少し照れくさそうに笑いながら口を開く。
「えっとね……半年前、リリが魔王に就任した時、お父さんが『リリがグラディスに来るなら、近くに引っ越せば会いやすくなるだろ』って言い出してね。それを聞いてたマグナスおじさんが――『代表が住むなら、それなりの家じゃないとな!』って、このお屋敷を用意してくれたの」
なんだか胸がぽかぽかして、私はそっと笑みをこぼした。
「ね〜、はやくいこーよ!」
ティナが待ちきれない様子で、私の腕を引っぱってくる。
私は軽く笑いながら頷いて、一緒にフィオナのあとを追った。
門をくぐり、庭先を抜けて玄関の前まで来たそのとき――ふと、見慣れた人影が立っているのに気づいて、私は思わず足を止めた。
「……え? ノワールさん?」
そこにいたのは、いつも通り無表情なまま、背筋をぴんと伸ばして立っている、私の父の側近――ノワールさんだった。
「お待ちしておりました」
「えっ! なんでいるの?」
ティナが驚いたように声を上げる。
「いてはいけないのか?」
ノワールさんは顔を動かさぬまま、すっと目だけを動かし、ティナを鋭く一瞥する。
その“目力”にティナはピタリと固まり、勢いよく首を横に振った。
「い、いけなくないですっ!」
そんなやり取りを横目に見ながら、フィオナはノワールさんをじっと見つめ、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「こんばんは、ノワールさん。……ノワールさんがいるってことは……」
そう言いながら、フィオナはふっと玄関の方へ視線を移す。
ノワールさんは無言で一度うなずくと、落ち着いた声で答えた。
「はい。準備はできております」
その言葉に、私とティナは思わず顔を見合わせる。
(準備……?)
思わずそんな疑問が浮かぶような視線を、私たちは無言のまま交わし合った。
フィオナは一歩前に出ると、くるりと振り返りながら明るい声を上げた。
「さっ、入って入って!」
その言葉に応じるように、ノワールさんが無言で玄関の扉を開ける。重厚な扉は静かな音を立てながら、私たちを迎え入れるようにゆっくりと開かれた。
フィオナが先に一歩、屋敷の中へと足を踏み入れる。
その後ろ姿を追いかけるように、私とティナもそのあとに続いた。
温かい灯りの漏れる玄関の奥へ――少しの期待と、不思議な胸騒ぎを抱えながら、私は一歩、足を踏み入れる。
広々としたエントランスホールには、柔らかな光を放つ魔導灯と、壁に飾られた絵画や花の装飾。高い天井に響く靴音が、なぜか少し背筋を伸ばさせた。
でも、どこか懐かしい空気に包まれて、私はふと天井を見上げていた。
(初めて来たはずなのに――この匂いだけは、前と同じ。やっぱりフィオナの家だ)
しばらくそのまま佇んでいた私に、フィオナがくすっと笑いながら声をかけてくる。
「ふふっ、こっちだよ」
そう言って、彼女は慣れた足取りで廊下の奥へと進んでいく。
私とティナはそのあとを追ってダイニングへと向かった。
フィオナのあとを追って、私とティナも静かに廊下を進んでいく。
やがて重厚な扉の前に差しかかると、ノワールさんがすっと音もなく、扉を開けた。
ノワールさんは無言で一礼すると、静かに一歩下がって私たちを中へと促した。
中からは、温かな光と――どこか懐かしい気配が漏れていた。
扉の向こうに一歩足を踏み入れた、その瞬間。
「お! やっと来たな」
聞き慣れた、どこか調子のいい声が響いた。
「え……?」
驚いて声を漏らす私の視線の先には、笑顔の父――マグナスの姿。
「あら、遅かったわね」
その隣で、母――ティリスが穏やかに微笑んでいた。
「えっ!? な、なんでいるの……!?」
思わず声を上げる私に、パパとママは揃って、にっこりと笑いながら返す。
「いちゃ悪いか?」
「いてはいけないの?」
その視線に思わずしゅんと肩をすぼめてしまう。
「い、いけなくないです……」
肩を落とした瞬間、ふと――さっき、ティナがノワールさんに同じように睨まれてしょんぼりしていた姿を思い出す。
それに気づいて、自分の反応がまるでティナと一緒だったことに気づいた私は、頬がじんわりと熱くなるのを感じた。
「……っ」
横を見ると、ティナが口元を押さえて、くすくすと楽しそうに笑っている。
(……もー……)
私はそっと横目でティナをにらみ、小さな声でぼそっと抗議した。
「もー……笑わないでよ……」
私が小声でぼそっと抗議すると、ティナは肩を震わせながら、口元を押さえてくすくすと笑っていた。
ふと横を見ると、フィオナまで口元に手を当てて、小さく笑っている。
どうやら、私の反応まで可笑しかったらしい。
気づけば、部屋の空気はすっかり柔らかくなっていて、ティナもフィオナも、そして私も――静かな笑いの余韻の中にいた。
そこへ、場違いなほど大きな声が響き渡る。
「ガハハハハハッ! ドッキリ大成功ってかぁ!!」
突如、部屋の奥から飛び出してきたのは、あの豪快な声と笑い声。
「ば、バスカさんっ!?」
私とティナは思わずぴょんと飛び跳ね、驚きに目を見開いた。
彼はお腹を抱えて笑いながら、こちらへ近づいてきた。
「いやぁ、見事な驚きっぷりだったぞ、リリ、ティナ!」
まだ笑いを引きずったままのフィオナが、ぽんぽんと私の背を叩いてくる。
「ふふっ……あはは、ごめん、二人とも、反応がそっくりで……!」
フィオナが口元を押さえながら笑い出し、私も思わず頬を膨らませた。
「も〜……」
でも、その声もどこか照れくさくて、気づけば私もつられて笑っていた。
ティナも「えへへ〜」と笑い、三人の笑い声が、ダイニングに心地よく広がっていく。
――と、そのとき。
「ふふっ……リリシアちゃん、ティナちゃん、いらっしゃい。フィオナも、おかえりなさい」
柔らかく通る声が、奥の方から静かに響く。
現れたのは、エプロン姿の優しげな女性――フィオナの母、リーヴァさんだった。
落ち着いた笑みをたたえながら、私たち一人ひとりに視線を向けてくれるその仕草は、どこか包み込まれるようで、心の奥までふわっとあたたかくなった。
リーヴァさんの声に、私とティナはそろって「こんばんは」とぺこりと頭を下げた。
その様子を見届けるように、奥にいた母――ティリスが軽やかに手を叩く。
「さ、みんな揃ったところで、ご飯にしましょ」
ぱん、と響いたその音に、場の空気が一気に食卓モードに切り替わる。
私たちが席につくと、ママとリーヴァさんが手際よく料理を運んできた。
次々と運ばれてくる湯気立つ料理に、テーブルの上はたちまち華やかになっていく。
「さ、たくさん食べて。私とリーヴァさんの自信作よ」
ママがふわりと微笑みながらそう言った。
「いいにおーい……」
思わず、うっとりとした声が漏れる。
「どれから食べよー!」
ティナが嬉しそうに声を上げ、身を乗り出して料理を見つめる。
* * *
ひと通り料理を味わい終え、テーブルの上には満足そうな笑みと、食後のお茶の香りが広がっていた。
そんな中、パパがカップを置きながら、ふと私の方を見た。
「で、どうだった? 初めての代表会議は」
突然の問いに、私は少しだけ姿勢を正し、素直な思いを口にした。
「緊張したけど……でも、みんな優しくて、ちゃんと話も聞いてくれて。ちょっとだけ安心した、かな」
「それは、良かった!」
パパが大げさなくらいホッとした顔で笑った。
「てっきり泣いてるんじゃないかとヒヤヒヤしてたぞ」
「もう……泣かないってば」
思わずむくれて言い返すと、隣でティナがくすくす笑っている。
「でも、緊張してた顔はしてたよー?」
「うぅ……やっぱり見えてた?」
顔を手で覆う私に、今度はフィオナまで笑い出す。
私が俯くのを見て、バスカさんがにやりと笑った。
「じゃあ、次回の会議も平気だな?」
「そ、それは……また別の話で……!」
バスカさんの言葉に、私が慌てて言い返そうとしたその時――
「ん? 次の会議で何かあるのか?」
パパが手を止めて、不思議そうに首をかしげる。
「実はね〜」
ティナが得意げに笑って、こともなげに続けた。
「リリ姉が、次の会議のまとめ役になったんだよ!」
「……」
フォークを持ったまま固まる私。
「ははっ! そりゃ大役だな!」
パパが豪快に笑うと、周囲も思わずつられて笑い出す。
その中で、ママはやわらかな笑みを浮かべて、優しく声をかけてくれた。
「あらあら……リリシア、ついに評議会の中心ね。ふふっ、ちゃんとお辞儀の練習はしておいたほうがいいかも?」
「や、やめてよぉ……」
笑いが一段落した頃、フィオナがふと「あっ」と小さく声をあげた。
「そういえば、リリ。明日って空いてる?」
「え?」
思わず間の抜けた声が漏れた。何の前触れもない問いに、私はフィオナの顔をじっと見つめてしまう。
そのまま彼女は隣のバスカさんへ視線を移す。
「お父さん、明日って会議とか、なかったよね?」
「おう、明日は何も入ってねぇ。」
その返事に、フィオナがぱっと顔を明るくし、それから私の方を向いて――
「じゃあさ、今日泊まっていきなよ! 明日グラディスの商店街に遊びに行こ!」
そう言いながら、フィオナはぱっと振り返り、「いいよね? お母さん!」と、少しだけ上目遣いで笑いかけた。
「ふふ、いいわよ」
リーヴァさんが穏やかに頷く。
突然の提案に、胸の奥がふわっとあたたかくなる。
驚きと一緒に、嬉しさがじんわりと広がって――私は思わず笑みをこぼした。
「……うん、すごく楽しそう」
「あまり迷惑かけちゃだめよ?」
ママが優しく目を細めながら私たちに声をかける。
「やった〜! 明日は3人でお出かけ〜っ♪」
ティナが勢いよく身を乗り出し、にこにこと嬉しそうに笑う。
その無邪気な笑顔につられて、私の笑みも自然と深まっていく。
そのあとは、笑い声の絶えない楽しい談笑のひとときが続いた。
やがて、パパとママ、ノワールさんの三人はお城へと戻り、私とティナはそのままフィオナの家に泊まることに。
夜更けまで他愛のない話に花を咲かせながら――
静かで、あたたかくて、少しだけ特別な夜が、ゆっくりと更けていった。
(……明日は三人でお買い物か。なんだか、とっても楽しみ)