6話_ 魔王、サイコロの洗礼を受ける
ようやく――六人の代表たちが、それぞれの席に着いた。
円卓を囲む空間には、魔石灯の淡い魔力の光が静かにゆらめいていた。
壁際に灯るその光が、場の空気をほんのり引き締めている。
私も深く腰を下ろし、胸の内で小さく息を整える。
朝から感じていた緊張は、さっきの出来事ですっかりゆるんでしまったけれど……それでも、今から始まるこの会議には、自然と背筋が伸びる。
周囲を見渡せば、そこには獣人族、人魚族、エルフ族、竜人族、そして人族――
魔族である私を含め、六つの種族の代表が一堂に会している。
これが、《六種族代表評議会》。
中立国グラディスを導く、最も重要な会議だ。
……の、はずなのに。
なぜかどこか、ピリッとした空気よりも、先ほどの混乱の余韻がまだ漂っているような気がするのは……私だけじゃないと思いたい。
そんな中、バスカさんが「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめ、円卓を見渡す。
「全員揃ったところで、始めるとするか。資料は手元にあるな……リリシアも、問題ないか?」
「あ、はい!」
私は背筋をぴんと伸ばし、思わず声を張ってしまった。
その緊張が見て取れたのか、向かいの席からくすりと笑い声が届く。
セレナさんは頬をついたまま、ゆるく目を細めて私を見つめた。
「ふふっ、リリシア様ったら……そんなに肩に力を入れなくてもいいのに。可愛い顔がこわばってるわよ?」
その言葉に続いて、対面の席から穏やかな笑みとともに、響く声。
「――焦燥に囚われることはない。我が麗しき盟友よ。
君が歩むべきは、誰かが敷いた威厳の道ではなく……君自身の輝きが拓く、唯一無二の軌跡だ。
その魂に宿る純なる光は、偽りの仮面では曇らない。
さあ、“リリシア”であれ。君は、君であることが、いちばん美しい」
――わ、わたしに言ってる……? でも……えっと、どういう意味……?
困惑した私は、助けを求めるように後ろに控えたティナを見ると――彼女はセリルさんの方をぽかんと見つめたまま、完全にフリーズしていた。
「…………」
……やっぱり、分かってないよね。
と、そのとき。
「もう……リリ、セリルさんの言葉を要約するとね――」
すっと私のそばに歩み寄ってきたのは、バスカさんの後ろに控えていたフィオナだった。
彼女は苦笑まじりに肩をすくめると、私の耳元で小さくささやく。
「“いつも通り、リリシアらしくいれば大丈夫”ってこと。ね?」
「……っ!」
その一言で、胸の奥のもやもやが、ふっと軽くなるのを感じた。
肩の力が抜けて、ようやく視界がまともに戻ってくる。
……と思ったそのとき。
「……ごほん」
バスカさんの控えめながらも重みのある咳払いが、場の空気に区切りをつけた。
会議を進めるぞ、という無言の合図。
私は小さく頷いて、円卓の中央へ意識を向けた。
「――えー、まず、本題に入る前に、全員知っての通り、この評議会の新しいメンバーを紹介する。元魔王マグナスに代わり、新たに魔王になったリリシアだ」
バスカさんの紹介に合わせて、私は椅子から立ち上がる。
「ご、ご紹介にあずかりました……リリシア・ディアブロームです。よろしくお願いします」
一礼しながら頭を下げると、自分でも驚くくらい心臓が早く打っていた。
その音をごまかすように、ぱち、ぱち……と控えめな拍手が円卓のあちこちから湧き起こる。
顔を上げると、皆がそれぞれの表情で私を迎えてくれていた。あたたかく見守るような目、少しおどけた笑み、真剣なまなざし――どれもが、私の中の緊張を少しずつほどいていく。
けれど、拍手が自然に静まると、空気が少しずつ変わっていくのが分かった。
さっきまでの柔らかな雰囲気が、次第に張りつめたものへと移り変わっていく。
「さて、それでは……改めて本題に入ろう」
低く落ち着いたバスカさんの声が、円卓の中心に静かに響いた。
「資料にある通り、近頃、魔獣の出没が頻発している。グラディスは街全体が結界で覆われているため内部は安全だが……国家間の移動には、確実に危険が伴う状況になってきている」
円卓に視線を落としたまま、バスカさんが淡々と読み上げる。
声の調子は落ち着いているが、内容は楽観できるものではなかった。
「現時点では、冒険者や各国の兵で対処は可能だ。だが……ここ数週間で、魔獣の出現数が確実に増えている。数だけでなく、個体の凶暴性や行動範囲にも、明らかな異常が見られる……と」
一度言葉を切り、資料から視線を上げると、彼はセリルさんに向き直る。
「セリル。……結界の方は問題ないのか?」
バスカさんの問いに、セリルさんは軽く頷いてから、真っ直ぐ前を見据える。
「結界に異常はない。地下の魔力流から安定して魔力を供給できているし、出力にも揺らぎはない」
いつもの芝居がかった調子は影を潜め、代わりに研ぎ澄まされた視線が空気を引き締める。
「……ただ、魔獣の出現が国境付近に偏りすぎてる。偶然とは考えにくい。何かに誘導されてる可能性がある」
短く、静かに放たれたその言葉に、円卓の空気が一段階、重たくなった。
私はおそるおそる手を小さく上げた。
「あ、あの……結界って……す、すみません。資料を読んでも、いまいちよく分からなくて……」
声が震えないように必死にこらえながら言うと、セリルさんはこちらを見て、すぐに柔らかく頷いてくれた。
「リリシアが気にするのは当然だ。あれは俺が設計したもので、正直、専門用語が多すぎたかもしれない」
少しだけ反省したような表情で、セリルさんは手元の紙をくるくると指先で巻きながら続けた。
「まず前提として――この世界の地下には、“魔力流”と呼ばれる魔力の大きな流れが存在してる。川みたいなもんだな。その魔力流が交差し、集中している場所……それが、このグラディスだ」
私は思わず「えっ」と小さく目を見開く。
「その魔力流を利用して、街全体を包む“防護結界”を張ってる。構造としては、魔族領の魔術基盤に、連合側の結界理論を組み合わせたハイブリッド構成だ。魔力の供給源は地下の魔力流だから、よほどのことがない限り、半永久的に稼働し続ける。」
「……じゃあ、グラディスの中は安全、ってことですね?」
私がそう確認すると、セリルさんは少しだけ表情を引き締めて言葉を継いだ。
「……あくまで、“外からの侵入”に関しては、だ。魔獣の固有魔力はすでに解析済みだ。通常であれば、結界が即座に反応して遮断する」
そこで彼は、資料に視線を落としながら続けた。
「だが最近――結界をすり抜ける魔獣がいる。結界に反応せず、侵入の痕跡だけが残されていた。
おそらく、魔力を“隠す”か、“変質させる”ための何らかの魔術……あるいは、未確認の魔導具が使われている」
「まさか……魔獣を、内部に?」
「ああ。何らかの方法で“無害な存在”と錯覚させて結界をくぐらせたとしか思えない。詳しい術式の解析は進行中だが、まだ手がかりは少ない」
セリルさんの言葉に、空気がじわりと重くなる中――低く、落ち着いた声が割って入る。
「……だが、まだ内部での被害は出ていないんだろ?」
竜人族代表・ドラグニアさんが腕を組んだまま、視線だけをセリルさんへ向ける。状況を冷静に見極めようとするその目は鋭い。
「ああ、その魔獣は、痕跡も一瞬で消え、警報も鳴らない。だが幸いにも、今のところ被害はゼロだ」
セリルさんは静かに頷くと、手元の資料に目を落としながら、続けた。
「……だが、奇妙なのはそこなんだ。侵入できる手段を持ちながら、なぜまだ“何もしてこない”のか――おそらく、“誰か”が結界の構造を観察している。慎重に、じっくりと、穴を探るように……」
静まり返った円卓に、指先で頬杖をついたままのセレナさんが、ふわりとした口調で問いを投げかけた。
「ねぇ、その“誰か”ってやつの足取り――掴めないのかしら?」
一見気怠げな声音なのに、その瞳は冴えた光を帯びていた。
セリルさんは少しだけ目を細めてから、低く答える。
「……今のところ、確たる痕跡はない。だが、魔力のわずかな揺らぎを感じた地点はある。表に出るのを避け、裏から探っている……そんな印象だな」
しばらくの沈黙が、円卓の空気に重くのしかかっていた。
その緊張を断ち切るように――
「パンッ」と、バスカが両手を叩く。
「……話が少し脱線したな。セリル、その件は引き続き調査を続けてくれ。結界の維持と監視、頼んだぞ」
セリルさんは無言で一度だけ頷いた。
「それと、外の魔獣については――ドラグニア、お前に任せる。警備隊の連携と動きも含めて、何かあったらすぐ報告してくれ」
「ああ、心得た」
ドラグニアさんは短く答え、しっかりと頷いた。
◇◇◇
その後も会議は続き、話題は各種族の現状報告や、今後の連携体制の見直しなど多岐にわたった。
気づけば、窓の外はすっかり夕方の色に染まっていた。
「さて、今日の会議はこれぐらいにするか。リリシアも初の会議で疲れただろ」
バスカさんが椅子から立ち上がりながら、こちらをちらりと見て言った。
「……あ、いえ、そんな……」
私は慌てて首を振る。
けれど、緊張の糸が緩んだ空気の中で、どこかほんのりと温かいものが広がるのを感じていた。
――と、その時。
「ちょっと待ってくれ」
ゆるんだ空気を引き締めるように、ライオネルさんが手を上げた。
「次の会議のまとめ役を、まだ決めてないぞ?」
一瞬でその場が静まり返る。
「え? バスカさんがまとめ役じゃないんですか?」
思わず口に出した私の問いに、場の空気が再び動く。
バスカさんは頭をかきながら、ちょっと気まずそうに視線を逸らした。
「……あー、いや、実は決まってなくてな。ここにいる奴ら、全員やりたがらないんだ……」
「えぇ……」
私は思わず声を漏らす。
そんな私の反応など気にも留めず、バスカさんは「よし」と小さく頷くと、どこからともなくごそごそと何かを取り出した。
「――で、これだ!」
彼の手の中にあったのは、見慣れないサイコロだった。
「……サイコロ?」
私は思わず声を漏らす。
ただのサイコロかと思いきや、その六つの面には数字ではなく、それぞれ《魔族》《獣人族》《人魚族》《エルフ族》《竜人族》《人族》の代表者の名前が記されていた。
「そうだ!これを振って、次回のまとめ役を決める!」
バスカさんが自信満々に言い放つ。
「えぇ!?」
あまりにも勢い任せなその方法に、私は思わず椅子からずり落ちそうになる。
慌てて体勢を立て直しながら、周囲を見渡すと――
誰もがそっぽを向いたり、お茶をすするふりをしていたりと、妙に静かだ。
「……あの、皆さん、これに異議は……?」
おそるおそる問いかけても、返ってくるのは、気まずそうな咳払いと、かすかな視線の回避ばかり。
えっ、なんでそんなに自然体なんですか!? まさかこれ、本当に毎回やってるの……?
「ふっ、これぞ混沌の秩序――古より伝わる運命の選定法……」
セリルさんがどこか納得したように腕を組み、うなずいている。
(いや、絶対今思いついたでしょそれ。)
「うふふ、決められないよりマシよ。まとめ役争いで喧嘩になるより、ずっと平和的じゃない?」
セレナさんは肘をつきながら涼しげに微笑んでいた。
なんでこんなことにだけ妙に慣れてるの!?
私はひとり、静かに混乱していた。
「じゃあ、振るぞ〜。あ!リリシアになっても文句を言うなよ?」
バスカさんがにやりと笑いながら、掌の上でサイコロを軽く転がす。
「ちょっとお父さん、それ前振りとして最悪だよ……!」
フィオナが慌てて突っ込むが、バスカさんは気にした様子もなくサイコロを放った。
――コロコロ、カラカラ、と円卓の上を転がるサイコロ。
私は、両手を組んでこっそり祈る。
お願い……わたし以外で……お願い……!
緊張の中、サイコロはやがて“セレナさん”の面を上にして、ピタリと止まりかけた。
……よ、良かった……
思わず胸をなでおろしかけた、その瞬間だった。
――ヒュン、と微かな魔力の気配。誰も気づかないほどの、ほんのわずかな風のような揺らぎ。
サイコロが、カコン、と小さく跳ねた。
そして次の瞬間――
「……リリシア様、決まりね♪」
上を向いていたのは、《リリシア》の名前。
「えぇぇえええっ!?」
私は思わず声を上げていた。
ちら、と視線を向けると、セレナさんが肘をついたまま、口元に手を当てて上品に笑っていた。
その目は――どこか、いたずらっ子のように輝いていた。
「おぉ〜!リリ姉かっこいい〜!まとめ役リリ姉、誕生〜っ!」
ティナは無邪気に拍手を送り、目をきらきらと輝かせている。
一方で、ドラグニアさんとセリルさんは――サイコロが不自然に転がったあの瞬間、確かに気配を感じ取っていた。
二人は一瞬だけセレナさんに視線を送る。だが何も言わず、そっと目を閉じた。
……口出しをして再抽選になったら、それこそ面倒ごとの始まりだと、理解しているのだろう。
「よし、じゃあ次回のまとめ役はリリシアで決定ってことで!――今日はこれで解散!」
バスカさんの軽快な声が響きで場の空気は一気に緩んでいく。
「ちょ、ちょっと待って……!」
私は思わず立ち上がってしまったが、もう誰も止まる様子はなかった。
こうして、私にとって初めての《六種族代表評議会》は、思っていたよりもずっと慌ただしく、そして予想外の“おまけ”つきで幕を閉じた。