4話_ 円卓の間、魔王の隣は今日もにぎやか
揺れる馬車の中で、ぼんやりとまぶたを開けると、かすかに声が聞こえた。
……リ……ね……
……り姉……?
「リリ姉っ! ねえ、起きてよっ!」
――ティナの声だった。
上下に揺すられる感覚に目をしばたたかせながら、私はようやく意識を引き戻す。
「……う、ん……。もう、着いたの……?」
「もーっ! せっかく“魔王になってから初めてのお仕事”なんだよ? ちゃんと起きて!」
ティナはぷくっと頬をふくらませながらも、どこか嬉しそうに笑っている。
怒っているというより、心配してくれてるのが伝わってきた。
「……ごめん。気がついたら、寝ちゃってたみたい」
私は小さく息を吐いて、こっそりと苦笑いを返す。
ティナはそんな私の腕をぐいっと引っ張ると、勢いよく馬車の扉を開け放った。
「ほら見てっ! グラディスの議事堂だよ!」
視界いっぱいに広がったのは、白を基調に淡い青を差し込んだ壮麗な建物。
風にたなびく各種族の旗が、陽光を受けてきらきらと輝いていた。
「もう……そんなに大声出さなくてもわかってるってば」
そう言いながら、私は手を引かれるまま階段を駆け上がる。
議事堂の正面には、重々しい鎧に身を包んだ衛兵たちが整列していた。
そのうちの一人が一歩前に出て、きびすを返すように姿勢を正す。
「魔王リリシア様ですね。ようこそお越しくださいました。お待ちしておりました」
ぴんと張りつめた空気に、私は思わず小さく息を呑む。
「他の代表の方々は、まだご到着されておりません。どうぞ先に、円卓の間でお待ちください」
そう言って微かに笑みを浮かべると、彼はくるりと踵を返して歩き出す。
その背に続きながら、ティナはきょろきょろと周囲を見回していた。
「わぁ……天井の模様、すごい……。壁の彫刻も綺麗……」
観光客かとツッコミたくなるほどのテンションで感嘆の声を漏らす彼女に、私はため息をひとつ。
「……ティナ。今日は“側近”として来てるんだから、ちゃんとしてよね……?」
「わかってる〜」
返ってきたのはふわふわとした返事。絶対わかってない。
「……ノワールさんに言いつけるよ」
低く呟いたその一言に、ティナの背中がぴくっと跳ねた。
「そ、それだけはカンベンしてっ!」
慌てた声に、思わず吹き出しそうになるのを堪える。
その瞬間、先を歩いていた衛兵が、肩を小さく震わせながら手で口元を押さえているのが見えた。
……絶対、聞こえてた。
顔がじわりと熱くなるのを感じながらも、ティナを見ると、当の本人は全く気にしていない様子で、ぴょんぴょんと軽やかに前を歩いていく。
「……もー……」
思わずつぶやいた声に、自分でも小さく笑ってしまった。
そのときだった。
「リリー!」
振り返った先には、見慣れた姿があった。
「フィオナ!」
こちらへ駆けてくるのは、グレージュのポニーテールを揺らす、獣人族の少女。
明るくてちょっとおせっかい。でも優しくて、頼れる――私の幼なじみ。
「久しぶり! リリ!」
フィオナは笑顔のまま、私の目の前でぴたりと足を止める。
「えっ、なんでフィオナがここに……?」
「ふふん、実はね。リリが魔王になってから、私もお父さんの仕事を手伝ってるの! 今日から、ちゃんとお役目デビューってわけ!」
「えへへ……じゃあ、これからは毎日会えるんだね!」
思わず込み上げた言葉に、フィオナは片目をつむってウインク。
「そゆこと!」
その仕草に、胸の奥がふわりとあたたかくなる。
……でも、そのあと、こみ上げてきた感情に言葉が詰まった。
「……実は、ちょっと不安だったんだ。周りは大人ばっかりで……でも、フィオナがいてくれるなら、頑張れそう」
そう呟いた瞬間、ぽろりと涙がこぼれた。
理由なんて、自分でもわからない。ただ、安心して――気が抜けただけなのかもしれない。
「もう、リリってば……泣き虫なんだから」
フィオナは優しく私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。その温もりが、じんわりと胸にしみていく。
「ンンッ……!」
わざとらしい咳払いに、振り返る。
ぷくっと頬を膨らませたティナが、腕を組んでこちらをじーっとにらんでいた。
「ねぇ……私のこと、忘れてないよね?」
「え〜? ティナもいたんだ〜?」
フィオナのわざとらしい笑顔に、ティナがふくれ顔でむくれる。
「む〜っ! またわざとやってるでしょ!」
そんな二人のやり取りに、私も思わずくすっと笑ってしまった。
……こんなふうに笑ったの、いつぶりだろう。
不安だった気持ちが、少しだけ軽くなった気がした。
フィオナとティナがいてくれるなら――大丈夫。
私は深呼吸をひとつして、二人の背中を追った。
◆ ◆ ◆
円卓の間――それは、中立国グラディスの中心に位置する、各種族の代表が集う場所。外交、内政、治安……あらゆる決定がここでなされる。
最近は魔獣の出没が増えているせいで、会議の議題も治安対策に偏りがちだと聞く。
そんな大事な場所に、私は――“魔族の代表”として座る。
……正直、いまだに場違いなんじゃないかって思ってしまうけれど。
けれど、ここに立つ意味を、私はきっと見つけなきゃいけない。
そう思いながら、私は深呼吸をひとつ。
目の前の大きな円卓は、まるでこの国の重みそのもののように、ずしりと存在感を放っていた。
「リリ姉の席、ここじゃない?」
肩をぽんと叩いてきたのは、隣を歩いていたティナ。無邪気な声に、ぴんと張っていた気持ちがふっとほどける。
「……あ、ほんとだ……!」
彼女の指さす先には、見落としていた“魔族代表”の札。
うわ……緊張しすぎて完全に気づかなかった。
私はちょっとだけ恥ずかしくなりながら、自分の席へと歩を進める。
「そーいえばさ、フィオ姉ってば最近なにしてたの? 半年くらい顔見てなかったよ?」
ティナが隣で首をかしげる。
……たしかに。私も気になってた。
「えっと……ごめんね、ちょっと引っ越しでバタバタしてて……」
「「えっ!?」」
私とティナの声が、ぴたりと重なった。
その勢いに、フィオナがびくりと肩を跳ねさせる。
「フィオ姉、引っ越してたの!? どこにどこに?」
「え、えっと……グラディスの、中心街……かな?」
視線を泳がせながら答えるフィオナに、私は思わず口元を手で押さえた。
「……え、本当に? そんな近くに……?」
思いがけない距離感に、胸の奥がふわっと温かく揺れる。
「い、言ってなかったっけ……?」
ばつの悪そうに笑うフィオナに、私もつられて吹き出してしまう。
「もう〜……聞いてないよ〜」
おかしくて、でもそれ以上に安心して――胸の中にじんわりとしたあたたかさが広がっていく。
「……ところで、バスカさんは? 一緒じゃなかったの?」
ふと話題を変えるように問いかけると、フィオナはぱっと明るくうなずいた。
「うん! 朝に朝食の買い出ししてたら、ちょうどリリたちの馬車が通っててね。お父さんに頼んで、先に来ちゃった!」
「なるほど、それで先に着いてたんだね」
「うん、もうすぐ来ると思うよ」
その笑顔に、思わずほっと息をついた……けれど。
「それにしてもリリさ、気持ちよさそうに寝てたよね~?」
「……えっ?」
思わず声が裏返る。
「だってさ、窓に顔ぺったりで寝てたんだもん。街の人たち、みーんなリリの寝顔見てたよ? せめてカーテンくらい閉めておけばよかったのに〜?」
わざとらしく肩をすくめながら意地悪く笑うフィオナに、顔が一気に熱くなるのがわかった。
「そ、それは……っ!」
ティナの「ぶふっ」という笑いをこらえる気配が、視界の端で揺れる。
「ティナ……?」
恐る恐る呼びかけると――
「な、なに?」
ティナは目をそらしながら、肩をぷるぷる震わせている。
「なんでカーテン閉めてくれなかったのよっ!」
たまらず声を上げると、ティナはぴくりと肩を跳ねさせた。
「お、起こしちゃ悪いかなーって思って……」
目を泳がせながら答えるティナに、思わず詰め寄る。
「……ほんとのところは?」
胸の奥がもやもやして、声にかすかに涙が混じってしまう。
「えーとね……リリ姉の寝顔、すっごく可愛かったから……
街の人たちにも見てもらおうかな〜って……つい、ね?」
苦笑いを浮かべて観念したように肩をすくめるティナ。
「な、なっ……!?」
息が詰まり、顔が一気に火照る。
ティナがまた吹き出しそうになるのを見て、私は思わず背を向けた。
「も〜っ! ティナのばかっ!!」
背中越しに、「ご、ごめんってば〜」という声が聞こえるけど……聞こえないふりを決め込む。
……と、そのとき。
バンッ!
勢いよく扉が開き、朗らかな低音が部屋に響いた。
「おっ、なんだか楽しそうな声が聞こえるな!」
現れたのは、大柄で筋骨たくましい獣人族の男性――バスカ・ワイルドパウ。
「よっ! 久しぶりだな、リリシア、ティナ!」
「バスカさん!」
「バスカおじさん!」
ティナが駆け寄り、私は自然と顔がほころぶ。
「おー! ティナ、元気にしてたか?」
大きな手でティナの頭をわしゃわしゃ撫でるバスカさんに、彼女は嬉しそうに笑う。
「リリシアも……元気そうで何よりだな」
ふと視線を向けられて、私は背筋をぴんと伸ばす。
「はい。おかげさまで」
バスカさんは満足そうにうなずき、円卓を一巡してから肩をすくめた。
「にしても、今日の主役がもう来てるってのに……他の連中、遅くねぇか?」
「し、主役だなんて……」
恥ずかしくなって目をそらすと、フィオナがにこっと笑う。
「だってリリ、今日のために新しいドレスまで仕立てたんでしょ?」
「そーそー! こんなに可愛いのに、誰も見られないとか損してるよ!」
「も〜……からかわないでよぉ……」
顔がますます熱くなって、私はぷいっとそっぽを向く。
「からかってないよ。本気で言ってるもん」
そう言って笑うフィオナに、ティナも「ねー!」と元気にうなずく。
――そのとき。
「ちょっと、そこどいてくれる? その可愛いリリシア様が見られないじゃない」
扉の奥から、涼やかで艶のある声が響いた。
現れたのは――長い青髪を揺らし、優雅に歩いてくる人魚族の美女。
「やっと会えたわね、リリシア様♪」
いたずらっぽく微笑む彼女――セレナ・マリディアーナは、私の苦手な人のひとりだった。
「お、お久しぶりです……セレナさん」
少し緊張しながら頭を下げると、彼女は微笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。
「そんなにかしこまらなくてもいいのに。昔みたいに、もっとくだけた感じで呼んでくれたら嬉しいわ」
さらりとした口調に、妙なくすぐったさが混じる。
「それに……そのドレス、とっても似合ってるわ。リリシア様」
指先で私の袖をつまみ、ふわりと持ち上げる。
「ふふ……見惚れちゃうくらい。護衛の数、増やさなきゃね。ねぇ、バスカ?」
「冗談じゃねぇだろ……」
肩をすくめるバスカさんに、セレナさんは楽しそうに笑った。
……やっぱり苦手かも、この人。
「か、からかわないでくださいっ……」
小さく抗議すると、セレナさんは口元を隠してくすくすと笑う。
――その空気を断ち切るように、低く静かな声が響いた。
「――それぐらいにしておけ」
扉の前に、引き締まった長身の影が立っていた。
燃えるような赤髪に褐色の肌、鋭い眼差しを持つ竜人族の代表――ドラグニア・ブラスタリア。
「リリシアが困っている。冗談が過ぎれば、からかいでは済まなくなるぞ」
真っ直ぐなまなざしに、セレナさんは肩をすくめて一歩退く。
「やだ、こわ〜い。ほんと、相変わらず堅物ね」
「規律とは、そういうものだ」
ぶっきらぼうなやり取りなのに、不思議と馴染んだ空気がある。
このふたり、きっと――昔から、こうして言い合いをしてきたんだろうな。
私は少しだけ緊張をほぐして、胸の奥で小さく息をついた。
「ごめんなさいね、リリシア様。つい可愛くて、からかいたくなっちゃうの」
微笑むセレナさんに、私はただ――頬を染めながら、小さくうなずくしかなかった。