39話_ 静かな夜に叫ぶ(フィオナ・ティナ視点)
あのままじゃ、絶対に納得できなかった。
部屋に案内された直後――私は振り返って、ベッドに腰かけたティナと、荷物の上に座ろうとしていたリシルを、ぎゅっと睨んだ。
「……やっぱり、私……ライオネルさんに言いたいこと、まだ残ってる」
ティナが驚いた顔でこちらを見上げる。
「え、でもさっき、けっこう……」
「足りないの。……まだ、ちゃんと聞きたいの。どうして止められなかったのか、どうしてあんなことを言わせたのか。……黙ってるの、嫌だから」
リリがどれだけ頑張ってるか、あの女王様は知らないくせに。
私の胸の奥に渦巻く想いは、言葉じゃ追いつかないほどぐちゃぐちゃで、それでも伝えずにはいられなかった。
「……あたしも、あの女には一言言いたいわね。あんたが行くなら、ついてく」
リシルがひょいっと荷物から飛び降りた。
「じゃあ、私も行く! リリ姉はここで休んでて!」
ティナが元気よくそう言って、勢いよく立ち上がる。
こうして私たちは――再び応接室へ向かった。
夜の王宮内は静かだった。
廊下には誰の姿もなく、私たちの足音だけが響いている。
――どこかで、止めてほしかったのかもしれない。
でも、誰もいなかった。だから、進んだ。
「……ここよ」
私は応接室の扉の前で足を止める。
拳を握り、深呼吸して、ゆっくりと扉を押し開けた。
中には、ライオネルさんとアメリアさんだけがいた。
どちらも椅子に座ったまま、私たちの姿を見てわずかに目を見開いた。
「……フィオナ。戻ってきたのか」
ライオネルさんが驚きつつも、どこかホッとしたように微笑む。
アメリアさんは顔を上げかけたが、気まずそうに視線をそらしたまま、小さく肩をすくめた。
ずっと沈んだ様子で、私たちに何かを言おうとしては、飲み込んでいるように見えた。
ティナとリシルも黙って私の後ろに立っている。
私は、正面からライオネルさんをまっすぐに見つめた。
「……ごめん。まだ、伝えたいことがあって……」
私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
でも、心の中では怒りと悔しさが渦を巻いていた。
ライオネルさんは、ほんの一瞬だけ視線を伏せたあと、再び私たちを見据えた。
「そうか。話してくれ。フィオナの気持ちを、ちゃんと聞かせてほしい」
その言葉に、私はついに抑えきれなくなった。
「リリは……っ、リリシアは、あんなふうに言われるような人じゃない!」
胸の奥に積もっていたものが、一気にこぼれ出す。
「あの子は……誰よりも、自分を犠牲にしてでも、魔王としてちゃんとしようって……毎日、努力してるの! 何度も何度も、失敗して、それでも立ち上がって……! 誰にも弱音なんて吐かないで……!」
声が上ずる。でも止められなかった。
「ふざけてるように見えるかもしれないけど、違う! ……あの子なりに、必死に空気を読んで、周りを和ませようとしてるだけなの!」
息が詰まる。
「ちょっと不器用だけど、それでも一生懸命で……! 自分が何を背負ってるのか、ちゃんとわかってて、それでも逃げずに向き合おうとしてるの! それを……」
本当は、そういうところが、うらやましかった。
リリは、誰かに頼ることを知っていて、それでもちゃんと、自分の足で立とうとしてる。
私は――甘え方なんて、とっくに忘れたふりをしてたのに。
「それを、何も知らないくせにっ……!」
拳を握りしめた。
「“お飾りの魔王”だなんて……!! 冗談でも、そんな言葉、言っちゃいけない!!」
目の奥が熱くなる。涙は絶対に見せたくないのに、視界が滲む。
「リリがどれだけ頑張ってるか……私たちは、ちゃんと見てきたのに……。あの人は……あの女王様は、一体リリの何を見て、そんなこと言ったの……?」
怒りと悔しさ、悲しさと無力感――全部がぐちゃぐちゃに混ざって、胸の奥からあふれてくる。
「私は……私は……っ、悔しいよ……!」
ようやく言葉を吐ききったとき、私は肩で大きく息をしていた。
――ほんとは、ずるいなって思ってた。
甘えられるリリを、うらやましいって思ってた。
だけど、その強さに、誰よりも憧れてた。
……なのに、私は。
* * *
……フィオ姉が全部、言ってくれた。
私は何も言えなくて、ただその背中を見つめてた。
ライオネルさんもアメリアさんも、真剣にその言葉を聞いてた。
応接室には、しばらくの間、言葉のない沈黙が流れていた。
いつもだったら、横から茶化したり、割り込んだりしちゃうけど――
今日のフィオ姉は、なんか……すっごくかっこよかった。
しばらくして、ライオネルさんが小さく息を吐く。
「……すまない。母上の言葉は、あまりにも一方的だった」
その声音には、はっきりとした後悔がにじんでいた。
「……お父様も、お母様のことは時々話してくれました」
アメリアさんが静かに顔を上げ、続ける。
「とても強く、誇り高い人だと……。でも、同時に、心の奥はとても繊細で、優しい方だったと」
ライオネルさんはうなずきながら言葉を継いだ。
「母上は……昔からああいう人だったわけじゃないんだ」
ライオネルさんは少しだけ目を伏せて、静かに続けた。
「若い頃の母上は、もっと――人に寄り添う優しさを持った人だった。けど……何かがあったんだと思う。あの人が“甘え”を強く否定するようになったのは、その後からだ」
「……詳しくは、親父からも聞かされていない。でも……きっと、誰かの甘えが、誰かを傷つけた。だから今の母上は、“王は甘えてはいけない”“強くあらねばならない”って、そう信じて疑わないんだと思う」
「……でも、その“強さ”が……今のあの人を、きっと、縛ってるんだね」
思わず、そう口にしていた。
ライオネルさんは、少しだけ目を細めて、やさしく言った。
「君は……優しいんだな、ティナ」
えっ、と驚いて顔を上げると、ライオネルさんは静かに微笑んでいた。
「そういう目で、母上のことも見てくれる人がいてくれて、ありがたいよ。きっとリリシアも……君がいてくれて、救われてる」
……なんだろう。褒められたわけでもないのに、胸があったかくなった。
私、リリ姉のために、ちゃんとそばにいられてるのかな。
そのあともしばらく、ライオネルさんは穏やかな声で話を続けていた。
気づけば――外はもう夜。夕方の淡い光がいつの間にか消えかけていて、廊下の奥からは誰の足音もしなかった。
けれど、私の心は――いつの間にか、別の場所を向いていた。
(……リリ姉……今、どうしてるかな)
(さっきのこと、気にしてないといいけど……)
ふと、胸の奥がぎゅっとなる。
怒られても、嫌われても、それでもずっと誰かのために頑張っちゃうリリ姉。
たぶん、今もまた、一人で悩んでる。
……そう思ったそのときだった。
「……ん?」
足元から、小さな声が聞こえた。
見ると、リシルがじっと動かず、扉の方を向いている。
「どうかしたの?」
私が問いかけると、リシルは姿勢を変えず、静かに答えた。
「……リリシアの気配が、少し……遠い、気がするの」
「――え?」
思わず声が漏れた、その瞬間。
扉がノックされたかと思うと、衛兵さんが小走りで入ってきた。
「申し訳ありません。先ほど、リリシア様がひとりで城下町へ向かわれたのですが……。
その……よろしかったでしょうか?」
「……えっ?」
わたしとフィオ姉が、同時に声を上げる。
「ひとりで……!?」
ライオネルさんも驚いたように立ち上がった。
城下町って、夜だよ!? まだちゃんと話し終わってないのに――
……リリ姉、またひとりで背負ってる……?
そんな胸騒ぎが、わたしの中でどんどん大きくなっていった。