3話_ 仲間と一緒なら頑張れる……かも!
私は、馬車の中でゆっくりと目を覚ました。
……リ……ね……
……り姉……?
「リリ姉っ! ねえ、起きてよっ!」
――ん、うぅ……?
ゆさゆさ、と誰かに揺すられる感覚にまぶたがぴくりと動く。
「ちょっと! なに寝てるの! もうグラディスに着いてるよ!?」
――ティナの大きな声。
私は目をこすりながら、ぼんやりと顔を上げた。
「……あ、ごめん。わたし……寝ちゃってた……?」
「もーっ!」
ティナは両手を腰に当てて、ぷくっと頬をふくらませる。
「せっかく“魔王になってから初めてのお仕事”なんだよ? もっとビシッとしなきゃ!」
……なんて言いながら、どこか嬉しそうに笑っている。
怒っているというより、心配してくれているのが分かって――
私は、小さく息を吐いて、こっそり苦笑いを返した。
ティナは私の腕をぐいっと引っぱり、そのまま馬車の扉を勢いよく開け放つ。
「ほら見て、グラディスの議事堂だよっ!」
ティナに引かれながら顔を上げると、白を基調に淡い青をあしらった荘厳な建物が視界に入る。
正面には、風に揺れる各種族の旗印が陽光にきらめいていた。
「もう……そんなに大声出さなくても、分かってるってば」
ティナはまったく気にする様子もなく、私の手を引いたまま階段を駆け上がっていった。
建物の正面には、重々しい雰囲気をまとった兵士たちが整列している。
そのうちのひとりが、一歩前に出て姿勢を正した。
「魔王リリシア様ですね。ようこそお越しくださいました。お待ちしておりました」
ぴんと張りつめた空気に、私は思わず小さく息を飲んだ。
そして、衛兵に先導されるまま、一歩一歩、議事堂の中へと足を踏み入れていく。
兵士に続いて、私たちは静かな廊下を歩いていく。
無言だった兵士が足を止めることなく、ふと振り返って言った。
「申し訳ありません。他の代表の方々は、まだ到着されておりません。
先に円卓の間でお待ちください」
そう言いながら、彼は少しだけ笑みを浮かべて前を向き直った。
その間も、ティナは珍しいものを見るように、きょろきょろと辺りを見回していた。
天井の模様に目を奪われたり、壁の装飾に「わぁ……」と小さく感嘆の声を漏らしたり、まるで観光に来たかのようなはしゃぎっぷりだ。
私は肩をすくめ、小さくため息をついた。
「ティナ……今日は私の“側近”として来てるんだから、ちゃんとしてよ……」
ティナは相変わらず、天井の彫刻を見上げたり、壁の装飾に感心したりしながら、観光気分で歩いている。
こっちの言葉が耳に入っているのかどうかも分からないまま、ふわっとした声が返ってきた。
「分かってる〜」
……絶対わかってない。
私は小さく目を細め、わざとらしく低い声で付け加える。
「……ノワールさんに言いつけるよ」
その瞬間、ティナの背中がぴくんと跳ねた。
「そ、それだけはカンベンしてっ!」
ティナが慌てた声を上げると同時に、私は思わず溜め息をついた。
ふと視線を横に向けると、先を歩いていた衛兵が、肩を小さく揺らしていた。
無表情だったはずのその口元が、ほんのわずかにゆるんで――
手で口を押さえるようにして、「くすっ」と小さな笑い声が漏れた。
……絶対、聞こえてたよね。
急に顔が熱くなるのを感じて、私は思わずティナの方を見る。
でもティナは、何事もなかったかのように前を向いたまま、ぴょんぴょんと軽い足取りで歩いている。
恥ずかしさも気まずさも、まったく感じていないようなその背中に、私は思わず小さくつぶやいた。
「……もー……」
その声に、自分でもつい苦笑してしまった。
と、そのとき――
後ろの方から軽やかな足音とともに、明るい声が響いてきた。
「リリー!」
聞き覚えのある声に、思わず振り返る。
「フィオナ!?」
そこには、少し息を切らしながらも、元気いっぱいの笑顔を浮かべた少女の姿があった。
彼女は駆け寄ってきて、私の目の前でぴたりと立ち止まる。
「久しぶり!リリ!」
彼女は獣人族の代表のひとり娘で、私よりひとつ年上の幼なじみ。
明るくて、ちょっとおせっかい――だけど優しくて頼れる、大切なお姉さんみたいな存在だ。
グレージュの髪をきゅっと高く結んだポニーテールが、いつも通りの元気な笑顔によく似合っていた。
「えっ、なんでフィオナがここに……?」
私が目を丸くすると、フィオナは自慢げに胸を張って言った。
「ふふん――実はね、リリが魔王になってから、私もお父さんの仕事を手伝ってるんだ!」
声に混じる得意げな響きと、その堂々とした態度に、思わず笑みがこぼれる。
「えへへ……じゃあ、これからは毎日会えるんだね!」
嬉しさを隠しきれずにそう言うと、フィオナはいたずらっぽく笑って――
「そゆこと!」
片目をつむって、ウインクをひとつ。
その仕草に、思わず胸の奥があたたかくなった。
だけどそのあと、ふっと気持ちが込み上げてきて――私は、返す言葉を失った。
視線を落とし、声も出ないまま、ほんの一瞬だけ沈黙が流れる。
「……リリ?」
不思議そうな声とともに、フィオナが顔を覗き込んでくる。
私は小さく首をすくめるようにして、ぽつりとこぼした。
「……実はちょっと不安だったんだ。
周りはみんな大人ばっかりで……。
でも、フィオナがいてくれるなら……頑張れそうかも」
そう言って微笑んだ自分の片目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
涙の理由は、自分でもよくわからなかったけど――
ただ、フィオナの顔を見ていたら、安心して、気が抜けてしまったのかもしれない。
私の頬をつたった涙に、フィオナは少し驚いたように目を見開いたあと――
「もう、リリってば……泣き虫なんだから」
そう言って、やさしく私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。
そのあたたかさに、また少しだけ胸が熱くなる。
……と、そこへ。
「ンンッ……!」
わざとらしいほど大きな咳払いが、すぐ横から響いた。
「ねぇ……私のこと、忘れてないよね?」
振り返ると、ティナが腕を組んで、ぷくっとほっぺたをふくらませながら、私たちをじーっとにらんでいた。
「えっ? あれ〜? ティナもいたんだ〜?」
フィオナが、今度はもっとわざとらしい笑顔で返す。
「む〜っ! フィオ姉、またわざとやってるでしょ!」
むくれるティナの様子に、私も思わずくすっと笑ってしまった。
「ふふ、ティナってば、反応が可愛いんだもん♪」
フィオナの意地悪に、ティナのほっぺがさらにぷくーっと膨らんだ。
「む〜っ!」
ティナの頬がふくらめば、フィオナがそれを面白がってつついて。
ティナがムキになれば、今度はフィオナが大げさに笑って見せる。
――まったく、もう。
私は思わず笑ってしまった。
……こんなふうに笑ったの、いつぶりだろう。
胸に残っていた不安が、少しだけ軽くなった気がした。
大丈夫、きっとやっていける。フィオナとティナがいてくれるのなら。
私は小さく深呼吸をして、ふたりのあとを追うように歩き出した。