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魔王だけど、まだまだ修行中!〜未熟な魔王様が“平和のために”できること〜  作者: マロン
第一章:『魔王なんて柄じゃないけど、平和のためなら頑張ります!』
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28話_ ふたりのはじまり

 パパの語りが始まると同時に、馬車の揺れが少しだけ強くなった気がした。


 窓の外では、まだ朝の光が街の屋根を照らしている。

 だけど、パパの声は――まるで時間を巻き戻すように、遠い昔を語り始めていた。


「――あれはな、まだ戦争が続いていた頃の話だ」


 そこから先の言葉は、どこか懐かしくて、少し寂しそうで――

 そして、やっぱり温かかった。

 

 * * *

 

 ――まだ、戦争が続いていた頃の話だ。


 ディアヴェルドとルミエル連合の争いは、終わりの見えない長い火種のようだった。

 和平を望む声も確かにあったが、それは常に剣戟と怒声にかき消されていた。


 あの時の俺は、まだ魔王ではなかった。

 肩書きとしては「次期魔王候補」と呼ばれてはいたが、そんなものは戦場では何の役にも立たない。


 敵の刃は、家柄も未来も選ばずに振り下ろされる。

 だから俺は、戦場に立った。

 己の力で、仲間を守るために――そして何より、「魔族も変われる」と証明したかった。


 名もなき兵士として、俺は地を這い、剣を握り、命を削って前線に立ち続けていた。


 だが、そんな日々の中で――ある戦いの後だった。


 敵軍との小競り合いで深手を負い、味方に担がれて後方の野営地へ戻ったときのことだ。


 戦場の喧騒とは打って変わって、そこは静かな場所だった。

 傷ついた兵士たちの呻き声と、浄化魔法のかすかな光、薬草の匂いが漂っていた。


「重傷兵、搬送します!」


 大声が飛び交い、俺の意識はかすかに霞んでいた。

 自分の名前を呼ぶ声、誰かが肩を押さえる感触。

 でも、それよりも――


 ふと、目に入ったのは、一人の女性だった。


 淡い銀の髪を結い上げたその人は、静かな表情で傷ついた兵士の手を取り、祈るように魔法を放っていた。


 傷口から溢れていた黒い瘴気が、瞬く間に清らかな光へと変わっていく。

 その光景に、なぜか俺の意識はふっと引き寄せられた。


「――次、搬送来ます!」


「はい。こちら、空きました。横にして」


 その声を最後に、俺の意識は闇へ沈んでいった。


 ◇ ◇ ◇


「……起きた?」


 どれくらい眠っていたのか。

 ぼんやりと目を開けると、視界に入ったのは、あの時の――あの、銀の髪の女性だった。


 整った顔立ちに、涼しげな瞳。

 けれど、どこか芯の強さを感じさせるその眼差しは、まっすぐに俺を見つめていた。


「……お前、は……?」


「ティリス。救護班です。あなたは、前線で倒れていたんでしょう?ひどい怪我だったけど……助かってよかった」


 ティリス――その名前を聞いた瞬間、なぜか胸の奥に、かすかな熱が灯ったような気がした。


「魔法、すごかったな……」


「ありがとう。でも、あなたが運ばれてきた時、正直かなり焦りましたよ。あんなに瘴気やられてるなんて……」


「はは……そりゃ、戦場ってのは、甘くないからな」


 口を動かすだけでも痛む身体に、俺は苦笑を浮かべる。


「名前は?」


「……マグナス。マグナス・ディアブローム」


「えっ――」


 ティリスの顔が、わずかにこわばった。


 当然だ。名家の娘なら、その名を知らないはずがない。

 現魔王の息子、戦場に出ている“はぐれもの”の噂は広がっていた。


「……驚いたか?」


「いえ、別に。ただ……そう。あなたが、あの“噂の”マグナスさんだったんですね」


 どこか呆れたように、それでも笑う彼女に、俺は少しだけ気が抜けたように感じた。


 ああ、この人の前では、肩書きなんて関係ないんだな――


 そう思えた瞬間、心が少しだけ軽くなった。


 ◇ ◇ ◇


 俺は、あの野営地の救護テントで――しばらく寝たきりの生活を送ることになった。


 身体の回復には時間がかかった。

 瘴気に侵された傷は深く、魔法だけでは癒しきれず、日々の看護と処置が必要だった。


 ……そのたびに、彼女がそばにいた。


「今日は熱も下がってますね。薬の効果が出たんだと思います」


「ふぅ……。助かる」


 淡々とした言葉遣いだけど、どこかあたたかい。

 ティリスの声は、静かな森の風みたいに心に沁みた。


「でも、本当に無茶しすぎなんですよ。普通の兵士なら……」


「俺が普通じゃないって言いたいのか?」


「そうじゃなくて。あなたみたいな人が前線で倒れてたら、それこそ士気にかかわるでしょう? ちゃんと自分の立場を考えて動いてください」


「ははっ……母親みたいなこと言うんだな、お前」


「もう……からかわないでください」


 そのやりとりが、毎日少しずつ増えていった。


 いつの間にか、俺はティリスの世話を受けるのが楽しみになっていた。


 彼女の手が傷口に触れるたび、あたたかな魔力が流れ込むたび、胸の奥がふわりと熱くなる。


 俺は……惚れていたんだと思う。


 けれど。


「……戦場では、よく知ってる人を亡くすんです。だから――」


 ある晩、包帯を替えてくれたあとに、彼女がぽつりとつぶやいた。


「私は、深入りしないようにしてきました。悲しいから。怖いから」


 ティリスは、自分の手のひらをじっと見つめながら、言葉を続けた。


「誰かを癒せるっていうのは、素敵なことだと思うけど……でも、それが叶わなかったとき、自分の無力さがすごく嫌になるんです」


「……」


「マグナスさんの治療だって、本当はすごく怖かったんです。間に合わなかったらって思ったら、震えが止まらなくて」


 それは、いつも毅然としていた彼女の姿からは想像もできなかった。


「……ティリス」


 気づけば、俺の口から自然に彼女の名前が漏れていた。


「……俺は、ここで死ななかった。お前が助けてくれたからだ」


「でも――」


「違う」


 俺は、言葉を遮った。


「お前が怖いって思った気持ちも、お前が震えたことも……全部、俺には救いだったんだ」


「……救い?」


「そうだ。戦場で心がどれだけすり減っても、お前みたいなやつがいると思えば、また立ち上がれる」


「……」


「だから、ティリス。お前がそばにいてくれて、嬉しかった。……ありがとうな」


 そのとき、ティリスは何も言わなかったけど――


 ふっと表情がやわらいで、小さく微笑んだのを、俺は見逃さなかった。


 そして、それは俺にとって――

 きっと、“救い”と呼べる、初めての出来事だったんだ。


 ◇ ◇ ◇


 療養生活も三週間を過ぎる頃、俺の傷はようやく癒え始め、立ち上がれるほどには回復していた。


 ……そして、やらかした。


 夜、薬をもらった帰り際。テントの外で、いつものように彼女と並んでいた時だった。


「……なあ、ティリス」


「なんですか?」


 月明かりの下、彼女の横顔は静かに光っていて――その美しさに、つい言ってしまった。


「お前、綺麗だよな。……もし俺が次に死にかけたら、またお前に看病してもらいたい」


 ――……。


「……は?」


 ティリスの眉がピクリと動いた。


「あ、いや、つまり……そういうの、いいなって……」


「それ、褒めてるつもりですか?」


「う、うん? ……え、違う?」


「本当に、戦う以外はバカなんですね」


 バチンと平手をもらうかと思ったが、彼女はぐっとこらえていたようだった。


「私は救護班です。命を助けるために魔力を使っているんです。あなたに“都合のいい保険”みたいに思われたくありません」


「……ち、違うんだ、そんなつもりは――」


「だったら、もう少し言葉を選んでください。冗談でも、そんな風に言われたら……、悲しいです」


 ……その場の空気が一気に凍りついた。


 気まずい沈黙の中、ティリスはふいと目を逸らすと、短く礼を言って自分のテントに戻っていった。


 ――最悪だ。


 何をやってるんだ、俺は。


 好きだって伝えたいだけだったのに。


 俺の言葉は、彼女の心に、何も届かなかった。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、俺は退院を命じられた。


 野営地の指揮官から手紙を受け取って帰営したところで、すぐに親父……当時の魔王からの呼び出しがかかった。


「マグナス。状況は芳しくない」


 作戦地図を前にした親父の声は、いつも以上に重たかった。


「前線の損耗が大きく、後方部隊を動かすしかない。救護班にも前線での展開を命じる」


「……救護班まで? それじゃ、回復体制が持ちません!」


「わかっている。だが、このままでは戦線が崩れる。勝利のためには、多少の犠牲はつきものだ」


「犠牲……っ」


 歯を食いしばった。

 親父には逆らえない。それはわかっていたが、どうしても納得がいかなかった。


 ティリスたちが、あの混沌の戦場に出る?

 治すための魔法を持った者が、斬られる側に?


 ……許せるわけがない。


 ◇ ◇ ◇


 その日の夕暮れ、俺はティリスのもとを訪れた。


 彼女は変わらず、黙々と資材の整理をしていた。


「……ティリス」


「どうしました?」


「前線に……救護班が配置されることになった」


「……そうですか」


 ティリスは一瞬、手を止めたが、驚いた様子はなかった。

 覚悟していたのかもしれない。


「俺が……お前を守る。絶対に」


 その言葉には、先日の失敗の悔いと、焦りと、本気が込められていた。


 けれど、彼女は静かに首を横に振った。


「……あなたが守るべき命は、私ひとりだけではありません」


「……」


「私は兵士ではありません。けど、私には“癒す力”がある。だから、誰か一人に護られていては――意味がないんです」


 その言葉は、胸に刺さった。


 俺は、自分の感情だけを押し付けていたんだ。


 彼女の誇りや覚悟を、ちゃんと見ていなかった。


「ごめん……」


 そう絞り出すと、ティリスは初めて、穏やかな声で笑った。


「謝らないでください。私も、ちょっと意地悪でしたから」


 その笑顔は優しかったけれど、どこか寂しげでもあった。


 まるで、「これが最後かもしれない」と悟っているような――そんな顔。


 俺は、ただ黙って頷くしかなかった。


 ◇ ◇ ◇


 それからの数日、戦況は加速度的に悪化していった。


 魔力の流れがおかしくなっている――

 空気は澱み、土の匂いは焦げ、空は重たい鉛のように沈んでいた。


 前線に出た救護班の中で、再び彼女の姿を見たのは、それから四日後。


 俺自身の魔力もなぜか制御しづらく、右手の刻印が微かに熱を帯び始めていた。


 赤く光っていた刻印は、いつの間にか赤の中に黒の筋が走るような、奇妙な色に変化しはじめていた。


(なんだ……この違和感……)


 違う、いつもの感じとまるで違う。

 指先に魔力を集中させようとするだけで、脈打つように疼く。


 その時、陣地の向こうで悲鳴が上がった。

 混戦の中、何かが崩れる音。そして、倒れた誰かを囲む味方兵の影。


 その中に――見覚えのある、銀色の髪が見えた。


「……!」


 身体が先に動いた。


「ティリスッ!!」


 地面を蹴って駆け寄る。

 瓦礫に崩れかけた壁の下、救護服のままのティリスが、まるで人形のように横たわっていた。


 近づくにつれて、その顔色が、指先が、信じられないほど青ざめているのが見えてくる。


「嘘だろ……!」


 抱き上げると、その身体は驚くほど軽く、冷たかった。


 目は閉じられたまま、呼吸の音も――聞こえない。


「……死んでる……のか……?」


 頭の中が真っ白になる。


 全身の血が逆流する感覚。

 何かが壊れる音が、自分の中から聞こえた。


「……守るって、言ったのに……ッ」


 言葉にならない叫びとともに、右手に激痛が走る。


 バチッと空気が焦げるような音。


 右手の刻印――赫紋が、不気味な色へと染まっていく。


 闇紋。


 見たことのない、赤黒い印が、甲に浮かび上がった。

 そこからあふれ出すのは、制御不能の濁った魔力。


 風が巻き、空気が揺れ、周囲の兵たちが恐怖に声を上げる。


「離れろ!近づくなッ!!」


 咄嗟に周囲を制止する声が上がったのも聞こえたが、もはや自分では何も抑えられなかった。


 怒りと悲しみと後悔――それが魔力に混ざり合い、渦を巻いて暴れ出す。


 自分自身が崩れていく感覚。

 このまま何もかも壊してしまいそうだった。


 ――その時。


 腕の中の彼女の指先が、わずかに動いた。


「……っ……!」


 そして――


 ぽうっと、淡い光が俺の胸元から溢れた。


 ティリスの掌が、そっと俺の鎖骨のあたりに触れている。

 そこから流れ込んでくるのは、彼女の浄化魔法。


 (……ティリス……?)


 彼女は、息をしていた。

 無意識でも、俺の中の“何か”を感じ取って――止めてくれた。

 

 その光に包まれると、暴走していた俺の魔力が、徐々に鎮まっていった。

 

 地を抉っていた風もやみ、荒れ狂っていた魔力が、まるで霧が晴れるように薄れていくのがわかった。


「……ティリス……生きてる……」


 その時、ようやく理解した。


 彼女は……生きてた。――かすかでも、ちゃんと、息をしていた。


「よかった……ティリス……!」


 震える腕で、もう一度、彼女を強く抱きしめた。


 しかし――右手の刻印は、戻らなかった。


 赫紋はすでに赤黒い闇色に変わったまま、静かに脈動していた。


 ◇ ◇ ◇


 あの戦場から一夜が明けた。


 俺は今、救護施設の片隅で、ティリスの寝台のそばに座っていた。


 無事に彼女を連れて戻れた――そう報告された時、全身の力が抜けるほど安堵したが、それでも、彼女の目が開くことはなく、医師たちの言葉も曖昧なものばかりだった。


 命に別状はない。

 けれど、魔力の過剰消耗による衰弱と精神的ショックで、まだ目を覚まさない――そう言われた。


 ティリスの枕元には、彼女が使っていた聖水瓶が置かれている。

 淡い光を放つその瓶を見つめながら、俺は何度目かのため息をついた。


「……本当に、バカな男だよな……俺は」


 囁くように、独り言をこぼす。


 守るって、言ったのに。

 何も守れなかった。


 右手を見下ろせば、そこにはもう赫紋ではない。

 赤黒く染まる、禍々しい色の闇紋が、うっすらとした光を脈打ちながら浮かんでいる。


 彼女を抱きしめた時、暴走した魔力が周囲を飲み込みかけていたことも覚えている。

 その中で、ティリスが無意識に放った浄化魔法だけが、俺を正気に引き戻してくれた。


「……ティリス」


 名を呼び、そっと手を取った。


 その瞬間――わずかに、指がぴくりと動いた。


「……!」


 顔を上げる。

 眠っていたまぶたが、ほんの少しずつ開いていく。


 やがて、ぼんやりとした視線がこちらを捉え――ティリスの唇が、かすかに動いた。


「……マグ、ナス……?」


「ティリス……! ああ、よかった……!」


 思わず、感情が声ににじんだ。


 ティリスはまだ弱々しいながらも、少しだけ微笑むように目を細めて言った。


「無事……だったのね……よかった……」


 その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。


 心の奥にずっと刺さっていた棘が、すっと溶けていくような感覚。


 もう、言葉は止まらなかった。


「……俺は、最低なやつだ。約束も守れなかった。勝手に怒って、暴走して、結局、お前に助けられて……」


 ティリスは、小さく首を横に振った。


 責めるような視線はなかった。

 むしろ、安心させるような柔らかな瞳が、そこにあった。


 また怒られるかもしれない。

 でも、だからこそ、言おうと思った。

 言わずにはいられなかった。


「……それでも、俺は……お前を、手放したくない」


 右手を握りしめ、言葉を絞り出すように続けた。


「今ここで言うのは、ずるいのかもしれない。だけど……俺は、ティリス。お前のそばにいたい。これからもずっと……お前と生きていたいんだ」


 彼女の手を、両手で包み込むようにして、ゆっくりと視線を合わせる。


「結婚してくれ、ティリス」


 それは、戦場の隅で、命の境目を共に越えた男の――

 心からの、精一杯の告白だった。


 静かな時間が流れた。


 ティリスは、何度かまばたきをしてから、ようやく状況を理解したように、微笑みながら口を開いた。


「……そんな顔で言われても……ずるいですね」


 かすれた声だったが、そこに滲む優しさはいつもと変わらなかった。


「ずっと、言いにくそうにしてたのに。こんなときに……やっと言うなんて」


 からかうように、けれどどこか安心したように笑うティリス。


 俺は、恥ずかしさと嬉しさが入り混じったような表情で少しだけ頬を赤らめた。


「……答えを聞かせてくれないか」


 そう言うと、ティリスは目を細め、ふっと穏やかな吐息とともに――


「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう答えた。


 短い言葉だった。

 だけどその一言で、胸の奥にあった全ての不安と迷いが消えていくのを感じていた。


 どちらからともなく手を重ね、二人は微笑み合った。

 長い戦争の最中で出会い、命をかけて守り合ったふたりが、ようやく互いの想いを交わせた瞬間だった。


 ◇ ◇ ◇


 その翌朝。


 まだ早朝の光が救護施設を淡く照らしている頃、俺の元に一通の手紙が届けられた。


 封蝋には、見慣れた王族の紋章。

 だが、押しつけるように深く刻まれた蝋印の跡に、ただならぬ気配を感じた。


 封を切り、手紙を広げる。


 ――そして次の瞬間、俺は言葉を失った。


「……まさか……」


 震える手で、もう一度読み返す。


 内容はこうだった。


 魔王陛下、戦死。

 遺命により、マグナス・ディアブロームを次代魔王として任命。

 ただちに指揮権を引き継ぎ、事態の収拾に当たられたし。


 息が詰まった。

 あの不動の存在だった父が――もうこの世にいない。


「……親父……」


 気づけば、拳を握り締めていた。


 悲しみが、胸の奥から溢れてくる。

 けれど、その悲しみを吐き出す間もなく、周囲では次なる戦線の準備が進みつつあった。


 戦争はまだ、終わっていない。


 その時、ティリスがそっと寄り添ってくる。


「……手紙?」


「ああ……父が、戦死した。俺に……魔王を継げとさ」


 言葉にするたび、胸の奥が締めつけられるようだった。


 だけど悲しむわけにはいかなかった。

 戦争は終わっていない。悲しんでいる暇なんて――ない。


「……もう、引き返せない場所に、立ってしまった」


 ティリスは、迷いなく頷いてくれた。


「なら、私も一緒に立つわ。魔王の隣に」


 その言葉に、不意に笑みがこぼれた。


「ありがとう……ティリス。俺は……もう誰も悲しませたくない。こんな戦争を、終わらせたい」


 右手に刻まれた闇紋を、そっと見下ろす。


「そのために……お前と一緒に、和平を築いていこう」


「……ええ。あなたがそう言うなら、私は信じるわ」


 ティリスが俺の手をそっと握る。

 その温もりが、何よりも心強かった。


 朝の光が差し込む中、俺たちは確かに、同じ未来を見ていた。


 だが、現実はそれを許してはくれなかった。


 親父の死からわずか数日後、ディアヴェルド内は混乱の只中にあった。

 突然の魔王交代に、貴族たちは色めき立ち、前線では指揮系統の混乱も起きた。

 それでも、俺は立たねばならなかった。

 親父の死と同時に、俺は魔王の座を継いだ――その瞬間には、もう覚悟は決まっていた。


「戦争を終わらせる。……そのために、俺は“魔王”になる」


 ティリスの手を握る。

 彼女は頷いてくれた。どんな時も、決してその手を離さないと、目で伝えてくれた。


 とはいえ、すぐに結婚だの報告だのというわけにもいかなかった。


 俺たちはまだ、“敵味方”の立場を越えていない。


 ルミエル連合との停戦交渉は、長くて険しい道になることは明白だった。


 それでも、俺は選んだ。


 剣を捨てる覚悟を。

 力でねじ伏せる魔王ではなく、言葉と信念で導く“平和の王”として――立つ覚悟を。


 それは、ティリスの存在があったからこそ、できた決断だった。


「俺がこの手で、世界を変える」


 その言葉に、彼女はまっすぐ頷いてくれた。


 ◇ ◇ ◇


 数年後、ついに停戦交渉の席が設けられた。


 魔族と他種族が一つの机を囲むなど、かつてない光景だった。


 そして、俺の隣には――ティリスがいた。


 彼女は元は、魔族側の名門の娘。

 だが、戦場において、敵味方問わず負傷兵の応急処置に駆け回る姿を、俺は何度も見てきた。

 彼女にとって命の価値に、境界線など存在しなかった。


 その存在が、両陣営にとってどれだけの重みを持つか、誰よりも俺は知っていた。


 会議場へ入る直前――ティリスが、そっと俺の腕を取った。


「……あなたなら、きっと変えられるわ」


 その一言で、すべての不安が消えていった。


 そして、俺たちは歩き出す。


 敵味方の境界を越えて、未来へと続く道を――


 * * *


「――っていうのが、ティリスと結婚するまでの……まあ、大まかな流れだな!」


 語り終えたパパが、どこか照れくさそうに笑ってみせる。


 だけど、私は……胸が、熱くて仕方なかった。


「……う、うぅ……」


「……えっ、ちょ、リリ!? お、おい、泣いてるのか!?」


 突然の涙に、パパがうろたえる。


「ま、待て! どこが悪かった!? 話が長かったか!? オチが薄かったか!?」


 焦って頭を抱えるパパの姿に、思わず笑いそうになる――けど、笑えなかった。

 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるくらい、あたたかくて、苦しかったから。


「……ちがう……ちがうの……」


 私は首を振って、目元を袖でごしごしとこする。


「……だって、わたし、全然知らなかった……」


 パパとママの覚悟と想いが、心に深く突き刺さっていた。


「私……生まれてきて、よかった……。ふたりの子どもで、ほんとうに、よかった……」


「……リリシア……」


 パパが、そっと私の頭を抱きしめてくれた。

 大きくて、あたたかくて――昔から変わらない、安心できる場所。


「ありがとうな、リリシア。……お前がいてくれるだけで、俺たちは、どれだけ救われてるか……」


 優しい声が、静かに耳に響いた。


 ――しばらくして、ようやく涙が落ち着いたころ。


「ふふ……」


 私は、少しだけ笑ってから顔を上げた。


「でも……話を聞いた限りだと、結婚するまでほんとに大変だったんだね」


「ははは……そうだな。なかなかに苦労したぞ。……俺がな」


 ちょっとだけ、誇らしげな、でもどこか照れたようなパパの笑顔。


「よし……次は“恋人時代編”でも聞いてみるか?」


 その言葉に、私は小さく頷いた。


 ――きっとまだ、知らないことがたくさんある。

 だけどそれを知るたびに、私はもっと、パパとママのことが好きになっていく気がした。

 

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