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2話_ 黎明の夜明け

 ――あれは、まだ私が小さかった頃の話。

 暖かな日差しが差し込む庭で、私とティナは、ノワールさんに見守られながら魔法の訓練をしていた。

 あの頃の私は、まだ魔力の扱いも未熟で――

 そして、右手に浮かぶ“刻印”のせいもあって、魔力の制御がうまくできなかった……。


 その日は簡単な火球魔法の訓練だった。


「焦らず、魔力を整えろ」

 

 ノワールさんが静かに助言する。


 私は小さくうなずいて、そっと手を前に出した。

 魔力を集めて、熱に変える――それだけのはずなのに、手のひらがぴりぴりと痺れる。


「リリ姉〜、また顔こわばってるよ〜? ……なんか、お父さんみたい」


 ティナの茶化すような声が、少しだけ胸に刺さる。


「う、うるさい……やってるんだから……!」


 自分でも分かってる。焦っちゃだめ。落ち着いて、ゆっくり――

  私は目を閉じ、そっと深く息を吸い込む。

 緊張を押しこめて、魔力の流れに集中する。

 右手の刻印がかすかに熱を帯び――けれど、それはまだ制御の合図じゃない。


「……いける」


 そう思って、手を突き出した――その瞬間、


 ――ぽすっ。


 情けない音と共に、手のひらから湯気だけがふわりと立ち上った。


「ぷっ……何それー! リリ姉、ただの蒸気じゃん!」


 ティナが吹き出すように笑いながら言う。


「う、うるさいっ……!」

 

 思わず顔が熱くなる。失敗したのは悔しいのに、それを笑われると、妙に照れくさくて腹立たしい。


「でもさっきよりちょっと形になってたよ? 進歩進歩!」


 あっけらかんと笑うティナの顔を見て、

 私はため息をつきながらも、ほんの少しだけ、肩の力が抜けた。

 

 その後も私は日が暮れるまで、何度も何度も挑戦した。

 でも結果は――同じだった。

 火球はすぐにしぼんで消えるか、宙でぼやけて弾けるだけ。

 右手の刻印はじりじりと熱を持ち続けるのに、私の魔法はどうしても形にならなかった。


「……また、ダメか」


 唇を噛みしめる私の隣で、ティナが芝生の上に座りながら空を見上げている。

 オレンジ色に染まる空。もうすぐ、夕食の時間だ。


「ねぇ、リリ姉、もうやめよ? さっきからずーっと失敗ばっかだよ?」


「……やめてよ、ティナ」

 

 自分でもわかるくらい、声が少し尖っていた。


「だってほんとに全然できてないじゃん。ちょっとは休んだら?」


「ティナには関係ないでしょ……!」


「あるもん!ずっと見てるこっちの方が疲れるし!」


 はあ?――思わず、こぶしに力が入る。


「うるさいっ!!」

 

 私は、思わず叫んでいた。


「ティナだって……魔法、全然できないくせにっ!!」


「なにそれ!そんなの言わなくてもいいじゃん!」


「言いたくなるくらいムカついたの!」


「もう! リリ姉のばかっ!」


 その言葉が、胸の奥に突き刺さった。


 ――ばか。

 それだけの一言が、どうしてこんなに痛いんだろう。


 自分でも、わからない。


「……なんで、そんなこと言うの……」


 かすれた声が漏れたとき、視界がぐにゃりとゆがんだ。

 ぐらり、と立っていられないほどの熱が体の奥から湧き上がる。


 胸の中で、何かが弾けた。


 その瞬間――右手が、勝手に熱を帯び始めた。

  ――どくん、どくんと脈を打つたびに、胸の奥が熱くなっていく。

 

 気づけば、私の周囲に、もやのような赤黒い霧が立ちのぼっていた。

 それは空気をじわじわと焼くように、じりじりと音を立てている。

 

 ティナが、目を見開き、怯えたように一歩後ずさる。


 その瞬間だった。


 ――パァンッ!!


 右手から、制御の効かない赤黒い光が弾け飛ぶ。


 赤と黒が渦を巻く魔力の奔流が、空間を無差別に切り裂いた。

 空気が焼け、空間がひび割れ、世界が軋むような音を立てる。

 

 押し殺していたものが、堰を切ったように溢れ出す。

 自分でも気づかないうちに積もっていた感情が、身体の奥で爆ぜる音を立てた。

 全身の神経が焼けるように痺れて、手も足も言うことをきかない。

 自分の身体じゃないみたいだった。

 

 止めなきゃ――でも、もう遅い。

 熱と衝動が暴れまわり、紋章が勝手に力を解き放つ。

 その瞬間、私は“何か”に乗っ取られたような気がした。

 

  ……誰か、止めて。

 そう叫びたくなるのに、声も出せなかった。


 そのとき――

 風の流れが変わった。

 どこかから、すっと空気が冷える気配が走る。


 次の瞬間、遠くから駆け寄る足音――

 そして、よく知った声が、混乱の中を突き破った。


「リリ――っ!!」


 ママの声だった。

 

 その直後、ママの両腕が私の身体を優しく包み込む。

 温かな腕。けれど、その奥から感じたのは、確かな魔力の流れだった――。


「もう大丈夫……落ち着いて、リリ」

 優しい声。けれど、私の暴走する魔力に、ママの力が静かに重ねられてゆく。


 ぎゅっと、胸元に抱きしめられると、胸の奥で暴れていた熱が、少しずつ静まっていくのがわかった。

 まるで、暴れ狂う魔力を聖なる力で鎮めるように――

 

 苦しかった呼吸が、ようやく落ち着きを取り戻す。

 頭の中をかき乱していた怒りや混乱も、波が引くように、静かに遠ざかっていった。


 ぶつかり合っていた波が、やがて静かな湖面のようにおさまり、赤と黒の光が、ぱち、ぱち……と弾けながら、ゆっくりと消えていく。


 もう大丈夫だ。誰もが、そう思った。


 ――その直後だった。

 

 ぷつりと、何かが切れた音がした。

 空気がびりびりとひび割れ、世界が一瞬だけ静止する。


 そして――


 稲妻のような赤黒い閃光が、まっすぐにティナへと向かって走る。


「っ、ティナ――!」


 ノワールさんが咄嗟に駆け寄り、ティナをかばうように抱き寄せる。

 閃光がぶつかる――その瞬間、私の右手の刻印が熱を帯び、目の前が真っ白に染まった。


 気がつけば、地面には大きな焦げ跡が残り、私の右手に刻まれた刻印は、どこか澱んだような赤黒い光を、不気味に脈打っていた。

 ティナはノワールさんの腕の中で意識を失っていた。

 体に傷はなかった。けれど、ティナは――


 ◇◇◇

 

 ティナの異変がわかったのは、あまりにもあっけない瞬間だった。


 数ヶ月後、その日も私たちは毎年のように、墓地を訪れていた。

 ノワールさんの奥さん、ティナのお母さんの命日――


 私とパパ、ママ、そしてノワールさんとティナ。

 ディアブローム家と従者としてではなく、ひとつの家族のように並んで、静かに墓前へと向かった。


 右手の刻印は、すでに元の淡い桃色に戻っていた。

 空気も穏やかで、まるで何事もなかったかのように、静かな時間が流れていた。


 けれど――


 ティナは、立ち止まり、小さく首をかしげた。


「……ねえパパ。このお墓、誰の?」


 その瞬間、時間が止まった。


 ノワールさんとパパが、わずかに目を見開いた。

 ママは、苦しげにティナの肩へ手を置く。


 風が止み、木々のざわめきも遠のいていく。

 さっきまで聞こえていた鳥の声すら、ぴたりと止んだような気がした。


 私は、一歩遅れてその意味を考える。

 ティナの言葉は、あまりにも自然で――だからこそ、ぞっとするほど恐ろしかった。


「……え?」

 小さな声が、思わず口から漏れる。


 だって、ここはティナの……

 ティナの、“お母さんのお墓”でしょ?


 当たり前のはずの言葉が、喉につかえて出てこない。


 ――知らないの? 忘れてるの?

 どうしてそんなことを聞くの?


 脳が、思考を拒絶しようとしていた。

 胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。冷たいものが、背骨を這い上がるように走った。


 足元がふらつく。視界がぐらぐらと揺れる。


 まるで、世界が一瞬で裏返ったみたいだった。

 


 ティナのあの言葉を聞いてから、数日が経っていた。

 相変わらず、彼女はまるで何事もなかったかのように笑っている。

 けれど、その笑顔の奥に広がる“空白”に、私はずっと目を逸らせなかった。


 あの事故のあと、私はずっと眠れなかった。

 不安と罪悪感が胸を締めつけて、目を閉じるたびに、ティナの声がよみがえる。


 今夜も私は、胸のざわつきを押さえるように、ひとり静かな廊下を歩いていた――。


「……あれ……? 灯りが……」


 ふと、パパの書斎の前で足を止める。

 中から、誰かの話し声が漏れ聞こえてきた。


「……ティナの記憶は、やはり戻っていないか」

 

 声の主は、パパ――マグナス。

 続いて、ママ――ティリスの落ち着いた声が重なる。


「ええ……“カレン”との記憶だけが、きれいに抜け落ちているみたい。事故直後の混濁は、魔力暴走による精神的ショックと考えられるけれど――それだけでは説明がつかないの。“一部の記憶だけが、まるごと消えている”わ。……これは、刻印による干渉の可能性が高いわ」


「しかし、あの時、暴走した魔力は――私を直撃していたはずだ。

 ……なぜティナだけが……」

 

 ノワールさんの声には、怒りと悲しみ、そして戸惑いが滲んでいた。

 守れなかった自分への苛立ちと、理由の見えない現実への困惑。

 それでも、ティナに起きた異変を否定できずにいる、そんな声だった。


「ええ、私もあの場にいて、見ていました。けれど――あの魔力は明確に、ティナを狙っていました。

 おそらく……あの時のリリシアの怒りの矛先が、ティナに向いてしまっていたからでしょう……」


 その言葉に、私は息を飲んだ。

 心の奥に沈めていた“あの瞬間”が、音もなく浮かび上がる。

 

 私のせいで――

 

 そう思った瞬間、膝がかすかに震え、一歩、後ずさった。


「……リリシア?」

 

 気配に気づいたパパが、私の名を呼んだ。


 私は静かに扉を開けた。

 室内の空気が、少しだけ揺れた気がした。


「……聴いていたのか」

 

 パパの低い声が響く。私は何も言えずに、ただ頷いた。


 一瞬の沈黙が流れ――

 パパは静かに視線をママに向ける。


「……少し早い気もするが、あのことを話そうと思う」

 

 その言葉に、ママはゆっくりと頷いた。


 パパが手で軽く示すと、私は促されるままに、机の前の椅子に静かに腰を下ろした。

 するとパパは、傍らの棚から一冊の古い資料を取り出し、ゆっくりとページをめくっていく。

 

「……リリシア。お前の右手に現れた刻印――それは、歴代の魔王に継がれてきた《刻印魔術》だ。だが、その“色”は……初代魔王の時代にだけ記録されていた、特別な刻印と一致している」


 パパは資料を開いたまま、私の顔をじっと見つめる。


「《刻印魔術》とは魔族領が戦争のただ中にあった頃……一人の魔族が、平和を願って編み出した魔術だ。だが皮肉にも、その力は戦場で使われ……やがて恐れられるようになった」


 開かれたページには、桃色から濃い赤色へと変わっていく紋章の図が描かれていた。

 パパはその色の変化に指先を沿わせるようにしながら続けた。


「最初は希望の象徴として現れた印も、血と怒りに染まるたびに濃く変化し……やがて、制御不能となったと記録されている」


 私は小さく息をのむ。


「その魔術は、ただ強い力というわけじゃない。心の在り方に呼応して、その“性質”も変わる。

 そして――その魔術を遺した者は、特定の血にだけ受け継がれるよう、細工を施したらしい」


「それって……」


 私が思わず声を漏らすと、パパは一度目を伏せ、静かに言った。


「……ああ。お前の刻印は、この記録と一致する。だが、なぜ今になって現れたのか、なぜお前にだけ現れたのか――その理由は、俺にも分からない」


 パパの視線が、資料に記された図の中で、いちばん淡い色を宿した印の上で止まる。


「これまで、歴代の魔王たちには現れたことのないものだ。

 存在自体は“記録されている”が……詳細は、どこにも残されていない」


 私は、そっと自分の右手を見つめた。

 あの日――怒りと不安に飲まれそうになったあの瞬間。確かに、刻印が色を変えていた。淡く、そして、濃く――


「……もし、あのまま戻らなかったら?」


 ポツリと漏れた私の問いに、パパは少し目を細めて応えた。


「……きっと、今のままではいられなかっただろうな。

 だが――お前は、ちゃんと戻ってきた。ティリスのおかげだ」


 その言葉に、ママがそっと私の肩に手を置いた。


「刻印は、お前の心そのもの。だからこそ、向き合っていくしかない」

 

 パパはまっすぐに私を見つめながら、言った。


 ママは静かに寄り添い、私を優しく――ぎゅっと抱きしめてくれた


「リリ……あなたはあの時、本当に怖かったのよね。

 まだ自分の力が何なのかも、どうすればいいのかも、わからなかった……」


 ママの胸に顔を埋めると、知らないうちに、ぽろぽろと涙がこぼれていた。


「……でもね、今はそれでいいの。

 無理に答えを出さなくてもいい。

 ただ、これまで通り――ティナに優しくしてあげて」


 ママは、そっと私の頭に手を添えると、微笑みながら言った。


「あなたは――誰よりも、優しい子なんだから」


 その言葉が胸の奥にそっと触れて、張りつめていたものがぷつんと音を立てて切れた。


「……う……あ……っ……!」

 

 こらえようとしたのに、涙があふれて止まらなかった。

 感情が溢れて、崩れて――私はママの腕の中で声をあげて泣いた。

 あのときの私は、子どもそのもので、情けなくて、どうしようもなくて、それでもあの涙がたしかに私を救ってくれた。


 ……あの時、私は彼女の笑顔に甘えていた。

 でももう、逃げない。――ちゃんと、ティナに向き合うと決めた。


 ひとしきり泣いたあとは、不思議なくらい心が静かだった。涙をぬぐい、ふと顔を上げると――

窓の向こうに、朝の光が差し込んでいた。


 ああ、夜が明けたんだ――そう思ったら、少しだけ胸が軽くなった。

 きっと大丈夫――朝の光が、そう言ってくれているような気がした。

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