表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王だけど、まだまだ修行中!〜未熟な魔王様が“平和のために”できること〜  作者: マロン
第一章:『魔王なんて柄じゃないけど、平和のためなら頑張ります!』
26/47

24話_ 語られぬ術式

 昼間の和やかな空気とは打って変わって、その夜は少しだけ胸がざわついていた。

 ママから「夜にセリルさんが来るから、パパの部屋に来るように」と告げられたのだ。

 廊下を歩くうちに、胸の奥で少しずつ緊張が広がっていく。


「大事な話があったんだっけ……何の話だろう?」


 ぽつりとつぶやいた瞬間――


「わっ!? な、なにっ!?」


 突然、後ろから軽い影が飛びつき、肩の上にずしっと重みが乗った。

 心臓が跳ね上がるのを感じながら振り返ると、得意げな顔のリシルがそこにいた。


「あたしも行くわ!」


「もう……リシルか……あれ? でもセリルさんとは、まだ会ったことないんじゃ……」


「セリルって、あのハーフエルフの子でしょ? 問題ないわ」


「そうなんだ……」


 廊下を進み、重厚な扉の前で足を止める。

 

「……行くよ、リシル」

 

 軽くノックすると、すぐに「入って良いぞ」とパパの低い声が返ってきた。


 扉を開けた瞬間、革の匂いとランプの温かな光がふわりと広がる。

 奥の大きな机にはパパが腰かけ、鋭い視線をこちらに向けていた。

 机の前にはローテーブルが置かれ、その両側に二人がけのソファ。

 右側のソファにはママが、左側にはセリルさんが静かに座っている。


 ママの隣の空いた席に腰を下ろすと、リシルは私の肩からひょいっと降り、背もたれにちょこんと座った。

 その視線の先――向かいのソファに座るセリルさんが、私ではなくリシルを静かに見つめている。


「……お前が、リシルか?」

 

 落ち着いた声に、リシルは片眉を上げ、小さくうなずいた。


「そうよ。あんたがセリルね?」


「そうか。初めましてだな……」

 

 セリルさんは口元だけで微笑み、声も穏やかだ。

 リシルも同じように落ち着いた調子で、「よろしく」と短く返した。


「……あの……あまり、驚かないんですね」


 私がそう言うと、セリルさんは少し目を細めて、淡々と口を開いた。


「驚いてるさ……ただ、俺の知り得た情報と違うからな、拍子抜けしている」


 その言葉に、一瞬だけ呼吸が止まったような感覚が走る。

 私の後で、リシルが小さく「ふーん」と鼻を鳴らした。


「情報と違う……?」


 思わず聞き返すと、胸の奥で何かが小さくはじけた。

 セリルさんはテーブルの向こうで、ゆったりと背もたれに身を預ける。


「そうだ。俺がしばらくの間、エルフの里に戻っていたのは――ディアブローム家に代々伝わる固有魔法、刻印魔術を調べるためだ」


 静かな声なのに、その響きは部屋の温度を一度下げたように感じられた。


 リシルが背もたれから、ひょいと私の肩の上へ身を乗り出し、細い尻尾をゆらゆらと揺らしながら言う。


「まさか、エルフの里に情報が入ってるなんてね……。マグナス、あなたは知っていたの?」


 パパは机の向こうからゆっくりと視線を上げ、軽く頷く。


「ああ。昔、セリルに聞いた時は驚いたがな」


 その視線を受け止めながら、セリルさんはわずかに口角を上げ、テーブル越しに落ち着いた声を響かせた。


「すまない、里の老耄どもは知識欲が凄くてな。書庫には数百年、いや数千年前の本まである。その中に――どのようにして調べたのか分からないが、刻印魔術についての手記が残っていた」


 古の本。数千年前。セリルさんの言葉が静かに響き、部屋の空気がさらにわずかに重くなる。


 セリルさんは背もたれに軽く身を預け、私とパパを交互に見やった。


「……そこにはこう書かれていた。お前達ディアブローム家に代々受け継がれてきた《刻印魔術》は、初代魔王の時代に現れた“特別な刻印”と同じもので、心の在り方で性質が変わり、血と怒りに染まるたび色も濃くなる。そして――特定の血筋にしか受け継がれない」


 パパは机越しにまっすぐ視線を返し、短く応えた。


「……ああ。間違いない」


 セリルさんは一拍置き、ゆっくりと続けた。


「――そしてもう一つ。初代魔王には常に一匹の獣が側にいたそうだ。」


 パパの眉がわずかに動く。


「……そんな記録、ディアブローム家には残っていない」


 その声には、驚きと戸惑いが混じっていた。


 そして、パパの視線が私の肩へ移る。そこには、尻尾を小さく揺らすリシルが、じっとこちらを見返していた。


「やっぱり、リシルちゃんは刻印と関係してたのね」


 ママが穏やかに微笑みながら言う。


「ママ、気づいてたの?」


「何となくだけどね。そんな綺麗な子が、偶然そばに現れるわけないもの」


 リシルは誇らしげに鼻を鳴らした。


「リリシア、リシルが現れた時のこと、覚えているか?」


 セリルさんの声に、私は少し背筋を伸ばす。


「は、はい……あの時は討伐任務で、ドラグニアさんをバルグロウの攻撃から守ろうと必死でした。その瞬間、刻印が白く光って……気づいたら、そばにリシルがいて……」


「そうか……たしか、お前が街で魔獣に襲われた時も、右手が光ったんだったな」


「……はい」


「同じように光ったのは、その二回だけか?」


「そうだと思います」


「いや、もう一度だけあるんだ」


 パパの低い声に、私は思わず目を見開く。


「あれは、お前がまだ小さく、刻印も発現していない頃だ。俺もティリスも、評議会の仕事で手一杯で……グラディスの外壁工事の視察に行っていた。お前とティナを遊ばせ、ほんの少し目を離した時だった」


 パパの視線は少し遠くへと向かう。


「二人の悲鳴が聞こえて駆けつけると、ティナが魔獣に襲われていて……お前の右手に、刻印が現れていた。真っ白な光が周りを包み込み、魔獣は怯えたように後退していた」


「そんなことが……」


「覚えていないのも無理はない。お前はその後、気を失っていたからな」


 セリルさんが静かに言葉を添える。


「……やはり刻印の光は、強く“守ろう”とする意志に呼応するようだな」


 セリルさんの言葉に、場の空気がわずかに重くなった。

 その中で、リシルがふっと小さく笑う。


「……少ない情報でそこまで導き出すなんて、たいしたものね」


 私たちの視線が一斉にリシルへ向かう。

 彼女は尻尾をゆらりと揺らし、どこか誇らしげな表情を浮かべていた。


「まあ、完全に正解ってわけじゃないけど……半分は当たり。刻印とあたしが無関係ってわけないわ」


 リシルは口の端をわずかに上げ、わたしを見据える。

 

「――あの時の光は、あんたの願いに呼応してあたしが出したものよ。あんたの意志とは関係なく、ね」

 

 リシルは静かに私たちを見回し、淡々と口を開く。


「――そもそも、“刻印魔術”なんて魔法は存在しないのよ」


 その一言で、部屋の空気がひやりと変わった。

 セリルさんが眉をひそめ、パパも目を細める。


「本当は『神契術式』。あたしと、あんた――リリシアとの間に結ばれた、魂の契約」


 その響きは、ランプの温もりさえ遠ざけるほど静かだった。


「神契……術式……?」


「そう。あんた達の先祖がまだ魔王と言われる前の時代――まだ魔神と神獣がこの世界に干渉していた頃に生まれた術式よ。

 契約は、魔神の力と神獣の力をひとつの器に収めるための枷。力の均衡を取るための、唯一の方法」


 リシルは一度だけ尻尾を揺らし、今度は少しだけ視線を落とす。


「初代魔王は、誰よりも平和を願った人だった。その心に応えるように、異界から神獣が現れたの。……契約を果たしたその日、その神獣は姿を消し、魂の一部だけが器へと宿った」


 そして、私を真っ直ぐに見つめる。

 

「神契術式はね、契約した存在――神の魂の一部を分け与える形で成り立つの。あたしは――神獣の“分魂”」


 胸の奥に冷たいものが落ちた。


「……自我を持っている分魂は、神獣でもあたしぐらい。だからあんたが特別なのは、偶然じゃないのよ」


 セリルさんは、ゆっくりと視線を伏せた。

 

「――古の記録にも、その獣は“異界”から現れたとある」


 異界。その響きに、胸がかすかにざわめく。

 

「この世界に混沌が広がろうとしていた時代……その獣は一人の魔族のもとに現れたと。後に初代魔王と呼ばれる人物だ」


 パパが小さく目を細める。

 

「……だから、常に側にいたと記されていたのか」


 重苦しい静けさが落ちる中、私の肩の上でリシルが小さく息を吐いた。

 その横顔は、なぜかほんの一瞬、遠い景色を見ているようで――けれど、すぐにいつもの薄笑いに戻った。


「ま、細かいところはあたしも分からないけどね」

 

 軽く肩をすくめながらも、尻尾がひそかに揺れているのが視界の端に映る。


 その仕草が、なぜだか胸の奥に小さな棘を残した。


 セリルさんが腕を組み、静かに問いを投げる。

 

「……そもそも、魔神と神獣とは何なのだ?」


 リシルは一瞬だけ目を細め、面倒くさそうに尻尾をひと振りした。

 

「ふん……あんたエルフの代表なんでしょ?それぐらい自分で調べなさいよ」


「残念ながら、この世界に残る記録は断片的すぎる。ゆえに、こうして直接聞いている」

 

 セリルさんは涼しい顔で返す。


 リシルはため息をひとつ落とし、しぶしぶといった様子で口を開いた。

 

「……ったく、仕方ないわね。耳をかっぽじってよく聞きなさい」


 ランプの灯りに照らされたその瞳が、ほんの僅かに真剣さを帯びる。

 

「魔神も神獣も、元は“根源の核”と呼ばれる、世界の外にあったひとつの存在から分かれたもの。片方は『破壊と混沌』を本質とし、もう片方は『調和と再生』を本質とする――正反対の力を持った、対の存在」


 セリルさんが小さくうなずく。

 

「だから互いの力がぶつかり合えば、打ち消し合う……」


「そういうこと。魔神の力はそのまま使えば魂を喰い潰すけど、神獣の力を重ねれば浄化される。神契術式はその均衡を保つための術――両方を器に宿し、崩れないようにするためのね」


 リシルは小さく目を伏せ、淡々と続ける。


「……だから、あんたが背負ってるものは、ただの力じゃないのよ」


 短い沈黙の後、セリルさんがもうひとつの問いを投げる。

 

「……では、初代魔王はどのようにして神契術式を知り得たのだ?」


 リシルは肩をすくめ、あっさりとした口調で答えた。

 

「さあ?その時に現れた神獣にでも聞いたんじゃない?」


 軽口のようでいて、否定はしない。

その目が、ほんの一瞬だけ遠い過去を見ているように見えたのは――私の気のせいだったのだろうか。


 セリルさんのやり取りが一段落したところで、私は少し息を整えた。

胸の奥に、ずっと引っかかっていた疑問がある。


「……あの、私からも聞いていいかな?」


 肩の上でリシルが小さく首を傾げる。


「ん? なに?」


「どうして、リシルは私の前に姿を現せたの?」


 その問いに、リシルの尻尾がわずかに止まった。

ほんの一瞬、言葉を探すように間が空き――やがて、彼女は静かに口を開く。


「本来、神獣は器の外に姿を現せないの。

 でも、あんたの場合……境界が揺らいだ瞬間があったのよ」


「……境界が揺らいだ?」


「ええ――あんたが街で魔獣に襲われた時。

 助けに駆けつけたティナとフィオナを、必死に守ろうとしたわね?

 あの時の強い願いが、境界を激しく揺らした。だから……あの日、夢の中であんたに声だけを届けられたの」


 私はただ小さく息をつく。

……そういうことだったのね。


「それがきっかけで、あたしも“こちら側”に一歩、足を踏み出せた。

 どうして出られたのか……それは、今もあたし自身わからないけどね」


 リシルはふっと尻尾を揺らし、薄く笑ったあと、わざとらしく背伸びをする。

 

「さて、質問は終わりかしら? 無いならあたしはもう眠りたいのだけど」


「俺からも一ついいか?」

 

低く響くパパの声に、リシルの耳がぴくりと動いた。

 

「今の説明だと――なぜ神契術式が代々継承されているのかが分からないのだが」


「……それがね、あたしにも分からないのよ」

 

リシルは視線を天井に向け、ゆっくりと首を振る。

 

「本来なら、あの契約は初代ひとり限りのはずだった。けど、なぜか血の契約みたいに血筋に縛られる形になってる」


「血の契約……」パパが低くつぶやく。


「初代は魔神の力を制御できなくなって、そのまま姿を消したわ。何があったのかは記録にも残ってない。けど……」

 

 リシルは少しだけ目を細める。

 

「恐らく、魔神側が何か仕掛けたんじゃないかって、あたしは思ってる」


 リシルはそこで小さく息を吐き、わずかに視線を伏せた。

 

「でも……記録にある通り、“平和のために仕込んだ”って理由なら、どれだけ良かったか……」


 その言葉に、胸の奥がわずかにざわめく。

 私は思わず口を開いた。


「……リシル?」


 心配そうに呼びかけると、リシルは一瞬だけ視線をそらし、いつもの薄笑いを浮かべた。


「何でもないわ」


 軽く肩をすくめてみせるが、その尻尾は小さく揺れていた。

 

「さて、もう良いわね。あたしは休ませてもらうわ。――行くわよ、リリシア」


 リシルは私の肩からひょいっと軽やかに降り、尻尾をゆらりと揺らしながら扉へと向かっていく。

その背中を見送りながら、私は慌てて立ち上がった。


「えっ? わたしも?」


「あたりまえよ。誰が扉を開けるのよ」


 私は扉の取っ手に手をかけ、そっと引き開いた。

 リシルはすっと部屋を出ようとしたが、ふと立ち止まり、振り返る。


「あ、そうそう。あんた達の右手の印には名前があるのよ」


 不意の言葉に、私とパパは顔を向ける。


「マグナスの赤黒い印は闇紋アウバーン・グリフ――赤い赫紋カク・グリフから一段色が濃くなったもの。本来なら魔神の影響が出ていてもおかしくないけど……ティリスの浄化魔法がうまく抑えているようね」


 尻尾をゆるりと揺らし、今度は私に視線を向ける。


「そしてリリシア、あんたの桃色の印は暁紋ドーン・グリフ。初代と同じ印……」


「……ドーン・グリフ?」

 

思わず問い返すと、リシルはふっと口元だけで笑った。


「ただの名前よ。気にしなくて良いわ」

 

軽く尻尾を揺らし、くるりと背を向けて歩き出す。

 

「さっ! 行きましょう」


「……ちょっと待ってよ」

 

 取っ手に手を掛けたまま、私はパパとママ、セリルさんの方へ振り返った。


「……えっと、おやすみなさい」


 パパとセリルさんは静かに頷き、ママはやわらかな微笑みを浮かべる。

 その温かな眼差しを背に受けながら、私は再び正面を向き、部屋を出た。


 廊下に出ると、ランプの灯りが長い影を作り、リシルの尻尾がゆるやかに揺れている。

 彼女はすでに数歩先を歩いていて、その小さな背中は妙に確かな存在感を放っていた。

 私は慌ててその後を追い、静かに扉を閉めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ