18話_ 光の雨、心の刃
耳をつんざく破裂音とともに、赤紫色の魔力弾が床を抉る。
「きゃっ……!」
「下がって、ティナ、フィオナ!」
私は叫びながら、二人の前に立ち、魔力を手に集中させる。
ギーツは片手に持った魔導銃を器用に操りながら、口元に不敵な笑みを浮かべていた。
「いやぁ、逃げ足はなかなかのもんだなぁ。おかげで照準が狂う、狂う」
その言葉とは裏腹に、魔力弾の精度は凄まじく、私もセレナさんも一瞬たりとも気を抜けなかった。わずかでも判断が遅れれば、身体を貫かれる――そんな緊張感が、息をするのも忘れさせる。
床が爆ぜ、壁が焦げ、空気が焼けるように歪む中で、セレナさんが冷静に一言、告げた。
「リリシア、あれは詰めておいた魔力を圧縮して放つ武器よ。見ての通り、連射できる。でも――」
彼女の視線が、ギーツの手元に鋭く注がれる。
「長くはもたないわ。あの銃、一定量以上の魔力を込められない構造なの。つまり、撃たせ切れば“弾切れ”になる。」
「……っ! じゃあ今は、避け続ければ……!」
私は叫びながら、再び弾丸を紙一重でかわす。ギーツが舌打ちし、構えを変えるのが見えた。
「そうよ。焦らずに、魔力を削らせればいいの。私たちは魔法で応戦して、魔導銃を封じる」
「――了解です!」
私は大きくうなずき、再び距離を取る。
セレナさんの足元から、蒸気のように魔力が湧き上がる。冷気が空気を震わせ、彼女が指先を前に突き出した。
「――アイス・ニードル!」
凛とした声とともに、鋭く尖った氷の槍が何本も空を裂いて放たれる。ギーツはそれをひらりと身をひねってかわしながら、再び魔導銃をこちらに向けた。
けれど――撃つたびに、ギーツの顔がわずかに険しくなっていく。
銃口の輝きが、最初よりもわずかに鈍っているように見えた。
ギーツの魔導銃から放たれる魔力弾――その軌道が、ほんのわずかに乱れはじめていた。
「ふん、そろそろか」
ギーツが自嘲気味に笑い、構え直す。だが、明らかに焦りが滲んでいた。
「セレナさん、あと少しで……!」
「ええ、追い込むわよ!」
セレナさんの掌に、ふたたび魔力が集中する。
「――アイス・バースト!」
地面から吹き上がる冷気とともに、鋭い氷柱が何本もギーツの足元を突き上げた。ギーツは舌打ちして大きく跳躍し、着地と同時に銃口を向けるが――
――パンッ!
乾いた音だけが響いた。
次の瞬間、ギーツが魔導銃を手元で振り、確認するように呟いた。
ギーツは舌打ちとともに、魔力切れとなった魔導銃を手から放る。がしゃり、と乾いた音を立てて床に転がったそれを一瞥し、彼はゆっくりと腰の剣に手を伸ばしていく。
――その瞬間
「リリシア、下がって!」
「えっ――」
セレナさんの叫びと同時に、ギーツの姿がふっと消えた。
――目の前にいた。
「なっ……」
私が反応するより早く、ギーツの剣がこちらへと振り下ろされ――
「っ……!」
咄嗟に魔力の障壁を展開しようとした、その瞬間――
鋭い金属音とともに、誰かが私を突き飛ばすように庇った。
「セレナさん――!?」
見ると、セレナさんの肩から赤い線が走っていた。
「くっ……油断した……」
セレナさんは私を庇いながらも、肩を押さえ、痛みに顔をしかめている。
「セレナさん……!」
私の中に、怒りと恐怖がせめぎ合う。――でも、今は立ち止まっていられない。
「ティナ、フィオナ……!」
私の背後には、大切な仲間たちがいる。
(守らなきゃ……! 私が、守らなきゃ!)
私は魔力を手に集中させ、ギーツの動きを見据える。そして、前へと踏み出す。
「はああっ――!」
私はギーツを正面から見据え、両手に魔力を集中させた。
「――《ライト・レイン》!」
瞬間、私の手元から放たれた光が、無数の粒となって空中に広がる。
それはやがて、雨のように鋭く、ギーツへと降り注いだ。
「っと、おっと……危ねぇなあ」
ギーツはそれを紙一重でかわし、にやりと笑う。
「ほぉ、魔王様自らお出ましか。悪くない魔力だが――まだ甘ぇな」
「くっ……!」
私は再び魔力を練ろうとする。けれど、ギーツの間合いが近すぎる。次を放つ余裕はない――!
「リリシア、リシルを呼びなさい!」
セレナさんの声が鋭く響く。
「呼んでます! でも――繋がらないんです!」
必死に心の中で、何度も何度も名前を呼ぶ。けれど、返ってくるのは沈黙だけだった。
『リシル……お願い、力を貸して……!』
焦燥が胸を締め付ける。魔力が通じていない。何かが、遮られている……!
そのとき――ギーツの声が、嫌味げに響いた。
「なんだよ、戦闘中にお喋りとは随分と余裕だな」
セレナさんが苦しげに息を吐きながらも、ふと何かに気づいたように目を細める。
「……なるほど、そういうことね!」
そう呟いた次の瞬間、彼女は左手を振りかざし、ギーツの脇を狙って魔力を放つ。
「――《ステラ・ブレイク》!」
鋭く放たれた光の奔流が、ギーツの袖をかすめながら背後の壁を直撃する。
――ドォン!!
激しい音とともに壁が爆ぜ、砕けた瓦礫の隙間から、冷たい風が一気に吹き込んでくる。
「おいおい、どこ狙ってやがる……!」
ギーツが笑いながら、肩越しにこちらを振り返った。
だがその瞬間――私は確かに感じた。
胸の奥に、温かな気配がふっと灯る。
『リリシア!』
突然、頭の中に懐かしい声が響いた。
『リリシア! 無事!? ごめんなさい、ずっと繋がらなくて……!』
その声を聞いた瞬間、胸がいっぱいになって、息が詰まりそうになる。
「……リシル……!」
私は思わず、声に出していた。
目の奥が熱くなる。でも、泣いてなんかいられない。
『今なら、力を貸せる……! すぐそっちに行くから、それまで踏ん張りなさい!』
「……うん!」
私は大きく頷いて、ギーツを真正面から見据えた。
胸の奥に宿る、確かな“つながり”――リシルがそばにいるというだけで、足が震えるのが止まった。
私は手を前に掲げ、息を深く吸い込む。
「……いくよ」
指先に光の粒を集める。リシルの魔力が、静かに、けれど力強く流れ込んでくる。
「――《ライト・レイン》!」
放たれた光の雨が降り注ぎ、銀白の閃光が空間を一瞬で染め上げた。
「ちっ……!」
ギーツが身をひねって回避する。その動きは素早い、けれど――さっきより、彼の動きに迷いが見える。
今のは……効いた!
床に着弾した光の粒が爆ぜ、熱と風が空気を震わせる。その衝撃に、ギーツのマントがふわりと大きく翻った。
私は一歩、前へ出る。
そして――もう一度、魔力を手に込める。
「《ライト・レイン》!」
二度目の光の雨がギーツを追い立てるように降り注ぐ。ギーツは剣を振っていくつかの光を弾きながらも、後退を余儀なくされていた。
「……ふん、さっきと比べて随分キレが増したな、お姫様よォ」
ギーツが忌々しげに舌打ちしながら、隠し持っていたもう一つの魔導銃を引き抜いた。
片手に剣、もう片手には魔導銃。
――え?
私は一瞬、目を疑った。
たしかに、さっきまでは銃を使っていたはず。それが弾切れになり、剣に切り替えた……と思っていたのに。
「へっ、こいつは切り札だったんだけどな。……まぁ、仕方ねぇ」
彼が剣と銃を同時に構えた瞬間、空気がぴり、と緊張をはらんだ。
――その時
議事堂の外――崩れた壁の隙間から、ひらりと軽やかな影が舞い込んでくる。
『――待たせたわね、リリシア』
頭の中に直接届いた、聞き慣れた声。
「リシル!」
私は思わず声に出してしまった。けれど、確かにあの声は、私の中に響いた。まるで心の奥で囁かれるように。
リシルはギーツに鋭い視線を向けながら、視線だけで状況を素早く把握していく。倒れかけたセレナさん、部屋の隅で身を縮めるティナとフィオナ。そして焦げた床――
『ふーん、魔導銃を二つ持ってたなんて、ちょっと想定外ね』
その口元は動いていない。だけど、私の頭にだけはっきりと届く。
『ツイてなかったわね。でも、こっちはようやく全力を出せる』
ギーツは構えたまま、舌打ちをして口元を歪める。
「……猫? チッ、畜生が一匹増えたところで、何が変わるってんだ」
その言葉に、私の頭の中で溜息交じりの声が響く。
『ねぇ……リリシア。あいつ、今あたしのこと“猫”って……“畜生”って言わなかった?』
静かな語調の中に、ものすごく怒ってるのが伝わってくる。私は口元を引きつらせながら、念話で返す。
『えっ……えっと、うん……言ってた、かも……』
『……ふぅん』
リシルの尻尾がピクリと動いた。その瞬間、彼女の体がふっと宙に跳び――
「っ、速っ……!」
ギーツの目の前に回り込んだかと思えば、リシルは足元に飛び込み、回転しながら跳ねるように動いて、爪でギーツの足元を軽くかすめていく。
「ちょっ……お前ッ!」
ギーツの剣が振るわれる。だが、リシルはまるで風のように動いてかわした。
次の瞬間には背後。さらに背中を駆け上がり、肩に爪をかすめ――すぐにひらりと跳び退く。
『ふふん、当たらないでしょ?』
彼女は口元をぺろりと舐めながら、挑発するようにギーツを見上げている。
「……チッ、鬱陶しい猫だな!」
ギーツが怒鳴り、今度は本気の踏み込みで斬りかかる。
「リシルッ!!」
その瞬間、私は反射的に声をあげていた。
――私の声に、リシルがちらりとこちらを振り返る。
彼女の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
ギーツの剣が、その隙を狙って振り下ろされる――
だが、リシルは紙一重で体をひねり、刃の軌道をかわす。スッとすれ違うように滑り込み、距離を取った。
『……びっくりした。声出すなら言っといてよ、もう』
私は息を飲み、でもその口調に少しだけ安心する。
「ご、ごめん……!」
『いいわよ。――それじゃ、続けるわよ』
リシルがふわっと跳ねるように宙を舞い、ギーツの腕を目掛けて鋭く爪を振るう。
私はそれに合わせて手を掲げ、魔力を集中させる。
「――《ライト・ボルト》!」
私の指先から放たれた一本の光の矢が、ギーツの右肩を正確に狙う。
ギーツは咄嗟に剣で弾こうとしたが、直前でリシルが爪でその腕を押し返す。
「チッ、今度は狙いまで絞ってきやがったか……!」
彼が舌打ちしながら距離を取ろうとする。
『逃がさない――!』
リシルが低く跳ね、再びギーツの足元を狙う。
私はそのタイミングを見計らって、両手を掲げる。
「――《ライト・レイン》!」
光の雨が天井から降り注ぎ、逃げ場を封じるようにギーツを包囲する。
ギーツは目を細め、歯を食いしばりながらなんとかかわすも、徐々に追い詰められていく。
『今! 左からいって!』
「うん!」
リシルの声に即座に反応し、私はもう一度魔力を練る。
ギーツが魔導銃をこちらに向けるのが見えた。だが――
「――《フラッシュ・バインド》!」
まばゆい閃光が炸裂し、ギーツの視界を一瞬、白で塗り潰す。
「ぐっ……!」
『隙だらけっ』
リシルの体が翻り、ギーツの足元に飛び込む。その爪が袴を裂き、バランスを崩させる。
「な、なにっ……!」
私はすかさず詠唱を続ける。
「――《ライト・レイン》!」
無数の光の雨がギーツに降り注ぎ、その身を打つ。
ギーツが腕を振り、無理やり体勢を立て直す。
「……ったく、二人がかりで調子乗りやがって。」
そう吐き捨てた彼の目には、焦りと苛立ち、そして――わずかな迷いが滲んでいた。
その様子をじっと見ていたリシルが、私にだけ届く声で問いかけてくる。
『ねえ、リリシア。あなた、初級以外の魔法使えないの?』
「え? えっと……まだ練習中で……!」
思わずしどろもどろに答えると、リシルの尻尾がぴくりと揺れた気がした。
『じゃあ、その“練習中”の魔法、使いなさい』
「で、でもあれは……攻撃魔法っていうより、補助で……!」
『いいから。今、試すタイミングでしょ?』
言葉の裏に、“あんたならできる”という静かな信頼が滲んでいた。
私が息を呑んだその瞬間、ギーツが苛立ちを隠しきれないように唸る。
「ゴチャゴチャとうるせぇぞ、このガキ共が……!」
ギーツが苛立ちを剥き出しにしながら、こちらへ踏み込んでくる。
剣を振り上げたその姿に、私は思わず身構えた。
けれど――
隣から、静かにリシルの声が響く。
『リリシア、今!』
「……うん……!」
私は一歩踏み出して、両手を胸元に掲げた。
練習では、まだ上手く発動できたことは数えるほど。
でも今は、リシルがそばにいてくれる。力を貸してくれる。
だから――きっと届く。
「揺らめく光よ、迷いを鎮めて……
たゆたう流れよ、穏やかに還れ……
この手に、安らぎを」
リシルの力が重なった瞬間、胸元にあたたかな魔力が満ちる。
私は目を開き、強く、はっきりと唱えた。
「――《アストラ・ヴェイル》!」
柔らかな光が、私の周囲にふわりと広がる。
本来なら、味方の魔力を整え、癒しをもたらす――ただそれだけの、穏やかな補助魔法のはずだった。
ギーツが鼻で笑いながら、こちらを睨んだ。
「……そんな補助魔法で、何をするつもりだよ?」
だが、次の瞬間だった。
光が跳ねるように舞い上がり、魔法陣が鮮烈な輝きを放つ。
優しいはずの光が、まるで刃のように鋭く変貌し、空間そのものが震えた。
本来の“癒し”の波動が、明らかに“別の何か”へと変質している――直感で、そう感じた。
「……えっ!?」
空気が震える。
編まれた光の糸が、まるで生き物のようにギーツのまわりを包み込んだ。
「な、なんだ……!? 動きが……っ!」
ギーツの腕が、わずかに震えたまま止まる。
剣を振り上げた体勢のまま、動かせない。
足も、手も――力が入らないように見える。
『リリシアの魔法、変質してるわね。今のはもう、補助じゃない。
――敵の魔力の“流れ”そのものに干渉してる』
「……魔力の流れを……?」
私は自分の手を見つめる。
震えていたはずの指先が、今は静かに光っていた。
「バカな……こ、こんな魔法、知らねぇぞ……ッ」
ギーツが声を張り上げる。けれど、もうその目は焦点を失い、霞み始めていた。
「くっ……あ……!」
そのまま、力なく膝をつき、崩れ落ちる。剣も魔導銃も、床に転がり落ちていった。
――意識が、ゆっくりと沈んでいく。
私はそれを見届けながら、そっと手を下ろす。
殺さない。絶対に……
だから、この魔法は、ここで終わらせる。
静かに魔力の流れを断ち、私はそっと目を閉じた。
「……ありがとう、リシル。力を、貸してくれて……」
その言葉に、リシルがふわりと私の肩に飛び乗る。尻尾をゆらゆらと揺らしながら、どこか誇らしげに――でも、ちょっと照れくさそうに囁いた。
『ふふん。あたしとあなたの中でしょ? 当然よ』
私は思わず、小さく笑みを漏らす。
――しん、とした静寂が広がった。
焼け焦げた床。崩れた壁。静まり返った円卓の間に、風の音だけが響いていた。
その中で、震えるような小さな声が届いた。
「……やったの?」
振り返ると、ティナがフィオナの肩に寄り添いながら、目を丸くしてこちらを見ていた。
私はそっと微笑んで、頷いた。
「うん。もう、大丈夫だよ」
その言葉に、二人はおそるおそる立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
ティナは次の瞬間、堪えきれなかったように涙をこぼしながら、私の胸に飛び込んできた。
「うわああああんっ、リリ姉ぇぇぇ……!」
「わっ、ちょ、ティナ……」
私は驚きつつも、その小さな体をしっかりと抱きとめる。
フィオナはすぐ横で、その様子を見ながらも目を丸くしていた。
「リリ……あんたいつのまにそんな強くなったのよ……」
言葉には驚きと、ほんの少しの尊敬がにじんでいた。
その視線を横目に、私は苦笑しながらティナの頭をそっと撫でる。
ふと視線を向けると、セレナさんが肩口を押さえながら、傷の痛みに顔をしかめつつも、静かに微笑んでいた。
「ふふ……本当に、成長したわね」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
けれど――
「……ついて……ねーな……」
背後から、かすれた声が聞こえた。
私は驚いて振り向く。
床に仰向けになったまま動けないでいるギーツが、かすかに目を開けていた。
「……!」
生きていた――そのことに、思わず胸をなでおろす。
死なせなかった。それが、なによりの救いだった。
床に倒れたままのギーツが、天井を仰ぎながら、ゆっくりと笑みを浮かべていた。
目を閉じたその表情は、悔しさよりも――どこか、吹っ切れたような穏やかさすらあった。
「……からだが……動かねぇ……」
その声には、痛みと、悔しさ、そして……どこか諦めにも似た響きがあった。
「チッ……やっと……幹部になったってのに……こんなガキ共にやられたんじゃ……立つ瀬がねぇな……」
その自嘲じみた言葉に、私は静かにギーツへ歩み寄っていく。
「リリ姉……」
ティナが不安そうに声を漏らし、フィオナも私の背に視線を向けたまま、動けずにいる。
その隣で、セレナさんは薄く目を細め、ギーツに警戒の視線を向けていた。いざというときすぐ動けるように、体に力を込めているのがわかる。
私はそんな皆の気配を背に感じながら、ゆっくりと足を止め、ギーツの傍に膝をついた。
「……どうして、こんなことをしたんですか……?」
私の問いかけに、ギーツはわずかに眉を動かした。だが目を開けることはなく、天井を見上げたまま、かすれた声で呟いた。
「……理由なんざ、言うほどのもんでもねぇよ……」
それでも、ゆっくりと、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
「……オレには……家族がいる。……でも、魔族の“元兵士”が真っ当に稼げる仕事なんて……今の平和な世の中には、どこにもありゃしねぇ」
その声は、苦々しく、どこか寂しげだった。
「戦争中は……殺した数で、英雄扱いされてた。……仲間も、部下も、皆……“兄貴”って慕ってくれた。……でも今じゃ……あの頃のことを話すだけで、後ろ指さされる」
拳を握りしめようとして、しかし力が入らず、その手は微かに震えたまま。
「平和になったのは……悪くねぇ。でもよ、俺達みたいなやつらは……その平和に置いてかれてんだよ……」
かすれた息とともに、笑うような、泣くような声が漏れる。
「だったら、戦争の時代に戻すしかねぇって……そう思っちまったんだ……」
私は、その言葉をじっと聞きながら、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
「……そんな理由で」
その呟きを、ギーツがかすかに拾ったのか、静かに――ぽつりとつぶやいた。
「……そんな理由……か……」
目を閉じたままの顔が、少しだけ苦く歪む。
「だったら聞くがよ――平和になったあと、俺達みてぇな戦争帰りが身を寄せてたスラムに、誰が手ぇ差し伸べてくれた?」
その声は、怒りよりも悲しみに近かった。
「仲間は仕事もねぇ、家族を養う金もねぇ。かつて戦場で“英雄”って呼ばれた奴らが、今じゃ腫れ物みてぇに避けられて……このままじゃ、腐っちまうしかねぇんだよ……!」
私は息を詰めた。けれど、その時。
「――それは、違うわ」
セレナさんの声が、静かに割り込んだ。壁際にもたれながら、血を拭い、その視線をギーツに向ける。
「評議会は、設立直後にスラム街への支援を始めたわ。職員も送った。けれど……彼らのうち数人が、暴徒に殺されたのよ。結果、交渉は打ち切り。支援は止まったわ」
「……なんだと……?」
ギーツの眉がぴくりと動いた。
「……そんな話、聞いてねぇぞ……俺達のとこに、誰も来なかった……」
「来たわ。けど――あなたたちが知らなかっただけ」
セレナさんの言葉が静かに落ちる。
ギーツはしばらく黙ったまま、ゆっくりと息を吐いた。
「……ああ、なんだよ……そんなの……知らなかったってだけで……俺は……」
その声はもう、誰に届くでもなく、ただ虚空に漏れていくようだった。