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1話_ 優しい手、震える手

 まぶしい朝の光に、目を細めた。

 いつも通りの朝――のはずなのに、心のどこかがざわついている。

 

「……ふあぁ。もう少しだけ……」

 

 そう呟いて、シーツをぎゅっと抱きしめる。


 私の名前は、リリシア・ディアブローム。

 ここ魔族領ディアヴェルドで、“魔王”なんて呼ばれてるけど――

 寝起きは、やっぱり苦手だ。

 

 まぶたを閉じて、もう一回寝ようとしていた――その時。

 扉の向こうから、バタバタと元気な足音が近づいてくる。

 

「リリ姉〜!おはようございま〜すっ!」


 ……ティナ、今日も元気すぎ


 まぶたを押さえたまま起き上がり、ぼんやりと伸びをする。

 その時、袖がずり落ちて――右手の甲が目に入った。


 そこに浮かぶ、淡い桃色の刻印。


 ――朝から見たくない。


 思わず、すぐに袖を引き上げて隠す。

 ほんの一瞬見えただけでも、胸の奥がざわつくのだ。


「開けるよーっ!」

 

 ノックもせずに、ティナが勢いよくドアを開けてきた。


「おはよーっ、リリ姉!

 って……今起きたの!?」


 無遠慮にドアを開けたのは、小さい頃から一緒に育った、一つ年下の妹みたいな存在――ティナ。

 自称・側近見習いで、肩までの栗色のショートヘアが、歩くたびにふわりと跳ねている。

 私にとっては、騒がしくて、ちょっぴりドジな……でも、大事な相棒。

 彼女はいつも、朝になるとこうして私の部屋へ押しかけてくる。

 でも……なんだかんだ、朝の弱い私の目覚まし係をしてくれている。


「うん……昨日、ちょっとだけ資料読んでたら……気づいたら遅くなってて……」

 

 目元をこすりながら、私はふらふらとベッドから立ち上がった。

 ぼんやりティナを見つめると、彼女は呆れ顔で手を腰に当てていた。


「ほら~、だから言ったのに!リリ姉はただでさえ朝弱いんだから早く寝なきゃダメだよ~。

 ほんと、夜更かし魔なんだから!」


「わかってるけど……」

 

 小さく頬をふくらませながら、私はクローゼットの扉を開けた。

 中には、式典用のローブのほか、柔らかい素材のパステルカラーのワンピースや、お店の前で一目惚れしたレース付きのチュニックなど――

普段着たくなる服が、ずらりと並んでいた。


 私が手に取ったのは、黒を基調とした公務用のワンピースドレスだった。

 裾には銀の刺繍がさりげなくあしらわれていて、肩に羽織るのは、深みのあるボルドーの薄手ボレロ――

ワインのように落ち着いた赤が、大人っぽい印象を添えてくれる。

 シンプルだけど、大人っぽくて――ちょっとだけ、お気に入り。


 私はそっとドレスに袖を通す。

 その様子を見ていたティナが、くるりと踵を返して言った。


「じゃあ私、先にいってるから! 着替え終わったら来てね!」

 

 ひらひらと手を振りながら、ティナは軽い足取りで部屋を出ていった。


 静かになった部屋で、私はボレロを肩に羽織る。

 襟を整え、鏡の前に立った。

 

 髪は、腰まで伸びた銀色――

 毛先は、やわらかく揺れるゆるいウェーブがかかっていて、動くたびにふわっと軽やかに跳ねていた。


 私はそっと前髪を整えながら、自分の顔をじっと見つめた。

 ……よし、たぶん大丈夫。


「……あっ……」


 鏡の前で右手を上げると、淡い桃色の刻印が、目に入る……

 見えただけで、胸の奥がチクリと疼く。


 私は引き出しから白い包帯を取り出し、手慣れた様子で右手に巻きつけていく。

 何度も巻いて、ようやく見えなくなった時――少しだけ、息がつけた。


「……これで、よし!」

 

 私は小さく深呼吸してから、部屋を出る。


 長い廊下を進み、ティナたちの待つダイニングへと向かう。


 扉を開けると、朝の光が窓からふわりと差し込むダイニングには、パンの焼ける匂いと、ハーブティーの香りが漂っている。

椅子に腰を下ろしながら紅茶を口に運んでいたのは、私のパパ――マグナスだった。


「おっ、リリシアのご登場だ。

 今日も天使すぎて……パパ、感無量だぞ!」

 

白髪混じりの黒髪に、鋭い目元。昔から私を溺愛してきて、正直ちょっとだけ面倒くさい――けど、そんなところもパパらしい。


「お、おはよう、パパ」

 

……朝からテンション高すぎ

私は小さく会釈しつつ、思わず苦笑いを浮かべて、ママ――ティリスに目を向けた。


「おはよう、リリ。よく眠れた?」

 

 ママは、朝から変わらず穏やかな笑みを浮かべていて、どこか安心感を与えてくれる。

 昔から変わらない、その落ち着いた声に、私は自然と頬を緩めた。


「うん、ぐっすり。」


そう答えたところで、ママがティーポットを手に取り、私のカップへとそっと紅茶を注ぎ始める。


 その隣――静かに食事をとっているのは、パパの従者であり、“現魔王”の私の護衛でもある剣士、ノワール・ルヴァンシュ。

 ティナの実の父親で、性格はティナと真逆。無口で何を考えているのかわからないけれど――私たち家族を、ずっと支えてくれている存在だ。


 私は軽く頭を下げる。

 

「……おはようございます、ノワールさん」

 

 声をかけると、彼はちらりと私を見て、小さくうなずいた。


 私はパパの向かいの席につき、隣ではティナがパンをつまみながら、すでに朝食の半分以上を平らげていた。

 ティナの食欲に、思わずくすっと笑みがこぼれ、私も朝食をとりはじめた。


 ◇◇◇


 朝のひとときが過ぎ、食卓に残るのは紅茶の余韻だけだった。

 城の前には、一台の馬車が静かに待っている。


 穏やかな口調で、パパが私に声をかけた。

 

「リリ、そろそろ時間じゃないか?」

 

 私は小さくうなずいて、ティナと一緒に席を立った。


 城の外に出ると、朝の空気はまだ少しひんやりとしていた。


 馬車のそばで、使用人が静かに控えている。

 私は小さく息をのみ、扉の前で立ち止まった。


 立ち尽くす私の肩に、そっと手が置かれる。


「心配はいらない。今日は“顔を見せる”だけだ」


 その声に、私はびくりと肩を震わせて振り返った。

 そこには、いつも通りの、でも少しだけ真剣な表情をしたパパがいた。


「それに皆、見知った者たちだ。深呼吸して行っておいで」


 私は小さくうなずきながらも、不安が胸に渦巻いているのを止められなかった。


 その気配を察したのか、パパは私の頭に手をのせて、ふわりと笑った。


「……不安になったら、帰ってこい。パパが、全力で甘やかしてやるからな」


 ――その言葉だけで、胸の奥のもやがすっと晴れた気がした。


 私は、パパの言葉を胸の奥で何度も反芻した。

 不安だったはずなのに、あたたかい何かがじんわりと心に広がっていく。


 そっと顔を上げて、思わずぽつりと漏らした。


「う、うん。……ありがとう、パパ」


 すると、パパはふっと優しく目を細めて、私の頭をくしゃりと撫でた。

 

 その隣で、ママもそっと私の手を握る。


「大丈夫よ。あなたならきっと、大丈夫。

 ……帰ってきたら、いつものハーブティーをいれてあげる」


 両親の言葉に、胸の奥がほんのりとあたたかくなる。


 ふと視線を感じて振り向くと、玄関の陰に、ノワールさんの姿があった。

 いつものように寡黙に――けれど、どこか「行ってこい」と背中を押すようなまなざしで、こちらを見ていた。

 

私は、小さく息を吐いて――そっと前を向いた。


「そうだよリリ姉!ドーンっと行こー!」

 

 先に乗り込んだティナが、いつもと変わらぬ笑顔で手を差し出してくれる。

 

「さぁ! リリ姉!」


「うん……」

 

 差し出された手をそっと掴み、私は馬車へと乗り込んで席に着いた。

 やがてドアが閉まり、馬のいななきとともに――馬車はゆっくりと動き出した。


 石畳の上を車輪がゴトゴトと転がるたび、車体がかすかに揺れ、その振動が背中から伝わってくる。

 

 窓の外に広がる街の風景が、ゆるやかに流れ始めた。

 色とりどりの屋根、通りを行き交う人々――

 商店街は朝から活気にあふれ、行き交う声や笑い声がかすかに耳に届く。

 その明るさに、胸がほんの少しだけ、高鳴った。


 今向かっているのは、“中立国グラディス”。

 魔族領ディアヴェルドと、人族・獣人族・エルフ族たちが暮らすルミエル連合――

 その二つの国の境に位置する、唯一の中立地帯だ。


 そこでは、各種族の代表が集まり、定期的な会議が開かれている。

 パパは、かつて魔王として何度も交渉の場に立ち、長く続いた戦争を終結へ導き、グラディスと評議会を築き上げた。

 そんな偉大なパパの後を継ぎ――今度は、私がその席に“魔王”として初めて、加わることになる。


「………………」

 

私はそっと息を吐き、張りつめた胸の奥をなだめるように深呼吸をした。


「見て見てっ!リリ姉、あのお店!新作のワンピース入ってるよーっ!リリ姉に似合いそう!」


窓の外を眺めていたティナが、楽しげに声を上げる。


「そ、そうかな……」

 

微笑み返すつもりだったけれど、口元が少しだけ、ぎこちなくなってしまった。


「……リリ姉?」


 ティナが不意にこちらを覗き込む。

 私は慌てて視線をそらし、笑ってごまかそうとしたけれど――

 いつの間にか、膝の上の拳が――自分でも気づかないほど、細かく、小さく震えていた。

 

「大丈夫だよ、リリ姉。いつもみたいにしてれば、きっとうまくいくって!」

「ほら、さっきのお店!次のお休みにフィオ姉も誘って行こーよっ!」


「うん……ありがと……ティナ!」


 震える私の手を、ティナがぎゅっと握りしめる。

 無邪気な笑みで励ましてくれるその姿に、私はぎこちないながらも、そっと笑みを返した。


 そのとき、ティナの視線がふと、私の右手へと移る。

 白い包帯を巻いた手を、彼女はそっと指でなぞるように触れた。


「……これ、今日は取らないの?」


 その小さな声に、胸が一瞬だけきゅっと締めつけられる。


「……うん……これはね、人に見られると……なんだか、不安って言うか……怖くなっちゃうから……」

 

 そう言いながら、声の震えを自分でもどうすることもできなかった。


 ティナはそれ以上何も言わず、包帯の上から私の手をそっと包んでくれる。

 きっと、何かを隠してるって気づいてる。……でも、ティナは、あの日の記憶を持っていない。

 ティナの、大切な思い出までも――私は、奪ってしまった。


 あのときの光景だけが、今も胸の奥に焼きついたまま、消えない。

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