16話_ 裏手の隠し通路
ドラグニアさんはパパと並んで、兵士たちと情報を交わしていた。その背は、戦場の静寂の中でもひときわ頼もしく映る。
「ドラグニアさん」
私がそっと声をかけると、彼女はすぐに振り返り、真剣なまなざしを向けてきた。まわりに聞こえないよう、私たちは足を止めたまま距離を詰める。
「……リシルの様子は?」
ドラグニアさんが、声を落として問いかける。
「無事です。今は議事堂の近くにいます。透視魔法で中の様子を探ってくれました」
私も同じように声を落として返す。
それから、パパや兵士たちにも向き直り、簡潔に状況を報告した。敵の人数、配置、ティナとフィオナの様子、市民や職員たちの動向――できるだけ正確に、リシルから得た情報を伝える。
報告を聞き終えると、ドラグニアさんは深くうなずき、腕を組んだ。
「……議事堂正面に十数人。見張りは二階にも。中はやや手薄……そして、円卓の間に指揮官らしき者。ティナたちは拘束されているが、無事。市民は避難済み……ふむ、ありがたい情報だ」
彼女が静かに呟くようにそうまとめると、すぐ隣で聞いていたパパが、ふと顔を上げた。
「しかし――どうやって、そんな詳細な情報を?」
「ふぇっ!?」
一瞬、私の心臓が跳ねた。
パパの視線が私に向けられる。真っ直ぐで、嘘がつけないまなざし。
「え、え〜と……」
どうしよう、と迷ったそのとき――隣から、軽やかな声が割って入った。
「私の“広域探知魔法”よ!」
――セレナさん……!
「広範囲に感覚を飛ばせる、ちょっと特殊な魔法なの」
彼女は何事でもないように涼しい顔でそう言い、ぱちんと軽くウィンクをよこす。
パパは一瞬だけ眉をひそめたが、深くは追及しなかった。
「なるほど……それなら納得だ。よくやったな」
「ふ、ふーん? 素直に感謝なんて……め、珍しいじゃない……!」
視線をそらしながらも、セレナさんの口元は少し緩んでいた。その姿に、私は内心で何度も頭を下げた。
ありがとう、セレナさん……。
ドラグニアさんは腕を組みながら、真剣な表情で地図を見つめた。
「しかし、正面の警戒が強いとなると……中に入るのが少し面倒だな」
その言葉に、場の空気が一瞬だけ重くなる。
だが、すぐにパパが「あっ!」と声を上げ、ぽんと手を打った。
「それなら、良い方法があるぞ!」
思い出したように言葉を続ける。
「議事堂の裏手にな、実は中へ入れる“隠し通路”があるんだ。構造を知ってる者しか知らんが……そこからなら内部に潜り込めるはずだぞ!」
その場が一瞬ざわつく。
「マグナス殿……そのような通路があるとは、聞いてませんが……」
ドラグニアさんが眉をひそめる。
「私も初耳よ」
セレナさんが目を細めて言った。
「わ、わたしも……」
私も思わず手を挙げてしまう。
「え? そうなの? てっきり皆んな知ってるもんだと……」
パパはバツが悪そうに頭をかく。ちらりと周囲の視線を受けて、肩をすくめた。
「……まあいいでしょう」
ドラグニアが軽くため息をつきながらも、表情を引き締めて続けた。
「では、突入にはその通路を使います。……となると、揺動と救出――二班に分かれるのが有効だな」
真剣な面持ちで戦術を練りはじめたその時――私は一歩、前に出た。
「ドラグニアさん!」
彼女が顔を上げた瞬間、私はまっすぐに訴える。
「私を、ティナとフィオナの救出に行かせてください!」
ドラグニアさんがこちらをじっと見つめる。その目は真剣で、静かな光を宿していた。
「……ダメだ。危険すぎる」
すかさず、パパの厳しい声が飛ぶ。
「で、でも、私は……!」
言いかけた私の言葉を、ドラグニアさんの声が遮った。
「――わかった」
「ド、ドラグニア!? 何を言っている!」
パパが驚きに声を荒げると、ドラグニアさんは静かに言った。
「マグナス殿、リリシアは討伐の二日間で驚くほど強くなりました。力だけじゃありません。判断力も、心の強さも……もはや、昔のリリシアではありませんよ」
パパは言葉を詰まらせる。
「し、しかし……」
「私も一緒に行くわ。それなら安心でしょ?」
セレナさんが軽やかに言い、いたずらっぽくウィンクする。
パパが何かを言いかけたその時――私は、もう一歩、前に出た。
「……お願い、行かせてほしいの」
しっかりとパパの目を見て、私は言葉を続ける。
「確かに、私はまだ未熟かもしれない。でも……ティナとフィオナは、私にとって、大切な友達なの。助けを待ってるのに、黙って見てるなんてできない!」
唇が震える。でも、それを押し殺すように、ぎゅっと拳を握りしめる。
「私は……あの子たちを、誰よりも強く救いたいって思ってる。だから、怖くても、危なくても、目をそらしたくない。私に……行かせてください」
私はもう、子どもみたいにわがままを言ってるつもりはなかった。
ただ、どうしても――どうしても、あの子たちを助けたいって、それだけだった。
そんな私の想いが、ちゃんと届いているのか。
パパの顔を見ると、ほんの一瞬だけ、表情が揺れた気がした。
「……はぁ。仕方ないな」
少しだけ眉を下げて、パパは肩をすくめる。
「ただし、絶対に無理はするな。セレナ、お前もいるならまだ……」
「もちろんよ。リリシアは、私が守るもの」
セレナさんが胸を張って言うと、パパはわずかに目を細めて、静かにうなずいた。
――許可が出た。胸が、ぎゅっと熱くなる。
「あ、ありがとうございます!」
思わず頭を下げた私に、ドラグニアさんがふっと微笑む。
「よし、では部隊を分けて作戦を立てる。兵たち、集まってくれ」
ドラグニアさんの一声で、その場の空気が変わる。兵士たちが素早く動き、冒険者たちも数人、興味深そうに近づいてきた。
「作戦はこうだ。まずは“揺動部隊”が先行する」
彼女は地面に簡単な地図を描きながら、淡々と説明を続ける。
「マグナス殿と私、それから兵士たちと、協力可能な冒険者数名で構成。こちらからグラディス市街に入り、敵の注意を引きつけながら、議事堂に向けて突入する」
「途中で俺は別行動をとる」
パパが静かに口を挟んだ。
「議事堂までは同行するが、途中で抜けて、バスカの家へ向かう。ヤツと合流して、さらなる支援を得る」
「了解しました。では――“救出部隊”は私の隊とは別行動となります」
ドラグニアさんがこちらを見た。まっすぐに。
「リリシア、セレナ、そして冒険者数名で裏手から進入してもらう。揺動部隊が議事堂に突入した後、大通りを避けて静かに裏手へ回り込み、潜入の機会を伺ってくれ」
私はこくんと頷く。
作戦の全体像が固まりつつある中で、パパがふと思い出したように声を上げた。
「そうだ、隠し通路の説明をしておかないとな」
皆が注目する中、パパは腕を組んで少し思案し、それから穏やかな口調で続けた。
「外壁の一部に、逆三角の石が埋め込まれてる場所がある。目印になるはずだ。で、そのすぐ下に、手が入るくらいの穴がある。そこを押し上げれば、中への入り口が開く」
その場の空気がわずかに引き締まる。隠し通路――今、この局面を覆す鍵になり得る情報だ。
「……それほどの機密を、こんな場所で口にしてしまって大丈夫なんですか?」
ドラグニアさんが思わず呟いたけれど、パパは肩をすくめるだけだった。
「秘密ってのは、こういうときのためにあるんだよ」
それを聞いたセレナさんが小さく吹き出した。
「ふふ、ようやく頼れる“おじさま”って感じじゃない?」
その言葉を最後に、空気が引き締まる。
すぐにドラグニアさんが兵士たちに命を飛ばし、全体が慌ただしく動き始めた。
――そして、私たちもまた、それぞれの持ち場へ向かう。
セレナさんと並んで歩きながら、私は深く息を吸った。
ティナとフィオナを、必ず――。
◇◇◇
陽の光がまだ街に残る中、私たちは人通りの途切れた裏通りを静かに進んでいた。
昼間とは思えないほどグラディスの街は静かだった。
通りの向こうから聞こえる喧騒は、きっと揺動部隊のもの。パパたちが、正面から敵の注意を引いている。
私たちは、それを背に受けながら――静かに、議事堂の裏手を目指していた。
一緒に行動しているのは、私とセレナさん、そして三人の冒険者たち。
討伐任務のとき、同じ班で行動した仲間で、今回も力を貸してくれている。
緊張の中に、確かな心強さがあった。彼らの存在が、それを支えてくれている。
先頭を進むのはバルドさん。無骨な重剣士で、言葉数は少ないけれど、前に出る姿勢には誰よりも安心感がある。
その後ろにはリーネさん。冷静沈着で現実的、でも仲間想いでお姉さんみたいな人、治癒魔法の腕前は確かだし、観察力も鋭い。
一番後ろを軽やかに歩くのがユーマくん。斥候役としての機転はピカイチで……ちょっと軽口が過ぎるところもあるけど、憎めない子だ。
「大丈夫だ、誰もいない」
先頭を進むバルドさんが、振り返らずにそう言った。変わらず無骨な背中が、頼もしく見える。
「にしても、あんたたちが手を貸してくれるとはね」
セレナさんが肩をすくめながら言うと、すぐにリーネさんが明るく返した。
「困った時はお互い様ですよ!」
「そうそう」
ユーマくんがにやりと笑い、軽く私にウィンクを送ってきた。
「……ありがとうございます、助かります」
私は一礼しかけて、でも踏みとどまって、小さく頭を下げた。
敵の視線を避けながら、私たちは裏路地の影を縫うように進んでいった。
途中、角を曲がった先で巡回中の敵兵が現れたが、ユーマくんが素早く手を振って合図を送ると、私たちはすぐに壁際へ身を潜めた。敵が通り過ぎるまでのわずかな時間――誰も声を発さなかった。
やがて足音が遠ざかり、静けさが戻る。
「……行ける。今だよ」
ユーマくんが低く囁き、私たちは再び足を早めた。
そして――議事堂の裏手に到着した。
高い石壁と、わずかに苔むした装飾。目印になる“逆三角の石”が、このどこかにあるはず。
「……あった! これじゃない?」
リーネさんが壁の一角を指さす。
そこには確かに、他と形の違う、逆さまの三角形をした石が埋め込まれていた。
「間違いないわね」
セレナさんがそれを確かめるように見て、頷いた。
「これの下に……あ!」
私は身をかがめ、逆三角の石のすぐ下を探る。
そして、見つけた――手のひらほどの小さな穴。中に手を差し込んで、力を込めて押し上げてみる。
……けど。
「っ……う、うんしょ……! あ、あれ……?」
びくともしない。
すごく、重い。
手に力を込め直すけど、石の板のようなものが引っかかっていて、持ち上がる気配がない。
「交代だ」
低く、静かな声。
すぐ後ろにいたバルドさんが、一歩前に出てきた。
「え、でも――」
「任せろ」
そう言うと、私をそっと横に避けさせて、穴に大きな手を差し込む。
ギシ……と、わずかに軋むような音。
次の瞬間、バルドさんの腕に力が込められた。
……ゴゴゴッ。
鈍い音とともに、石の一部がゆっくりと上がった。
中には、薄暗く狭い通路の入り口が口を開けている。
「……すご」
セレナさんの声が小さく漏れた。
「さ、さすがですね……!」
私が感嘆すると、バルドさんは何も言わず、ただ小さく頷いた。
「先に入るよー」
ユーマくんが先陣を切るように姿勢を低くして通路に入っていく。
その背中を見送りながら、私は――覚悟を決めるように、ひとつ息を吐いた。
この暗がりの向こうに、ティナたちがいる。
私は小さく頷き、通路の中へと足を踏み入れた。