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軍艦モノ

居合い切り戦艦隊

作者: 仲村千夏

 深い夜だった。


 月も雲に隠れ、星すらほとんど瞬かない。水平線の彼方から忍び寄る艦影は、まるで濡羽色の亡霊。だがそれは――かつて海を制した重厚なる装甲の王者、戦艦である。


 ただし、今宵の戦艦は常ならぬ姿をしていた。


「前衛突入戦艦、進撃。各艦、速力三十五ノットを維持せよ」


 通信機から低く響く司令の声。


 その声に、艦橋の誰もが息をのんだ。


 この艦――〈迅鋒じんぽう〉は、かつて存在しなかった“異形”の戦艦だ。排水量二万八千トン。主砲は三六糎連装砲を前後に一基ずつ。防御は中装甲に抑え、高速を誇る。最速時は三十六ノット。重巡すら追い越す刃のような艦。


 これが「居合い斬り戦艦」と呼ばれる由縁である。


「敵艦隊、第二前衛と接触。おそらく重巡複数、軽巡、駆逐群……数は三十を超すと推定」


 報告を受け、艦長・黒江中将は静かに頷いた。


「我らが切り込むのは、その外周――水雷戦隊の一角だ」


「目標、撃滅ですか?」


「否。敵の陣形を乱し、主力艦隊の探知範囲をこちらに引き寄せる。要は――」


 黒江は夜の海を見据えた。


「刃を見せる、ということだ」


   ※ ※ ※


 戦艦〈迅鋒〉、〈蒼牙そうが〉、〈雷閃らいせん〉、〈霞撃かげうち〉。


 この四隻からなる「迅鋒戦隊」は、条約撤廃とともに建造された特異な部隊だ。主砲数こそ少ないが、その運動性は巡洋艦に匹敵し、瞬時の砲戦展開と離脱を得意とする。


 だが、この奇策じみた構想には、かの大本営でさえも首を傾げたという。


「戦艦に機動力など無用。敵戦艦を撃滅できなければ存在価値がない」


 それが常識。


 だが、その常識を覆す夜が、今まさに始まろうとしていた。


   ※ ※ ※


 水雷戦隊が先行する。〈秋津洲〉〈雪風〉〈磯風〉……歴戦の駆逐艦たちが、敵先遣部隊に襲いかかる。その後方、十キロの距離を維持しながら、迅鋒戦隊は“斬り込み”の機を待つ。


「敵、針路変更。こちらの魚雷を警戒か……」


「各艦、主砲斉射準備。第二砲戦配置!」


 やがて、敵の重巡洋艦が魚雷回避のため大きく転舵した。


 その瞬間を、黒江中将は逃さなかった。


「砲撃開始。第一斉射、発射!」


 震えるような咆哮とともに、〈迅鋒〉の36cm砲が火を噴く。


 砲弾は闇夜を割り、逃げ惑う敵の軽巡へ――命中。


 一発で、炎が上がった。


「直撃確認、敵艦炎上! 命中弾三!」


「続けて第二斉射、斉射角度、十七度!」


 続いて〈蒼牙〉〈雷閃〉〈霞撃〉が次々に砲撃を開始。高初速砲による長射程斉射が、敵前衛を徹底的に乱した。


 敵艦は砲撃の方向から、相手が「戦艦」であることに気づく。


「敵、後退中! 重巡の一部、損傷確認!」


「水雷戦隊、雷撃戦に移行!」


 混乱した敵陣形を突いて、〈磯風〉が魚雷を放つ。続いて〈雪風〉が側面を回り込み、見事に敵駆逐艦を撃沈。


 この連携――機動戦艦による砲撃と、水雷隊の襲撃。


 これが、“居合い斬り”の真骨頂である。


   ※ ※ ※


 わずか二十分の斬撃だった。


 迅鋒戦隊は敵水雷戦隊を粉砕し、敵重巡隊の陣形を崩すと、そのまま旋回・離脱。


「追撃、なし……。敵主力は依然、後方に留まっているようです」


「よかろう。帰投準備、速力二十七ノットに落とせ」


 黒江は冷静に指示を下す。


 戦果としては中規模。だが、得たのは敵主力の位置と展開。そして何より――「前哨戦において戦艦が先手を取った」という事実だ。


「一刀入魂、成ったな」


 通信士が思わずもらした声に、黒江は静かに笑った。


「いや……これでようやく、刀を抜いただけだ。戦は、まだこれからだよ」


   ※ ※ ※


 この夜の戦いは、のちに「夜の居合い」と呼ばれ、近代艦隊戦術における“前衛機動戦艦”の有用性を証明する一例とされた。


 重武装・高速・限定運用――


 それは、常識を斬るための、たった一振りの刃だったのだ。

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