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第八話 次は

 朝、テントの中は異様に静かだった。

 誰もナギのことを口にしない。いや、「いない」と言ってはいけない何かがこの空間を支配しているようだった。


管理人はタブレットを見下ろしながら、淡々と声をかけた。


「伊吹。資材の運搬、また頼むよ」


 俺は「はい」とだけ答えた。


 昨日と同じルート。小屋への道を歩くと、自然がすべて俺を見張っているみたいに感じられた。風の音、水の流れ、木の葉の軋み。静かな脅迫。


 掘っ立て小屋は、昨日よりも妙に“きちんと”整理されていた。モップの跡のついた床。冷蔵庫内のケースの整列。どれにも“管理用”バーコードが無感情に貼られている。


 昨日見かけた「I.S」の箱は消えていた。代わりに、ひとつだけ小ぶりで、タグが貼られていない箱がそこにあった。異物。それだけがこの空間で目立っていた。


 手袋を外し、俺は静かにその箱の封を解く。


 中に入っていたのは、小さく折りたたまれたジャンパーと、A4サイズのビニール袋。このジャンパーは、間違いない、ナギのものだった。


 ポケットにはぐしゃぐしゃになったタバコの箱と、焦げたマッチが入っている。あの夜、彼女の指先にあったあの匂い。


 ビニール袋を開けると、中には紙切れがびっしり詰まっていた。だがそれは文章ではなく、数字と英語の羅列だ。


「4200000」「3」「0」「ZX27」……

 そして、何度も繰り返される小さな文字がある――“SEE ME”


 数字の「意味」より、その「声」が、俺の内側を掻きむしった。彼女は、ここに来て、「見た」のだ。小屋の奥底で、何かを。


 なんだこれは。胸の奥が冷える。だが、それは叫びではなく、“警告”だった。


 誰かがこれを見つけたが、“処理”できなかった。その証か? このタグのない箱の存在自体が、異常のマーカーだった。


 俺は冷蔵庫の奥を見た。まだ未確認の空間がある。意味を確かめるため、ゆっくり進んだ。身体が凍えて、呼吸が白くなった。


 壁の陰にもう一つ、同じくタグなしの小さな箱。軽く、しかし確かな重みがあった。


 怖くて手が震えたが、ナギの気持ちを想像した。あの夜、彼女はきっと、これを見たはずだ。


 蓋を持ち上げた。


 中にあったのは、ひび割れた手鏡だった。鏡の中央には黒マジックで一言、「YOU ARE NEXT」


 この言葉は、ジョークでもホラーでもない。警告だ。


 鏡裏には、管理用コードらしき痕跡。誰かの“タグ”が剥がされた跡だった。


 つまりこれは、「一度、処分予定だったもの」と同時に、“見逃された”ものだった。


 振り返ると、扉がかすかに動いた。無風のはずの外で、違和感の音。


 手にしたメモとジャンパーを抱いて、俺はその場を離れた。森の向こうから聞こえる川の音が、昨日よりも重く、深く、人の声のように聞こえた。


テントに戻ると、管理人が車から降りてきた。


「終わったか?」


「…はい」


「何か、気づいたことは?」


「…ありません」


 彼はそのまま何事もなかったように去っていった。

俺が胸ポケットのメモを隠していることなど、詮索しないまま。


 人間の存在とは、“ラベルがついたかどうか”この組織では、そういう尺度でしか扱われていないと肌でわかった。


 ストーブ前には杉田がいた。俺がジャンパーを差し出すと、彼の目が一瞬揺れた。


「そこに、あったのか」


「はい」


「メモは?」


 俺は頷いた。杉田は深く息をつき、発電機だけが響く中で、声を絞り出した。


「…今夜、明かりが落ちたあとで話す。ナギのことと、“ここの出口”の話もな」


 その声は、鋭く、重く、そしてどこかで“決断の鐘”を鳴らしていた。

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