幸せ
本日の授業も終わり、残りのお茶を飲む。そこで私はずっと聞きたかったことを聞くことにした。
「姫様一つ聞いてもいいですか?ずっと聞きたかったのですが聞くタイミングが見つからなくて。」
「もちろんどうぞ。」
姫様は教科書を隅に追いやり姿勢を正した。
「姫様の本棚に『近年の死亡原因について』、『理想の死に方』というすごい不穏な本があったんですが。」
『遺書の書き方』は直接的すぎて名前は出さなかった。
「えっ」
姫様は驚いたように私の方をみて、すぐ本棚の方に視線をむけた。
「あー、あの本ね。」
本棚から視線を戻し私をみて話し始める。
「隣の国もうちと同じで後継者争いしてるっていうじゃない?自分の身を守るためにも、死因とか危ないものを知識としていれておこうと思って。」
嘘だ。まっすぐ目をそらずに話してくれたが、姫様はそのあと右手で自身の左手首を掴む。そして、親指で左前腕の内側を擦る。何気ない動作だが、これは姫様が嘘をついた時の癖だった。
私はずっと姫様を見てきた。姫様がお茶会で様々な貴族と話をするのを少し離れたところから見ていた。苦手な食べ物をプレゼントされた時や、知っていることを隠さなきゃいけない時など、社交の上で嘘は必要になる。
そんな時、姫様は決まって親指、特に利き手である右手が多いが自然と動いてしまう。
本人は気づいてないのだろう。
つまり、今の姫様の解答は嘘だ。
本は別の目的があるようだ。
やはり自殺しようとしているのか、今世を諦めているのだろうか。
「そう、ですか。どうかお気をつけてください。姫様が幸せになられることを友人として心から願っています。」
月並みな言葉しか出てこない。姫様の婚約者は少し調べるだけでもかなり評判がよく人格者のようだ。こんな綺麗でこの国の王の長女なんだ、きっと姫様を大事にしてくれるだろう。
「ねぇ、ハイロンのいう私の幸せって何?みんな言うのよ、どうかお幸せにって。どうなってほしいの?」
姫様は少し悲しそうに私を見つめる。
「私は、姫様にご主人に愛され、子どもに恵まれ、何不自由なく毎日笑顔で暮らしてほしいです。」
きっと私だけでなく、他の教師たちも、侍女や兵士たちもそう願ってる。
強いて言えば、時々私と言う友人がいたことを思い出してくれたら嬉しい。
「そうよね。王女だもん、みんなそうなってほしいのよね。」
姫様は机の上のペンや教科書に視線を移しながら、口元で笑みを浮かべた。たまに見せる無理して作った笑顔だ。
「姫様…。」
「好きでもない人に身体に触れられて、愛してもいない人との子どもを産んで、会いたい人に自由に会えないのに、知らない人たちから祝福されてお金に不自由なければ幸せ?私には、、幸せに思えない。」
「それは…。」
言葉が続かない。
婚姻が決まってから今初めてその想いを話してくれた。でも、それは抗えない苦しいものだった。
「ハイロン、あなたは二度と私と会えなくなるのに、私が好きでもない男に触れられるっていうのに喜んで祝福するっていうの?」
嫌だ。貴方の笑顔を見るのが生き甲斐だった。
不相応にも私が貴方に触れる夢を見てしまうこともあるし、別の男が貴方を妻にする夢を見るたびに相手の男を殺したくなった。
でも、結婚は王命だ。国の命運もかかっているかもしれない。
私の嫉妬心は私が墓まで持っていく。
「会えなくなるのは嫌ですが、姫様ならどんな男性だって虜になります。姫様さえ、ご主人に好意を寄せれば幸せになることができると思います。姫様が幸せなら私の気持ちなんてどうでもいいものです。」
そう、姫様さえ相手の王子を好きになれば、幸せになれるのだ。それは嫉妬で可笑しくなりそうだが、姫様が幸せなら問題ない。
「会えなくなるのが嫌なら私を連れ去ってって言ったら?」
今度はまっすぐ私を見つめてそう言った。
私は唾を飲み込んだ。
私の心は歓喜と絶望に埋め尽くされた。
姫様は私に連れ去ってもらってもよいと思ってくれている。それくらいには信用してくれているということが喜ばしい。
私と同じ気持ちではないにしても、私とここから逃げ出しても良いと思えるほどには私を特別に思ってくれているということに歓喜した。
しかし、それと同時に姫様を連れ去ることができない事実に絶望した。まずこの塀に囲まれた王宮を姫様を連れてでることなんてできないだろう。仮に逃げ出しても必ず追われる。捕まれば王命に背いたとして極刑だろう。別に私が極刑になるのはリターンを考えれば負うべきリスクだろう。だが、姫様への刑罰は?極刑を免れたとしても何かの罰が姫様に向かうと思うと私は死んでも自分を許せないだろう。
そして、国と国を繋ぐ婚姻を破綻させたら私だけの刑罰ではなく、家族全員、もしくはうちで働く者たちや領民にまで罰が下るだろう。そう思うと連れ去ることができない事実に私は絶望した。
すぐに言葉を返せない私を空のように綺麗な瞳が見透す。
「冗談よ。深く考えないで。」
姫様はそういって授業は終わりと片付けを始めたのだった。
冗談ではなかった。癖や仕草を探さなくても彼女の目はそう話していた。
不甲斐ない自分に腹がたった。
だが、どうしても姫様を連れ去るなんてできるはずもなくて唇を噛んだのだった。