鳥籠
昨夜はよく眠れなかった。
姫様のこと、神獣様のことを考えてしまったからだ。
今日は幸い姫様の授業の予定しか入っていない。
今日の授業は午後からなので食堂でゆっくり食事をとる。
今日のメニューはカルボナーラのようだ。
この食堂は男性の騎士と文官、教師が使うものでありほとんどが貴族出身の者のため、特に料理の質が高いそうだ。
飛び級をして学校を卒業し教師になったため、教師の中で年の近いものはいない。
好きな女の子のそばに行きたいがために寝食を忘れるように勉強し、見事予定通り姫様の家庭教師の仕事を手に入れた私をみて、両親は軽く引いていた。
恐れ多くも王女の家庭教師になってしまったものだから、子爵家の長男でありながら領地の仕事を全くしなくても許されている。
だが、おかげで運動はまるで出来ない。貴族の嗜みと言われるダンスすら危ういだろう。
「ハイロン、授業はこれから?」
私の向かいの席に鍛えられた肉体とよく焼けた肌をもつ友人が腰を下ろす。彼はカルボナーラを大盛りで頼んだようだ。私は少し明るめの赤髪なのでたくさんの人がいる食堂でもすぐに彼は私を見つけ声をかけてくれる。
「ノールおはよう。あぁ、これから。君は?」
彼はこの王宮で数少ない気心が知れた友人で騎士として王族を護衛している。彼も実家は子爵で確か三男だった気がする。王宮で開かれる子どもだけのお茶会でよく顔を合わせるうちに仲良くなった。当時は同じくらいの背丈に体格だったが、今となっては彼は私より10cmほど大きいし、細身の私と騎士の彼では筋肉量が圧倒的に違う。彼は男前な顔つきのため、よく侍女たちに声をかけられているのを見かける。
「こないだ第六王子の暗殺未遂があっただろ?だから、どの王子たちも警備体制が厳格になっちゃって、なのに第二王子がこれから夜通し狩りに行きたいっ言い始めて。これから40人体制で狩り。絶対こんなに必要ないって!」
ノールは両手を頭に当て愚痴をこぼす。
騎士は大変だなぁと思いつつ、この国の勢力争いに嫌気がさす。
この国は何百年もの間、王族や貴族の勢力争いや後継者争いが続いており、原因不明の死者や行方不明者が数えきれない。
「サリャーナ姫、行っちゃうのっていつ?」
「3ヶ月後、18歳の誕生日の翌日出発予定。」
「このまま教師続けんの?第四王子の家庭教師もしてるよな。」
「さあ、どうするかね。」
彼は私の姫様への執着を知っており、姫様の婚姻が決まってからより可哀想なものを見る目で見てくる。もちろん婚姻が決まる前から呆れられていたが。
姫様の婚姻も勢力争いによるものだ。姫様と同腹の第四王子の立場を良いものにしようと母君とその実家が動いたそうだ。隣国の第二王子の妃、隣国でも巻き起こされている後継者争いに王子が勝った場合は姫様は王妃だ。
あの優しい姫様にその重圧は耐えられるのだろうか。
だが、姫様は粘り強い。心に決めたことをそう簡単に覆さない。そんな姫様が自殺なんて考えるだろうか。
私自身今後のことは考えられていなかった。領主の長男らしく、家の仕事を手伝うか、このまま姫様の弟君の家庭教師を続けるか。
「告んないの?」
「君も散々私に言ってただろう?高嶺の花だって。
姫様がこの国にいる最後ギリギリまでそばにいたんだ。気まずくなって解雇なんてされたら、私は一生後悔することになるだろうし、解雇されなかったとしても私と思い出を私の振った罪悪感で残したくない。」
よくそう簡単に告んないのって聞いてくれるな。
告白なんて自己満足だ。自分のためにも姫様のためにもならない。
それにもし本当に姫様が死のうと考えているなら、余計精神的負担を与えることになるだろう。
烏滸がましいかもしれないが、姫様も私のことは少なくとも友人としては見てくれているはずだ。友人を振るとなったら誰でも多少はストレスを感じるはずだ。
私は皿の縁についたらタレをかき集めて最後に残った麺に絡めて口にいれた。
「じゃあサリャーナ姫が結婚したら、一緒にダンスパーティ行って可愛い子探そうぜ。ハイロンはほっといたらいつまで経っても結婚しなそう。」
「別に一生独身でいい。じゃ、ノール仕事頑張って」
私はまだ食べているノールを放置し、食堂を出たのだった。
姫様の住む屋敷は王宮の西側に位置している。昔は屋敷の隣、姫様の部屋の近くに楓の木が植えられていたが、その木をつたって姫様が脱走したのがバレたため近くにある木は全て伐採されてしまった。今考えるとかなりお転婆な王女様だ。
姫様は花好きで、屋敷の周辺にはたくさんの花を育てさせている。本人は自分で育てたいと話していたが、さすがに王女に土いじりは許されなかったそうだ。また高さのある花を育てることも許されなかったそうで、なんとか母君と交渉して屋敷から少し離れた場所にバラなど高さのある花を育てさせている。
屋敷の入り口には今はアネモネのプランターが飾られており、とても美しい。
屋敷に入ると侍女の1人が部屋まで案内してくれる。
王宮の侍女たちはシンプルなヘアアレンジが多く、ヘアアクセサリーも華美なものは禁じられている。
しかし、ここの侍女はいつも多種多様なヘアアレンジをしており、ヘアアクセサリーも男性である私から見てもオシャレなものが多い。
また、侍女たちが香水や香油をつけないよう言い渡されているところが多いが、ここの侍女たちは日ごと違う香水をつけている。不思議なのは毎回みんな同じ香水をつけていることだ。
「リード先生、本日もよろしくお願いいたします。」
侍女は姫様の部屋の前に着くといつも通りお辞儀をして扉をあけてくれる。
姫様の教師を始めたばかりのころは侍女も部屋の中で待機していたが、一年半たった今では部屋の外で授業が終わるまで待っていてくれるようになった。
「姫様、本日もよろしくお願いいたします。」
「ハイロン、こちらこそよろしくお願いします。」
姫様はいつも通り笑顔で向かい入れてくれた。
長い金髪を編み込みをしつつ青いリボンでハーフアップにまとめている。青いワンピースは姫様の水色の綺麗な瞳によく似合っている。
「本日のワンピースもよくお似合いです。」
「ありがとう。」
ここで可愛いだとか綺麗だと言える男がモテるのだろう。だが、姫様一筋、勉学にしか目を向けてなかった私には経験値が足らず上手く褒めることができない。
それでも姫様は笑顔で答えてくれた。国王は家柄を重視しながらも代々美人の女性ばかり妻にするため、姫様も美しい顔立ちをしている。そんな姫様が私に笑顔を向けてくれるのだ。笑顔を向けられるたびに嬉しくなってしまうのはしょうがない。
「では早速始めましょうか。」
授業はいつも通り問題なく進んだ。
そしてある程度進んだところで作ってきた問題を解いてもらう。
それを解いてもらっている間に、本棚を確認しようと思っていたのだ。
女性の部屋をジロジロみるのは良くないと思いつつ、確認しないことには安心できない。
授業を使っている本をもちながらそっと歩き回る。
不自然にならないように本棚の一番下の段の背表紙を確認していく。
小説が並べられている。特に気になる本はないなと左から右へ目を通していく。
が、途中で『近年の死亡原因について』、『理想の死に方』、『遺書の書き方』というとても不穏な本たちを見つけた。
一度目を瞑ってもう一度そちらを見る。
ダメだ。見間違えじゃない。
本当に?
どうして?
静かに姫様の向かいの席に戻る。
姫様は真剣に問題に向き合っているが、私の頭の中はいっぱいだった。本を開いて座ってはみたものの、ずっと頭は思考している。
結婚が嫌なのか、それともこの国を離れるのが嫌?後継者争いに巻き込まれるのが嫌なのか、知らない土地に行くのが嫌?婚約者の悪い噂を聞いてしまった?誰かに酷いことを言われた?
それとも何かの病気にかかってしまってそれが辛くて?
「、、ロン、ねぇ、ハイロン?」
腕を揺らされ、呼ばれていたことに気づく。
「失礼しました。どうされました?」
「だから、解き終わったって。どうしたの?何か考え事?」
と姫様は心配そうに私を見つめる。
「いえ、大丈夫です。」
安心させようと微笑むも姫様は納得していなそうだ。
「少し休憩しましょ。」
と、姫様が自分の本や教科書を閉じる。そして私の手元をあった本も抜き取られ閉じられた。
「何かあったの?私に力になれることはある?」
姫様はお優しい。自ら命を断つこと考えている中、私の心配をしてくださる。
私をじっと見つめる水色の瞳の中に、今は私しか映っていない。ここのまま時が止まって欲しいと思ってしまう。こんな時にそんなことを考えてしまう自分が自分勝手で本当に嫌いだ。
姫様はこんな私のことを気にしてくださっているのに。
「大丈夫です。ただ昨日は寝苦しく寝不足なだけですよ。失礼いたしました。姫様こそ、最近お悩みなどございませんか?」
「えっ、私?えー?」
まさか、自分にふられると思ってなかったようで少し驚かれた。
でも、少しでも悩みを引き出したい。
「えー、あー、うーん。」
私では相談相手にそぐわないか。
死にたいほどの悩みを私なんかには相談できないだろう。
「じゃあね、悩みとかじゃなくて、聞きたいだけなんだけどいい?」
「もちろんです。なんでも聞いてください。」
姫様、お優しい。私が少しネガティブになったのに気づいてくれたのかもしれない。なんでも答えよう。
「もし今の記憶があるままで生まれ変わって平民になったらどんな職業に就きたい?」
「え?」
全く予想外の質問だった。
「もしもよ。もしも。そこまで真剣に考えなくていいから。」
今までここまでイレギュラーな質問を姫様からされたことはなかった。
だが、難しい質問ではない。
「私は力仕事は得意ではないので、記憶を持ったままならまた教師でしょう。教師ならどこでもできますし、何より人に教えることが好きです。」
そう思うようになれたのは、姫様のおかげだが。
いや、待て。
もしかして、姫様はもう現世に見切りをつけて来世のことを考えているのではないか!?
「姫様は?」
恐る恐る聞いてみる。
「私、人を綺麗にさせてあげるのが好きなの。
結婚式とか好きな人と会う時にヘアメイクやお化粧をしてあげたいの。あと、お花も好きだからお花で香水を作って売りたいと思っているの。
でもこれでご飯を食べていけると思う?」
想像以上に来世を計画的に考えている…
目が本気だ。夢をみる少女のようにキラキラしている。
どう考えても王子妃や王妃になってできることではないだろ。
だけど、ものすごく心当たりがある。もしかしなくてもこの屋敷の侍女たちの髪の毛をアレンジしているのは姫様なのではないか。だから、王宮の規則を破ってもいても気にしてないのではないか?来世のための練習をしているのではないか?
いやでも、きっと例え話だろ。
こんな私に聞いてくれたんだ。真剣に答えよう。
「競争相手がいない場所でお店をすれば稼げるのではないでしょうか。
貴族相手だとその仕事は侍女たちがされるから難しいですけど、見栄を張りたいような商人の家の娘などを相手にするなら売り上げを見込めるかもしれません。
でもまず知名度をあげないとお店に来てもらえないから始めから稼ぐのは難しいと思います。知名度が上がるまでは親に頼りつつ少しずつ必要物品などを買い足したり、仕事を増やすのがいいのではないでしょうか。」
まじめに答えすぎたかと思ったが、姫様がメモを取り始めたため、続けてしまった。
なぜメモを取る!?来世に記憶は持ち越せないって!
「親が協力してくれなかったり、親に頼れないこともあるでしょ?そうしたら、お店立てて軌道にのるまでにいくらくらい必要だと思う?」
(姫様本気だ…)
来世のリスクヘッジや初期費用についてなんてどう考えても、もう今世を諦めているだろ。
「大金貨2,3枚は必要かと。」
「そんなに。ありがとう。さすが領主の息子ね。参考になったわ。」
いったい何の参考に!?
混乱している私に対して姫様は満足気だ。
「とんでもないです。小領地ですし、今は歴史や語学を専攻としてますから、必要であれば専門家へお聞きください。」
何とかこう答えるので精一杯だった。
姫様は本気なのかもしれない。
今世での幸せを諦めてしまっているのかもしれない。
「大丈夫?」
視線をあげると姫様は心配そうにこちらを見ていた。表情にでていたか。
「大丈夫です。ただそんな風に自由に働いたりする姫様を見てみたかったなと思いまして。」
姫様が町娘として店頭に立っていたら毎日通ってしまいそうだ。きっと姫様は忙しくても私の姿を見つけたら、誰にもわからないように微笑みかけてくれるだろう。
姫様は私が望みを話したことに少し驚きつつも、寂しそうに窓の外を見る。
「貯まったお金で一緒に買い物をしたり、でかけたりしたかったわね。」
あぁ、この王宮は鳥籠だ。姫様は自由に羽ばたけるのに、それを許さない。
家庭教師になったが、姫様に会えるのは当然この部屋でだけ。それまでは会話すらさせてもらえなかったのだから、それに比べれば全然マシだがそれでも多くを望んでしまう。
私も一緒に窓の外をみる。姫様が育てさせている花々が色鮮やかに咲いている。一緒に庭を散歩することすら叶わない。花々に囲まれた姫様は一際美しいのだろう。
「私も姫様と食べ歩きなど見てみたかったです。」
「ふふ、それは楽しそうね。」
どんな場所だろうと姫様といれば、美しく見れるだろう。
どうか今世を諦めないでほしい。どうか幸せになってほしいと私は心の底から願うのだった。
どうしてあんな本があるのか、直接死のうと思っていると言われるのが怖くて私には聞けなかった。
ハイロンの名前は
ハイロン•リードです。
サリャーナ姫は17歳、ハイロンは19歳です。
ちなみにノールも19歳で、サリャーナ姫と面識はありますが、2人はほとんど会話したことはありません。
※季節描写、外見描写を少し追加しました。(3/5)