幕間その9 或る暗殺者の最期(下)
「ようこそ、僕の部屋へ。」
階段を降りきった先で幾つかの扉を開けてたどり着いた部屋では、1人の耳長族が優雅に紅茶を飲んでいた。
栗色の髪を揺らし、翡翠色の瞳を細めて話しかけてくるこの耳長族がリコ・キサラギ本人に間違いないだろう。
「いい加減1人で過ごすのも飽きてきたところだったから、君達が来てくれて本当に良かったよ。例えそれが、招かれざる客だったとしてもね。」
言いながら、手に持ったカップを豪華な装飾が施されたテーブルにコトリと置いて、リコ・キサラギは俺達の方を見据えてきた。
リコ・キサラギが収容されているこの牢獄は、その昔、王に反乱を起こした王族を投獄する為に作られた特別な部屋で、王族が過ごすに相応しい格を持った一室となっている。
反乱を起こしたその王族は、かなり強大な魔力の持ち主であった為、魔力を使えないように部屋全体に魔封じの魔法陣が施されているのがこの部屋の特徴だ。
リコ・キサラギのような人物を閉じ込めておくには打ってつけの牢獄だろう(因みに、俺達は魔法陣の影響を受けないようにする特殊な魔導具を装備している為、魔封じの影響を受ける事はない)。
更には、リコ・キサラギは艶のある漆黒の腕輪・・・魔封じの腕輪を左右の腕に3個ずつ、計6個も装着しており、常識的に考えれば魔力を使えるはずは無い。無いのだが、どうにも嫌な予感しかしない。
「テメェがリコ・キサラギか。世界最強と謳われた人種にしては、随分と華奢で弱そうだな。」
「そういう君は何処のどちら様かな。察するに帝国の暗殺者ってとこだろうけど。」
「へっ。御名答って奴だな。帝国の暗殺者であっているぜ。このアルクト様が、世界最強だったテメェを今からグチャグチャにして殺してやるよ。美人の英雄様が泣き叫ぶ顔ってのはどんなのだろうなぁ?」
下卑た笑いを浮かべながら喋るアルクトに、リコ・キサラギは深いため息を吐き、心底呆れた顔で口を開いた。
「君は見た目通り脳味噌まで筋肉で出来ているのかな?出来る事と出来ない事の判別くらい出来るようになった方がいいよ。大した実力も無いクセに大口を叩くなんて、弱い犬ほど吠えるって奴かな。いや、低脳な君を犬と例えるのは犬に対して失礼か。」
捲し立てるような毒舌にアルクトは一瞬だけ呆気に取られるが、徐々に顔を赤くして、憤怒の表情となる。
「誰が低脳だ!このクソ女がぁあ!!」
怒声とは裏腹に、俺の目から見ても素晴らしい速度でリコ・キサラギに接近したアルクトは、大量の魔力を乗せた拳を椅子に座ったままの彼女に対して振り下ろす。だが・・・
「ぐ、はぁっ!」
その拳はリコ・キサラギを捉えることはなく、空を切る。逆にいつの間にか立ち上がって、アルクトの懐に潜り込んだリコ・キサラギの伸び上がるような掌底がカウンター気味にアルクトの腹に突き刺さり、その胴体を破裂させていた。
「あれ?見た目よりも脆いんだね。少し力を入れ過ぎたかな。」
破裂した胴体の一部・・・肉片がそこらじゅうに飛び散り、その一つが500メル以上離れていた俺の足元の床にベチャっとへばり付く。
アルクトは腹部に大穴を開けて後ろに倒れ込むと、ピクリとも動かない。穴から露出した臓物がドボドボと大量の血と共に流れ出し、高価な絨毯を赤黒く汚していた。
そんな凄惨な光景を眺めて、薄っすらと微笑を浮かべながらも淡々と喋るリコ・キサラギに、俺は恐怖を覚えた。
他のメンバーも完全に恐怖に呑まれて固まっている。無理も無い。アルクトは戦闘能力だけは本物だった。俺と同じくらいの実力はあったはずだ。
それが全く歯が立たずに惨殺されてしまったということは、俺達とは圧倒的な力の差があることを表しているからだ。
「・・・リコ・キサラギ。なぜ魔力を使える。」
恐怖を押し殺すかのように俺は奴に話しかけると、奴は場違いに明るい口調で喋り出す。
「何故って。こんなオモチャで僕の魔力を抑えられるわけないよ。知っているかい。魔封じの腕輪はね。装着者の体内に流れる魔力の流れを堰き止めることで、魔力を使えなくするのさ。」
「貴様は6個も装着しているだろうが!何故使える!!」
「君は大河を堰き止めるのに、石ころを6個しか積み上げないのかい?」
「・・・っ!」
つまり魔力を堰き止める容量そのものが圧倒的に足りないってことか!
「まあ、小さな出力の魔力は使い辛くなるから、ちょっとは影響があるんだけどね。おかげで、さっきの筋肉ダルマへの攻撃は、力加減を少し間違えてしまったし。汚い内臓を撒き散らしちゃったよ。」
そう言ってリコ・キサラギは腕組みをして、しばらく何事か考えていたが、ポンと手を叩く。
「そうだ。邪魔だし、この腕輪は壊しちゃおうか。」
「一体、何を!?」
俺がそう言った時だった。
『魔力解放』
リコ・キサラギが力ある言葉を紡ぐと、その途端に人種にはあり得ない、おびただしい量の魔力がリコ・キサラギの小さな身体から溢れ出す。
その両腕に装着していた魔封じの腕輪に、ピシリとヒビが入ったかと思うと、直ぐに全体がヒビだらけになって、最後にはさらさらと崩れさってしまう。
だが、リコ・キサラギから湧き出る魔力が止まる気配は無く、ねっとりとした粘性を含んだ様にも見える魔力は、どんどんと牢獄の中に充満して俺達を包みこもうとしていた。
「この・・・化け物がっ!」
その光景を見て、俺の口からポツリと本音が零れ落ちる。
通常は見えないはずの魔力が、可視化されるほどに圧縮されているだけでも驚異的だが、広い牢獄を完全に包み込んだ魔力には風呂に浸かっている時のお湯のようなぬるりとした触感があった。
所持者が指向性を与えなければ、普通は見ることすらできない魔力は、もちろん触ることもできない。だが、現実にはただ放出されているだけの魔力に触感がある。あり得ない出来事だ。
そして、それだけの魔力を放出しているにも関わらず、目の前のリコ・キサラギは消耗した様子も無く平然としている。とても同じ人種とは思えない異常な魔力量だ。
「か弱い乙女に対して化け物は酷くないかな。」
そんな軽口を叩きながらもリコ・キサラギが右手を振ると、俺の周囲にある魔力がうねりだし、鼻や口を通して身体の中に無理矢理入り込んできた。
液体の様になった魔力を流し込まれて、何の抵抗も出来ずに魔力に溺れたと思った瞬間、胸と頭で何かが弾けた感覚と同時に今まで感じたことの無い激痛が全身を駆け巡る。
魔力が喉に詰まって叫ぶ事すら出来ない俺は、あまりの痛さにそのまま意識を手放したのだった。
「・・・ゴホッ。俺は、生きているのか?」
意識を取り戻した俺は、身体を起こして周囲を見渡す。場所は、先程までの貴人用牢獄で変わりは・・・無い。
直ぐそばにへばり付いたアルクトの肉片や血痕があり、特に乾いてはいない事から、意識を失ってからそれほど経っていないようだ。おそらく長くて5分も経っていないだろう。
アルクトの死体は気絶前と変わらず、腹に大穴を開けて無惨な姿を晒している。他の暗殺チームのメンバーは・・・4人ともピクリとも動かず倒れていて、おそらく死んでいる。だが、肝心の奴が見当たらない。
「・・・リコ・キサラギは何処だ?」
目が覚めたばかりで、ぼんやりとする頭を左右に振りながら立ち上がると、パチパチと乾いた拍手が聞こえてくる。音の聞こえた方を見ると、リコ・キサラギが最初にいた椅子に座って、手を叩いていた。
「化け物は心外だけど、君、良く生きていたね。」
「一体、何をした?」
「何って、君達にかけられた隷属契約を魔力をぶつけて強制的に解除したのさ。ちょっと痛いからショック死する人種が多いんだけど、晴れて帝国から解放されたんだ。君達には感謝してほしいところだね。・・・と言っても、君以外はみんな死んでいるか。」
やれやれとリコ・キサラギは首を振る。その戯けた様子から俺達の生命に何の価値も無いと考えていることがよく分かり、俺はゾッとした。
「・・・隷属契約を強制解除できるなんざ初めて知ったが、そもそもそんなことをして何をするんだ。」
「何って、情報収集さ。」
「・・・ちっ!精神魔法による記憶の確認か。」
「御名答って奴だよ。作業前に紅茶でも飲んで一息入れていたら、生きていた上にこの短い時間で目を覚ますとはね。」
そこらじゅうに死体が転がっているこの部屋でティータイムとはいかれてやがる。
「さて。お喋りはここまでにしようか。僕は今から君を殺す。生物は空間魔法で収納できないからね。バルトゥム王に情報をくれてやる義理はないから、記憶の確認はファリーナに帰ってからじっくりさせてもらうよ。」
そう言ってリコ・キサラギは椅子から立ち上がる。持ち運ぶのに不便だから殺すと、軽い調子で宣言するその瞳には何の感情も現れていない。ただの作業を始めるから、といった様子だ。
「抵抗してもしなくてもいいけど、君はそれなりに強いみたいだから、抵抗されるとちょっと手元が狂うかもね。どうする?」
リコ・キサラギの質問に俺は一瞬の間を置いて答えた。そんなもの決まっている。
「せいぜい抵抗させてもらおう。何もせずに死ぬほど達観してないんでな!」
俺はおそらく人生最期になるであろう戦いに挑むため、心を奮い立たせるのだった。
俺は最初から切り札を切ることにして、懐から取り出した筒状の容器を迷いなく左胸に突き立てる。心臓に異物を突き刺せば普通は瀕死になるが、中に入っている薬剤の効果でそうはならない。
この薬剤は進化薬を元にして作られたらしく、その効果は命を引き換えにする代わりに、一時的に身体を活性化させて、飛躍的に身体能力を向上させるというものだ。
進化薬というより片道切符の増強剤のようなものだ。どうせ死ぬならと使ってみたが、今までに感じたことがない様な凄まじい力が宿ったことを俺は感じていた。おそらく並のオリハルコンランクなら軽く捻り潰せるくらいの力が、今の俺にはある。
だが、俺は本能的に分かってしまう。これでもリコ・キサラギの足元にすら及ばないことを。だが、それでも・・・。
「ぐおぉぉぉぉお!」
今まで生きてきた中で、最高の速さと技をもって俺はリコ・キサラギに襲い掛かる。
しかし、その攻撃がリコ・キサラギに当たることはなく、代わりにブチッと言う耳障りな音が俺の耳に聞こえたかと思うと、首から下が妙に軽くなる。
「中々の攻撃だったよ。ここ最近襲って来た相手の中では1番だね。まあ、僕には届かないけど。」
直ぐそばでリコ・キサラギの声が聞こえ、その細腕の動きに合わせて俺の視界がガクガクと動いていく。
その視界に、筋肉が肥大化して赤黒くなった俺の身体が、頭の無い首から血を噴き出しながら両膝をついているのが映り込んでしまう。
ああ、俺は・・・、首をもがれ、て、いたのか。進化薬の効果か痛みはない、が。
一瞬の浮遊感の後に、ベチャっと音がして視界がグルグルと回り、俺は血塗れの床を転がる。投げ捨てられた、のか。
暗殺者になった時から碌な死に方はしないと思っていた。だが、こんな死に方はあんまりだろう?
そう思いながらも、徐々に力が抜けていく感覚を覚える。
「あーあ。高そうな部屋なのに汚れちゃったな。バルトゥム王にバレたら面倒くさそうだし、ノール君達の様子も気になるから、そろそろ王城から出ようかな。後処理にまで付き合ってられないから、そのまま王都を脱出しないと。」
呑気にそんな事を呟くリコ・キサラギの声を聞きながら、俺の意識はもやに包まれていく。
ああ。予感の通りにリコ・キサラギに手を出さなければ良かった。こんな化け物は誰にも倒せない。
後悔する俺の思考はどんどんと鈍っていき、そして、俺は・・・何も考えられなくなった。
後半はリコメインのお話でした。ノールやミクには甘いリコですが、敵には全く容赦がありません。無慈悲な英雄と呼ばれる所以です。
さて。3章の幕間もいよいよ次をもって最後です。出来るだけ早く書き上げますので、奇特なお方はどうか楽しみにしてお待ち下さい。




