幕間その1 或る公爵令嬢と恋の伝道師
「ミクとノールが心配なだけよ。特にノール。アンタは抜けてるところがあるんだから!」
ノール達が王都リーディアルガに向かって出発する日の早朝。アタシはエリを引き連れ、グレゴリウスと一緒に見送りに来ていた。
ミクは友人として、ノールは想い人として、ただ心配で見送りに来ただけなのに、気恥ずかしさからアタシは余計な台詞を口にしてしまう。すると僅かに苦笑しながらノールは言葉を返してきた。
「心配してくれてありがとよ、トリス。・・・トリスも気を付けろよ。今のところそんな気配は感じないが、ファリーナが襲撃されるって話だしな。」
「な、なによ。アタシの力を信用してないって言うの!」
アタシの心配をしてくれたんだ、と心の中では嬉しいという思いで溢れていたが、私は何故か憎まれ口を叩いてしまうのだった。
正直、舞い上がってしまって、その後のことはあまり覚えていない。気がつくとアタシはエリに襟首を掴まれて引き摺られており、魔法船レフォルマらしき船影がかなり遠くに見えていることから、数分は気を失っていたのかもしれない。
「・・・お嬢様。お気付きになられたようですね。」
「ええ。エリ、迷惑をかけたみたいね。」
「私の仕事はお嬢様のお世話をすることですので、お気になさらず。ですが、もう少し恋愛面に慣れた方がよろしいのではないでしょうか。」
「・・・分かってるわよ。」
エリの言うことはごもっともだ。少し会話をする度にこの調子では、おちおち話をすることも出来ない。
・・・それは、かなり寂しい。
「何だ、トリス。お前、ノールの坊主の事が好きなのか?薄々そうは思ってたけどよ!がははは!」
ノールに話しかけることも出来ずにオロオロしている自分を想像して落ち込んでいると、グレゴリウスが豪快に笑いながら話しかけてくる。人が感傷に浸っている時にデリカシーの無い爺さんね。
「うっさいわね!なんか文句でもあんの?アタシが誰を好きだろうがグレゴリウスには関係ないでしょうが。」
「確かに関係ないが、興味はあるぞ。他人の色恋沙汰は良い酒の肴になるからな。」
ニヤニヤしながら、いけしゃあしゃあと言い放つグレゴリウス。・・・この爺さん。フォディーナ王国の王族のはずなのに、意外と下世話ね。
私が睨みつけていると再びグレゴリウスが口を開く。
「なんにしろトリス。坊主に目を付けるとは、見る目があると思うぞ。あの年齢であの強さの奴はそうはいねぇし、何より心構えがいい。」
「心構え、ですか?」
アタシの後ろに控えていたエリが聞き返す。
「ああ。前に聞いた事があるんだが、坊主は故郷の村を魔物に滅ぼされた影響で、守る為にハンターになったらしくてな。その信念に基づいて、グリフォントゥルスや地鎧竜みたいな化け物にも、一歩も退かずに命を賭けて戦っているわけだが、格上相手に中々できることじゃねぇ。」
ノールって、魔物に故郷が滅ぼされたの?それでよく守る為にって考えになれたわね。もしアタシが故郷であるヴァレンティーナ公爵領を魔物に滅ぼされたなら、守る為じゃなくて、復讐心に囚われて魔物を狩り尽くす為にハンターになるんじゃないだろうか。
フォディーナ王国で、アタシを守る為にハンター達の成れの果てである人形と戦い、アタシ達の先頭に立ってあの恐ろしい地鎧竜と対峙していたノールの逞しい背中が思い浮かぶ。
「もう一つワシが気に入っている所がある。それはな、坊主は種族や所属に関係なく、あくまでその人種個人個人を見て物事を判断するってところだ。何気にそれは凄いことだとワシは思ってる。」
「どういう事でしょうか?」
「・・・例えばそうだな。ワシはフォディーナ王国の産まれで、こんな大柄で小人族なわけだが、多かれ少なかれ国や種族の影響を受けておる。フォディーナ王国の人種として、正直帝国人に良い印象がない。頭では国と個人は別だと分かっちゃいるんだがな。」
言いながら、グレゴリウスは気不味そうに頭を掻いてアタシを見つめてくる。
でも、一応同じ帝国人であるデノデラのせいでフォディーナ王国はあんな事になったわけだし、悪印象を持たれても仕方のない事に思えるわね。
「だが、坊主は違う。アイツは種族や所属にとらわれない考え方をする。ワシは一応フォディーナ王国の王族じゃろ?坊主も王族と分かって最初は驚いていたが、それだけだ。普通の人種ならワシが王族と分かるとよそよそしくなるんだが、坊主はワシとの接し方を変えなかった。だから、理由を聞いたんだが、坊主がなんて言ったと思う?」
「・・・ノールはなんて言ったの?」
興味がある話だわ。もしアタシがただ帝国人というだけではなくて、皇帝に近いヴァレンティーナ公爵家の人種だと知ったら、ノールはどのような態度をとるんだろうか。
・・・もし拒絶されたらと思うと、恐ろしくなってくる。
「『王族だろうが何だろうが、おっさんはおっさんだろ。今まで通りの方が好きそうだなって思ったんだが、違ったのか?』ってな。実際ワシは堅苦しいのが嫌いだし、アイツは意外と他人の事をよく見てやがる。」
「ノールらしい返事ね。」
グレゴリウスはその時の様子を思い出しているのか、上機嫌に笑いながら言葉を続けた。
「それと同じでよ。普通、リーベルタルス王国の人種なら、帝国人に対して忌避感が出ると思うんだがな。そんなことは無かったんじゃねぇか?」
「・・・確かにそうね。」
『質問の意味が分からねぇな。別にトリスは人族至上主義ってわけじゃないだろ?』
セプトアストルム帝国の人種であることを告白した時にノールがアタシに向かって言った台詞だ。
ノールはアタシの魔法の暴走を目の当たりにしても、アタシを励まし言葉通りに敵の攻撃から守りきったし、最後はアタシのことを信じて地鎧竜へのトドメを任せてくれた。
公爵家に居た時の周りの人種達と違って、ノールはいつでもアタシ個人を見て言葉を投げかけてくれる。だけど、ノールは誰に対しても同じなのよね。アタシが特別じゃないことなんて分かってはいる。だけど・・・。
「何にしろ、坊主は将来大物になるだろう。それこそ英雄と呼ばれるくらいのな。となれば、必然的に恋のライバルって奴も増えるわけだ。英雄には異性が群がるからな。トリスももう少し素直にならねぇと、手遅れになっちまうぞ?」
ノールのことを考え過ぎて悶々としていると、グレゴリウスがそんな事を言ってくる。そんなこと・・・
「そんなこと分かってるわよ!だけどしょうがないじゃない。ノールの前だと緊張してあんな感じになっちゃうんだからさ。アタシだってどうにかしたいと思ってるわよ。けど、どうしたらいいっていうのよ!」
きっとノールにとって、アタシは恋愛対象ではなくパーティー内の1メンバーに過ぎない。多分、アタシが好意を抱いている事にも気付いてすらいない。
そもそもアタシは一応公爵令嬢であり、限られた範囲の人種としか接することがなかった為、恋愛経験はゼロに等しい。知ってるのは恋愛小説の世界くらいだ。それもそんなに真面目に読み込んだわけでもない。
そんなアタシが、まさか自分自身がこんな恋に落ちるなんて思いもしなかったわよ!
悔しくて、情けなくて、アタシの目から涙がボロボロとこぼれ落ちるのを感じる。アタシ、なんでこんな早朝の港で泣いてるんだろ。
「トリス、お前・・・。すまん。そこまで思い詰めてるとは思わなくてな。ワシが悪かった。」
意図せずに流れ出した涙に、グレゴリウスが神妙な表情で頭を下げてくる。だけど、グレゴリウスはそんなに悪くないとは思う。アタシの恋愛方面の情緒が不安定なだけだろうし。
「・・・気にしなくていいわよ。アタシが勝手に泣いただけだわ。ノールが魅力的なのも、将来有望でモテるであろうことも、多分事実だしね。・・・既に恋のライバルはいるわけだし。」
「・・・ミクの嬢ちゃんか。」
グレゴリウスの呟きに、アタシはこくんと頷いた。同時に友人でもあるミク・シロガネの姿が脳裏に浮かぶ。
ひどい環境で生きてきたミクは、出来損ないと言われ続けてきた影響なのか、基本的に自分に自信が無い。だけど、その容姿は美形が多いと言われている耳長族の中でも群を抜いて整っていて、絶世の美女と言っても過言では無い程だ。
確かに普通の人種、耳長族とは少し違うのかもしれないが、ノールにとってはそんな事は些細なことだろうし。
ノールと出会った経緯を聞いたけど、そりゃ惚れても仕方ないでしょって言う状況だったわ。死のうとしたのを生き抜くように説得した上で、欲しかった名前をプレゼントするとかやられたら、そりゃあ、好きにもなるでしょうよ。
何にしても、容姿や性格、思いの強さからいってもミクは強力な恋のライバルだと思っている。
「・・・分かった。詫びと言っては何だが、ワシがトリスに恋愛指南をしてやろう。こう見えてワシは160年は生きた小人族だし人生経験は豊富だからな。」
「本当に?助かるわ!」
アタシの1番身近にいる頼れる人種は、言わずもがなだけどエリだ。大抵のことは出来てしまう万能メイドのエリだけど、恋愛相談だけは役にたたないのよね。
だって、エリ自身も伯爵令嬢でそういう経験はないわけだし、恋愛について前に聞いた時は『私にとってお嬢様に末永くお仕えすることが唯一の幸せですので、殿方には興味がないですね。』とか言われたしね。・・・パーリントン家の忠義、怖過ぎでしょ。
「まあ、大船に乗ったつもりで任せてくれ。」
この時、ドンと胸を叩きながら力強い言葉を言うグレゴリウスは本当に頼もしく見えた。
・・・グレゴリウスの人生経験が豊富なのは事実だけど、恋愛経験的にはアタシやエリとはどっこいの状態であったこと。また、その恋愛知識は著しく小人族に偏ったものであり、人族であるノール向けには使い物にならなかったこと。
以上2つの致命的な欠陥がある為、大船どころか実は泥舟であったことに気付くのはしばらく後になるのであった。
それから9日後の真夜中の事だ。後から聞いた話だと、ちょうど王都で襲撃が起こったの同日深夜。
襲撃が近いと予想されていた事から、軽く鍛練した後に夜更かしもせずにアタシが夢の世界に旅立っていたその時。急報は突如として訪れる。
「お嬢様、起きてください。ハンターズの副支部長コリンズ様が来訪されました。異常種と思しき多数の魔物が突如現れ、ファリーナを目指して真っ直ぐ進軍を開始したそうです!」
ドンドンと激しいノックと共にエリにしては緊張感がある大声が部屋の中まで響いてくる。
その声に何とか意識を覚醒させつつも、アタシは即座に戦闘用の防具を装着して準備を完了させた。
・・・師匠の予想通りか。しっかりやらないとね!
そう思いつつも、アタシは最後に巨大な赤い魔石を先端にあしらった愛用の魔法杖を手に取って、自室の扉を開けるのだった。
遅くなりましたが、第3章の幕間の更新開始です。
ファリーナ防衛戦に突入するはずが、なぜか話が脇道に逸れてしまいました。
ファリーナ防衛戦の他にも、クロの話や他人視点のリコの話などを盛り込んでいく予定ですので、お付き合いいただければ幸いです。