第17話 ミルクティーの分離
「オラァ!」
クロが気合いの入った声と共に両手に持った短剣でフレッシュゴーレムの右脚を斬りつける。
クロが今持っている2本の短剣は、フォディーナ王国のアウグスト王から贈られた褒賞品のうちの一つだ。
グリフォントゥルスの牙とアダマンタイトを合成した素材で作られた逸品で、斬れ味自体も凄いが、斬り付けた相手を麻痺させる効果がある業物らしい。
実際、それなりに硬いはずのフレッシュゴーレムの右脚を易々と斬り裂いているのだが・・・。
「ちっ!やっぱり無駄か。」
忌々しげにクロが舌打ちをする。私が前に散々斬りつけた時と同じように、斬ったそばから周りの肉が盛り上がって傷口が再生したからだろう。
クロだけではなく、襲い掛かってきたフレッシュゴーレムの攻撃を躱して私やノールもそれぞれの武器で反撃を加えている。ノールはその手に持ったアダマンタイト製の刀で、私は雷帝でだ。
だが、傷の大小はあるものの、クロの斬撃と同様に傷はすぐに塞がってしまう。これは・・・。
「クロ。以前戦ったフレッシュゴーレムより、傷の再生が速くないか?」
「ああ。明らかに前より速いな。デカくなった分、耐久力も上がっただろうし、再生能力が増してるのかもしれねぇ。・・・犠牲にした人種の数は以前と比べ物にならないくらいに多いはずだ。」
私の質問に奥歯を噛み締めながらクロが答えた。
・・・倍以上の大きさだ。犠牲者は軽く200人を超えているだろう。フレッシュゴーレムの体表には、様々な人種達の苦しみもがく顔が浮かんでは消えてを繰り返しており、犠牲になった人種がいかに多いかがよく分かる。
『出来損ない』と呼ばれていた私の研究施設での扱いは酷いもので、正直この身体に備わった強靭な生命力がなければ死んでいただろうし、何かの拍子にこのフレッシュゴーレムのようなモノを作る素材として使われていたかもしれない。
「ゾンビや人形、フレッシュゴーレムになった人種達を元に戻す方法はないのかって?」
フォディーナ王国でそれらと戦った時は余裕がなく全て斬り伏せたが、後になって何か助ける方法は無かったのかと気になった私は、フォディーナ王国からファリーナに帰還した後にリコに質問をしたことがあった。
「・・・そうだねぇ。クロ君にお願いしてそれぞれサンプルを回収したから解析はしてるけど、正直難しいかな。」
私の質問にリコは少し驚いた様子でそう答える。その後、アゴに手を当てながら熟考すると、しばらく間を開けて口を開いた。
「・・・人形はまだ可能性があるかもしれないね。彼らの身体は傀儡薬の影響で強化されているだけで壊れてないし。ただ、傀儡薬は精神を壊すからね。それを回復する手段が無いから現状では厳しいと思うよ。操られないように出来たとしても、名前の通り人形に戻るだけだね。」
「・・・そうか。では、ゾンビはどうなのだ?」
「君達が戦ったゾンビは興味深い事に普通のゾンビとは違ってね。進化薬の成分で汚染されていて、身体強化に耐えきれなくなった身体が崩壊した結果として身体が腐り落ちているように見えるんだ。だから、ゾンビのように見えるだけで、似て非なるモノなんだよ。」
リコの翡翠色の瞳がキラリと輝く。興味がある事柄を説明する時のリコは楽しそうに見える。
「普通は長期間放置された死体がゾンビになるから身体が腐り落ちてて、生前よりも身体能力が低下するものなんだけど、君達が戦ったゾンビは違う。完全ではないけど身体が強化されているから、生前より身体能力が増しているハイゾンビとも言える存在だよ。」
リコはそこで一旦言葉を区切り、話が長くなるからと自分で淹れた紅茶で口を湿らせて話を続ける。
「だけど、ハイゾンビであっても身体のあちこちが虫喰いみたいに崩れていてね。思考をするべき頭脳も同じく虫喰いだからハイゾンビを元のような人種に戻すことは不可能なんだよ。それを元にしたフレッシュゴーレムは言うに及ばずだね。」
「人種からそれらに変化させたのだから、何か元に戻す方法があるのではないかと思ったのだがな。」
私がそう答えると、首を傾げて少し考えた後にリコはおもむろに虚空から白い液体が入ったビンを取り出す。
「例えば、僕がミルクティーを飲みたいと思って紅茶にミルクを混ぜたとしようか。」
ビンの中身はミルクだったらしい。リコは飲んでいた紅茶にミルクを注いでいく。美しい琥珀色の紅茶に白いミルクが混ざることで徐々に白濁し、白褐色になる。
「・・・もし僕がミルクティーはやめてやっぱり普通の紅茶が飲みたいと思い直したとしたら、このミルクティーを元の紅茶とミルクに分けることは出来ると思うかい?」
「いや。出来ないだろうな。混ぜるのは簡単でも一度混じり合ったものを分離するのは不可能に思える。少なくとも私には出来ない。」
「そうだね。それこそミルクを紅茶に注ぐ前に時間を巻き戻さないと難しいかもしれない。傀儡薬とハイゾンビ、人形との関係も同じだよ。一度混じり合ったものを元に戻すの不可能に近い。」
そう言って美味しそうにミルクティーを飲むリコの言葉には説得力があった。
ミルクと紅茶でさえ混ざったら元に戻すことは出来ない。傀儡薬で身体自体が変質してしまったハイゾンビや人形なら尚更だろう。
「・・・ミクちゃんは優しいね。生ける屍となった彼らを救おうと考えるなんて。普通は襲い掛かってきた時点で殲滅一択だと思うんだけど。」
「別に優しいわけではない。ただ実験体として帝国に、・・・デノデラに虐げられた身としては、似たような境遇の彼らに思うところがあるのだ。」
「そう考えること自体が優しいと思うんだけどね。」
そう言って苦笑したリコは、急に私の顔を真剣な表情で覗き込んでくる。綺麗な翡翠色の瞳が私をジッと見つめていた。
「優しいのは美徳だと思うけど、自分を大切にしてね。生ける屍達に同情してやられるなんて事がないように。僕にとってはどこの誰とも知らないハイゾンビや人形より、ミクちゃんの方が遥かに大切なんだから。」
「あ、ありがとう。リコ殿。」
真っ直ぐな好意に私は思わず狼狽えてしまう。その隙にいつの間にか後ろに回り込まれた私は、ソファーに座ったままの状態で首に両腕を回された上に、頭頂部にアゴを乗せられてしまう。こ、これではまるで子供扱いではないか!
「まあ、どうしても彼らが気になるならこう考えなよ。倒す事で得体の知れない化け物になった身から解放してあげるんだってね。僕達にできる供養はそれくらいしかないからさ。」
優しく声を掛けてくるリコの拘束をどうにか振り解こうとしたが、大して力を入れた様子がないのに、私はなかなかに抜け出すことが出来ず、かなりの時間を浪費するのであった。
「斬ったそばから直ぐに再生するのは反則だろ。・・・どうしたもんか。」
斬っても斬っても再生してくるフレッシュゴーレムに、ノールがややウンザリした様子で呟く。
以前よりも大きなフレッシュゴーレムの攻撃を躱しながら、リコとの会話を思い出した私はフレッシュゴーレムの犠牲となった人種達の為にも早々に討伐することを決意する。
「ノール、クロ。私が一撃で仕留める。準備をするから、しばらく気を引いてくれないか?」
「それは構わねぇが、どうにか出来るのか?」
私の要請にクロが怪訝な顔をしている。フォディーナ王国の時に同じ相手と一緒に戦った仲だ。当時は有効な攻撃手段が無かったから、当然の疑問だろう。
「今の私にはコレがある。大丈夫だ、クロ。」
「クロ。ミクに任せれば大丈夫だ。クロは知らないだろうが模擬戦で俺がアレに何度酷い目にあわされたことか。」
手に持つ雷帝を掲げて言えば、強張った顔をしたノールがすぐさま同調してくる。・・・少しストレス発散し過ぎただろうか。
「・・・仲がよろしいことで。分かったよ。頼んだぜ、ミク。」
「任せておけ。クロ。」
この短いやり取りの後にノールとクロの2人はフレッシュゴーレムの懐に飛び込んでいくと、今までよりも苛烈な攻撃を繰り出して見事に注意を引きつけてくれる。
フレッシュゴーレムの再生能力を2人の攻撃が上回ったのか、少しずつ傷が増え深くなっていくのが見て取れたが、私の目から見ても2人はかなりのハイペースで動いている。おそらく長くは保たないだろう。
・・・早く準備を済ませねば。
『雷装』
私が力ある言葉を発すると、雷帝の美しい刀身にバチバチと音を立てて紫色の雷が纏わりつく。
雷装は雷帝に備わったスキルの一つで、刀身に雷を宿らせる効果がある。そして宿らせた雷は使用者、つまり私の意思で形を自由自在に変えることが可能だ。
雷帝を大上段に構えた私は、雷帝の鞘に蓄積されている魔力を纏わせた紫電に送り込んでどんどん大きくしていく。私自身は血魔石の影響で体内に余剰な魔力がないため、雷帝のスキルを使うための魔力をプールする機能を芸術品の様に優美な鞘にリコが最後の仕上げとして付けたらしい。
そうして十分に魔力を注ぎ込んだ頃には500メルを超える大きな紫電の刃が出来上がる。
スキルに不慣れな私が制御するには困難な魔力量だったが、私は暴走させることなく何とか踏み止まる。
「ミク。今だ、やれ!」
ふと見ればノールが手に持つ刀でフレッシュゴーレムの右足首を深々と斬り裂き、同時にクロも右膝に攻撃を加えていて、バランスを崩させていた。
神ならざる身の私には変質し混じり合った人種達を救うことなど出来ない。私には少しでも早くフレッシュゴーレムを倒してそのおぞましい身体から解放することしか出来ないのだ。
フレッシュゴーレムにした人種の命を命とも思わない帝国の行為と、多くの人種の未来を潰してしまった下らない実験に対する怒りを乗せて、私は巨大な雷刃をぐらついているフレッシュゴーレムに向かって振り下ろす。
「雷火・・滅閃!」
今の私に出来る限界まで魔力を込めた紫色の刃は、フレッシュゴーレムの脳天から股下までを易々と斬り裂く。左右に両断された身体は内側から強烈な電撃でその身を灼かれ、あっという間に身体のほとんどを炭化させてしまっていた。
こうなってしまっては圧倒的な耐久力と再生能力を誇るフレッシュゴーレムといえども再生する事もない。
炭化した身体がボロボロと崩れていき、圧倒的な存在感を誇っていた巨体は随分と小さな黒い砂山に変化してしまう。
「何とかなったようだな。」
その様子に物悲しさを覚えながらも、私は雷帝を斜め下に振り払ってから鞘に納めたのだった。
フレッシュゴーレムを倒した後。広場を探索すると更に奥に部屋がある事が判明し、その部屋には何らかの薬品を製造する為の大型の機械が取り残されていた。
製造していた薬品、おそらく麻薬も部屋の隅でボロ布の下に隠すようにして置かれており、麻薬製造の証拠を見つけるという私達の目的は達成されたと言っていいだろう。
細長い筒がついた魔導具、カメラと言うらしい、で映像を撮りつつ、ヒイロから借りてきた大型の収納袋に証拠品として機械と麻薬を回収していく。
そうして作業が終わり、レフォルマに乗る為に港へ向かっていた時の事だ。
「・・・先にレフォルマに戻っていてくれるか?俺はちょっと寄るところがある。」
何事か考え込んでいた様子のクロはそう一言だけ残すと、真っ暗な市街地へと向けて駆け出してあっという間に見えなくなってしまう。止める間もなく行ってしまったクロの事は信じるしかないな。
その後、私とノールは特に何の妨害を受ける事もなく、レフォルマに辿り着く。そして私達から遅れること10分程度。クロも無事に戻ってきたのだが・・・。
「クロさん。なんっスか、その子供は。・・・人攫いっスか?」
ジト目でクロを見つめるエンデの視線の先には、クロの両腕に横抱きにされている1人の少女がいた。
「誰が人攫いだ。人聞きが悪い!・・・街で唯一生き残っていた住民だ。こういう状況なら、保護するしかないだろう。」
少女はツギハギだらけのみすぼらしい服を着ている。青みがかった黒髪は腰に届くほどに長いが、あまり手入れがされていないようで艶がなくバラバラしてまとまりが無い。そのバラバラの前髪を掻き分けて、額からは10メルくらいの黒い角が2本生えていた。
「鬼人族の子供か。・・・君。ちょっといいかな?」
床におろされてクロの後ろに隠れてこちらを覗き込んでいる少女の目線に合わせて、私はしゃがみ込む。歳の頃は5〜6歳くらいだろうか。身長120メルの少女が赤銅色の瞳で私を不安そうに見つめてくる。
・・・こういう事は苦手なのだが。そう思いながら私は出来る限りの笑顔て少女に話しかけた。
「私の名前はミク。ミク・シロガネという。君の名前はなんというのかな?」
「・・・。プラリタはプラリタっていうの。」
「答えてくれてありがとう。プラリタか。いい名前だ。プラリタのご両親、・・・ああ、パパとママはどこに行ったのかな?」
「パパは随分前にお星様になったってママが言ってた。ママは今日起きたら今から出掛けるから知ってる人が来るまで隠れているようにって言って、何処かに行っちゃったの。」
何処かに、というのは廃坑のことか。だとするとこの子の母親はフレッシュゴーレムの素材になって、それを私は・・・。
「プラリタ。俺はな、プラリタのママに頼まれて家まで迎えに行ったんだ。ママはしばらくは帰って来れないらしくてな。俺達と一緒に来ないか?」
私が衝撃を受けている間に、クロがプラリタの目をしっかり見ながらそんな事を言う。
「・・・分かったの。プラリタはクロおじさんとミクお姉ちゃんについてくの。」
幼いながらにも何があったのか分かっているのだろうか。プラリタは真剣な表情でハッキリと返事をしていた。
こうして、私達は新たな同行者を得て、王都に戻る事になったのであった。