第5話 ミクの宝物
あれは私の身体の検査結果についてリコの研究室で説明を受けた日のことだ。血魔石に身体が侵食されているかもしれないと言われた私はあの時に酷く動揺してしまった。
日中はノールやリコが励ましてくれたおかげで落ち着きを取り戻したのだが、夜一人でベッドに入ると眠るのが急に怖くなってしまったのだ。
眠っている間に血魔石に身体が侵食されて、私が私じゃなくなったらどうしよう、二度と目が覚めなかったどうしよう、そんなことばかり考えてしまい寝付けずに私はベッドの上で悶々としていた。そんな時だ。
コンコン、と扉をノックする音が私の耳に聞こえてきた。
「ミクちゃん。夜遅くに申し訳ないけど、ちょっと僕の部屋でお話をしないかい?」
「分かった。着替えたら直ぐに行く。」
「ありがとう。じゃあ、部屋で準備をして待ってるよ。」
心細くて眠れそうになかったし、正直渡りに船だった。昼間に着ていた服に着替え、私はリコの部屋へと向かう。因みにリコの部屋は私が使っている部屋のすぐ近くにあったりする。
リコの部屋の前に立ち、ノックをしようと手を上げると
「ミクちゃん。開いてるから入ってきてね。」
扉を叩く前に中からリコの声が聞こえてくる。・・・部屋の中からよく私が来たと分かるな。
「では、失礼する。」
言いながら部屋に入った私の鼻には、柑橘系の甘く爽やかな香りが届いていた。
部屋の中にあるテーブルを見ればちょうどリコが紅茶を淹れているところで、香りはその紅茶から漂っているようである。
「気分が落ち着く柑橘系の香りがする紅茶を淹れてみたよ。さあ、そこに座って。まずは飲んでみてよ。」
リコに勧められるままに柔らかい感触の椅子に座り込み、私は紅茶を口にする。紅茶の爽やかな香りが鼻に抜け、じんわりとした暖かさが身体の中に広がるにつれて、先程まで怖さが少し薄らいで行くのを感じた。
「昼間とは違う紅茶なのだな。気分がスッキリとする不思議な味だ。」
そう言いながら顔を上げると、同じく椅子に座ったリコが私を探る様にその翡翠色の瞳を細めていた。
私は研究施設の実験体だったので研究員からはよく観察されていた。だからそういう目で見られるのは苦手なんだが、今リコに見られていたのは、不思議と嫌な気分がしなかった。
「なかなか眠れなかったみたいだからお茶に誘ってみたけど、その様子だと取り敢えずは大丈夫みたいだね。今日の昼間はなかなか重い話をしたし、思い出して気分が悪くなったりしてないか、少し心配してたんだよ。」
そう言いながら微笑んでリコは自分で淹れた紅茶を一口飲む。・・・ああ、そうか。私の事を心配して見ていてくれたから、私は嫌とは感じなかったんだ。
「・・・いや。リコ殿の懸念通りに、実は昼間の話を思い出していた。眠っている間に血魔石に侵食されて、私が私じゃなくなったらどうしよう、もし意識がもどらなかったら、と想像して怖くなってなかなか眠れなかったのだ。ついこの間まで私は死ぬことがそれほど怖くはなかった。だが、今は死が堪らなく恐ろしい。・・・私はおかしくなったのだろうか。」
喋り出した時はこんなことを言うつもりは無かった。
だが、喋っている内に自分でもこんな事を思っていたのか、という事まで喋っていた。
自分で自分のコントロールが効かない様なことは今まで無かったように思う。本当に私はおかしくなったのだろうか。
そんな事を考えていると私はいつの間にか俯いていたらしい。顔を上げると、そこには微笑み浮かべるリコがいた。
その小さな手が私の髪を優しく撫でる。昔の私なら振り解いていたであろうその手が、何故か今は心地良かった。
「ふふ。何もおかしいことはないよ。ミクちゃん。死が怖いのは生物として自然な感情だしね。嬉しかったり、悲しかったり、泣いたり、笑ったり。人種は色んな感情を抱き、悩み、時にはぶつけ合いながら、少しずつ成長して生きていくんだよ。ミクちゃんが今まで感じなかった感情を抱いたのなら、それは精神的に成長した証で生きてるって証拠じゃないかな。」
「そうか。・・・リコ殿、ありがとう。」
私への気遣いにあふれたリコの言葉に、私は自分の気持ちが随分と落ち着くのを感じたのだが・・・。
なでなでなで。リコはいつまで経っても私の髪を弄るのをやめてはくれない。
「あの?リコ殿??もう大丈夫だから、髪を撫でるのをやめてくれないか?」
「ああ。ごめんね、ミクちゃん。サラサラで触り心地がいいからついね。」
そう言いつつも髪を撫でるその手が止まることはない。
どうにか撫でられるのを避けようと身を捩るが、吸い付くようについてくるリコの手から逃れるのは無理だと判断した私は、脱力してされるがままになる。
「ふぅ。堪能させてもらったよ。あ、そうだ。ミクちゃんに渡したい物があるんだ。」
どれくらい時間が経っただろうか。
ようやくリコの手から解放された私が身体を起こしたところに、リコが綺麗な魔石が5つあしらわれたブレスレットを差し出してくる。
「これは??」
「ミクちゃんの足りない魔力を補う為の魔導具だよ。魔力が不足することによって血魔石の侵食が起きるなら、外からそれを補ってやれば、これ以上の侵食は抑えらるかなと思ってね。昼間に説明した後、さっきまでコレを作ってたんだ。」
そう言いながら、リコは私の右手首にブレスレットを巻いていく。それは魔導具とは思えないほどに綺麗な物で、高価なアクセサリーのようにも見えた。
「この魔石の中に充填しておいた魔力がブレスレットを介して、常時ミクちゃんの身体に魔力を供給する仕組みになってるよ。取り敢えずの応急処置ではあるけど。・・・血魔石について説明する前に用意をしておけば良かったね。ミクちゃん、不安な気持ちにさせてごめん。」
「謝罪などやめてくれ。リコ殿。私を気遣ってこの様な魔導具を作ってくれたのだろう?物凄く感謝している。」
名前をつけてくれたこと、行く当てがない私を自らの屋敷に受け入れてくれたこと、身体を調べて私の問題を解決しようとしてくれているけと、そして今、血魔石の侵食から身を守る為の魔導具まで作ってくれたこと。
リコには既に返しきれない程の恩が積み重なっていて、むしろ私の方が迷惑を掛けているくらいなのだ。謝罪を受けるわけにはいかないだろう。
「そうかい?なら、いいんだけど。」
何故か余り納得がいっていない様子のリコに、私はかねてからの疑問を投げかける事にした。
「リコ殿。一つ質問してもいいだろうか?」
「いいけど、改まってどうしたんだい?ミクちゃん。」
「何故リコ殿は私にこんなに優しくしてくれるのだ?弟子のノールを助けられた恩があるとは言っていたが、それにしては、その、親身にしてくれている気がするのだ。私の気のせいかもしれないが。」
前から不思議だった。弟子を助けられた恩だけならここまでしないのではないだろうか。
行く当てが無いならどこかの宿屋に放り込めばいいし、身体のことについてもリコが調べなければ分からなかったことがほとんどだ。
今、リコの部屋に居るのだって彼女の優しさによるもので、義理だけの存在ならそもそも部屋に誘う必要もないだろう。
「ん〜。・・・そうだね。」
リコは頬を掻きながら答えを探すかの様に視線を彷徨わせる。
「最初は、ノール君を助けてもらった恩があるから!って思ってたんだけど、なんだろうね。ミクちゃん。僕は君のことがとても気に入ってるみたいだよ。ノール君の次くらいには。」
「なぜ私などを?」
「理由は分からないね。君の境遇が悲惨で可哀想なものだったから?君がとても素直な性格だったから?君がとても綺麗で可愛いから?どれもそうのような、そうじゃないような。・・・ただ一つ言えることがあるよ。」
リコは翡翠色の瞳を細めてにっこりと微笑む。
「僕は君を大切に思ってるし、ブレスレットはその証だと思っていいよ。」
「あ、ありがとう。大切にさせてもらう。」
同性から見ても綺麗な美しい笑顔に私は少し見惚れてしまう。その後は他愛のない会話を楽しみ、リコの部屋を出た時にはもやもやしていた気持ちが完全に晴れていた。
私には宝物がある。
一つはミク・シロガネという名前だ。名前が無かった私には、ノールとリコが付けてくれたこの名前は宝物だ。私という存在を証明してくれるものだと思っている。
もう一つはリコからもらったブレスレットだ。リコが言う大切に思っている証。私に魔力を供給するという機能以上に私にとっては大切なもの。
少し前まで名前すら無かった私は、宝物が出来るなんて想像もしていなかった。
だが、ノールとリコに囲まれた生活であれば、これから生きていく限り宝物はどんどん増えていくのではないか。そんな予感がしていた。
最初のプロットではこのお話はありませんでした。
しかし、得体の知れない何かに自分が侵食されている事が分かったら、怖くて寝れないんじゃ?
なんて思った為に生まれた話です。ブレスレットの事は最初から考えてましたが。