幕間その2 或る諜報員の絶望(下)
追いかけられている様な雰囲気はなかったが、森林地帯に入った俺は時折光学迷彩を使いつつ、慎重に山岳地帯にある拠点を目指す。
リコ・キサラギに遭遇してどれほどの時間が経っただろうか。周囲に誰もいないことを確認した上で、拠点である洞窟に入った俺は、誰もいない洞窟の中を見て、ようやく落ち着く事が出来た。逃げる途中で応急処置をした右肩をさすりながら、俺は一人呟く。
「やれやれ。何とか逃げ切ったか。酷い目にあったもんだ。」
言いながら設置していた簡易ベッドに腰掛けたその時。
「怪しげな黒装束君はどんな酷い目にあったのかな。僕に教えてくれるかい?」
耳元からリコ・キサラギの能天気な声が聞こえてきた。
「なっ!何故ここが?いつの間にこんなに近くに!」
すぐ後ろに突如現れた人種の気配に俺は驚愕した。俺はこれでも腕利きの諜報員だ。耳元に口を寄せらるほど近づかれるまで気付かないなんてありえねぇ!
「一つ目の疑問に答えようか。黒装束君が逃げる時。僕は右肩に忘れ物の短剣を届けたよね。」
「乱暴な届け物だったがな。」
「あの時、実は短剣に僕の魔力を込めていてね。右肩に命中した時から君は僕の魔力でマーキングされてたのさ。だから、場所が分かったんだよ。後は飛行魔法で空からこっそりと君のことを追跡したって訳さ。」
「ストーカーはお断りしたいんだが。」
軽口を叩きながら打開策は無いかと俺は必死に考える。だが、完全に背後を取られて後ろを向く事すらできていない上に、後ろに回ったリコ・キサラギはその手で俺の頭を握っている。
短剣の時の膂力を考えれば、ちょっと力を入れられただけで、あっという間に潰れたトマトみたいになるだろうと想像できた。つまり、打つ手は無しだ。
「二つ目の疑問の答えについては秘密だけど、代わりにあの時何故僕が君をワザと逃したのか。その理由を教えてあげよう。」
「碌でも無い理由な気はするが、教えてくれ。」
「君から確実に情報収集をしたかったからさ。精神魔法を使った
記憶の確認は人格を破壊する可能性が高いからって一般には使用禁止されてるからね。ばれてノール君に嫌われたくないから、ファリーナでは使えないし。ふふ。ここなら誰も邪魔しないし、バレることも無いんだよ。」
精神魔法を使って人の精神を壊すことよりも、それをノール少年に知られて嫌われるかもしれないことの方に問題を感じている、その考え方に俺は戦慄を覚えた。このままではマズイと無理にでも動こうとした瞬間
『拘束』
魔力を込めたリコ・キサラギの言葉によって全く身動きが取れなくなってしまう。
「さて。早速始めようか。先ずは変な魔法がかかってないか調べようかな。記憶を覗こうとしたら君の頭がボンっと破裂したり、記憶を覗く側に悪夢を見せる様な精神攻撃があったら困るからね。・・・『魔力精査』」
そう言ってリコ・キサラギが俺の頭にかざした右手から、何かが身体の中に入ってくる。
細長い糸の様にして全身に張り巡らされたソレは身体中を隅々まで弄っていく。痛さは無いがミミズに全身を這い回られるような不快感があった。
「んー?君の身体、頭の中と心臓の辺りに変な魔力塊が出来てるね。差し詰め、隷属契約でも結ばされたのかな。反抗したり、秘密を漏らしたりしたら、心臓が潰れたり、頭が爆発したりするんだろうね。帝国も酷いことをするよ。」
リコは淡々と分析結果を口にしながら情報を整理するが、酷いと言う割にはそういう感情は全くこもってない様に感じられた。
「まずは邪魔な隷属契約から取り除こうか。」
隷属契約は主となる側が握っているはずの合言葉を知らないと解除出来ないはずでは。何とか解除出来ないかと昔調べた事があるからよく知っている。それでどうにもならないと分かって絶望したものだが。
「怪訝な顔をしているね。合言葉を知らなければ契約解除出来ないって思ってるのかい?まあ、ちょっとした裏技があってね。そういう人を支配する様な魔法はそれよりも遥かに強力な魔力を契約の核になっている魔力にぶつけてやれば、綺麗さっぱり無くなるんだよ。まあ、無理矢理やるせいか解除される側はかなり痛いみたいで、前に実験した時はショックで被験体は死んじゃったけど。」
隷属契約を解除できる事には驚きだが、軽い口調で命の危険がある事を告げるリコ・キサラギに恐怖を感じる。
俺は、ちょっとまて!と口を開こうとしたが、全く動かす事が出来なかった。さっきの魔法のせいだろうか。
「ん?何か言いたげだね。・・ああ。さっきから静かと思ったら、口まで『拘束』してたのか。じゃあ、『一部解除』。」
「ちょっと待ってくれ!隷属契約が本当に解除出来るならありがたい。その、厚かましいのは分かっているが出来るだけ痛くないと嬉しいんだが。」
ようやく口を動かせた俺は一気にまくし立てるが、リコ・キサラギは眉毛を逆立て、怒りを露わにする。
「君は何か勘違いしてるみたいだね。僕は情報が得られればいいから、君が生きようが死のうがどうでもいいんだ。頭さえ残ってれば死体からでも情報は吸い出せるからね。隷属契約を解除するのは下手に契約に抵触して、その頭が爆けるのを防ぐためだよ。それに隷属契約の影響であったとしても、僕の可愛い弟子に手を出した報いは受けないと。せいぜい頑張って耐えるんだね。」
そう言い放ったリコ・キサラギの声は身も心も凍りつく様な冷たいものだった。
「じゃあ始めようか。『魔力解放』。」
「・・・な!何なんだ、お前は!!」
俺は思わず叫ばずにはいられなかった。
リコ・キサラギが力ある言葉を紡いだ瞬間。その小さな身体から莫大としか言いようがない魔力が溢れ出してくる。
魔力は物理的な物ではなく、意思を持って行使しなければ形がなく触れる事も出来ない。
魔力に鋭敏な人種であっても余程濃縮されていない限りはハッキリと目にすることも出来ない。だが、目の前の光景は・・・
泉から水が湧き出る様に次々とリコ・キサラギから流れ出る魔力は相当に濃縮されているらしく俺の目にもハッキリとした質感もって捉える事が出来ている。
小さな洞窟は直ぐにその魔力で満たされ、俺の身体ももちろん包み込まれた。
魔法として行使しなければ触る事が出来ないはずのただ放出されているだけのその魔力に何故か沼の中に入ったようなねっとりとした感触を身体が感じる。
どれだけの魔力量があれば、そしてどれ程の圧縮をすれば魔力がそうなるのか全く理解ができない。
こんな魔力を身に潜ませている奴を敵に回したら絶対にダメだ。本能的にそう判断し、既に敵対してしまっている事に絶望する。
「・・・お前は、本当に人種なのか?」
「ただの耳長族さ。今のところはね。」
思わず呟いた俺にリコ・キサラギが答えた瞬間、洞窟内を漂っていた魔力が俺に流れ込み、身体の中で何かが2回爆ぜるのを感じた。
次に目が覚めることを願いつつも、襲いくる激痛によって俺はあっさりと意識を失ったのだった。
引き続き黒装束君のお話と見せかけて、リコ姉さんのお話です。リコ姉さんは自分でも言っていましたが、無慈悲な英雄です。庇護下にある者には優しいですが、敵対する者には容赦がなく、ちょっとマッド気味です。




