忍び寄る狂気
案の定、2人は夜ご飯の時間になっても帰ってこなかった。
まあ多分、調子に乗ってビュンビュン飛び回っているのだろう。
護衛兵もつけずに外出なんて怒られるかもしれないけど、空をグリフォンと飛んでる限り、誰かに襲われるなんてありえない話だ。
最も、落下してしまったら即死するしかないけれど。
なんて考えてゾッとした。
王宮の食堂は長ーい長ーいテーブルが中央に配置され、主人が着席する上座の後ろには大きな暖炉が、そして壁には様々な絵画が、飾ってある。贅沢な部屋だ。
テーブルの上には1本の上質な布がひかれており、その上には、夜であろうと手元が暗くならないようにと、立派な燭台がいくつも置かれていた。
また、テーブルセッティングも既にされており(レオはこの食事に来なくて、正解だったな)と思った。
いつかチャンスがあれば、テーブルマナーも、教えてあげようと思った。
2人の男子の食事は、間に合えば一緒に、間に合わなかったら部屋に運んでくれるとのことで、食事がスタートした。
前菜、スープ、魚料理、肉料理、サラダ、デザート、フルーツ、食後のコーヒーへと順番に出される料理はコーヒーは久しぶりで美味しかったけど、肩肘が張って疲れた。
町のお食事処のおじさんの料理が恋しい。
パクパクとご機嫌に食べるお父様と対比的に、お義母様は終始無表情だった。
「どうしたパティ。あまり食が進んでないじゃないか。」
「ご飯どころではないのは、お父様も分かってらっしゃるでしょう?」
「なんだい?あぁ、北西国のことか。それは返事待ちだからもう少し待ちなさい。」
「それは本当ですか?お父様。平和条約を結ぶから、私を嫁によこせとあちら側が提案してきたと聞きましたが?」
「どこからそれを……」
「やっぱり本当だったのですね。どうして私にそれを秘密にしたのです?」
キッ。と父親を睨んだ。
父親は、ふぅ。と深いため息をついて、テーブルの上に両肘をついた。
「パティ。おまえは私の唯一の可愛い娘だ。そんな可愛い娘を、なぜあんな劣等で野蛮な国に渡さなければならない?」
「そんな言い方……。私があちらに嫁げば、誰1人傷つかずに済むのでしょう?」
「バカな……。いいかパティ。お前は由緒あるこの王国の第一王女で、前王妃の忘れ形見だ。お前をあんな国に渡すくらいなら、我が国の兵だちは喜んで命を投げ出すだろう。」
「なんですって……?」
「いくらお前自身が否定して、身分を捨てようとも、お前の中に流れる王家の血は変えられないのだよ。その事を自覚してちゃんと人の上に立ち、下々のものを導く。その役目を忘れてはいけないんだよ。パティ。」
「そのためならば、北西国と全面戦争になっても構わないと?」
「ああ。」
「最前線の国民が、犠牲になってもいい、と?」
「仕方の無い事だ。」
「ですが、戦争だけは!」
「そもそも今回のことは完全にあちらの言いがかりだ。戦争になることは確定ではないだろう?」
「それはそうですが……」
「それにだな、パティ。騎士や衛兵、親衛隊は、なんのために存在すると思う?お前は彼らの誇りであり、お前のために命を捨てるのだ。彼らがその栄誉を得る機会をを、お前がなくしてはならないよ」
「お義母様……」
「お父様のおっしゃる通りになさい」
「そんな……」
絶望が、私を覆った。
私ひとりで済むことなのに、大勢の血が流れるのかもしれない。
中には、なんの罪のない人々が犠牲になるかもしれないのに。
それを見て見ぬふりをしろと……?
どこか狂ってる。
私にはそうとしか思えなかった。
「最前線になるであろう領地には、私の研究所もあります。」
「そうか、それでは早々に撤廃しなさい」
と、事も無に言い捨てられた。
「そんなことよりパティ。お前はすっかり母様にそっくりに育ったな。美しい。お前も姉を思い出すだろう?」
「はい、そうですね。あなたの愛しい私の姉そっくりです。」
そんなことより?国民の命より大切なことがあるのか。
そしてなぜ義母様は心を無くしたか人形のようなのか。
この場に居るだけで吐き気がする。
やはり王宮を出て正解だった。
と思うと同時に、幼いへルムフリートをこの王宮に住まわせ続けることへの不安を覚えた。
「さぁ、食事はおしまいだ。まだ話があるのなら、私の部屋に来なさい。そこでゆっくり話をしよう」
と、父は狂気の宿った微笑みを浮かべた。
ちゃんと北西国との話をしたかった私は、そのまま父と、義母の後をついて2人の私室へと向かった。
私の実母が無くなって以来、訪れることのなかったこの部屋は、かつて母が生きていた時のままだった。
母が好んだ色。母が気に入った家具。母が愛した絵画。母の肖像。幼い私と父と母の3人の肖像画もある。
一方で、義母やエディ、へルムフリートの肖像画は1枚もなかった。
「あぁ、パティ。本当に美しくなったな。おまえの母親に本当にそっくりだ」
と、父は私に熱い抱擁と愛撫をしてきた。
義母の見ている前でなんてことをと思ったが、彼女の瞳は私たちを映してはいなかった。
「あぁ、アレクサンドラ。私の愛しいアリー。帰ってきてくれてありがとう。ようやく君に会えた」
「お父様?何を言って……?」
「あぁ、アリー、アリー!私のアリー。君を食べてからずっと僕たちは一緒だったけど、やっぱり君のいない世界は虚無でしか無かったよ」
「お父様!やめてください、私はパトリシアです!お願い、目を覚まして!」
私の声は、父の耳には届かず、男の力でベットへと押し倒された。
「ははは!ほら、アリーはあの時のまま、美しいだろう?王妃よ!」
「あなたのおっしゃる通りです。姉は美しかった」
「誰が美しかったか!過去の人物にするとは何事か!」
と、父は急に暴れだした。
「ごめんなさい、あなた、許してください!」
義母はガクガクと震え出した。
「お前が、お前が男児など産むから、パティが王宮から出ていってしまったというのに!未だに自分の罪がわからんのか!この忌々しい親子が!!」
と、近くにあったものを投げつけた。
義母は避けることすらせず、怯えながらそれを甘んじて受けていた。
何が起こっているの?
どうしてこんなことになっているの?まさか、ヘルムフリートにもこのような仕打ちを?
えも言われる恐怖が私を襲う。
「さぁ、パティ。いやアリー。もう一度ひとつになろう」
「嫌よ、いや!嫌ですお父様!」
「何、痛いのは一瞬だよ。愛してるよアリー」
そして父は私の耳元で囁いた。
『ブッコロス』
と。