七話・堀川邸
徳祐と利久が堀川の鬼一の屋敷を訪れたのは、屋敷に橋が架けられるだろう未一刻を過ぎた頃だった。
利久が門の前に立つ童子に声を掛けると、童子は徳祐を一瞥し「暫し待たれよ」と言って、目を瞑った。
「何故、あの者は取次ぎに行かぬのだ?」
屋敷に戻らず、立ったまま目を瞑った童子の様子に徳祐は首を傾げ、利久に尋ねる。
「あの者は鬼一殿の式童子なのですよ。念話と言うのでしょうか?ああやって、一見、目を瞑っているように見えますが、屋敷の中にいらっしゃる鬼一殿と心の中で会話をしているのです。」
「式童子?どう見ても人間では無いか。」
「ははは、確かに人間の童子にしか見えませんね。ですが、彼は人形を依代とした式神で、人間では無いのですよ。」
利久が笑って言うのを、徳祐は何とも言えない顔で聞いていた。
徳祐は中務省に勤めており、陰陽寮の者ともそれなりに付き合いを持っている。
だが、徳祐の知っている陰陽寮の者達は、占筮を行う者は清廉であれと唱えながらも袖の下をちらつかせる実に人間らしい、人間であったのだ。
その事もあり、陰陽師等は口が達者なだけの俗物だと思っていたのだが、この様な異能を実際に見てしまうと、何処か薄ら寒い思いが込み上げて来るものだ。
「主が御会いになるそうです。どうぞ御入り下さい。」
徳祐が己の考えに没頭している間に、式童子は鬼一と話し終えた様で、門を開けると先頭に立って歩き始めた。
「良かったですね、父上。今日は鬼一殿の機嫌が良さそうだ。機嫌が悪いと、門前で風を呼び起こして吹き飛ばされる事もあるのですよ。」
利久の言葉に徳祐は頬を引き攣らせながら、童子に付いて屋敷へ向かった。
屋敷の前にいたのは、自分達を案内した式童子と全く同じ顔をした童子だった。
彼もまた鬼一の式童子なのだろう、表情の無い顔で徳祐を見やると、
「ここからは、私が主の元まで案内致します。くれぐれも私の後から逸れぬ様に付いて来て下さい。」
そう言って、屋敷の中へと入って行った。
だが、童子が背中を見せたのを、徳祐はどうしたものかと二の足を踏んでいる。
ここに来て、改めて得体の知れない屋敷に入る事に躊躇いを見せたのだ。
「聞く処によると、この屋敷の中には鬼一殿が特殊な結界を張っていらっしゃるようで、正しい道を進まねば、何処かの空間を永遠に彷徨う事になるそうですよ。…嘘か誠かは分かりませんがね。」
傍らでそんな事を言った利久の言葉に、徳祐は慌てて童子の後を追い掛けた。
それを見ながら利久も肩を竦めると、徳祐に続く。
童子が進む廊下は特に変わった処は無い様に見えたが、徳祐に辺りを見渡す余裕は無かった。
幸いな事に、鬼一の待つ部屋には直ぐに辿り着いたのだが、徳祐は安堵の溜息を吐く間も無く、初めて会う鬼一の姿に怒鳴り声を上げそうになった。
そこにいたのは、厳つい顔の大男であった。
年の頃は四十を半ば過ぎた頃だろうか、白いものの混じった髪を丈長で一つに纏め、脇息に肘を掛けニヤニヤと徳祐を見やっている。
そして、その衣装は色とりどりの袿を重ね着したもので、遊び女の様な装いと言う奇妙なものだった。
客人を迎えるには、あまりにも失礼なその装いと態度に、徳祐は遣いの文も出さず勝手に押し掛けた己の無礼も忘れて鬼一をギリギリと睨み上げた。
「父上、父上、落ち着いて。鬼一殿に鏑木殿を紹介して頂くのでしょう?」
そんな父の耳元で利久がこそりと囁き、頭に血の上った徳祐を宥めた。
徳祐は息子の言葉に我に返ると一つ咳をして、その顔に笑顔を張り付け、鬼一に頭を下げた。
「御初に御目にかかる、私は橘徳祐と申します。日頃は倅が世話になっている様で、御迷惑をお掛けしております。」
「ああ、世話はして無いが、何かと剣術を教えろって屋敷に押し掛けて来るのは確かに迷惑と言えば、迷惑だな。」
徳祐が言うのを、鬼一は利久を一瞥して肩を竦めた。
「ははっ、これはまた酷い言われ様だ。私はただ純粋に剣の道の教えを請うているだけなのに。」
「酷いも何もあるか、おまえには剣の才能は無いんだから、諦めて文官の道を進めと何度も言ってるだろう。」
「鬼一殿の御言葉と言えど、こればかりは承服致しかねます。それに、私は私に才能が無いとは思っておりませんので。」
「おまえのその自信は何処から来るんだろうな。」
鬼一は利久を呆れた様に見やって眉を顰める。
そんな鬼一と利久の遣り取りに、徳祐は呆気に取られながらも、直ぐに間に入って自分がここを訪ねた本題を切り出した。




