六話・堀川の鬼一
徳祐と言う男は、元来現実主義者であり合理主義者であった。
非現実的な事に理解を示さず、けれど、そこに利があるのならば笑顔でそれを受け入れる事の出来る人間。
故に、魑魅魍魎の類を心の中では一切信じておらず、穢れであるからと娘の亡骸を見る事は無かったが、娘を殺したのは基通の屋敷を襲った盗賊だろうと、基通が錯乱し大袈裟に吹聴したのだろうと思っていた。
無論、そんな事を表立って口にする程の愚者では無かったが、それでも、鬼だ魔物だとくだらない噂に惑わされた院や都の人々が、陰陽寮の連中を頼みにし、やれ怨霊退治だ等と意気込んでいるのを腹の中では馬鹿にしてもいた。
それが、一日にして己の根幹を覆す事になろうとは。
徳祐は昨夜の事を思い出し、褥の上でふすまを頭から被って身を震わせた。
結局、あれから北の方の住む屋敷には帰らず、あの場所から一番近い茂黄君の屋敷に逃げ込んだ徳祐は、笑顔で出迎えた妻に何も言わず、早々に一人で自室へ篭ったのである。
朝廷での職務は山程あったが、到底出仕など出来そうも無かった。
そんな中、朝餉の膳を運ぶ女房の後から、徳祐と茂黄君の次男である利久が足を鳴らしながら部屋へと入って来た。
父親の徳祐同様、中務省に勤める長男の典久に対し、利久は兵部省の下っ端役人で、本人にその才能が無いのも気にせず、文よりも武を好み武人を目指し、かと言って出世欲も無い為、徳祐には疎まれる存在であった。
その息子が無遠慮にやって来たと言うのだから、徳祐の機嫌が良くなる筈も無く、声を荒げて「出て行け」と命じようとした時、利久が思いも掛けない事を言い出したのである。
「父上を昨晩助けたと言う琵琶法師の事ですが、私はその法師を知っております。」
昨夜、徳祐が逃げる様にして自室に篭ってしまったので、これはただ事では無いと、徳祐が連れた従者に詰問したのが屋敷で休んでいた利久であった。
利久は顔を土気色にして震える従者達から事の仔細を聞き出し、こうして朝になって徳祐の元へとやって来たのである。
「何!鏑木法師を知っているのか!?」
徳祐はふすまを跳ね退けると、利久に向かって声を上げた。
「はい、彼は鬼一法眼殿の客人として、一月程前から一条堀川の屋敷に滞在しております。」
「堀川の鬼一だと!?」
徳祐は利久の返答に目を剝き、唸った。
鬼一法眼とは嘗て、現陰陽頭の安陪泰親の父である安陪泰長の門人として陰陽道と天文道を学び、その才を高く評価された人物である。
だが、泰長が逝去して後は、安陪家の内輪揉めや陰陽頭を巡る賀茂家との権力争いに愛想を尽かし、野に下っては剣術に没頭した変わり者として知られる様になった。
その上、一端の兵法家を気取っているのか、一条堀川にある彼の屋敷は四方に水を廻らせた城塞の様で、夕刻から翌日の昼頃まで橋を外して屋敷に篭り、式童子を櫓に立たせて物見をさせては、いつか来る外敵に備えているのだと吹聴する始末。
ただ、この剣術であるが、所詮坊主の手習い事だと馬鹿にすること勿れ、彼の腕前は京の都でも随一と謳われ、彼を師事する武人も多くいる。
斯く言う、利久も彼の腕に惚れ込み、その屋敷を何度も訪ねては教えを乞うているのだが、鬼一に軽くあしらわれ、未だ手解きを受ける事が叶わないでいた。
「鏑木殿は鬼一殿が故郷で暮らしていた頃に学んだ師と、同門の師を持つ方だとか。今は鬼一殿の屋敷に滞在してはおりますが、寝泊まりを除けば、日がな一日、琵琶を鳴らして都を歩き回っている様ですよ。」
利久の言葉に徳祐は目を瞑り、昨夜の鏑木法師の姿を思い出す。
徳祐の従者や暴れる牛を縛り付けた恐ろしい緑の蔓をものともせず、盲いた身で瞬く間にそれを祓った琵琶法師。
あの者が側にいれば、都で噂の怪異を寄せ付ける事は無いだろう…
そうして、徳祐は目を開けると利久に「堀川の鬼一殿の屋敷へ案内せよ」と申し付けた。




