終
早く、早くと催促する皆鶴を宥めながら、青瓷の皿へ干物を移していた鬼一の元へ、式童子が利久からの文を持ってやって来た。
嫌そうに文を持つ式童子に苦笑して、鬼一は文を受け取ると、皆鶴の背を撫でながらそれに目を通した。
双子の鬼が妻を伴い、鬼界へ戻った半月後、
鬼一の屋敷を訪れた利久に、鬼一は「あざみの鬼」の真実を語った。
徳祐の息子であり兄を亡くした利久は、最早部外者では無く、知るべきだろうと思った為だ。
利久は鬼一の語るのに耳を傾けていたが「そうだったのですか」と呟くと、何やら暫く考え込んでいた。
そうして、更に一週間後に再び鬼一の元を訪れた利久の姿に、鬼一は目を瞠った。
「鬼一殿、今までお世話になりました。私は暫く、都を離れようと思っております。」
そう言った利久の姿は旅人のそれで。
「勤めも辞めました。母は出家し、兄の菩提を弔うと言っておりますし、この際、私は東の国へでも参ろうかと思っております。」
「…武蔵国にでも行くつもりか?」
「そうですね。やはり、彼の地で儚くなった異母姉を、このままにしてはおけませんからね。…これは、私の気持ちの問題なのですよ。」
にこりと笑った利久に、鬼一は「そうか」とだけ返事をした。
怨霊祓いのあの日、羅城門で行った祈祷が穢れによって失敗し、典久の行動とその死が原因だと言われたが…事実、そうではあったが…徳祐や利久に罰は下らなかった。
鬼一がその場を収め、口利きをしたのもあるが、それ以上に橘一族に関われば鬼に殺されると皆が恐れた為である。
典久の死に次いで、徳祐の双子の姫が「あざみの鬼」に攫われたと言う噂は、瞬く間に都中に広まった。
そうして、思い出されたのは、登美君の屋敷で起こった惨劇だ。
あの場には徳祐の娘である阿弥姫も居て、あの惨劇も阿弥姫を狙ったものだったのでは無いかと憶測が飛び交ったのである。
それは真実であったが、当然、徳祐はそれを口にする事は出来ず、ただ、いつその真実がばれるのか、今日も屋敷に篭って恐怖に身を震わせている。
利久も兵部省で色々と言われたであろうが、そのせいで職を辞したのでは無い事は、鬼一にも分かった。
利久が言った様に、異母姉を弔う為に職を辞したのだろう。
「煩いヤツが居なくなって、これで少しは静かになるな。」
鬼一のいつもの憎まれ口に、利久は「ははは、本当は寂しいと思ってらっしゃるくせに」と笑って言った。
「文を出しますよ。それに、いつか帰って来た時は、今度こそ剣を教えて下さいね!」
秋の初め、その言葉を残して利久は京の都を旅立った。
利久が去って、その年の十二月、
安倍泰親は先の怨霊払いの責任を取らされ、陰陽頭の地位を追われた。
そして、新たな陰陽頭には加茂家の者から出される事となる。
年を超え、季節は廻り初夏の風が吹く頃。
鬼一は今日も堀川の屋敷に篭り、遊び女姿で愛猫の背を撫でながら、利久からの文を眺めている。
それは「御元気ですか」の常套句から始まる文だった。
都一の才女と謳われた異母妹の晶子程では無いが、利久がなかなか達者な文字を書くのだと、この時初めて知った。
鬼一殿、御元気ですか
私は今、異母姉とその母親が暮らしていた武蔵国の東山の村にいます。
ここを訪れた際、あざみ野原への案内を頼んだのですが、皆に断られてしまい、一人で訪れる事になりました。
この地でも「あざみの鬼」の噂は根深く、あざみ野原に足を踏み入れる者は一人もいないそうです。
その場所は、鬱蒼と生い茂る樹々の向こうにありました。
赤紫のその花が、まるで海の様に目の前に広がり、風に揺れていました。
それは、言葉にならぬ程にとても美しい光景です。
あの日、羅城門の外で警備をしていた私に声を掛けた女人がいました。
異母姉…正確に言えば違うのでしょうが、その人はじっと私を見ていました。
きっと、私を通して父の姿を追っていたのでしょう。
異母姉が最後に見たのがこの光景であったのなら、少しはその心を慰められたのではないかと思います。
…いえ、違いますね。
身勝手にも、そうであればと私が思っただけです。
相変わらず世間では平氏討伐の声が高まる一方で、先日の俱利伽羅峠の戦では、とうとう源氏方が大勝を収めたと聞きました。
兵部省に勤めていた頃は、考えてみた事もありませんでしたが、人の世と言うものは、絶えず、愛情と憎しみに塗れ、何処かで誰かが泣いているのでしょう。
今回の件で、私はその事に改めて気付かされました。
きっと、私に出来る事は少ないでしょう。
けれど、この先に私に何が出来るのか、何か出来る事は無いのか、こちらで暫く考えてみたいと思います。
尚、そちらに戻った折には剣の御指導、よろしくお願い致します。
利久




