六十一話・罵声
これまで微動だにしなかった晶子の指が動き、四鬼の胸からゆっくりと鍼を抜き出した。
と、同時に、晶子と四鬼の体が淡く光り、その形を変えて行く。
側で晶子を見守っていた孝子の前で、ゆっくりと開かれた晶子の瞳は、三鬼と同じ黄金色のそれで、その頭には白銀の二本の角が生えていた。
胸から鍼を抜かれた四鬼も、瞳を瞬かせると、そのまま双子である兄の姿へと変わった。
「…っ!晶子!無事なの!?晶子!」
孝子はすっかり鬼へと変化した妹に向かい、その肩を抱いて問い掛けた。
「お姉様…」
「何処か痛い処は無い?気分はどう?…ああ、生きてるのね、晶子!」
「はい、何れ、北辰様と魂の代償を払う時が来るかも知れませんが、それでも最後まで諦めず、私は北辰様と共に生きて参ります。だから、安心して下さい。」
にこりと笑った晶子の言葉に、孝子は面を上げて晶子の横に立つ男を見上げた。
「…北辰?」
「ああ、良い名だろう?晶子がとびきり恰好良い名を付けてくれたんだ。」
「北辰は道教に於いて、最高神を表わす星の名だ…鏑鬼さんにはちょっとばかり贅沢な名前じゃねえか?」
得意気に自慢する三鬼…いや、北辰に、鬼一は呆れた様に肩を竦めた。
ほんのりと赤く頬を染めた晶子は「いいえ」と首を振って、夫となった北辰の手を取って告げる。
「私に取って北辰様は、夜空に浮かぶあの星と同じ、私の道標であり、頼りとする方です…でも、本当の理由は、あの星の様にいつも同じ場所に…私の隣にいて欲しいから、その名にしたのです。」
「晶子…っ」
顔どころか、全身を真っ赤にした北辰が、妻の言葉に感動して震えている。
実に新婚らしい二人の遣り取りに、鬼一は呆れ果て、孝子も何となく所在無さ気にその様子を見守っていたのだが、突如上がった怒声に、弾かれた様に屋敷の方向に顔を向けた。
そうして、目に入ったのは顔面をどす黒く染めた父親の顔。
法月によって体の自由を奪われ、声を出す事も許されなかった徳祐が、今は憤怒の形相で晶子と北辰を睨んでいた。
「よくも…、よくも儂を騙してくれたな!何が、鏑木法師だ!何が、二人が揃えば「あざみの花」も届けられないだっ!この大嘘つきの、化け物めっ!!」
法月によって徹底的に痛めつけられた徳祐の心と体は、法月が死んだ事により抑圧されたものが解放され、一気に爆発した。
徳祐は怒りのままに、罵声を続ける。
「くそ…っ、忌み子等、初めから殺しておけば良かった!きっと、おまえが居たから「あざみの鬼」や、そこの化け物を呼び寄せてしまったのだろう!!薄気味悪い、孝子のまがいものめ!おまえが居るせいで、儂がこんな目にっ!死ねっ!!死んでしまえっ!!」
唾を撒き散らし、晶子を憎しみの目で見る徳祐に、晶子は震え、その顔を伏せた。
北辰はそっと晶子から手を離すと、無言で徳祐の元まで歩いて行く。
「…っ、ひっ、近寄るな!化け物めっ!!そ、そうだ!おまえもあの忌み子の側に居ると、不幸になるぞ!いや、化け物は化け物同士、お似合いか!?フハハハハ…っ、ぐふっ!」
聞くに耐えない罵声を上げる徳祐の腹を、北辰は容赦なく蹴り上げた。
勢い良く飛ばされた徳祐は、そのまま白目を剝いて気絶する。
「…あんたの事、前から、ぶん殴ってやりたいと思ってたんだよな。」
徳祐を見下ろし、冷たく言い放った北辰に、鬼一が頭を掻きつつ訂正する。
「それはぶん殴ったって言わねえだろ、蹴り上げるって言うんだよ。」
「こんな男を触った手じゃ、晶子に触れねえだろ。だから、仕方なく蹴ったんだよ。」
「…ああ、そうかい。」
最早言葉も無い鬼一は、両手を上げて天を仰いだ。
雨はもう止んでいた。




