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花鬼~あざみの記憶~  作者: 光沢武
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六十話・夫問い

漆黒の闇の中、三鬼はぼんやりとその場に立っていた。


自らの魂に鍼を刺して傷を付けたにも関わらず、幾ら精神体とは言え、痛みを一切感じない事が不思議だ。

もしかしたら、既に自分は死んでいるのではないだろうかと、少しだけ自嘲して、先の見えない暗闇に一人立ち尽くす。


「いつもなら四鬼が体を使ってても、外の情報は俺にも分かるんだけどなあ。これじゃあ、向こうで何が起こってるのか、ちっとも分からねえ…四鬼のヤツ、上手くやってんのかな…」


呟いた言葉は、暗闇の中に溶けて消える。

独白とは言え、何一つ残らない暗闇と言うものは、人の心を滅入らせるものだと三鬼はそっと溜息を吐いた。



ふと、誰かに名を呼ばれた気がして面を上げる。



誰一人存在しないこの場所で何をと、思いはするものの、次第に近付いて来るものは覚えのあるそれで。


「…これは、四鬼の妖力か?」


暗闇の先がぼんやりと光り、馴染みのある気配を感じる。

しかし、薄墨の中から現れたのは、三鬼の思ってもみなかった人物だ。


「晶子!?」


四鬼の妖力に包まれ淡い光りを纏ったのは晶子であった。

晶子は三鬼の姿を認めると、ほっとした様に息を吐き、胸に手をやった。


「ご無事でしたか?三鬼様…」


「いや、何で、晶子がここに…?あれ?やっぱり、俺、死んじまったのか?死後って、妄想とか出来るんだっけ?」


「…っ、死んで等いません!あなたを死なせない為に、参ったのです!」


三鬼が思わず零した言葉に、晶子は目に涙を浮かべて声を上げた。

そんな晶子に目を瞠った三鬼だったが、その意味を察し、顔を強張らせた。


「まさか、おまえ…」


「…私を、三鬼様の妻にして下さいませ。」


予想通りの言葉だった。


きっと、四鬼が魂の代償について話してしまったのだろう。

三鬼は思わず舌打ちをした。

晶子にこんな事をして貰う為に、自らの魂を傷付けた訳では無いのだ。


「…同情なら要らねえよ。それに、この方法を選んだのは、俺自身だ。自分のケツは自分で拭くから、おまえが犠牲になる必要は無い。」


晶子を見る黄金色が冷たく光っている。

初めて会ったあの時から、三鬼にそんな目で見られた事の無い晶子は、本能的に震えた体に、心に、打ちのめされそうになった。


晶子は震える手で、胸元をぎゅっと握る。

下げてしまいそうになる面を必死に上げて、ただ、黄金色を見返した。


「…違います」


「あ?」


「違います!同情ではありません!私が…っ、私が、あなたの妻になりたいから参ったのです!」


晶子の眦に溜まっていた涙の粒がポロリと零れて行った。

唇が震える。胸が痛い。

焦燥感と不安で、これ以上、前に進むのを躊躇ってしまいそうだ。

姉の言葉に背を押され、励まされたが、三鬼に拒絶される可能性を考えると、晶子の胸には恐怖しか無かった。


「…三鬼様の名が仮の名で、何れ妻になる方があなたに真名を与えると知った時、私はその方を羨ましいと思いました…三鬼様の本当の名を、一番初めに呼ぶのが私であったら良いのに…そんな風に思ったのです。」


ポロリ、ポロリと涙の珠が落ちて行く。

真っ赤になった眦で、涙を拭う事もせずに真っ直ぐ顔を上げた晶子の姿を、三鬼は呆然と見つめていた。


「犠牲なんかではありません…寧ろ、私は卑怯者なのです。」


「卑怯って…」


「だって、私は、私の命と引き換えに、三鬼様に娶って頂こうとしているのですよ?こんな事、卑怯ではありませんか…っ!」


晶子の言葉に、三鬼は何も言う事が出来なかった。

それは、酷く、酷く驚いた為であったのだが、晶子はこれで三鬼に軽蔑されてしまっただろうと思い、涙が止まらなくなった。

それでも、最後まで自分の気持ちを伝えようと、晶子は続ける。


「…これまで、手習いで幾つもの恋歌を書いて来ました。恋の喜びを謳った歌、恋の苦しみを謳った歌…たくさんの歌を書きましたが、私には、それらに込められた気持ちが分かりませんでした。けれど、三鬼様と出会ってから、私の胸は音を立て、色を変えました…あなたは私の為に怒ってくれた、私に向かって笑ってくれた、それがどれ程に嬉しかったか分かりますか?」


「晶子…」


「四鬼様に言われました。もし、私の寿命を三鬼様に御渡ししても、良くて十年の命だと。けれど、あなたの居ない十年以上の人生と、あなたの側に寄り添える十年と、どちらかを選べるのなら、私は迷わず、あなたの側に寄り添える十年を選びます。…それに、私はまだ希望を捨てません。十年の間で、きっと三鬼様が助かる方法が見つかる筈です。だから、それまで共に生きて下さい。」


晶子は三鬼の黄金色の瞳を真っ直ぐに見上げて言った、


「三鬼様、私は、あなたをお慕いしております。」


そう告げた晶子の腕を取り、三鬼はその胸に掻き抱いた。

三鬼の胸の中に閉じ込められた晶子は、震えながら、その背に両腕を伸ばし、必死に縋り付く。

三鬼の胸元に顔を埋めた晶子の耳に、早鐘の様に脈打つ三鬼の鼓動が聞こえた。


「…ここで俺の妻になれば、おまえの寿命は俺と分かち合う事になるんだぞ?」


「元より、そのつもりで参りました。」


「下手したら、二人とも直ぐにあの世行きになるかも知れない。」


「三鬼様と一緒であれば、それも悪くはありませんね。ですが、先程も言いました通り、最後まで諦めずに足掻きましょう?」


「……馬鹿野郎が」


『諦めるな』…それは法月にも言われた言葉。

確かに、三鬼はこの期に及んでもまた、諦めていたのかも知れない。

本当に自分は馬鹿野郎だ。


三鬼は晶子の体に更に力を込め抱き締める。

だが、晶子の気持ちに応える前に、聞いておかなければならない事があった。


「…法月はどうした?」


「はつ様の元へ逝かれました。三鬼様には、すまなかったと…」


「そうか…」


呟いた三鬼の背に回された晶子の手に力が籠った。

三鬼はそれに小さく笑うと、そっと互いの体を放し、涙に濡れた晶子の目を覗き込んだ。

黄金色の瞳には、先程の冷たさはもう何処にも無い。

あるのは晶子の見た事の無い、熱を乗せた黄金色の輝きだけ。


「俺も、おまえの逆境に負けず、懸命に生きようとする姿が好きだよ。」


「三鬼様…っ」


その言葉に、晶子は堪らず嗚咽を上げた。

三鬼は晶子をあやす様に、その頭を撫でて笑う。


「じゃあ、一丁、格好良い真名を頼むわ!俺にピッタリなヤツな!」


にんまりと口元を上げた三鬼に、晶子もふんわりと微笑み告げた。


北辰(ほくしん)


…それは、初めて会ったあの夜に輝いていた、旅人が道標にすると言う星の呼び名だった。


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