五話・橘徳祐
宵闇の中、牛車に揺られながら中務省の権大輔である橘徳祐は苛々と爪を噛んでいた。
先の件で摂政を務める近衛基通が外に出るのを恐れて出仕しない為に、政務のほとんどが滞っていた。
その上、二年前に源氏に出された三条宮の令旨により、平氏打倒の挙兵の為に内乱が続き、今も各地で多くの血が流れている。
その事もあり、戦で殺された者達が怨霊となりて、鬼の姿で都を祟っているのではと、まことしやかに噂され、外を出歩く事を恐れた役人の多くも、何かと言い訳をして基通に右へ倣えである。
これを憂いた安徳帝が、現在の陰陽頭である安陪泰親に怨霊祓いを命じ、近く大掛かりな祈祷が行われる事となった。
最も、安徳帝はこの時、御年四つの幼子であり、事実上、政を司っていたのは後白河院であったのだが。
泰親は今年の四月に陰陽頭に就任したばかりではあるが、占術や天文密奏においては並ぶ者無き実力者で、稀代の陰陽師であった安倍晴明の五代目の子孫でもある。
その泰親が直々に指揮を執り祈祷を行うとあって、京の都もこれで元の平穏な姿に戻るだろうと、漸く人心に落ち着きが戻って来たのだが…今、その皺寄せが徳祐の身に一気に降りかかっている。
陰陽寮は中務省の小寮とあり、祈祷の日程や段取りの調整を計る為に、陰陽寮の仕事と通常の仕事を同時に熟さなければならず、近頃は政務を終えると夜を迎える事が多くなっていた。
「くそっ、臆病者の役立たず共め!そもそも、あの男が朝議に参加せぬから儂がこんな目に合っているのだ!阿弥姫を殺された事も許し難いと言うのに!それに、陰陽師共も院の御声掛けにすっかり調子に乗りおって!何が天文道だ!勿体ぶらずに、さっさと祈祷を行えば良いものを、やれ日取りが悪い、方角が悪いと難癖をつけおって!」
徳祐の娘であった阿弥姫は、基通の妻である登美君の女房として、彼女の屋敷に勤めていた。
そうして、あの惨劇の犠牲者と言う事もあり、昼間の激務の不満と合わせて徳祐の怒りは頂点に達していたのである。
徳祐は己の爪に強く歯を当てた。
悪癖である事は分かっていたが、徳祐はそれを止めようとは思わなかった。
その時、ふと、徳祐の耳に琵琶の音が聞こえて来た。
物見をそっと開けて外を覗けば、琵琶法師が道の端で琵琶を鳴らしているのが見えた。
裳付姿のその男の両の目は閉じられていているが、年の頃は二十手前程だろうか、なかなか端正な顔立ちをしている。
琵琶を奏でるその腕も見事なもので、徳祐の荒れた心も次第に落ち着いて行った。
徳祐は物見を閉めると、息を一つ吐いて目を閉じた。
琵琶の音が遠のき、牛車が角を曲がるのが分かる。
今宵は、茂黄君の屋敷へ向かおうと思っていたが、このまま北の方の屋敷に戻る事にしよう。
そう思い、車副に声を掛けようとした時、外から上がった悲鳴と共に、牛車が酷く揺れ、徳祐の体は箱の外へと投げ出された。
徳祐は強かに地面に体をぶつけると、痛みに唸りながら、のろのろと面を上げた。
そうして、その場の惨状に目を瞠り、腰を抜かした。
徳祐の連れた従者が緑色をした無数の蔓に体を縛られ、宙に浮いている。
更に、この状況に興奮した牛さえも、その緑の蔓で巨体を地に縛り付けられ、身動き出来ない有様だった。
あまりの異常さに徳祐が恐怖したのは無理も無い話であったが、それ以上に徳祐を震え上がらせたのは、徳祐の目の前に置かれた一輪の「あざみの花」の存在であった。
徳祐の頭に、否が応でも基通の屋敷で殺された娘の姿が思い出される。
蠢く蔓は、とうとう徳祐の体にも襲い掛かって来た。
逃げなければと頭では分かっているのだが、恐怖で竦んだ手足は思う様に動かず、目の前に迫った触手に徳祐は堪らず目を閉じた。
覚悟を決めた徳祐であったが、一向に己を束縛する痛みを感じず、恐る恐ると開けた目には、先程の琵琶法師の黒い背中が映っていた。
法師はその胸元から幾つかの鍼を取り出すと、緑の蔓に向かって投げ放ち、何やら呪言の様なものを唱えている。
すると、鍼は炎を纏って蔓に刺さると、蔓だけを燃やしてその全てを消し炭にした。
宙に浮いていた従者は地面へ落下し咳き込んでいたが、命に別状は無い様子だった。
直ぐに法師は、体の自由を取り戻して暴れる牛に駆け寄ると、またもや胸元から鍼を取り出して牛の体に突き刺した。
そうして、次第に落ち着き始めた牛を未だ咳き込む牛飼童に渡して、法師は道の端に置いた杖と琵琶、そうして「あざみの花」を拾い上げた。
その様は、とても盲いた者の動きでは無かったが、彼の両の目は確かにしっかりと閉じられている。
法師が琵琶を鳴らして背を向けたのを、徳祐は慌てて彼に声を掛けた。
「待ってくれ!法師は一体何者だ!?…ああ、いや、法師のおかげで助かったのだ、まずは礼を言おう。だが、盲目の身で、あの様な化け物を祓ってみせるとは、さぞかし高名な法師であろう。名を教えて欲しい。」
名も告げず去ろうとした法師に、徳祐は彼の名を問うた。
法師は「鏑木」と名乗り、それだけ言うと、今度こそ徳祐に背を向けて宵闇の中へと去って行った。




