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花鬼~あざみの記憶~  作者: 光沢武
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五十八話・あざみの鬼

「まさか、三鬼は…」


四鬼の胸を深々と刺した鍼に、法月が呆然と呟く。

四鬼はそんな法月を冷静に見つめ、それを否定した。


「勘違いするなよ、あの三鬼が自分から犠牲になって死ぬなんて事、する訳ないだろ。」


四鬼の言葉に、法月ははっと面を上げる。


「この鍼は三鬼の特別製でね、()()()()()()()刺す事が出来る…つまり、三鬼の魂を死なない程度に傷付け、仮死状態にしているんだ。おまえが、昔言った条件の二つ目を採用したと言う訳さ。」


とは言え、魂に傷を付ける等、無茶も良い処だ。

一歩間違えれば、三鬼の魂はそのまま消えてしまうだろうし、無論、このままでも無事にはすまない。

だが、そんな危険な賭けに出てまで、三鬼は法月を止める事を諦めなかったのだ。


「法月、おまえも本当は分かっているんだろう?おまえの愛した女はもういないって事を。」


四鬼が真っ直ぐに法月を見据えて言った。


「孝子がさっき言った事、僕もその通りだと思う。…おまえの愛した女は、おまえをそんな姿に変えてまで、自分の恨みを晴らしたいなんて、きっと思わない。そうだろ!?法月!」


「…っ、黙れ!おまえに…おまえに、何が分かる!?」


『そうですよ!酷い!四鬼様!酷い、酷い、酷いっ!!』


法月の咆哮と共に、地面を割って傀儡が現れる。

しかし、現れた傀儡は四鬼を襲う前に全てが凍り、はつの左腕の様に粉々に砕け散って行く。


「いい加減、狂ったフリは止めろ!法月!」


その言葉に、ぴたりと法月の動きが止まった。


「さっきまで、僕はおまえは正気じゃないと思ってた。あざみ野原で会った化け物と同じ、姿は違えど、おまえはもう僕の知る法月では無くなってると思ってたんだ。」


四鬼は法月を真っ直ぐの見つめ、唇を噛み締めた。


正気じゃない…そう思っていたと言うよりは、そう思いたかったのかも知れない。

法月の方も、殊更に()()()()()()()()()()せいもあるが、冷静に観察してみれば、答えは明確であった。


法月は狂っていない。

狂ったフリをしているだけだ。


「僕は…僕は、今のおまえを「法月」だと認めたくなかった。だけど、やっぱり、どんな姿になっても、どんな罪を背負っても、おまえは僕達の大切な幼馴染の「法月」だから…、だから、僕達は、絶対におまえを止めなくちゃ駄目なんだよっ!」


「四鬼…」


法月は四鬼の叫びを聞くと、一度顔を伏せて目を閉じた。

だが、再び顔を上げると、その手の中の松の実を放る。

松の実は爆ぜる前に次々と凍って行くが、法月の手は止まらない。


「狂ったフリは止めろだって!?だったら、どうすれば良かったんだ!?あの時、『移し』を使った、あの時は、確かに私の意識は無かった。私だって、あのまま、狂ったままでいたかったよ!」



あの日、あざみ野原で里人を食らっている中、三鬼に名を呼ばれ意識を取り戻した。

けれど、それからずっと、正気でいられたかと言えば、そうでは無い。

当然だろう。最愛の女の惨たらしい最期を覗き、(あまつさ)え、その最愛の女の死肉を喰らったのだ。正気でいられる筈が無い。

だが皮肉な事に、正気を失い見境なく人を喰らった為か、法月の中の妖力が増幅する様になった。

そうして、その妖力は持ち主を生かす為に、再生能力を発揮させる。

それは、身体的な再生では無く、壊れてしまった理性までも再生させようとしたのだ。



「そこからは地獄だったよ。理性が戻ればはつを失った絶望と、はつの死に際の想いが私を揺らす。勿論、自分が正気を失ってやってしまった事も、鮮明に思い出すんだ。それに耐えられなくて、また気が狂えば、憎しみのままに人を襲う。そして、理性が戻って来る…そんな事の繰り返しさ。」



実際、四鬼は狂ったフリと言ったが、法月が今の様に正気を取り戻したのは、阿弥姫を…登美君の屋敷を襲った後の事だ。

狂気の中で特に法月の心を揺さぶったものは、はつの憎しみの感情だった。

それが、絶望する法月の心に一番楽に入って来たものだったから、法月は流されるままにそれを受け取ってしまった。


そうして出来たのが「あざみの鬼」と呼ばれる化け物だ。


だが、狂気と正気を繰り返した法月だったが、登美君の屋敷を襲って後、自分の意識がはっきりしている事に気が付いた。

狂ってしまいたいのに、狂う事が出来ないのだ。

法月はあまりにも人を喰らい過ぎ、妖力を持ち過ぎてしまった。

そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()になってしまったのだ。



「増幅した妖力で、あれ程苦労した『移し』の力を使いこなせる様になり、私ははつの顔と記憶を完全に手に入れた。とは言っても、まだ少し不安定でもあったから、一度、結界のある京の都を離れる事にしたんだけどね。…ほら、見てご覧よ、私のはつは可愛い人だろう?」


先程、三鬼に紹介した様に法月は己の左側を愛おし気に撫でて言った。


「これで、はつとずっと一緒だ。もう二度と離れる事は無い…だけど、どうしてだろうね?『移し』は完璧なのに、私が一番好きだったはつの笑顔を作れないんだ…」


はつの瞳から涙が一筋零れて行った。

それは、四鬼が見たはつの表情の中で、もしかしたら一番、人間らしい表情であったかも知れない。


「…お喋りが過ぎたな。私が狂っていようが、いまいが、最早、そんな事は関係の無い話だ。今更、復讐を止めるなんて、出来る筈もないだろう?最後まで、はつの憎しみに殉じるまでさ!」


法月が右手を上げる。

鬼一の式童子を燃やした焔が、法月自身の右腕を焼き、炎の手となって四鬼を襲った。


「馬鹿野郎…っ!!」


四鬼は法月の灼熱の指先を躱さずに、そのまま自身の掌で受け止める。

法月の炎と四鬼の氷が衝突し、蒸気した煙が二人の姿を覆い隠した。


刹那、煙の中で高音が爆ぜた。


やがて煙が晴れ、姿を現した法月の右腕は、左腕同様に肩の部分まで砕け散り、その足元にキラキラと結晶を落としていた。

両腕を失い体勢を崩した法月の体を、四鬼が受け止める。


「…初めて使う術式にしては、見事だね。」


「…昔、使えもしないのに、もし妖力を取り戻したら、おまえを驚かせてやろうと思って、三鬼の得意な炎とは逆の氷の術書をたくさん読んでいたからね。その時の成果だよ。」


「ははっ、そうか…確かに、驚いたよ…はははっ」


四鬼の言葉に、法月は楽し気に、そして嬉し気に笑う。

四鬼の氷が法月の両腕から体内を凍らせて行く。如何に異常な回復力を見せる法月の妖力とて、その血肉が凍ってしまえば成す術も無かった。

法月の足先が凍り、膝から氷塊となって音を立て崩れ始めた。


「…本当はね、お前達が私を追って、この都に来た事を知って、ほっとしたんだ。」


「…おまえには借りがあったからね。約束は守るさ。」


「…そうだったね。じゃあ、これで貸し借りは無しだな、」


パリンと氷が砕ける音が四鬼の耳を打った。


「四鬼、三鬼は…」


「大丈夫だよ。三鬼は死んだりしない。」


「そうか…三鬼にも、すまなかったと伝えてくれ。」


「ああ…」


胸元まで凍った法月は、振り向くと鬼一に向かって声を掛けた。


「…鬼一、すまなかったね。だけど、あの子の息子に会えて良かったよ。」


「俺は、こんな形では会いたくなかったけどな。」


眉間に皺を寄せ、心底嫌そうに言った鬼一に、法月は「やっぱり、あの子に似ているね」と口元を上げた。


四鬼は法月の凍り始めた両頬を挟んだ。

パリン、パリンと音を鳴らして砕け散った法月の体は既に形を失い、首と頭だけが四鬼の両手の中に納まっている。


「…花を、贈ろうと思っていたんだ。両手に抱え切れない程、たくさんの花を、ね。」


法月はそっと目を閉じて、はつの姿を思い出した。


初めてはつを見つけた時の高揚感

胸を高鳴らせ、意を決して声を掛けた時、

火傷の痕に驚きはしたものの、はつは柔らかく笑ってくれた


少しずつ、

少しずつ、想いを伝え、想いを交わし

私達は互いを唯一だと確かめ合ったのに…


「私はどんな花も好きだ…、だけど、あざみの花だけは、ふふっ…好きになれそうにないな…」


花に埋もれた最愛の女


殴られ、酷く傷ついた彼女の亡骸を護る様に、悼む様に

包み込んでいたのが赤紫のあざみの花だ


その事に慰められるのと同時に、

暗く底の見えない絶望感も味わわされた



「ああ、これでやっと、はつの元へ…逝く事が出来るよ…」


法月が笑う。

四鬼の手の中の法月は瞳を閉じると、一際高い音を鳴らして砕け散った。


こうして、京の都を震撼させた「あざみの鬼」はいなくなったのである。


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