五十六話・切り札
冷たい雨に打たれ、酷く凍った体が…いや、心が、包み込む様な優しい温かさに触れている事に気が付き、三鬼は重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。
「三鬼様は、とても優しい方です。忌み子である私の為に怒ってくれたのは、お姉様以外に初めてでした。三鬼様は、私達を護ると仰って下さいました。…御自分こそが御辛い立場であったと言うのに。だから…だからこそ、今度は、私達が、三鬼様と四鬼様を護る番なのです!」
震えながらも、そうきっぱりと言い切った晶子の声が聞こえた。
自分を包む温もりが、涙を零し、三鬼の体に必死に縋り付く晶子のものだと気が付き、三鬼は顔を歪める。
そうして現れた鬼一の姿に、三鬼と三鬼の中の四鬼は己の不甲斐無さに唇を噛み締めた。
必ず護ると誓った女を護れなかった不甲斐無さ
大切な幼馴染と交わした約束を果たせない不甲斐なさ
あれはもう自分達の知る「法月」では無いのだと、
分かっているのに思いを振り切れない自分自身の不甲斐無さ…
「…大丈夫です、きっと三鬼様と四鬼様は護ってみせます。」
三鬼の鍼を握り締め、三鬼に聞かせる様に零される晶子の言葉に決意する。
三鬼は開けた瞳を閉じると、四鬼に向けて念を送った。
『四鬼、聞こえるか?四鬼、』
『ああ、聞こえてるよ。』
『鬼一の腕じゃ、法月は止められない。このままじゃ、あいつに皆殺しにされるのも時間の問題だ。』
『ああ、そうだろうね。だけど、だったらどうする?僕達の手の内は、あいつにはバレてる…僕の刀も砕けたし、三鬼の妖術も効きそうにない。』
『…一つだけ、策がある。』
『本当か!?』
『ああ、一つだけ、とっておきの切り札がな…』
三鬼の言葉を聞き終えた四鬼は、思わず制止の言葉を上げそうになったが、兄の覚悟を前にして、その口を閉じた。
ゆっくりと息を吐く。
『―…鏑木さん、あんたが今、向かうべき先は後悔しない道だ。あんたにとって、何が一番大切なのか、よくよく考えるんだな。』
頭の中に、鬼一から言われた言葉が蘇る。
後悔しない道なんて…きっとどれを選んだとしても、何処かで後悔は必ずするだろう。
けれど、そうやって選んだ道を後悔しながらでも、諦めず一歩でも前へと進んで行く。
そう、一歩でも良い。しっかりと前を向き、進んで行くのだ。
それが、あの日、法月から「諦めるな」と言われた事への三鬼の応えでもあった。
「待ってろよ、法月。今、約束を果たしてやるから…」
腕の中で呟かれた三鬼の言葉に、晶子ははっと体を起こした。
「三鬼様…?」
血に塗れた体をゆっくりと起こし、立ち上がったのは銀の煌めきを宿す男で。
「四鬼?」
孝子の言葉に頷いた四鬼は、自分の身を呈して三鬼と四鬼を護ってくれた双子姫に礼を言うと、泥濘へと歩を進め叫んだ。
「鬼一!僕を援護しろ!法月を討つぞ!」
その大きな声は、雨の橘邸の隅々に届いた。




