五十三話・激怒
冷たく重たい雨が孝子を濡らす。
寒さからでは無い震えが、孝子の体をカタカタと揺らすが、それでもこの場から逃げ出そうとは思わなかった。
震えながらも真っ直ぐにこちらを見据える孝子の姿に、法月は黄金色の瞳を細めて言った。
「四鬼と三鬼を傷付けさせない?では、今度はあなたが私の相手をしてくれるのかな?」
『わざわざ、自分から殺されに来るなんて。旦那様の力を見ていなかったのかしら?』
法月の言葉に、はつが憐れみを込めて孝子を見やる。
だが、孝子はぐっと奥歯を噛み締めて、法月に向かって声を上げた。
「いい加減、はつの真似をするのを止めたらどうなの?」
『…私の真似?何を言っているの?』
はつが眉根を寄せ睨むのを、孝子はその視線を逸らさずに続ける。
「あなたは、はつでは無い!確かに、死の間際のはつの憎しみ、悲しみをその身に体感したかも知れないけれど、だからと言って、はつには成り得ない。あなた自身は法月のままである筈よ!」
屋敷の中で孝子は双子と法月の遣り取りを聞いていた。
鬼の使う妖術がどの様なものであるか、鬼の身でも無い孝子には正確には分からないけれど、『移し』と言う妖術が触れた者全ての記憶と姿を移せるのだとしても、魂までも移す事の出来る万能のそれでは無いだろう。
だとしたら、法月の左側にあるものは、はつである筈が無い。
「あなたは、はつを失った悲しみと絶望で、偽りのはつを作り出してしまった。だけど、きっとそんな事、はつは望んでいないわ!これ以上、誰かを傷付ける様な事は、もう止めて!」
「…偽りのはつ?馬鹿な事を言うね。はつはここにいる!偽りなんかじゃない、私ははつを失ってなんかいないさ!」
『そうですよ、旦那様。私はあなたの側にいます。』
「ああ、はつ…はつ。そうだね、私達は今度こそ離れない。ずっと側にいよう…」
『ええ、旦那様』
法月とはつは互いを慰める様に、互いの頬を撫でた。
そうして、瞳を閉じるとゆっくりと息を吐き、一歩前に出た。
瞳を開けた法月には、孝子に向けての明確な殺意が宿っていた。
本来であるならば、三鬼と同じ煌めく様な黄金色だったそれには、何処までも暗い闇を映し、冷たく、けれど身を焦がす様な炎が燻っている。
法月は孝子に四鬼の仕込み杖を向けて声を上げる。
「おまえに私達の何が分かる!?はつが望んでいないだと?死の間際のはつの苦しみ、憎しみがおまえに分かるか!?知った様な口を利くなっ!」
「…確かに、私達はあなたの事も、はつの事も知らない。だけど、四鬼と三鬼の事なら少しだけど知ってるわ。」
白刃を目の前にしても逸らさなかった孝子の瞳が、後ろで倒れたまま動かない双子の兄弟へと向けられた。
「策略家をきどるクセに嘘のつけない四鬼は、他人から見たらきっと愚かな事も、私が大切にしているのだから、それは大切なものなんだって言ってくれたわ。そんな事を言ってくれたのは四鬼が初めてで、私がどれだけ嬉しかったか、あなたに分かる?」
孝子の言葉を受け、三鬼の体に縋っていた晶子は涙に濡れた顔を上げて続けた。
「三鬼様は、とても優しい方です。忌み子である私の為に怒ってくれたのは、お姉様以外に初めてでした。三鬼様は、私達を護ると仰って下さいました。…御自分こそが御辛い立場であったと言うのに。だから…だからこそ、今度は、私達が、三鬼様と四鬼様を護る番なのです!」
晶子は震えながらも、法月に向かってきっぱりと言い切った。
孝子が法月に視線を戻し、彼の殺意の宿る黄金色を見上げた。
「…そんな四鬼と三鬼が、あなたの事をとても大切な幼馴染だと言っていたわ。
「あざみの鬼」の正体があなただと知って、どれだけ苦しみ、傷付いたか…知らない振りだって出来たでしょうに、二人がそうしなかったのは、口では何と言っていたとしても、あなたが「法月」だったからよ!はつはそのあなたが愛した女なのでしょう!?だったら、例え、死の間際にどれだけの憎しみと恨みを抱いたとしても、あなたをそんな化け物の姿に変えてまで、自分の恨みを晴らしたいとは、きっと思わなかった筈よ!あなただって、自分の愛した人をそんな偽りの化け物の姿にするなんて、本意では無いでしょう!?」
「うるさい!うるさい!うるさい…っ!!おまえにっ、おまえ達に、私の絶望が分かるものかっ!」
法月は激昂すると、四鬼の刀を容赦無く振り下ろした。
その凶刃を前に斬り殺されたと思われた孝子であったが、宙に浮いた護符から黄金色の蛇が姿を現すと、法月の刃を食い止め、牙で刀を砕いて消えた。
手の中で毀れた刀と地に落ちた護符を見やり、法月は舌打ちする。
「そう言えば、三鬼達が何処ぞの陰陽師と組んでいたな…だが、その護符は既に一度、力を発動させているね?更に、この雨の中だ。次の一撃を止める程の効力は無い!」
仕込み杖を放って法月はそう言うと、掌から松の実を取り出した。
「おまえ達は、随分と三鬼と四鬼の事を気に入っている様だから、二人と同じ様に肉を裂き、苦しめながら殺してあげよう。嬉しいだろう?」
にこりと笑って松の実を転がし手を上げた、その刹那、法月の右腕が斬り飛ばされた。
「なっ!?」
宙を飛び、泥濘へと落ちた己の腕を愕然と見、法月が後ろを振り返れば、そこには不快気に法月を睨む鬼一法眼が太刀を構えて立っていた。
「女を甚振るなんて、趣味の悪い事してんじゃねえよ!」
鬼一は悪態を吐き、再び、法月へ向けて白刃を振るう。
法月はそれを躱すと、鬼一から距離を取った。
「誰かと思えば、三鬼と四鬼と組んでいた陰陽師か。関係の無い人間が首を突っ込むと碌な事にはならないよ?」
「残念ながら、関係無い人間じゃねえんだな、これが。」
「何?」
鬼一が首を竦めて言ったのを、法月は眉を顰めて問い質す。
「俺の名は鬼一法眼、母の名は蓮華…母の以前の名が、法月の二鬼と言ってね、つまり、あんたは俺の伯父って訳だ。」
鬼一は刀を構え直すと、法月に改めて対峙し名乗ったのだった。




