五十二話・手の内
喉元に傀儡を巻き付け、泡を噴く徳祐の目はほぼ白目を剝いていた。
ギチギチと首を締め上げる音が聞こえ、あと僅かで徳祐の命が絶たれると思われたその時、傀儡を斬り裂く白刃が煌めいた。
銀の瞳を細め、仕込み杖を振るった四鬼は、徳祐を襲った傀儡を跡形も無く斬り裂くと法月へと対峙する。
刃を構えた四鬼に法月は片眉を上げて、問い掛けた。
「意外だな、四鬼が今の話を聞いても、その男を助けるなんて。三鬼もそうだが、おまえも、こう言う男は反吐が出る程嫌いだろう?」
「そうだね、斬り刻んで捨ててやりたい程には嫌いだね。」
「では、どうして助けたんだい?」
法月の言葉に四鬼は、ちらりと屋敷の中の孝子に目をやった。
「…さあね、ただの気紛れさ。でも、敢て理由を付けるとしたら、おまえの思い通りに事が運んで行くのが嫌だっただけだよ。」
四鬼の分かりやすい言動に、法月の黄金色の目は何処か優し気に細められる。
けれど直ぐにその色を隠し、法月は右手を上げると掌に松の実を転がした。
「成程、それじゃあ、次はおまえが私の相手をしてくれると言う訳かな?」
「ああ!そうだよっ!」
四鬼はそう言って駆け出すと、法月が放った松の実を避けて刃を振り上げた。
空から降り頻る雨は、三鬼の妖術の威力を半減させるが、四鬼の剣術の妨げにはならない。
純粋に、剣の腕だけで四鬼は法月と勝負をする事になるだろう。
「ふふっ、では、お手並み拝見と行こうかな!?」
法月の手に次々と松の実が現れる。
四鬼に向かって投げつけられた松の実は、四鬼が避ける前に目の前で爆ぜ、四鬼の目を晦ませた。
一瞬、止まってしまった四鬼の足に、間髪入れずに法月は傀儡を巻き付け、その自由を奪おうとしたが、それよりも早く四鬼の刃が傀儡を刻んだ。
「こんなもので、僕の足が止まると思ってるのかい?」
四鬼は傀儡に刃を突き立てると法月に向かって突進し、その胸を突き刺した。
心の臓を突かれ血飛沫が上がるも、法月は感心した様に頷くのみ。
「…おやおや、随分と腕を上げた様じゃないか。これなら二鬼姐さんも喜ぶんじゃないかな?」
「馬鹿なっ!?」
四鬼の目の前で、突かれて穴の開いた法月の胸が瞬く間に塞がって行く。
「生憎と、こんな傷では私は死ねないんだよ。」
黄金色の瞳を細めた法月は、掌に小さな淡黄色の花を乗せると「ふふ、こう言うのはどうかな?」と言って、その花に息を吹きかけた。
忽ちに辺りに濃く甘い香りが広がって行く。
四鬼は咄嗟に袖で鼻口を覆ったが、それでも幾らか、その芳香を吸い込んでしまった。
目が霞み、脳が揺れると共に、足元がふらついて行く。
思わず膝を着いた四鬼は、法月を見上げて睨み付けた。
「この花の名は、真拆葛と言うんだ。花は小さくて良い香りがするけど、葉や茎を誤って食べてしまうと、麻痺や嘔吐と言った症状が出る。…今のおまえの様にね。」
本来、花の芳香を吸い込んだからと言って、体に害が出る訳では無いのだが、法月の妖術によって真拆葛の花は毒花と変化している。
四鬼の体は痺れ、荒くなって行く呼吸を必死で整えるも、法月は毒花の代わりに先程の松の実を四鬼へと放った。
「…くっ!」
痺れる腕を何とか動かし、仕込み杖で松の実を断ち切るも、刃が触れると共に松の実は爆ぜ、四鬼の体は吹き飛ばされた。
背中を屋敷の柱へと盛大に打ち付けた四鬼の手から、仕込み杖がスルリと落ちる。
四鬼は瞳を瞬かせ、三鬼へ変わると懐から鍼を取り出し、左腕へと突き刺した。
だが、痛みによる覚醒よりも早く、法月が再び松の実を放る。
松の実が三鬼にまともに当たり、三鬼の四肢の肉を裂いて行く。
「ぐ…、う…っ」
弾き飛ばされ、泥水の中に落ちた三鬼の呻き声を背中で聞きながら、法月は四鬼の落とした仕込み杖を拾って翳した。
切っ先に雨粒が落ち、涙の様に刃を伝う。
「子供の頃から一緒にいたんだ、お前達の手の内は分かっているよ…ああ、少し刃毀れしているようだが、今のお前達に止めを刺すには充分かな?」
そう零して、くるりと三鬼へ向き直った法月は、そこに立つ孝子の姿に目を瞠った。
雨で泥濘となった土の上、汚れる事も気にせず裸足で立ち、両手を広げる孝子の姿。
そうして、その向こうでは血に塗れた三鬼の体をその身で包み、彼を護る様に蹲る晶子の姿があった。
「…それは何の真似だい?」
「見たら分かるでしょ?これ以上、四鬼と三鬼を傷付けさせない!」
降り頻る雨の中、孝子は真っ直ぐに法月を見据えると、そう言い切った。




