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花鬼~あざみの記憶~  作者: 光沢武
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五十一話・移し

「ああ、可哀そうなはつ…泣かなくて良い。私がはつの望みを全て叶えてあげるから。」


法月はそう言って慰めると、左側にあるはつの涙を拭った。


「…まさか、おまえ『移し』を使ったのか!?」


はつの過去を聞き、三鬼はある種の確信を持って聞いた。

この確信が杞憂である事を願いながら。

だが、法月はそんな三鬼の言葉に笑って「是」と答えた。


「流石、三鬼だね。察しが良い。そうだよ、私はあざみの花に埋もれたはつを見つけた時『移し』を使った…彼女が死の間際、何を想い、何を見たのか知る為にね。」


鬼の使う妖術の中には、人の(ことわり)から外れたものが幾つかあるが、その中でも『移し』と呼ばれる妖術は、術者の並外れた妖力と精神力が必要とされる妖術だ。

『移し』は触れた者…生者であろうが、死者であろうが…生まれて来てからこれまでの全ての記憶と姿を『移す』能力である。

それ故に、この術を使える者は、触れた者の膨大な記憶と感情の渦に飲まれる事の無い様に、殊更に精神力の高さが求められる。

そうで無ければ、精神が崩壊し廃人となった挙句、元の姿に戻れない文字通りの化け物と化してしまうのだ。

それ程に使う者を選ぶ、高度な妖術であった。


「『移し』に関しては、おまえ達の祖父母の家の書斎に詳しい術書があったからね、それを覚えていたんだ。…まあ、(いち)(にい)の様には上手く出来なかったけど。」


「…そうして、おまえは、おまえで無くなったんだな。」


「どうだろうな。確かに『移し』を使った時、私に自我は無く、この身は化け物へと変わったかも知れない。私は、はつの亡骸を抱きながら、その一方で、はつを食らっていたよ。」


獣の様に慟哭しながら、最愛の女を喰らい、その女の憎しみの記憶のままに、はつを襲った男達を探し出すと、嬲り殺し、噛み砕いてやった。

それでも払拭される事の無い憎しみで、気が付けば東山の里人のほとんどを喰らいつくしていた。


「そんな時、門を潜ったおまえが私の前に現れた。初めは三鬼だと気付かずに、襲い掛かったが、おまえに名を呼ばれ、私はぼんやりとだが、意識を取り戻したんだ。」


「…意識を取り戻した?今のおまえだって、とても正気には見えないけどな。」


「ふふっ、おまえにはそう見えるか?だが、意識がはっきりしたおかげで、はつの願いを叶えてやる事が出来た。それに、東山で多くの人間を喰らったからかな?『移し』で変形してしまった姿も、ある程度、自由に出来る様になったよ。」


「自由に出来る様になった結果がそれか?あの時の化け物の姿と大差ない姿じゃねえか。」


三鬼は半身が別々の個へと変わった法月へ、皮肉を込めて言った。

だが、法月とはつは、三鬼の言葉に笑って答える。


「おまえが何と言おうと、私はこの姿に満足しているよ。これでいつでも、はつと一緒にいられるんだ。素晴らしいと思わないか?」


『そうですよ、三鬼様。これで法月様と二度と離れる事は無い。こんな素晴らしい事はありませんわ。』


はつを置いて行った法月の後悔と、死に際に法月に会う事が出来なかったはつは、この姿になる事で二度と離れる事が無いのだと、その喜びを語る。

だが、三鬼には何一つ、共感する事は出来なかった。


「それに、以前よりも妖力を使いこなせる様になった。…はつの望みを叶える為に、ここに来る前に義父を迎えに行ったんだけどね、義父ははつの事を知らないと言ったんだ。」


『お父様とはもう何年も会っていませんでしたものね。』


法月とはつが、廊下で立ち尽くす徳祐を一瞥して言った。

突如、名を呼ばれた徳祐は恐怖でガタガタと震えながら口から泡を噴き出した。


「あまりにも酷い話だろう?だから、私は『移し』を使って、義父の記憶を読み取ったんだ。」


法月の黄金色の瞳が物騒に細められ、徳祐は動かない足を必死に動かし逃げ出そうとしている。


「義父の記憶の中には確かに、はつの姿があった。だが、それはあくまで風景であり、あった事がそのまま張り付いているだけ。そこに、この男の感情は何一つ無かったよ。必ず戻って来ると言った言葉も、その場限りの上っ面な言葉に過ぎない。出世の役に立つ事の無い、田舎に残した妻子の事等、当の昔に忘れ果てていたのさ。」


法月が初めてはつと出会った時も、彼女は船を見ていた。

船が辿り着き、そこに求める人…父親の姿が無かった時の彼女の寂しそうな顔を法月は今でも覚えている。

『移し』を使ってはつの記憶を体感して分かった、彼女は来る日も来る日も、海岸で戻る筈の無い父親を待ち続けていた。

そう、はつは父親が戻って来ない事を理解していても、待ち続けていたのだ。

父親を愛していたが為に。


それなのに、徳祐の中にははつと言う娘は風景の一部に過ぎない。

この男にとって、はつは道端の石ころと同じなのだ。

そんな事、許せる筈が無かった。


法月は黄金色の瞳を細めると、傀儡を使って徳祐の首元を絞め上げた。

逃げる事も出来ず、悲鳴とも言えない悲鳴を漏らす徳祐の姿を、左側にあるはつの顔は、困った様に眉を顰めると、夫である法月を柔らかく窘める。


『旦那様、そんなに強く締め上げては、お父様が死んでしまいますわ。私、お父様にはまだ伝えたい事もたくさんありますし、昔の様に甘えたいと思っていますのよ?殺してしまうのは、それからでも遅くは無いでしょう?』


「ああ、すまない。でも、どうしても許せなくてね。つい、力が入ってしまったよ。」


『そうですね…確かに私も許せないと思う気持ちはあります。ああ、そうだわ!では、こうしませんか?利久様に私のお父様になって頂くと言うのは!』


はつは羅城門で出会った異母弟の姿を思い浮かべて、うっとりと微笑んだ。

利久は若かりし頃の徳祐と姿形がよく似ている。

はつの記憶の中の優しかった父の姿と瓜二つであったのだ。


「ああ、それは良い考えだね。こんな汚らしい(ごみ)の様な男は、はつの父親には相応しく無い。彼なら、良い父親になるだろうな。」


法月はそう言うと、徳祐の首を締め上げる傀儡の力を更に強めて行った。


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