五十話・花に埋もれる
はつは母親のせいを亡くしてからも父親である徳祐が商船に乗って、武蔵国へと戻って来るのを待っていた。
せいが元気であった時は、大井氏の元で女房を務めていた為、その給金で生活をしていたのだが、せいが死にその貯えが無くなった時、母親以外に身寄りの無かったはつが金を稼ぐ手段は限られていた。
里の男を体で慰め、その情で暮らして行く。
女一人で生きて行く為には、それより他に道は無かったのである。
だが、ある時、はつはこの地では見掛けない旅の男と出会った。
柔和な顔に不釣り合いの、不気味な火傷の痕が右の頬にはあったが、不思議とはつはその事が一切気にならなかった。
法月は優しい男であった。
はつの事を、まるで真綿に包める様にして大切に扱い、はつ自身を見てくれる。
肌と肌を交える事が無くても、法月から与えられる情がはつを心から温めてくれた。
そうして、はつと法月が時間を掛けて互いに気持ちを育み、想いを交わす頃には、はつは己の体を売る事を止めていた。
法月から与えられた金で生活が成り立った為でもあるが、はつ自身が法月を唯一人の夫であると心の中で決めたからである。
法月も、そんなはつの気持ちに気付いたのだろう。
初夏のある日、帰って来たら改めて話があるからとはつに告げて、家を出て行った。
その背中が、はつが幼い頃、必ず戻って来るからと告げて出て行った父の背中と重なったが、はつの心には不安は無かった。
父と法月は違う。
そこには確かな愛情と信頼があった。
昼を過ぎ、陽が頭の天辺に昇った頃、はつの耳に誰かの足音が聞こえた。
法月が帰って来たのだと思ったはつは、笑顔で彼を出迎えようとして、現れた男達の姿に足を止めた。
それは嘗て、はつが体を売った男達の中でも性質の悪い男達であった。
法月と出会い、彼らとは距離を取ったのだが、その事を不満に思っていたのだろう。
法月の留守を狙って、男達ははつの元を訪れたのである。
はつは身の危険を感じて裸足で外へと駆けだした。
山の中を走り、草木で体を傷付けるのも気にせず逃げた。
そうして、視界を防ぐ樹々を抜けた先に見えたのは、一面のあざみの花。
一瞬、その光景に目を瞠り、足を止めたはつは、直ぐにその腕を男達に掴まれた。
所詮は女の足である。男達の足に敵う筈も無かった。
はつは、その花畑の前で無情にも男達に乱暴を受けたのである。
地面に転がされたはつは、諦め、素直に身を任せてしまおうと思った。
だが、一瞬、法月の顔が頭を過ぎった。瞬間、はつの体に走ったのは猛烈な拒否反応だった。
はつは男達の凶行から逃れる為に藻掻き、必死に抵抗した。
急に暴れだしたはつに、頭に血が上った男達は何度も彼女の腹を蹴り、顔が変わる程に頬を殴った。
はつを散々に痛めつけた男達が、狂乱の末に悪態を吐きながらこの場を去って行くのを、泥と血で汚れた目で見ながら、はつはあざみの花畑まで這って行った。
意識が次第に遠くなって行く。
どうして、こんな事になったのか、はつは唇を噛み締めて呪詛を吐き出した。
何が悪かった、誰が悪かったのだろう?
せいが徳祐と出会った事か?
必ず戻ると告げながら帰って来なかった父親が、実は都で出世をし、妻を娶り娘が産まれた事を船乗りの噂話から知っていた。
けれど、それでも、信じていたのだ。
父が約束を守ってさえいれば、はつがこんな目に合う事も無かったのだろうか…
憎い、憎い、憎い…
全てが憎い、
私を襲った男達が、
母親が、
父親が、
都で豪華なお屋敷に住み、父に可愛がられているだろう異母妹が
この世の全てが憎らしいっ!!
あざみの葉がはつの傷付いた肌を更に傷付ける。
けれど、はつは痛みよりも、赤紫の花弁が風に揺れる様子に目を奪われた。
花が好きだと言っていた優しい人。
泥と血と、憎しみに汚れた私だけれど、
あなたが見つける私は、
せめてあなたの好きだと言っていた花に埋もれて
少しでも綺麗であれたなら良いのに…
「ほうげつ、さま…」
最後に抱いたこの気持ちが、一体何であるのか分からないまま、はつは目を閉じて花の中に埋もれた。




